レッスン139「私は、自分自身のために贖罪を受け入れることにする」

レッスン131〜140 0

子どもたちはどんな教えよりも、真似をして学んでいきます。他の人の人生にプラスの影響を及ぼす最大の機会は、神のを自分自身の人生に受け入れることによって訪れます。

それが人との関係における主要な原則のひとつです。

他の人と安らかな関係を築くためには、私たちは自分自身を見て、自分自身の教訓、思い、行動を見直さなければなりません。

奇跡を行う人の唯一の責任は自分自身のために贖罪受け入れることである。

エゴは、二人の関係が崩壊したのは相手の人が間違った行動を取ったからであり、相手の人が無理解だからであり、相手の人が教訓を学ぶ必要があるからだと考えるように、いつも私たちを誘惑してきます。

しかし、焦点は自分自身に合わせ続けなければなりません。

他人ののなさによって私たちが影響を受けるとすれば、そのことで私たちがどの程度相手を裁くかというその程度だけ影響を受けます。

裁かなければ、私たちはエゴに対して不死身です。

それこそが、神の子の本来の姿です。

マリアン・ウィリアムソン(「愛への帰還」153ページ)




レッスン139です。


「私は、自分自身のために贖罪受け入れることにする」が今日のテーマです。



「I will accept Atonement for myself.
私は、自分自身のために贖罪受け入れることにする。」

"for oneself"は、自分のために、自分で、独力で等の意味です。

神の子は、分離幻想の世界の中に私たち人間という自己像をでっちあげて、それに自己同一化して、アバターを自分だと誤信しています。

世界という分離幻想を存続させているのは、それを眺める分離した個々の人間へのアイデンティティーの固着です。

贖罪は、分離幻想が錯覚だと認識して、その認識の通り無視する赦しによって実現します。

世界を幻想と見極めることと、自分だと思っている人間はアバターであり本当の自分ではないと気づくことは表裏一体であり、それは、自分は神の子であるという正しいアイデンティティーを取り戻すことです。


自分自身のために贖罪受け入れることは、本当の自分を確信することです。つまり、自分が神の子であると認めることです。

どんな生き物も、自分が生きていて自分が自分であることを疑いもしません。

2.「The only thing that can be surely known by any living thing is what it is.
 いかなる生き物でも確実に知りうる唯一のことは、ありのままの自分だけです。

 From this one point of certainty, it looks on other things as certain as itself.
 この確実なひとつの観点から、どんな生き物も、ほかの物事は自分自身と同じように確実なものだと見ることになります。」


この文章表現には、違和感を覚える人も多いかもしれません。

生き物といっても、たとえば魚はそもそも自分が生きているとか自分が魚だということ自体、観念できないじゃないかと。

人間以外の生物は、イルカやチンパンジー、犬等の比較的知能の高い生物でも、自意識を抱いているように思えることはあっても、抽象的な概念を操作する概念的思考を抱くことができませんし、その生き物の知的能力の水準次第では、そもそも自意識どころか、意志という心理作用自体認めにくい生き物も多いかもしれません。

けれども、というよりも、むしろそれだからこそ、どんな生き物も自分が何者かということに疑念や不信を抱くことがありません。

人体内の細胞も、自分が何者か疑問を抱いたりすることなく、粛々となすべき仕事をなします。

逆に、癌細胞がそのような疑問を抱いた細胞だと言えるかもしれません。

本来の自分を弁え、自分の役目を粛々と果たしている正常な細胞に比べて、癌細胞は個別意識を持って、全体に対して反旗を翻して、平等を旗印に周囲の他の細胞を扇動しては自分の個としての利益を主張しているわけだからです。

癌細胞は、ほかの細胞たちは無自覚のまま全体に搾取されているお馬鹿さんたちで、愚かなほかの細胞たちより優秀な自分たちが救済してやらねば、愚かな細胞たちが虐げられたまま、上の世界のお偉いさんたちに好き放題吸い尽くされてしまうような理不尽な世界に自分は生きていると信じているはずです。

そして、こんな理不尽な世界が変わらないままでは、世界は破滅してしまう、と義憤を感じて、自分がわが身を犠牲に捧げる救世主となって劣ったほかの細胞たちを教育して救済してやり、万民がすべてを均等に分かち合うみんなが平等な理想世界を実現しようとしているのかもしれません。

けれど、実際のところ、彼らが目指す理想が実現することは、人体内世界の破滅にほかなりません。

この癌細胞と私たちはとても似ていると思わないでしょうか?

私たちは、今の自分の状態がありのままの本当の自分の状態ではないかもしれないという疑念を持たねばなりません。


「The ego is a wrong-minded attempt to perceive yourself as you wish to be, rather than as you are.
 そのエゴとは、あなた自身をありのままに知覚せずに、あなたがそうありたいと願う姿として知覚しようとする心の間違った試みのことです。

 Yet you can know yourself only as you are, because that is all you can be sure of.
 しかし、あなたは自分自身のことを、ただありのままの自分としてしか知ることができません。なぜなら、あなたが確信できるのは、ありのままの自分だけだからです。

 Everything else is open to question.
 ありのままのあなたを知ること以外のすべてのことには、疑問が入りこむ余地があるのです。」(T3-4 誤りとエゴ、2.)



4.「Yet he could never be alive at all unless he knew the answer.
 しかし、彼がいやしくも生きているからには、彼はかつてその答えを知っていたはずなのです。

 If he asks as if he does not know, it merely shows he does not want to be the thing he is.
 もし彼がまるで自分はその答えを知らないかのように尋ねるなら、それは単に、真の自分であることを彼が望んでいないことを示しているだけです。」


この文章と類似した論法で述べられる箇所を引用しておきます。

「When you threw knowledge away it is as if you never had it.
 あなたが知識を捨て去ってしまったとしたら、あなたはまるで一度も知識を持ったことがないような状態になってしまうはずです。

 This is so apparent that one need only recognize it to see that it does happen.
 これは本当にわかりきった明白なことなので、誰でもただこのことに気づきさえすれば、それが現に起こっていることなのだとわかるはずです。

 If this occurs in the present, why is it surprising that it occurred in the past?
 もし知識を捨て去って自分がかつて知識を持っていたことを忘れ去ってしまうという現象が現在も起こっているのなら、同じことが過去に起こっていたとしても、驚くには値しないはずです。

 Surprise is a reasonable response to the unfamiliar, though hardly to something that occurs with such persistence.
 未知の出来事について驚くのは当然の反応ですが、ずっと繰り返し起こり続けていることに対して驚くのは、とても当然の反応とはいえません。」(T4-2 エゴの起源、3.)

「While it could perhaps be argued that death suggests there was life, no one would claim that it proves there is life.
 たしかに、かつて生命が存在したことを死が示していると論じることはできます。しかし、生命が今存在することを死が証明するとは誰も主張しないはずです。

 Even the past life that death might indicate, could only have been futile if it must come to this, and needs this to prove that it was at all.
 もし生命が結局は死に終わり、いやしくも生命が存在したことを証明するために死が必要であるというのなら、死が指し示すかもしれない過去にあった生命ですら、空疎なものだとしか言いようがないでしょう。

 You question Heaven, but you do not question this yet.
 あなたは天国のことは疑っても、まだこのことに疑問を抱いたことはありません。」(T13-4 時間の機能をシフトさせる、3.)



「6. Atonement remedies the strange idea that it is possible to doubt yourself, and be unsure of what you really are.
 贖罪は、自分自身を疑い、自分が本当は何者なのか確信できなくなることが可能だというこの奇妙な考えを矯正します。

 This is the depth of madness.
 自分は誰かと問うことが可能だと考えることは深刻な狂気です。

 Yet it is the universal question of the world.
 それでも、これは、この世界での普遍的な問いです。

 What does this mean except the world is mad?
 このことは、世界が狂っていること以外の何を意味するでしょうか。

 Why share its madness in the sad belief that what is universal here is true?
 どうして、この世界で普遍的なことであれば、それは真実のはずだという始末に負えない信念を抱いて、世界の狂気を共有してしまうのでしょうか。」

アレックスさんの本で「社会における真理の諸段階」として、皮肉たっぷりに真理のステージ分けが示されていました。

【信者の数】          【信念のレベル】
  一人               妄想
  小グループ           カルト
  中規模から大規模の集団  宗教、哲学、文化
  地域               政府
  大多数の人々         真理

この宇宙は夢なんだ 解き明かされる生存の秘密 Kindle版 アレクサンダー・マルシャーン (著), 加藤 三代子 (翻訳)、第1/9章 夢見の科学)

「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の滑稽さが潜むことも忘れて、私たちは本気で世界の大多数の人々が信じることは間違いなく真理だと信じがちです。

信者の数やメッセージの発信元が持つ権威によって惑わされる愚かさを肝に銘じましょう。

どうしても私たちは、たくさんの人の支持する多数派につきたいし、とにかくどこかの権威のある偉い誰かさんのお墨付きを得て安心したいので、無自覚な権威主義に毒されて、自分の心の声よりも世間の評価を優先しがちです。

コースは、この世間の教え込みによって刷り込まれた錯覚を除去する学習棄却のための学習過程です。

イェシュア自身、当時のユダヤ教体制やローマ帝国の支配体制にとっての反逆者であったことを忘れないようにしましょう。




7.では、この世界を評して次のように述べられます。

「It is a place whose purpose is to be a home where those who claim they do not know themselves can come to question what it is they are.
 この世界は、そこに自分が誰だかわからないと言い張る者たちが訪れて、自分は何者なのか好きなだけ自由に質問させておける収容所となる用途を持つ場所なのです。」

発狂した者たちを収容しておく場所という過激な表現にはドン引きしてしまいますが、他の箇所では、地獄だとより真正面から指摘されることもあるので、それでも控えめな表現だと言えるかもしれません。

私たちが引いてしまって受け入れがたく感じるのは、当然、私たちに病識がなく、自分は狂人ではないし、ましてや地獄の住人でなどあるはずがないと本気で信じ切っているからです。

はてしない物語でバスチアンが住人になりかけた「元帝王たちの都」が私たちにとってはなじみ深い定住の地になってしまっているわけです。




Lesson 139



I will accept Atonement for myself.
私は、自分自身のために贖罪受け入れることにする。



1. Here is the end of choice.
 ここで選択が終わります。

 For here we come to a decision to accept ourselves as God created us.
 というのも、ここで私たちは、神に創造されたままの自分自身を受け入れる決断に行き着くからです。

 And what is choice except uncertainty of what we are?
 そして、選択の余地があることは、私たちが何者なのか確信を持てずにいることにほかならないのではないでしょうか。

 There is no doubt that is not rooted here.
 真の自分についての確信の欠如に根源を持たない疑念など存在しません。

 There is no question but reflects this one.
 どんな疑問も、本当の自分を確信できないことの反映です。。

 There is no conflict that does not entail the single, simple question, "What am I?"
 この「私とは何か」というたったひとつの単純な疑問を伴わないような葛藤は存在しません。



2. Yet who could ask this question except one who has refused to recognize himself?
 しかし、自分自身を認識することを拒絶した者以外のいったい誰が、こんな疑問を呈することができるでしょうか。

 Only refusal to accept yourself could make the question seem to be sincere.
 この疑問が本当に疑問だと思えるとしたら、それはただ自分自身を受け入れるのを拒絶する場合だけです。

 The only thing that can be surely known by any living thing is what it is.
 いかなる生き物でも確実に知りうる唯一のことは、ありのままの自分だけです。

 From this one point of certainty, it looks on other things as certain as itself.
 この確実なひとつの観点から、どんな生き物も、ほかの物事は自分自身と同じように確実なものだと見ることになります。



3. Uncertainty about what you must be is self-deception on a scale so vast, its magnitude can hardly be conceived.
 自分が何者であるに違いないか確信が持てずにいることは、あまりに壮大なスケールでの自己欺瞞であり、その規模はほとんど想像も及ばないくらいです。

 To be alive and not to know yourself is to believe that you are really dead.
 生きていながら、自分自身が何者かわからないというのは、自分が実は死んでいると信じるのに等しいことです。

 For what is life except to be yourself, and what but you can be alive instead?
 というのも、生命とはあなた自身にほかならず、あなた以外にあなたの代わりに生きられるものは何もないからです。

 Who is the doubter?
 疑っているのは誰なのでしょうか。

 What is it he doubts?
 彼は何を疑っているのでしょうか。

 Whom does he question?
 彼は誰に質問しているのでしょうか。

 Who can answer him?
 誰が彼に答えることができるのでしょうか。



4. He merely states that he is not himself, and therefore, being something else, becomes a questioner of what that something is.
 彼は単に自分が自分ではないと宣言しているだけですが、自分ではない何かになりきっているがゆえに、彼は、その本当の自分ではない何かとは何なのかを問う者となります。

 Yet he could never be alive at all unless he knew the answer.
 しかし、彼がいやしくも生きているからには、彼はかつてその答えを知っていたはずなのです。

 If he asks as if he does not know, it merely shows he does not want to be the thing he is.
 もし彼がまるで自分はその答えを知らないかのように尋ねるなら、それは単に、真の自分であることを彼が望んでいないことを示しているだけです。

 He has accepted it because he lives; has judged against it and denied its worth, and has decided that he does not know the only certainty by which he lives.
 しかし、彼は生きているのだから、彼はすでにその答えを受け入れているのです。彼は、その答えに逆らった価値判断をして、その答えの価値を否認して、それによって自分が生きている唯一の確信を知らないことにする決断を下したのです。



5. Thus he becomes uncertain of his life, for what it is has been denied by him.
 こうして、彼は、自分の生命に確信を持てなくなります。というのも、彼は自分の生命の本質を自ら否認してしまったからです。

 It is for this denial that you need Atonement.
 この否認のせいで、あなたには贖罪が必要なのです。

 Your denial made no change in what you are.
 あなたが否認したことで、あなたの本質は少しも変えられてはいません。

 But you have split your mind into what knows and does not know the truth.
 しかし、あなたは自分の心を、真理を知るものと知らないものとに分割してしまいました。

 You are yourself.
 あなたはあなた自身です。

 There is no doubt of this.
 このことに疑いの余地はありません。

 And yet you doubt it.
 それでも、あなたはそれを疑っています。

 But you do not ask what part of you can really doubt yourself.
 しかし、あなたは、自分の中のどの部分が本当に自分自身を疑うことができるのか尋ねようとしません。

 It cannot really be a part of you that asks this question.
 自分が本当に自分なのかという、この質問を尋ねる部分が、真にあなたの一部であるはずがありません。

 For it asks of one who knows the answer.
 というのは、その部分は、本当の自分が誰なのかというその問いに対する答えを知っているあなたのもう一方の部分に尋ねているわけだからです。

 Were it part of you, then certainty would be impossible.
 質問を尋ねる答えを知らない部分があなたの一部だとしたら、あなたが確信を抱くことは不可能なはずです。



6. Atonement remedies the strange idea that it is possible to doubt yourself, and be unsure of what you really are.
 贖罪は、自分自身を疑い、自分が本当は何者なのか確信できなくなることが可能だというこの奇妙な考えを矯正します。

 This is the depth of madness.
 自分は誰かと問うことが可能だと考えることは深刻な狂気です。

 Yet it is the universal question of the world.
 それでも、これは、この世界での普遍的な問いです。

 What does this mean except the world is mad?
 このことは、世界が狂っていること以外の何を意味するでしょうか。

 Why share its madness in the sad belief that what is universal here is true?
 どうして、この世界で普遍的なことであれば、それは真実のはずだという始末に負えない信念を抱いて、世界の狂気を共有してしまうのでしょうか。



7. Nothing the world believes is true.
 この世界で信じられていることで真実であるものなど、何ひとつありません。

 It is a place whose purpose is to be a home where those who claim they do not know themselves can come to question what it is they are.
 この世界は、そこに自分が誰だかわからないと言い張る者たちが訪れて、自分は何者なのか好きなだけ自由に質問させておける収容所となる用途を持つ場所なのです。

 And they will come again until the time Atonement is accepted, and they learn it is impossible to doubt yourself, and not to be aware of what you are.
 だから、贖罪が受け入れられて、彼らが自分自身を疑うことが不可能だと学び、自分が本当は何者であるか自覚せずにいられなくなるときまで、彼らは何度でもこの世界を訪れるでしょう。



8. Only acceptance can be asked of you, for what you are is certain.
 あなたが何者なのかは確実なことなので、あなたに求められているのは、ただそれを受け入れることだけです。

 It is set forever in the holy Mind of God, and in your own.
 あなたが何者なのかは、神の神聖な大いなる心とあなた自身の心の中において、永遠に定まっています。

 It is so far beyond all doubt and question that to ask what it must be is all the proof you need to show that you believe the contradiction that you know not what you cannot fail to know.
 あなたが誰なのかということには、どんな疑念や質問をも差し挟む余地がありません。だから、あなたが自分が何者か尋ねることは、とりもなおさず、あなたが矛盾を信じている何よりの証拠です。それは、自分には知り損ねようのないものをあなたが知らずにいるという矛盾です。

 Is this a question, or a statement which denies itself in statement?
 そうだとすれば、自分が何者か尋ねることは、質問というよりも、自分の言っていることそのものを否定する内容の宣言ではないでしょうか。

 Let us not allow our holy minds to occupy themselves with senseless musings such as this.
 私たちの聖なる心が自らをこんな無意味な憂慮に占領させるのを容認しないようにしましょう。



9. We have a mission here.
 私たちには、この世界で果たすべき使命があります。

 We did not come to reinforce the madness that we once believed in.
 私たちは、以前に自分が信じていた狂気を強めるために来たのではありません。

 Let us not forget the goal that we accepted.
 私たちの受け入れた目標を忘れないようにしましょう。

 It is more than just our happiness alone we came to gain.
 私たちが来たのは、ただ単に個としての自分が幸せになるためだけではなく、それ以上のものを得るためです。

 What we accept as what we are proclaims what everyone must be, along with us.
 自分の本質として私たちが受け入れるものは、私たちだけでなくすべての人たちの本質をも明らかに示してくれます。

 Fail not your brothers, or you fail yourself.
 あなたの兄弟を見捨てないでください。さもなければ、あなたは自分自身を見捨てることになってしまいます。

 Look lovingly on them, that they may know that they are part of you, and you of them.
 兄弟をこめて見つめてください。そうすれば、彼らがあなたの一面であり、あなたも彼らの一面であると彼らは知るでしょう。



10. This does Atonement teach, and demonstrates the Oneness of God's Son is unassailed by his belief he knows not what he is.
 贖罪はこのことを教え、あなたや兄弟たちが自分が本当は何者であるか知らないと信じていたとしても、神の子がひとつであることが損なわれはしないと実証します。

 Today accept Atonement, not to change reality, but merely to accept the truth about yourself, and go your way rejoicing in the endless Love of God.
 今日こそ、贖罪を受け入れてください。それは現実を変えるためではなく、単に自分自身についての真理を受け入れて、神の果てしないの中で喜びながら、自分の道を進むためです。

 It is but this that we are asked to do.
 私たちに求められているのは、このことだけです。

 It is but this that we will do today.
 私たちが今日行うのは、これだけです。



11. Five minutes in the morning and at night we will devote to dedicate our minds to our assignment for today.
 朝と夜のそれぞれ5分間を自分の心を今日の課題に専念することに捧げてください。

 We start with this review of what our mission is:
 私たちの使命がどのようなものか振り返る次の言葉から始めてください。


I will accept Atonement for myself,
私は、自分自身のために贖罪を受け入れる

For I remain as God created me.
というのも、私は神に創造されたままの私だからだ。


 We have not lost the knowledge that God gave to us when He created us like Him.
 私たちは、神が私たちを神と同じものとして創造したときに私たちに授けてくれた知識を失ってはいません。

 We can remember it for everyone, for in creation are all minds as one.
 私たちは、この知識をみんなのために思い出すことができます。というのも、すべての心はひとつのものとして創造されているからです。

 And in our memory is the recall how dear our brothers are to us in truth, how much a part of us is every mind, how faithful they have really been to us, and how our Father's Love contains them all.
 そして、私たちの記憶の中には、私たちにとって本当は自分の兄弟たちがどれほどしい存在であるか、すべての心がどんなに私たちの心の大切な一部であるのか、兄弟たちが実際にいかに自分たちに誠実だったか、そして、私たちの父がどれほど大きな兄弟みんなを包みこんでくれているかという思い出がよみがえってきます。



12. In thanks for all creation, in the Name of its Creator and His Oneness with all aspects of creation, we repeat our dedication to our cause today each hour, as we lay aside all thoughts that would distract us from our holy aim.
 すべての創造物に感謝し、、創造物のすべての側面とひとつであるすべての創造物の創造主の名において、私たちは、今日、神聖な目的から私たちの気を逸らすどんな思いも退けて、1時間ごとに、私たちの原因である存在に自分たちを捧げることを繰り返します。

 For several minutes let your mind be cleared of all the foolish cobwebs which the world would weave around the holy Son of God.
 数分をかけて、聖なる神の子の周りに世界が張り巡らせた蜘蛛の巣のような妄念をまるごと取り除いて、あなたの心をきれいにしてください。

 And learn the fragile nature of the chains that seem to keep the knowledge of yourself apart from your awareness, as you say:
 そして、次のように言いながら、あなたが自分自身についての知識を自覚できないように保っているように見える鎖が実は脆弱なものでしかないと学んでください。


I will accept Atonement for myself,
私は、自分のために贖罪を受け入れることにする。

For I remain as God created me.
というのも、私は、神が創造したままの私であり続けているからだ。


名称未設定


それではブリトニーさんのレッスンです。



次

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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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