M12 キリストの言葉(世界を救うために必要な教師の数)

マニュアル 0
We are not held back by the love we didn’t receive in the past, but by the love we’re not extending in the present.
わたしたちは自分が過去に愛を受け取らなかったことによって引き止められるのではない。現在において自分が愛を拡張していないことによって引き止められるのです。

Marianne Williamson
マリアン・ウィリアムソン



If you can't feed a hundred people, feed just one.
もしあなたが百人の人たちに食べさせてあげられないなら、たったひとりに食べさせてあげてください。

Never worry about numbers.
数のことを心配してはなりません。

Help one person at a time and always start with the person nearest you.
いっときにひとりの誰かを助けてあげなさい。そして、つねにあなたに最も近しい人から始めてください。

Mother Teresa
マザー・テレサ




もし今の時代にイエス・キリスト(当時の発音に近いものとして「イェシュア」と呼称されることが多いので、そう呼ばせていただきます。イェシュアってなんだか可愛らしくていい響きだと思います)が生きていて、話を聞くことができるチャンスがもらえるなら、アラム語であろうと何語であろうと頑張って一から学んで、直接、生の言葉を受け取りたいと思います。




いかに有能な通訳の人がいたとしてもそうしたいと思わないでしょうか。言葉を理解できるようになるまでの仲立ちの手立てとしてはもちろん通訳を利用しますが、せっかく真理に生で触れる偉大なる機会をみすみすふいにしたくなどありません。絶対にフル活用したいからです。


実は、今の私たちにも、イェシュアの生の声(に近いもの)を聴く、そのチャンスが与えられています。奇跡のコースという書物の形で。

ぜひ、みなさんも原文で直接イェシュアの声に耳を澄ましてみてください。



「2. Thus does the son of man become the Son of God.
 こうして、人の子は神の子となります。

 It is not really a change; it is a change of mind.
 それは実際に、何かが変わることではありません。それは心の変化です。」

「人の子」(Son of man)は、福音書でイエス・キリストが自身のことを指す呼称として用いられている言葉で、キリスト教的には、イエスを指す特別な意味を持つ用語です。

しかし、コースでは、「人の子」は「神の子」に対置して、この幻想世界で贖罪を果たして神の子としての自覚を取り戻すまで、自分であるとアイデンティティーを抱くエゴ・身体というアバター、人間としての私たちを指す用語として用いられています(T13-2 罪のない神の子)。

このサイトでは、私たち個としての人間のことを、夢見る者である神の子が夢物語の世界を体験するための主人公、アバターと見て、実在する神の子に対して、本来、無である消え去るべき架空の登場人物と位置づけています。

これはある種ショック療法的な効果を意図してのものです。というのも、私たちが神の子よりも人間としての自分の実在性を確信し、それが簡単には揺るがないことは言うまでもないことだからです。

とはいえ、コースが私たちに「あなたは神の子である」と語るのは、もちろんその通りの真理であり、アバターである人間になりきっている神の子に対して私たちを介して語りかけているのです。




本節では、数の問題がテーマとなっています。

このテーマは、人に難題を突き付けます。

人助けを志して医師になったけれど、救っても救っても同じ病で苦しむ患者が絶えないことに絶望して、臨床を離れて基礎医学研究に転向する人、地域の現場での問題解決に壁を感じ、政治家に転身する人等々、目の前の個人から大衆へと観点を切り替えて問題解決を図ろうとするスタンスが近代社会の進化を支える発想でした。

これに対して、マザー・テレサのスタンスは、終始一貫して、目の前の個人、それも最も恵まれない人たちと直接向き合うというものでした。

それだけに、この姿勢は、貧困等の社会問題の根本原因に目を向けずに表面に現れている病理現象に対処するだけの食糧配給所の規模を大きくした活動でしかない、弱者を真に助けるのは魚を与えることではなく、魚の採り方を教えることのはずだ、というような批判もあったようです。

しかし、マザーは揺らぐことなく、目の前の人たちの助けとなることに邁進しました。

レッスン63「私の赦しを通じて、世界の光がすべての心に平安をもたらす」のエッセイで、自分が大衆の中に埋もれて自分の相対的重要性が希釈されてしまうように感じる感覚、自己の断片化、細分化による価値減少の錯覚がきわめて強い目くらまし効果を強く発揮する、エゴにとって分離幻想を維持するための強力な武器であるということを述べました。

この数の目くらましがあればこそ、目の前のひとりの力になれても、同じような事象がほかに生じたときに永遠のモグラたたきをしているような無力感を覚えることが可能となります。

どうしても目の前のひとりだけよりも多くの人を、人類を、世界を、宇宙を救うことのほうが壮大で尊いことのように思えてしまいます。

真理を突いているような感覚を味わえるので、よく「やらない善よりやる偽善」のほうがよほどいいというキャッチフレーズが受けて共感を持たれがちです。

たしかに、この世界かぎりでは、当然ながら、心がこもっていようがいまいが、困っている人のところに施しが行き届くほうがいいに決まっています。

しかし、分離幻想によって、愛の不在が存在するかのような錯覚が生み出され、それが深刻化することで、分裂が細分化を遂げているのだとしたら、細分化したことで増えている数に応じたフォローが必要で、しかも、それができさえすれば、少しも愛がこもっている必要はないという発想は、エゴと身体の実在性を真正面から是認することにしかなりません。

マザーが、私たちには壮大なことはできず、小さなことに大きな愛を込めることが偉大なのだと語るのは、数の幻想に惑わされることなく、影ではなく実在する光である愛にのみ向き合うことの大切さがわかっていたからです。

「やらない善よりやる偽善」への共感は、鋭い洞察のような見せかけを持っているだけで、実は、浅薄な昔ながらの結果主義、規模の大きさだけに価値を見出すさもしい発想といえるかもしれません。

コースを学ぶ私たちも、ともすれば、人類愛であるとか世界の救済というようなたいそうな美名や博愛主義であることに惹かれてしまいがちなこともあるかもしれませんが、そんなものはメサイア・コンプレックスであって、エゴがよだれを流してほしがっているだけだと思ったほうがよいでしょう。

名前を持ち温かみを持った自分にとって最も近しい目の前の人を愛することも忘れて、名ばかりの「神の子の救済」、「世界の救済」という大事業に乗り出してしまうことがないように気をつけたいものです。

大きなことに憧れるのは、自らの真の壮大さを忘れてエゴの尊大さが増長しているサインです(T9-8 自信喪失と自惚れの行ったり来たりから抜け出すには?)。

マザーの言うように、自分や誰かが大事業をなして大衆を導いたりしなくても、みんなが自宅をきれいにすれば世界中がきれいになるのであり、家族を大切にすれば世界が平和になります。

マザーの勧めるように、まずは家に帰って家族に優しく愛を届けましょう!

We must know that we have been created for greater things, not just to be a number in the world, not just to go for diplomas and degrees, this work and that work.
私たちは、自分たちが、ただ単に世界の頭数のひとつになるためでもなく、学位や卒業証を取得するためでもなく、この仕事やあの仕事をするためでもなく、より偉大なことのために創造されたのだということを知らなければなりません。

We have been created in order to love and to be loved.
私たちは、愛し愛されるために創造されたのです。

Mother Teresa
マザー・テレサ






Section 12
第12節



How Many Teachers of God Are Needed to Save the World?
世界を救うには、どれだけ多くの神の教師が必要なのか



1. The answer to this question is--one.
 この質問に対する答え、それは、ひとりです。

 One wholly perfect teacher, whose learning is complete, suffices.
 たったひとり、学びを完了したまったく完璧な教師がいれば十分です。

 This one, sanctified and redeemed, becomes the Self Who is the Son of God.
 贖罪を完了し聖なる存在となったこのひとりの教師は、神の子である大いなる自己となります。

 He who was always wholly spirit now no longer sees himself as a body, or even as in a body.
 つねに完全に霊であった彼は、今ではもはや自分自身を身体とみなすことはないし、自らを身体の中にいる存在とみなすことすらありません。

 Therefore he is limitless.
 それゆえ、彼には限界はありません。

 And being limitless, his thoughts are joined with God's forever and ever.
 そして、無限であるがゆえに、彼の思考は神の思考と永遠にこれからもずっと結びついたままです。

 His perception of himself is based upon God's Judgment, not his own.
 彼の自分自身についての知覚は、彼自身の価値判断にではなく、神の裁きに基礎を置いています。

 Thus does he share God's Will, and bring His Thoughts to still deluded minds.
 こうして、彼は神の大いなる意志を共有し、いまだに幻想に惑わされている個々の心たちに神の大いなる思いをもたらします。

 He is forever one, because he is as God created him.
 彼は永遠に一なるものです。なぜなら、彼は神の創造したままの彼だからです。

 He has accepted Christ, and he is saved.
 彼はキリストを受け入れたので、彼は救われているのです。



2. Thus does the son of man become the Son of God.
 こうして、人の子は神の子となります。

 It is not really a change; it is a change of mind.
 それは実際に、何かが変わることではありません。それは心の変化です。

 Nothing external alters, but everything internal now reflects only the Love of God.
 外側のものは何も変わりません。しかし、内側のものはすべて、いまや、ただ神の大いなる愛だけを反映しています。

 God can no longer be feared, for the mind sees no cause for punishment.
 もはや神が恐れられることはありえません。というのは、その心はいかなる処罰の根拠も見てはいないからです。

 God's teachers appear to be many, for that is what is the world's need.
 神の教師たちはたくさんいるように見えます。というのも、それがこの世界に必要なことだからです。

 Yet being joined in one purpose, and one they share with God, how could they be separate from each other?
 しかし、ひとつの目的、それも、彼らが神と分かち合うひとつの目的で結び合わされていているのだとすれば、どうして神の教師たちがお互いから分離した存在でいられるでしょうか。

 What does it matter if they then appear in many forms?
 だから、もし神の教師たちが多様な形で現れるとしても、そんなことの何が問題でしょうか。

 Their minds are one; their joining is complete.
 神の教師たちの心はひとつであり、彼らの結びつきは完璧なものだからです。

 And God works through them now as one, for that is what they are.
 そして神は、いまや一なるものとしての神の教師たちを通じて働きます。というのも、一なるものであることこそ、神の教師たちのありのままの姿だからです。



3. Why is the illusion of many necessary?
 なぜ数多くの教師がいるという幻想が必要となるのでしょうか。

 Only because reality is not understandable to the deluded.
 それはただ、妄想に囚われている者にとって、現実が理解しがたいものだからでしかありません。

 Only very few can hear God's Voice at all, and even they cannot communicate His messages directly through the Spirit which gave them.
 少しでも神の大いなる声を聞くことができる者はきわめてわずかしかないし、その者たちですら、それを自分たちに与えてくれた霊を介して直接他者に神のメッセージを伝えることはできません。

 They need a medium through which communication becomes possible to those who do not realize that they are spirit.
 彼らには、自分が霊であると理解していない者たちに神のメッセージを伝えることを可能にする媒体が必要です。

 A body they can see.
 自分が霊であると理解しない者でも、誰かの身体であれば見ることができます。

 A voice they understand and listen to, without the fear that truth would encounter in them.
 自分が霊であると理解しない者にも、誰かの声であれば、自分が真理に出くわしてしまうと恐れずに、理解し、耳を傾けることができます。

 Do not forget that truth can come only where it is welcomed without fear.
 次のことを忘れないでください。それは、真理は、恐れられずに歓迎してもらえるところにしか訪れることができないということです。

 So do God's teachers need a body, for their unity could not be recognized directly.
 だから、神の教師たちには身体が必要なのです。なぜなら、彼らがひとつに結びついていることがありのまま認識されることはありえないからです。



4. Yet what makes God's teachers is their recognition of the proper purpose of the body.
 しかし、神の教師を神の教師たらしめるのは、彼らが身体の適切な用途を認識していることです。

 As they advance in their profession, they become more and more certain that the body's function is but to let God's Voice speak through it to human ears.
 神の教師たちが自分たちの任務を遂行するにつれ、彼らは、身体の役割は、神の大いなる声が身体を通じて人の耳に語りかけられるようにする点に尽きるとますます確信するようになります。

 And these ears will carry to the mind of the hearer messages that are not of this world, and the mind will understand because of their Source.
 そして、このような人の耳は、この世界からのものではないメッセージを聞き手の心へと運んでくれます。そうすれば、心はそのようなメッセージの大いなる源のゆえに理解するようになります。

 From this understanding will come the recognition, in this new teacher of God, of what the body's purpose really is; the only use there really is for it.
 この理解から、この新たな神の教師の中に、身体の真の目的は何なのか、つまり、身体の唯一の正しい使いみちについての気づきがもたらされます。

 This lesson is enough to let the thought of unity come in, and what is one is recognized as one.
 このレッスンは、ひとつに結びつく思いを招来するために十分なものであり、そして、ひとつであるものは確かにひとつなのだと認識されることになります。

 The teachers of God appear to share the illusion of separation, but because of what they use the body for, they do not believe in the illusion despite appearances.
 神の教師たちは、分離の幻想を共有しているように見えます。しかし、仮にそのように見えたとしても、彼らの身体の用途ゆえに、彼らが分離の幻想を信じていないことは確かなのです。



5. The central lesson is always this; that what you use the body for it will become to you.
 レッスンの核心はいつでも次のようなものです。すなわち、あなたが身体を何のために用いるかが、あなたにとって身体が何であるかを決めるということです。

 Use it for sin or for attack, which is the same as sin, and you will see it as sinful.
 身体を罪や罪と同じものである攻撃のために用いるなら、あなたは身体を罪深いものとみなすようになります。

 Because it is sinful it is weak, and being weak, it suffers and it dies.
 身体が罪深いものとされるがゆえに、身体は脆弱になり、脆弱であるがゆえに、身体は苦しみ、そして、身体は死ぬのです。

 Use it to bring the Word of God to those who have it not, and the body becomes holy.
 神の言葉を得ていない者たちの許へと神の大いなる言葉を届けるために身体を用いるなら、身体は神聖なものになります。

 Because it is holy it cannot be sick, nor can it die.
 身体が神聖であるがゆえに、身体は、病むことも死ぬこともできません。

 When its usefulness is done it is laid by, and that is all.
 身体が役目を終えたらなら、身体は横たえられることになりますが、それだけのことです。

 The mind makes this decision, as it makes all decisions that are responsible for the body's condition.
 身体の状態を左右する原因であるすべての決断をなすのは心なので、心がこの決断を下します。

 Yet the teacher of God does not make this decision alone.
 しかし、神の教師はひとりでこの決断を下すわけではありません。

 To do that would be to give the body another purpose from the one that keeps it holy.
 ひとりでこの決断を下すなら、身体を神聖に保つ目的とは別の目的が身体に与えられることになります。

 God's Voice will tell him when he has fulfilled his role, just as It tells him what his function is.
 神の大いなる声が彼にその役割を告げるのと同じように、彼が自分の役割を果たしたときには、神の大いなる声が彼に告げるでしょう。

 He does not suffer either in going or remaining.
 彼は、去るにしても残るにしても苦しむことはありません。

 Sickness is now impossible to him.
 いまや彼にとって、病むということは不可能だからです。



6. Oneness and sickness cannot coexist.
 一体性と病気は両立できません。

 God's teachers choose to look on dreams a while.
 神の教師たちは、しばらくの間、夢を見ることを選んでいるのです。

 It is a conscious choice.
 それは意識的な選択です。

 For they have learned that all choices are made consciously, with full awareness of their consequences.
 というのも、教師たちは、すべての選択は、自らの選択の結果を完全に自覚して意識的になされるものだと学んだからです。

 The dream says otherwise, but who would put his faith in dreams once they are recognized for what they are?
 夢はそれは違うと言います。しかし、ひとたびそれが夢だと気づいていながら、夢のことを信じ続けようとする者などいるでしょうか。

 Awareness of dreaming is the real function of God's teachers.
 夢見ていることを自覚することこそ、神の教師の真の役割です。

 They watch the dream figures come and go, shift and change, suffer and die.
 教師たちは、夢の登場人物たちが来ては去り、姿を移り変わらせ、苦しんで死ぬさまを見守ります。

 Yet they are not deceived by what they see.
 しかし、教師たちは、自分たちの目にすることによって惑わされることはありません。

 They recognize that to behold a dream figure as sick and separate is no more real than to regard it as healthy and beautiful.
 教師たちには、夢の登場人物のことを病んでいて一人ひとりが離ればなれになっているものと見るのは、夢の登場人物のことを健やかで美しいものと見るのと同じくらい現実離れしたことだとわかっているからです。

 Unity alone is not a thing of dreams.
 ただすべてがひとつに結ばれている一体性だけが夢に属さないものなのです。

 And it is this God's teachers acknowledge as behind the dream, beyond all seeming and yet surely theirs.
 だから、神の教師たちが、すべての見せかけを超越しながらもなお確かに彼らのものであると承認するのは、夢の背後にあるこの一体性だけなのです。




次

関連記事

コメント0件

コメントはまだありません
未分類 (11)
奇跡のコース (6)
書籍 (4)
朗読 (1)
映画 (2)
アフォリズム (11)
教材 (3)
ネット (1)
テキスト (262)
┣  テキスト第1章(奇跡の意味) (7)
┣  テキスト第2章(分離と贖罪) (8)
┣  テキスト第3章(潔白な知覚) (7)
┣  テキスト第4章(エゴという幻想) (8)
┣  テキスト第5章(癒しと完全性) (8)
┣  テキスト第6章(愛のレッスン) (8)
┣  テキスト第7章(王国の贈り物) (11)
┣  テキスト第8章(戻りの旅路) (9)
┣  テキスト第9章(贖罪の受容) (8)
┣  テキスト第10章(病の偶像) (6)
┣  テキスト第11章(神かエゴか) (9)
┣  テキスト第12章(聖霊のカリキュラム) (8)
┣  テキスト第13章(罪なき世界) (12)
┣  テキスト第14章(真理のための教え) (11)
┣  テキスト第15章(神聖な瞬間) (11)
┣  テキスト第16章(幻想を赦す) (7)
┣  テキスト第17章(赦しと神聖な関係) (8)
┣  テキスト第18章(夢の消滅) (9)
┣  テキスト第19章(平安の達成) (9)
┣  テキスト第20章(神聖さのヴィジョン) (8)
┣  テキスト第21章(理性と知覚) (9)
┣  テキスト第22章(救いと神聖な関係) (7)
┣  テキスト第23章(自分自身との戦い) (5)
┣  テキスト第24章(特別であるという目標) (8)
┣  テキスト第25章(神の正義) (9)
┣  テキスト第26章(移行) (10)
┣  テキスト第27章(夢を癒す) (8)
┣  テキスト第28章(恐れを取り消す) (7)
┣  テキスト第29章(目覚め) (9)
┣  テキスト第30章(新たなる始まり) (8)
┗  テキスト第31章(最後のヴィジョン) (8)
ワークブック・パート① (238)
┣  レッスン1〜10 (10)
┣  レッスン11〜20 (10)
┣  レッスン21〜30 (10)
┣  レッスン31〜40 (10)
┣  レッスン41〜50 (10)
┣  レッスン51〜60 (11)
┣  レッスン61〜70 (10)
┣  レッスン71〜80 (10)
┣  レッスン81〜90 (11)
┣  レッスン91〜100 (10)
┣  レッスン101〜110 (10)
┣  レッスン111〜120 (11)
┣  レッスン121〜130 (10)
┣  レッスン131〜140 (10)
┣  レッスン141〜150 (11)
┣  レッスン151〜160 (10)
┣  レッスン161〜170 (10)
┣  レッスン171〜180 (11)
┣  レッスン181〜190 (11)
┣  レッスン191〜200 (10)
┣  レッスン201〜210 (11)
┗  レッスン211〜220 (10)
ワークブック・パート② (158)
┣  ワークブック・パート②特別解説 (15)
┣  レッスン221〜230 (10)
┣  レッスン231〜240 (10)
┣  レッスン241〜250 (10)
┣  レッスン251〜260 (10)
┣  レッスン261〜270 (10)
┣  レッスン271〜280 (10)
┣  レッスン281〜290 (10)
┣  レッスン291〜300 (10)
┣  レッスン301〜310 (10)
┣  レッスン311〜320 (10)
┣  レッスン321〜330 (10)
┣  レッスン331〜340 (10)
┣  レッスン341〜350 (10)
┣  レッスン351〜360 (10)
┗  レッスン361〜365 (3)
マニュアル (42)
心理療法 (13)
用語解説 (8)
祈りの歌 (15)