M14 世界の終わり

マニュアル 0

今回もマニュアルからで、第14節をご紹介します。

第14節は、世界の終わり方についてです。




ゲイリー・R・レナードさんの「神の使者」の原題は「Disappearance of the universe」(宇宙の消滅)でした。

世界の終わりというと、私たちは、大災害であるとか隕石が地球に衝突して破滅するとか仰々しいものを想像しがちです。

でも、コースの言うところでは、世界の終焉は、世界が破壊されることなどではなく、世界が天国へと変容することのようです。

「1. This is a very simple course.
 これは本当にシンプルな学習課程です。

 Perhaps you do not feel you need a course which, in the end, teaches that only reality is true.
 たぶんあなたは、最終的に現実だけが本当にあるものだと教えるコースが自分に必要だと感じてはいないはずです。

 But do you believe it?
 しかし、あなたは現実だけが真実だと信じているでしょうか。

 When you perceive the real world, you will recognize that you did not believe it.
 あなたが真の世界を知覚するとき、あなたは、自分が現実だけが真実だと信じてはいなかったと認めるでしょう。

 Yet the swiftness with which your new and only real perception will be translated into knowledge will leave you but an instant to realize that this alone is true.
 しかし、あなたが新たに得る唯一の真の知覚は速やかに知識へと変換されることになるので、これだけが真実だとあなたが理解するにはほんの一瞬しか要しません。

 And then everything you made will be forgotten; the good and the bad, the false and the true.
 そのあと、あなたの作り出したあらゆるものは、良きものも悪しきものも、虚偽も真実も、すべて忘れ去られることになります。

 For as Heaven and earth become one, even the real world will vanish from your sight.
 というのも、天と地がひとつになるときには、その真の世界すら、あなたの視界から消え去ることになるからです。

 The end of the world is not its destruction, but its translation into Heaven.
 世界の終わりとは、世界が破滅することではなく、世界が天国へと変容することです。

 The reinterpretation of the world is the transfer of all perception to knowledge.
 世界を解釈し直すことが、すべての知覚を知識へと移し替えるのです。」(テキスト 第十一章 八 問題と答え



そして、マニュアルは「罪についての思いがひとつも残らなくなったとき」に世界は終わるといいます。

罪についての思いがひとつも残らなくなるなんて、これだけの大勢の人類がいて、戦争もなくならないのに、いつになったら、そんなときが来るのか、考えただけで気が遠くなってしまうという感想をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

これに対して本節は、神の教師たちのうちの誰であってもよいので、たったひとりの神の教師が完璧な赦しによって自分自身のための贖罪を完了できれば、その瞬間、罪についての思いはひとつも残らなくなると言います。

ひとりの神の教師によって完璧に赦されたたったひとつの罪が、救済を完了させることを理解するのが最後のレッスンであると。

でも、たったひとりの教師がたったひとつの罪を赦したところで、そんなことは、この世界にいるほかの大勢の人たちにとっては関わりのないことだから、意味をなさないのであって、その残りの人たちが依然として罪悪感を解消できないかぎりは、罪についての思いが残ったままということになるはずなんじゃないの?というのがこの世界の常識的な発想のはずです。

これに対して本節は、たしかにその通りで、この世界の考えによるかぎりは、このことを理解できるはずがないと言います。

そして「The final lesson, which brings the ending of the world, cannot be grasped by those not yet prepared to leave the world and go beyond its tiny reach.
 この世界に終焉をもたらす最終レッスンは、まだ世界をあとにして、世界という狭隘な到達範囲を超えて進む準備のできていない者たちには理解できないものです。」と言われてしまいます。私たち未熟者としては耳が痛いところです。


さて、上記のように本節は、これこそが最終のレッスンであり、このレッスンをクリアすれば、神の子の一体性が回復されると言います。

いったいどういうことなのでしょうか。なんで何十億人もいるのにその中のひとりがたったひとつだけ完璧な赦しを遂げれば贖罪が完了できるというのでしょうか。

コースは、すでに神の現実においては、世界は終わっていて救済も完了していると説明します(レッスン268「すべての物事が本当にあるがままになりますように」)。

これがその通りだとすれば、客観的にはすでに世界は終了し救いも完了しているにもかかわらず、ひとりの神の子が自分をばらばらに無数に分裂させ、それぞれに仮面を被って幻想の世界の中にいる身体という牢獄の中に幽閉されていると思いこんでいるせいで、夢から抜け出せなくなっているだけということになります。

このように本来の状態よりも劣った状態だと誤信して、本当であればできることができなくなってしまっている状況について、その誤解を解いて本来の状態を回復させようとするのがコースの神髄ですが、直接的に、そのことを述べている箇所を抜粋します。

「10. You are in an impossible situation only because you think it is possible to be in one.
 あなたがありえない状況の中にいるのは、ただあなたが自分で、そんな状況の中にいることが可能だと思っているからでしかありません。

 You would be in an impossible situation if God showed you your perfection, and proved to you that you were wrong.
 もし神があなたの完全さをあなたに見せておきながら、そのうえで、あなたは間違っていたと証明したとすれば、それこそ、あなたはとうていありえない状況にいることになるでしょう。

 This would demonstrate that the perfect are inadequate to bring themselves to the awareness of their perfection, and thus side with the belief that those who have everything need help and are therefore helpless.
 このことは、完全である者が自らの完全さを自覚するためには、その完全性だけでは不十分であることを実証することになり、したがって、すべてを持っている者たちであるのに、自分には助けが必要であり、それゆえに、自分は無力な存在であると信じてしまうことがありうることを根拠づけることになってしまいます。

 This is the kind of "reasoning" in which the ego engages.
 これが、エゴが操ることに没頭する『理由づけ』の仕方です。」(テキスト 第六章 四 唯一の答え



つまり、完全な力を持つ神の子は、自分が無力であると信じこむ力も当然備えているので、もしそんなふうに思ってしまったが最後、その通り無力になってしまう(エゴはこの原理を利用して神の子を無力化させることに没頭している)ということです。

無力といっても、自縄自縛して本来ある力を発揮できない状態に陥っているだけなので、客観的にはもともと力を失っておらず、客観的に制限を解除することは必要ありません。

けれど、この自縄自縛状態から脱出するには、単に客観的に力があるという事実だけでは足りないというのはもっともなことでしょう。自分の信じる力によって自分を縛って無力にしているわけだからです。

何でもこなせるはずの超ハイスペックな高性能PCでも、ディスプレイを真っ白な画面にして電灯としての機能を果たすことを役割として設定されれば、設定を変更しないかぎり、莫大な潜在能力を秘めたまま、電灯としてくすぶり続けるしかありません。


そして、何十億人もいるのに、そのうちのたったひとりがたったひとつ赦しを完璧になしたところで、ほかのたくさんの人や無数にある残りの幻想とは関係ないでしょ?という発想になるのは、この世界は幻なんかではなく、何十億人もの個別の心がエゴという仮面を被り身体という服をまとっている状態のほうが真実で、神の子がひとりということが本当ではないという前提に立ってはじめて出てくることができる発想です。

つまり、神の子の大いなる心は眠りこけ、夢の中で、エゴ・身体になって生きる人生を夢見ていますが、ひとりきりの世界を夢見ていようが、数十人の人口の世界を夢見ていようが、数十億人になっている世界を夢見ていようが、目を覚ますうえで重要なことは、夢の中での登場人物の数や世界の広さや複雑さなんかではないはずです。

重要なのは、幻想性を完璧に理解し、その幻を取り消すことです。

そして、そのためには、中途半端な赦し(この世界の概念としての「許し」(forgivenes-to-destroy 滅ぼすための許し、滅びの許し))が混じったようなもの)を大量に行うことなんかよりも、たったひとつの幻想であっても、完璧な赦しを実現することが要点となります。

そして、ここで奇跡に難しさの序列が無いという理解が絶対的に必要になります。

幻想なわけですから、幻の中のどれを取り上げようとも、すべて幻でしかないはずで、一部だけ真理が混じっているなどということはなく、程度差があるわけではありません。

しかし、客観的にそうだとしても、主観的には、幻であると信じることができる程度には程度差があるのはたしかです。

一見、世界の中には、幻想100%で容易に作り物だと信じられるものから幻想50%真理50%のもの、さらには、幻想1%真理99%のものまで、いろいろ取り揃えがあるように見えはします。

幼児向けの絵本の中の怪獣であれば、幻想100%で安全ですが、地球の存在そのものや自分の家族や仕事、とくに自分の身体が幻想100%だなんて信じられません。

世界は幻であってもいいし、ほかの人たちも幻でいいから、せめて自分だけは実在するものであって幻想だなんてことはあるべきではない、身体は譲るにしても、魂だけは譲れない、身体の幻想度50%にするから、魂の幻想度は0%にしておきたいということにならないでしょうか。

このようなエゴ本位の視点を抜きにしても、一昔前には治療法が無かった難病でも、つい最近承認されたばかりの新薬を用いれば、助かるかもしれないという奇跡は50%くらいの難易度に見えるかもしれません。

日本人からアメリカ大統領を目指すであるとか、いろいろ難易度にはバリエーションがあるように見えます。

確実に死んでしまった人をよみがえらせたり、すでに火葬された人が身体を持って目の前に姿を現すというのは、難易度99.999%のように見えるでしょう。



それでも、世界が幻想であるとすれば、この世界に現れて移り行く出来事はすべて、パソコンのモニター上に、高精細なリアリティを持った画像が表示され、本物にしか見えないのと原理的に変わりはありません。

そして、こんな高精細のパソコン上の画像も、昔の8ビットパソコンやファミコンのような粗いドット絵で、見るからに作り物でしかないとわかるものと比べると気づきにくいとしても、小さなドットの集まりにすぎないという点で、仕組み的には相違はないのです。


マリオ

人は自分が歩いて、世界の中を移動していると思っていますが、実際は、自分の心というスクリーンに映し出された世界が自分の方に向かって流れています。自分がどこかに行くとき、自分が行くのではなく、その場所が自分のほうにやってくるのです。


これがマトリックスのネオのようなアノマリーが空を飛ぶ仕組みでもあります。
基本設定では人は空を飛ばないようになっていますが、地上であれ空中であれ、キャラクターが移動する設定にプログラムを変更したり、設定を免れるバグであれば、地上を歩くのとまったく同じように空を飛ぶことになります。




奇跡に難易度があるという信念が生じるのは、知覚によって騙されることが原因です。

一般的に知能が高く、かつ、感覚器管の働きの鋭敏な人ほど、その優れた知覚ゆえに、幻想世界に騙されやすいという皮肉な面があります。

頭でっかちになりがちなタイプの方は、肚の人であるとかハートの人といった自分と違うタイプの人たちにも学ぶべきでしょう。

さらに言うならば、こと真理へのアクセスの容易さという観点で言うなら、特定の器官を封じる身体をまとう人たちは、それによって、感覚器管に惑わされることなく、真理に接近することができる点でずっと優位にあるということもできます。

いずれにせよ、みんなひとりの神の子が多様な形で現れている仮初めの姿にすぎないのであれば、それぞれが自分の持ち味を生かすことに専念し、得たものをみんなに還元できるようになりたいものです。


さて、この完璧な赦しが実現できれば、完璧な赦しのきっかけとなった赦しの対象となる幻想がたったひとつであろうとも、この世界そのものが、そんなひとかけらの幻想と同じような、エゴのでっちあげがフラクタル的に、同じ仕組みで展開して広がって存在するように見せかけて知覚させられているだけなわけですから、たったひとつの幻想を完璧に赦して取り消すことができた目(キリストのヴィジョン)には、ほかの世界全体も取り消されたひとつの幻想と同じように知覚されるので、自動的に幻想世界全体も取り消されることになるということです。


そして、この完璧な赦しを達成するのがたったひとりであったとしても、完璧な赦しを遂げた時点で、その個別の心はすでに、自分自身だと思いこんでいた個別の心は幻であって、それらの個別の心全体がひとつにつながって結ばれた大いなる自己こそが本当の自分だったのだと気づくことになるので、大いなる自己が投影してこの世界に影のように映し出していた無数の個別の身体たちは姿を消し、見る者であった彼はただ実在するだけとなります。


マトリックス・レボリューションズのアーキテクトのモニターのたくさん並んだ部屋を思い出してください。

個別の心になりきっているとはいえ、大いなる自己は、本当はひとりしかいません。

個別の心を一つひとつのモニター画面、そして、大いなる自己をアーキテクトのようなひとりの人物とすると、実際に、仮想世界の中のキャラクターの膨大な数に対応した魂のような存在(以前に魂は個別の心と同じで実在しないというお話をしました)があるとしか思えないけれど、究極的には、魂は実在せず、究極的に、見る者として存在するのは大いなる自己としての大いなる霊、神のひとり子だけだという例になると思います。


見る者である大いなる自己は、たくさんのモニターという窓を通じて、それぞれの窓ごとに別々の自分が存在していると信じこんでいます。

ですが、どんな小さな窓を通じてであれ、窓の向こう側に見えている世界が自分で好きなように投影して作り出している幻であり、窓の向こう側にいると思いこんでいた登場人物たちは、実は、ほかの窓を通して幻の世界を覗いていた自分自身だったということにとことん気づいて、窓の中を覗きこんでいるのをやめて、モニターのたくさんある部屋の中に居る自分自身に気づいたなら、目を覚ますにはそれで十分なはずです。



冒頭で、客観的に完全なるものが、主観的に自分のことを不完全なものであると誤信して、無力なものへと自分の存在と力を制限してしまった場合、客観的に完全であることだけでは、本来の自分の姿と力を取り戻すには不十分であるというお話が出ました。

失った記憶を取り戻すことをテーマにする映画はたくさんあります。
多くは、過去を辿る旅などを経て、本当の自分を取り戻すという結末です。

これに対して、コースは、過去や未来も見ることなく、現在にあることによって、永遠へと帰還することを提案します。


とはいえ、主観面の問題だからと言って、ひたすら瞑想に耽り、「今ここ!」「我は神なり!」云々と唸りながらやっていたところで、人によっては長い長い苦行の末に、本来の力を取り戻すこともあるかもしれませんが、それはとても困難な道です。コースは、それは退屈で非常に時間を浪費することだといいます。

「4. It is impossible to accept the holy instant without reservation unless, just for an instant, you are willing to see no past or future.
 あなたがほんの一瞬でも過去も未来も見ないでいようとする意欲を持たないかぎり、心置きなく無条件に神聖な瞬間を受け入れることは不可能です。

 You cannot prepare for it without placing it in the future.
 あなたが神聖な瞬間のために準備しようとするなら、どうしても神聖な瞬間を未来に位置づけることになってしまいます。

 Release is given you the instant you desire it.
 しかし、解放は、あなたがそれを強く望んだ瞬間に与えられるものです。

 Many have spent a lifetime in preparation, and have indeed achieved their instants of success.
 数多くの者たちが準備のために一生を費いやし、実際に成功の瞬間を達成してきました。

 This course does not attempt to teach more than they learned in time, but it does aim at saving time.
 このコースは、彼らが時間の中で習得した以上のことを教えようとしているわけではありません。けれども、このコースは、同じことを習得するためにかかる時間を節約することに確かな狙いを定めています。

 You may be attempting to follow a very long road to the goal you have accepted.
 あなたは、自らの受け入れた目標に向かって、とても長い道のりを辿るつもりでいるのかもしれません。

 It is extremely difficult to reach Atonement by fighting against sin.
 罪に対して戦いを挑むことによって贖罪に到達するのは、困難きわまりないことです。

 Nor is a lifetime of contemplation and long periods of meditation aimed at detachment from the body necessary.
 また、肉体からの解脱を目指して、生涯を沈思黙考に明け暮れることも、長期間に亘って瞑想に耽ることも必要ありません。

 All such attempts will ultimately succeed because of their purpose.
 そのような試みはどれも、その目的のゆえに、いつかは成功するでしょう。

 Yet the means are tedious and very time consuming, for all of them look to the future for release from a state of present unworthiness and inadequacy.
 しかし、その手段は退屈であるばかりか非常に時間を浪費するものとなります。というのも、そのような試みはどれもすべて、現在の自分が力不足で無価値だという心境からの解放を求めて未来に目を向けて期待するものだからです。」(テキスト第十八章 七 私は何もする必要はない

それでは、瞑想や修行以外にやることがあるとするなら、いったい何をすればよいのでしょうか。

その答えはコース全体を実践することであるというしかないところですが、
「Yet this is not a memory of past events, but only of a present state.
 ただし、この記憶は、過去の出来事を思い出すことではなく、ただ現在の状態だけを思い出すことです。

 You are so long accustomed to believe that memory holds only what is past, that it is hard for you to realize it is a skill that can remember now.
 あなたはあまりにも長い間、記憶というのは過ぎ去ったことだけを保持するものだと信じることに慣れきってきたので、あなたにとって、記憶が今のことを思い出すことのできる能力だと理解するのは難しいことです。」の「現在の状態を思い出す」(T28-1 現在の記憶)の「現在の状態を思い出す」(=ゲームのキャラクターに自己同一化している状態からプレイヤーとしての自分の自覚を取り戻す。)という観点が重要だと思います。


テキストから参考になりそうな箇所を三つ抜粋します。

それは、聖霊にすべてを明け渡して聖霊の導きを受けながら、自分がひとりきりではない(みんなで神の子)ということを思い出す意欲を持ち、自分がすべてを持っているということを、兄弟に与えることによって知るということです。

「6. The Holy Spirit asks of you but this; bring to him every secret you have locked away from him.
 聖霊があなたに求めているのは次のことだけです。それは、あなたが鍵をかけて聖霊から隠してきた秘密をひとつ残らず聖霊の許へと差し出すことです。

 Open every door to him, and bid him enter the darkness and lighten it away.
 聖霊に対してすべての扉を開いてください。そして、聖霊に闇の中に入ってきて、光で闇を一掃してもらうのです。

 At your request he enters gladly.
 あなたが頼めば、聖霊は喜んで闇の中に入ってきてくれます。

 He brings the light to darkness if you make the darkness open to him.
 もしあなたが聖霊に闇をさらけ出すなら、聖霊は闇に光を当てくれます。

 But what you hide he cannot look upon.
 しかし、さすがの聖霊も、あなたが隠しているものを見ることはできません。

 He sees for you, and unless you look with him he cannot see.
 聖霊はあなたのために見てくれるのですが、あなたが一緒に見ようとしないかぎり、聖霊には見ることができないからです。

 The vision of Christ is not for him alone, but for him with you.
 それは、キリストのヴィジョンは聖霊だけのためのものではなく、あなたと一緒になった聖霊のためのものだからです。

 Bring, therefore, all your dark and secret thoughts to him, and look upon them with him.
 それゆえに、あなたの暗い秘密の思いのすべてを聖霊に渡し、聖霊と一緒にその闇の想念をよく見てください。

 He holds the light, and you the darkness.
 聖霊は光を掲げ、あなたは闇を携えています。

 They cannot coexist when Both of You together look on them.
 あなたと聖霊が揃って闇と光を見つめれば、闇と光は共存することなどできません。

 His judgment must prevail, and he will give it to you as you join your perception to his.
 聖霊の裁きが必ず勝ることになります。そして、あなたが自分の知覚を聖霊の知覚に結び合わせれば、聖霊は自らの価値判断をあなたに与えてくれるでしょう。」(テキスト 第十四章 七 聖霊と知覚を分かち合う


「10. It is impossible to remember God in secret and alone.
 密かに自分ひとりだけで神を思い出そうとしても、それは不可能です。

 For remembering him means you are not alone, and are willing to remember it.
 なぜなら、神を思い出すことは、あなたがひとりきりではないことを意味し、自発的に自分がひとりきりではないことをあなたが思い出そうと意欲することを意味するからです。

 Take no thought for yourself, for no thought you hold is for yourself.
 どんな思いでも、それを自分だけで思考しているものと捉えてはなりません。なぜなら、あなたが自分だけで抱く思いはひとつもないからです。

 If you would remember your Father, let the Holy Spirit order your thoughts and give only the answer with which he answers you.
 もしあなたが自らの大いなる父を思い出したいのなら、聖霊に自分の思考を秩序立ててもらい、そのうえで、聖霊があなたに答えてくれる答えだけを兄弟に与えるようにしてください。

 Everyone seeks for love as you do, but knows it not unless he joins with you in seeking it.
 誰もがみな、あなたが愛を探し求めるのと同じように愛を探し求めています。しかし、あなたと一緒に愛を探求するようにならないかぎり、誰も愛を知ることはありません。

 If you undertake the search together, you bring with you a light so powerful that what you see is given meaning.
 もしあなたたちが一緒に愛の探求に取り組むなら、あなたたちは本当に強力な光を携えてゆくことになるので、あなたたちが目にするものに意味が与えられます。

 The lonely journey fails because it has excluded what it would find.
 ひとりきりで辿る旅が失敗に終わるのは、その旅で見つけようとする愛をあらかじめ排除してしまっているからです。」(テキスト 第十四章 十 奇跡の平等性


「1. If you are blessed and do not know it, you need to learn it must be so.
 もしあなたが実は恵まれているのに自分が恵まれていることを知らずにいるとしたら、あなたは自分が恵まれているに違いないと学ぶ必要があります。

 The knowledge is not taught, but its conditions must be acquired for it is they that have been thrown away.
 知識は教わって習得するものではありませんが、持っている知識を思い出すための条件のほうは習得しなければなりません。なぜなら、捨てられてしまっているのはこれらの知識の条件のほうだからです。

 You can learn to bless, and cannot give what you have not.
 あなたは祝福して恵みを与えることを学ぶことができます。そして、あなたには自分の持っていないものを与えることはできません。

 If, then, you offer blessing, it must have come first to yourself.
 そうだとすれば、もしあなたが恵みを差し延べるなら、そのとき、恵みはまず先にあなた自身の許に訪れているはずです。

 And you must also have accepted it as yours, for how else could you give it away?
 そしてまた、あなたは、その恵みを自分のものとして受け入れているに違いありません。なぜなら、そうでなければ、あなたはその恵みを他者に与えることなどできなかったはずだからです。

 That is why miracles offer you the testimony that you are blessed.
 だからこそ、奇跡はあなたに、あなたが恵まれている証拠を差し出すのです。

 If what you offer is complete forgiveness you must have let guilt go, accepting the Atonement for yourself and learning you are guiltless.
 もしあなたが捧げるものが完全な赦しであるとすれば、あなたは自分自身のために贖罪を受け入れ、自分が罪なき者であると学んで、すでに罪悪感を手放しているに違いありません。

 How could you learn what has been done for you, unknown to you, unless you do what you would have to do if it had been done for you?
 自分の知らないうちに自分のためにすでに成し遂げられていることをあなたが学ぶためには、もしそれが自分のためにすでに成し遂げられていたとすれば、あなたがすべきだったはずのことをする以外にどんな方法があるでしょうか。」(テキスト 第十四章 一 学びのための条件


これが旅が必要な理由です。青い鳥はいつでも自分たちの部屋にはいましたが、チルチルたちが旅に出ることがなければ、その真価がわからないままでした。


では、そろそろ、マニュアル本文を読んでいただくとして、この節では、神の教師が最終レッスンを遂げることについて、述べられています。

謙虚な方は、自分はどちらかといえば生徒であって、神の教師になんてなれないという考えを持ってしまうかもしれません。

またの機会に、神の教師と生徒についてのマニュアルの節をご紹介しますが、与えることと受け取ることは同じで、教えることによって学ぶのであり、究極的に教師も生徒も同じひとりの神の子であるのであって、生徒は教師になるとされます。

ですから、ぜひ自分のこととして読んでいただきたいと思います。







Section 14
第14節



How Will the World End?
どのようにして世界は終わるのだろうか



1. Can what has no beginning really end?
 始まりを持たないものが本当に終わるということができるでしょうか。

 The world will end in an illusion, as it began.
 世界は、それが始まったときと同じように幻想の中で終わりを迎えるでしょう。

 Yet will its ending be an illusion of mercy.
 しかし、世界の終焉は慈悲に満ちた幻想となるでしょう。

 The illusion of forgiveness, complete, excluding no one, limitless in gentleness, will cover it, hiding all evil, concealing all sin and ending guilt forever.
 赦しという幻想が完璧に誰ひとり除外することなく、限りない優しさで世界を包みこみ、あらゆる邪悪の姿を見えないようにし、すべての罪が目にされることがないようにして、罪悪感に永遠に終止符を打ちます。

 So ends the world that guilt had made, for now it has no purpose and is gone.
 こうして、罪悪感が作りあげてきた世界は終わりを迎えます。というのも、いまや世界は何の目的も持たなくなったので、世界は去ってしまうからです。

 The father of illusions is the belief that they have a purpose; that they serve a need or gratify a want.
 幻想の生みの親は、幻想には目的があるという信念です。すなわち、何らかの必要や不足を満たすのに幻想が役立つという信念です。

 Perceived as purposeless, they are no longer seen.
 目的のないものと知覚されることで、もはや幻想は見えなくなります。

 Their uselessness is recognized, and they are gone.
 幻想が何の役にも立たないことに気づいたなら、幻想は消え去ります。

 How but in this way are all illusions ended?
 このようにして以外に、どのようにしてすべての幻想が終わるというのでしょうか。

 They have been brought to truth, and truth saw them not.
 すべての幻想は真理の下へともたらされ、真理はそれらに目もくれなかったのです。

 It merely overlooked the meaningless.
 真理は単に無意味なものを無視しただけでした。



2. Until forgiveness is complete, the world does have a purpose.
 赦しが完了するまでは、この世界は確かに目的を持ちます。

 It becomes the home in which forgiveness is born, and where it grows and becomes stronger and more all-embracing.
 この世界は、赦しが生まれ、赦しが育ち、より強く、よりいっそうすべてを包みこむようになるまでの赦しの家となります。

 Here is it nourished, for here it is needed.
 この世界において、赦しは育まれます。というのも、赦しを必要としているのはこの世界だからです。

 A gentle Savior, born where sin was made and guilt seemed real.
 赦しは、罪が作り出され、罪悪感が実在するように見えた場所に生まれた優しい救い主です。

 Here is His home, for here there is need of Him indeed.
 ここが救い主の家です。なぜなら、この世界こそ真に彼を必要としているからです。

 He brings the ending of the world with Him.
 救い主は、彼と一緒に世界に終焉をもたらすのです。

 It is His Call God's teachers answer, turning to Him in silence to receive His Word.
 救い主の呼び声に神の教師たちは答え、救い主の大いなる言葉を受け取るために静寂の中で彼のほうに向き直ります。

 The world will end when all things in it have been rightly judged by His judgment.
 世界の中のあらゆる物事が救い主の判断によって正しく裁かれたとき、世界は終わりを迎えます。

 The world will end with the benediction of holiness upon it.
 神聖さが世界を祝福することで、世界は終わるでしょう。

 When not one thought of sin remains, the world is over.
 罪についてひとつの思いも残らなくなったとき、世界は終わります。

 It will not be destroyed nor attacked nor even touched.
 世界は破壊されるのでもなく、攻撃されるのでもなく、ましてや触れられることすらないでしょう。

 It will merely cease to seem to be.
 世界は、単に存在するように見える状態を解消するだけです。



3. Certainly this seems to be a long, long while away.
 たしかに、世界が存在するように見えるのをやめることには、長い長い時間がかかるように思えます。

 "When not one thought of sin remains" appears to be a long-range goal indeed.
 「罪についての思いがひとつも残らなくなったとき」というのは、実に長期間を要する目標のように見えてしまいます。

 But time stands still, and waits on the goal of God's teachers.
 しかし、時間は静止し、そして、神の教師たちが目標に到達するのを待ち受けています。

 Not one thought of sin will remain the instant any one of them accepts Atonement for himself.
 神の教師たちのうちの誰かひとりが、自分自身のために贖罪を受け入れた瞬間、罪についての思いはひとつも残らなくなるでしょう。

 It is not easier to forgive one sin than to forgive all of them.
 すべての罪を赦すことに比べて、ひとつの罪を赦すことのほうが簡単というわけではありません。

 The illusion of orders of difficulty is an obstacle the teacher of God must learn to pass by and leave behind.
 難易度に序列があるとの幻想は、神の教師が通り過ぎてあとにすることを学ぶべきひとつの障害です。

 One sin perfectly forgiven by one teacher of God can make salvation complete.
 ひとりの神の教師によって完璧に赦されたたったひとつの罪が、救済を完結させることができます。

 Can you understand this?
 あなたはこのことを理解できるでしょうか。

 No; it is meaningless to anyone here.
 できないはずです。ひとりの教師がたったひとつの罪を赦したところで、そんなことは、この世界にいる誰にとっても意味をなさないからです。

 Yet it is the final lesson in which unity is restored.
 しかし、これこそが最後のレッスンであり、これを学ぶことで、神の子の一体性が回復されます。

 It goes against all the thinking of the world, but so does Heaven.
 ひとりの教師がひとつの罪を赦すことが救済を完了させるということは、この世界のどのような考え方にも逆らうものですが、現に天国はこの世界の思考とは逆さまなのです。



4. The world will end when its thought system has been completely reversed.
 この世界の思考システムが完全にひっくり返されたとき、世界は終わるでしょう。

 Until then, bits and pieces of its thinking will still seem sensible.
 そのときまでは、この世界の考え方の断片が依然として意味を持つように見えるでしょう。

 The final lesson, which brings the ending of the world, cannot be grasped by those not yet prepared to leave the world and go beyond its tiny reach.
 この世界に終焉をもたらす最終レッスンは、まだ世界をあとにして、世界という狭隘な到達範囲を超えて進む準備のできていない者たちには理解できないものです。

 What, then, is the function of the teacher of God in this concluding lesson?
 そうだとすれば、この救済を締めくくるレッスンにおける神の教師の役割は何でしょうか。

 He need merely learn how to approach it; to be willing to go in its direction.
 彼は単に、どのように最終レッスンにアプローチすればよいか学び、最終レッスンに向けて進む意欲を持つ必要があるだけです。

 He need merely trust that, if God's Voice tells him it is a lesson he can learn, he can learn it.
 彼に必要なのは、単に、もし神の大いなる声がこの最終レッスンを学ぶことが自分にはできると告げているのなら、自分にはこのレッスンを学べるはずだと信頼することだけです。

 He does not judge it either as hard or easy.
 彼がするのは、最終レッスンのことを困難であるとも簡単であるとも判断することではありません。

 His Teacher points to it, and he trusts that He will show him how to learn it.
 彼の大いなる教師である聖霊が最終レッスンを指し示してくれます。だから、彼は、聖霊が自分にどのように最終レッスンを学べばよいか示してくれると信頼してよいのです。



5. The world will end in joy, because it is a place of sorrow.
 世界は、喜びの中で終わるでしょう。なぜなら、世界は悲しみの場所だからです。

 When joy has come, the purpose of the world has gone.
 喜びがやってくるとき、世界の目的は去っています。

 The world will end in peace, because it is a place of war.
 世界は平安のうちに終わるでしょう。なぜなら、世界は争いの場所だからです。

 When peace has come, what is the purpose of the world?
 平安がやってくるとき、世界に何の目的があるというのでしょうか。

 The world will end in laughter, because it is a place of tears.
 世界は笑い声の中で終わるでしょう。なぜなら、世界は涙の溢れる場所だからです。

 Where there is laughter, who can longer weep?
 笑い声の溢れるところで、誰が長々と涙を流してなどいられるでしょうか。

 And only complete forgiveness brings all this to bless the world.
 そして、ただ完全な赦しだけが、世界を祝福するために、これらのすべてをもたらします。

 In blessing it departs, for it will not end as it began.
 祝福の中で、世界は去ります。というのも、世界はそれが始まったようには終わらないからです。

 To turn hell into Heaven is the function of God's teachers, for what they teach are lessons in which Heaven is reflected.
 地獄を天国へと転換させることこそ、神の教師たちの役割です。なぜなら、彼らが教えるのは、その中に天国が反映されているレッスンだからです。

 And now sit down in true humility, and realize that all God would have you do you can do.
 そして、今こそ、真の謙虚さの中に腰を下ろして、神があなたにさせようとすることはどんなことでも、あなたには成し遂げられるのだと理解してください。

 Do not be arrogant and say you cannot learn His Own curriculum.
 傲慢になって、自分には神自ら立ててくれたカリキュラムを学ぶことができないなどと言ってはなりません。 

 His Word says otherwise.
 神の大いなる言葉はそのようには言っていません。
 
 His Will be done.
 神の大いなる意志がなされるでしょう。

 It cannot be otherwise.
 神の大いなる意志がなされないことなど不可能だからです。

 And be you thankful it is so.
 だから、あなたは、神の大いなる意志のままに自分が成し遂げられることについて感謝するがよいのです。


次

関連記事

気に入ったらシェア!

  • B!
  • LINE
  •         
 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

コメント0件

コメントはまだありません
未分類 (11)
奇跡のコース (6)
書籍 (4)
朗読 (1)
映画 (2)
アフォリズム (11)
教材 (3)
ネット (1)
テキスト (262)
┣  テキスト第1章(奇跡の意味) (7)
┣  テキスト第2章(分離と贖罪) (8)
┣  テキスト第3章(潔白な知覚) (7)
┣  テキスト第4章(エゴという幻想) (8)
┣  テキスト第5章(癒しと完全性) (8)
┣  テキスト第6章(愛のレッスン) (8)
┣  テキスト第7章(王国の贈り物) (11)
┣  テキスト第8章(戻りの旅路) (9)
┣  テキスト第9章(贖罪の受容) (8)
┣  テキスト第10章(病の偶像) (6)
┣  テキスト第11章(神かエゴか) (9)
┣  テキスト第12章(聖霊のカリキュラム) (8)
┣  テキスト第13章(罪なき世界) (12)
┣  テキスト第14章(真理のための教え) (11)
┣  テキスト第15章(神聖な瞬間) (11)
┣  テキスト第16章(幻想を赦す) (7)
┣  テキスト第17章(赦しと神聖な関係) (8)
┣  テキスト第18章(夢の消滅) (9)
┣  テキスト第19章(平安の達成) (9)
┣  テキスト第20章(神聖さのヴィジョン) (8)
┣  テキスト第21章(理性と知覚) (9)
┣  テキスト第22章(救いと神聖な関係) (7)
┣  テキスト第23章(自分自身との戦い) (5)
┣  テキスト第24章(特別であるという目標) (8)
┣  テキスト第25章(神の正義) (9)
┣  テキスト第26章(移行) (10)
┣  テキスト第27章(夢を癒す) (8)
┣  テキスト第28章(恐れを取り消す) (7)
┣  テキスト第29章(目覚め) (9)
┣  テキスト第30章(新たなる始まり) (8)
┗  テキスト第31章(最後のヴィジョン) (8)
ワークブック・パート① (238)
┣  レッスン1〜10 (10)
┣  レッスン11〜20 (10)
┣  レッスン21〜30 (10)
┣  レッスン31〜40 (10)
┣  レッスン41〜50 (10)
┣  レッスン51〜60 (11)
┣  レッスン61〜70 (10)
┣  レッスン71〜80 (10)
┣  レッスン81〜90 (11)
┣  レッスン91〜100 (10)
┣  レッスン101〜110 (10)
┣  レッスン111〜120 (11)
┣  レッスン121〜130 (10)
┣  レッスン131〜140 (10)
┣  レッスン141〜150 (11)
┣  レッスン151〜160 (10)
┣  レッスン161〜170 (10)
┣  レッスン171〜180 (11)
┣  レッスン181〜190 (11)
┣  レッスン191〜200 (10)
┣  レッスン201〜210 (11)
┗  レッスン211〜220 (10)
ワークブック・パート② (158)
┣  ワークブック・パート②特別解説 (15)
┣  レッスン221〜230 (10)
┣  レッスン231〜240 (10)
┣  レッスン241〜250 (10)
┣  レッスン251〜260 (10)
┣  レッスン261〜270 (10)
┣  レッスン271〜280 (10)
┣  レッスン281〜290 (10)
┣  レッスン291〜300 (10)
┣  レッスン301〜310 (10)
┣  レッスン311〜320 (10)
┣  レッスン321〜330 (10)
┣  レッスン331〜340 (10)
┣  レッスン341〜350 (10)
┣  レッスン351〜360 (10)
┗  レッスン361〜365 (3)
マニュアル (42)
心理療法 (13)
用語解説 (8)
祈りの歌 (15)