T11-6 悪夢から目覚める
Nobody at any time is cut off from God.
誰ひとり、ほんのわずかにでも神から切り離されている者はいない。

Meister Eckhart
マイスター・エックハルト

テキスト第十一章から、救済への目覚めという一節をご紹介します。
『見ずしてなお信じる者は幸いである』
1.「That is what I meant when I said, "Blessed are ye who have not seen and still believe," for those who believe in the resurrection will see it.
これが、私が『見ずしてなお信じる者は幸いである』と述べたときに意味したことです。なぜなら、復活を信じる者たちは復活を目にすることになるからです。」
「見ずしてなお信じる者は幸いである」はヨハネによる福音書第20章29節です。

「非注目性盲目」
「1. It is impossible not to believe what you see, but it is equally impossible to see what you do not believe.
自分に見えているものを信じずにいることは不可能です。しかし、それと同じように不可能なのは、自分の信じていないものを見ることです。」
「非注目性盲目」と呼ばれる現象があります。
ボールをパスする回数をカウントするよう指示を出されて動画を視聴する実験で、少なくない割合の被験者はボールのパス回しに気を取られてゴリラの着ぐるみを着た人が通り過ぎていくのを見落としてしまうという、見えているはずなのに見えていないことが起こる有名な実験があります。
視界には入っていて目の網膜には届いて脳内に視覚情報として届いているはずなのに、注意の向く特定の対象に意識がいっているせいで、見えているのに見えていないということが起こることです。
知覚は信念に基づく選別を行う解釈作用だということです。
「1. Perception selects, and makes the world you see.
知覚作用が選び出し、そうして、あなたの見ている世界を作り出します。
It literally picks it out as the mind directs.
知覚は文字どおり、心の指図どおりに知覚するものを選び出します。
The laws of size and shape and brightness would hold, perhaps, if other things were equal.
もし知覚の選び出すものと選ばれないほかのものとが等しいとすれば、きっと大きさや形や明るさについての法則が適用できるはずです。
They are not equal.
しかし、知覚の選び出すものと選ばれないほかのものとは等しくはありません。
For what you look for you are far more likely to discover than what you would prefer to overlook.
というのも、あなたができれば見過ごしたいと思っているものよりも、あなたが意欲的に探しているもののほうがはるかに見つかりやすいからです。
The still, small Voice for God is not drowned out by all the ego's raucous screams and senseless ravings to those who want to hear It.
神を代弁する静かで小さな声は、それを聞きたいと思う者には、エゴのどんな叫び声や無意味な戯言にもかき消されることはありません。
Perception is a choice and not a fact.
知覚することは、選択であって事実ではありません。」(T21-5 理性の働き)
自分が信じるものを見ることになる
したがって、私たちは見るものを信じるだけでなく、信じるものを見ることになります。
1.「In effect, then, what you believe you do see.
したがって、実際に、あなたは自分が信じるものを確かに見るのです。」
つまり、知覚器官で見ることなくして信じるなら、それが見えるようになるということです。
したがって、キリストがエゴを克服する復活を信じるなら、キリストのヴィジョンで真理を見るようになります。
冒頭に紹介した「非注目性盲目」は、実は、私たちの五感での知覚だけでなく、本当の私たちである神の子に起こっている現象と捉えることができます。
意識とは、本来一体であるすべてを持ちすべてである王国の状態から、人間というアバターの一点だけに自覚できる範囲を極限まで制限するエゴの領域に属する観念でした。
「2. Consciousness, the level of perception, was the first split introduced into the mind after the separation, making the mind a perceiver rather than a creator.
意識という知覚のレベルは分離以後に心の中に取りこまれた最初の分裂でした。この意識が、心を創造するものではなく、知覚するものに変えてしまったのです。
Consciousness is correctly identified as the domain of the ego.
意識は、正確にはエゴの領域として位置づけられるものです。
The ego is a wrong-minded attempt to perceive yourself as you wish to be, rather than as you are.
そのエゴとは、あなた自身をありのままに知覚せずに、あなたがそうありたいと願う姿として知覚しようとする心の間違った試みのことです。
Yet you can know yourself only as you are, because that is all you can be sure of.
しかし、あなたは自分自身のことを、ただありのままの自分としてしか知ることができません。なぜなら、あなたが確信できるのは、ありのままの自分だけだからです。
Everything else is open to question.
ありのままのあなたを知ること以外のすべてのことには、疑問が入りこむ余地があるのです。」(T3-4 誤りとエゴ)
偽りのアイデンティティーが妄想を見せている
私たちが特定の人間が自分だと意識することで、私たちは、自分だと思う砂粒のようなアバター以外の残りの全宇宙、つまり、本当の自分である神の子を意識から排除してしまい、本来の自然な状態にあれば、自分であり自分が持っているものとして自覚しているはずの神の王国=天国=神の子を解離して自覚できなくなっています。
そして、アイデンティティーを据えた架空のキャラクターが自分だと信じ込んでいるので、アバターが備える幻想世界の覗き窓である五感を通した知覚は紛れもなく正しいもので、これ以外に世界や自分を知覚する手段は存在しないと確信してしまいます。
生まれた時からカメラ付きドローンを操縦して、ドローンのカメラやマイクから送信される映像や音声をゴーグル等で見聞きしたり、直接脳にプラグインで情報伝達するような仕組みでドローンを自分だと思う生活を送ってきたら、ドローンの備える外界認識デバイス以外に自分が知覚できるはずがないと確信することになるでしょう。
私たちも、エゴ・身体というアバターが備える五感というデバイス抜きに自分が何かを知覚、認識できるとは信じられません。
ですが、ドローンを介しての知覚しかできないと信じ込んでいる人が自前の目や耳で世界に触れられるようになるためには、ネオが赤いピルを飲んでからの経験によって、マトリックスの中にいる自分、トーマス・A・アンダーソンという人間は本当の自分ではなく幻想世界の中で動き回るためのアバターだったのだと気づく必要があったように、まずはドローンのカメラが幻想世界を見るための道具でしかなく、逆に幻を見せて真の世界を見えなくさせるからくりの道具なのだと気づく必要があります。
復活
信じていないものを見ることはできないので、私たちは復活を信じなければなりません。
キリストの復活は、ほかならぬ「あなたの中で成し遂げられているからです。」。
「4. I am your resurrection and your life.
私こそがあなたの復活であり、あなたの生命です。
You live in me because you live in God.
あなたは神の中に生きているので、あなたは私の中に生きています。
And everyone lives in you, as you live in everyone.
そして、あなたがすべての者たちの中に生きているのと同じように、すべての者たちはあなたの中に生きています。
Can you, then, perceive unworthiness in a brother and not perceive it in yourself?
そうだとすれば、あなたは、ある兄弟は無価値だと知覚しておきながら、自分を無価値だと知覚せずにいられるでしょうか。
And can you perceive it in yourself and not perceive it in God?
そして、あなたは、自分は無価値だと知覚しておきながら、神は無価値だと知覚せずにいられるでしょうか。
Believe in the resurrection because it has been accomplished, and it has been accomplished in you.
復活を信じてください。なぜなら、それはすでに成し遂げられており、それも、あなたの中で成し遂げられているからです。」

テキスト 第十一章
VI. Waking to Redemption
六 救済への目覚め
1. It is impossible not to believe what you see, but it is equally impossible to see what you do not believe.
自分に見えているものを信じずにいることは不可能です。しかし、それと同じように、自分の信じていないものを見ることは不可能です。
Perceptions are built up on the basis of experience, and experience leads to beliefs.
知覚は体験に基づいて構築されます。そして、体験は信念を抱くように導きます。
It is not until beliefs are fixed that perceptions stabilize.
信念が固定してはじめて、知覚は安定します。
In effect, then, what you believe you do see.
したがって、実際に、あなたは自分が信じるものを確かに見るのです。
That is what I meant when I said, "Blessed are ye who have not seen and still believe," for those who believe in the resurrection will see it.
これが、私が「見ずしてなお信じる者は幸いである」と述べたときに意味したことです。なぜなら、復活を信じる者たちは復活を目にすることになるからです。
The resurrection is the complete triumph of Christ over the ego, not by attack but by transcendence.
復活とは、キリストがエゴに完全に打ち勝つことです。その勝利は、エゴを攻撃することによってではなく、エゴを超越することによって成し遂げられます。
For Christ does rise above the ego and all its works, and ascends to the Father and his Kingdom.
というのは、キリストは確かにエゴとそのすべての所業を乗り越えて、大いなる父とその王国へと昇ってゆくからです。
2. Would you join in the resurrection or the crucifixion?
あなたはキリストの復活に加わりたいのでしょうか、それともキリストの磔刑に加わりたいのでしょうか。
Would you condemn your brothers or free them?
あなたは自分の兄弟たちに有罪を宣告したいのでしょうか、それとも兄弟たちを解放したいのでしょうか。
Would you transcend your prison and ascend to the Father?
あなたは自分の牢獄を超えて大いなる父の下へと昇ってゆきたいのでしょうか。
These questions are all the same, and are answered together.
これらの質問はすべて同じものなので、まとめて答えることができます。
There has been much confusion about what perception means, because the word is used both for awareness and for the interpretation of awareness.
知覚が何を意味するのかについては、大いに混同されてきました。なぜなら、この知覚という言葉は、自覚それ自体と、自覚したものについての解釈の両方に対して用いられるからです。
Yet you cannot be aware without interpretation, for what you perceive is your interpretation.
しかし、あなたは解釈することなしに自覚することはできません。なぜなら、あなたが知覚するのは自分の解釈だからです。

3. This course is perfectly clear.
このコースは完璧に明解なものです。
If you do not see it clearly, it is because you are interpreting against it, and therefore do not believe it.
もしあなたがこのコースを明確に理解できないとすれば、それは、あなたがこのコースの言わんとする趣旨に反する解釈をしていて、そのために、このコースが正しいと信じられなくなっているからです。
And since belief determines perception, you do not perceive what it means and therefore do not accept it.
そして、信念が知覚することを決定するのだから、あなたはこのコースが何を意味するか知覚しておらず、それゆえ、このコースを受け入れてもいないことになります。
Yet different experiences lead to different beliefs and experience does teach.
しかし、異なった体験は異なった信念を導き、体験が確実に教えます。
I am leading you to a new kind of experience that you will become less and less willing to deny.
私があなたを新たな種類の体験をするように導いているので、あなたは、そのような体験を拒絶したいという気持ちを徐々になくしてゆくはずです。
Learning of Christ is easy, for to perceive with him involves no strain at all.
キリストから学ぶことは易しいことです。というのは、キリストとともに知覚することにはまったく何のストレスも伴わないからです。
His perceptions are your natural awareness, and it is only the distortions you introduce that tire you.
キリストの知覚は、あなたの自然な気づきとなります。だから、あなたが疲れるとすれば、それはあなたが自然な気づきを歪めてしまう場合だけです。
Let the Christ in you interpret for you, and do not try to limit what you see by narrow little beliefs that are unworthy of God's Son.
あなたの中にいるキリストにあなたに代わって解釈してもらうようにして、あなたの見るものを、神の子にふさわしくない狭量で矮小な信念によって制限しようとしないでください。
For until Christ comes into his own, the Son of God will see himself as Fatherless.
なぜなら、神の子の中にキリストが姿を現すまでは、神の子は自分には生みの親がいないとみなしてしまうからです。
4. I am your resurrection and your life.
私こそがあなたの復活であり、あなたの生命です。
You live in me because you live in God.
あなたは神の中に生きているので、あなたは私の中に生きています。
And everyone lives in you, as you live in everyone.
そして、あなたがすべての者たちの中に生きているのと同じように、すべての者たちはあなたの中に生きています。
Can you, then, perceive unworthiness in a brother and not perceive it in yourself?
そうだとすれば、あなたは、ある兄弟は無価値だと知覚しておきながら、自分を無価値だと知覚せずにいられるでしょうか。
And can you perceive it in yourself and not perceive it in God?
そして、あなたは、自分は無価値だと知覚しておきながら、神は無価値だと知覚せずにいられるでしょうか。
Believe in the resurrection because it has been accomplished, and it has been accomplished in you.
復活を信じてください。なぜなら、それはすでに成し遂げられており、それも、あなたの中で成し遂げられているからです。
This is as true now as it will ever be, for the resurrection is the Will of God, which knows no time and no exceptions.
このことは今、真実であるように、これからもずっと真実であり続けます。というのは、復活こそ、いかなる時間も例外も知るところではない神の大いなる意志だからです。
But make no exceptions yourself, or you will not perceive what has been accomplished for you.
しかし、自分自身で例外を設けないでください。さもなければ、あなたは自分のためにすでに成し遂げられていることを知覚できなくなってしまいます。
For we ascend unto the Father together, as it was in the beginning, is now and ever shall be, for such is the nature of God's Son as his Father created him.
なぜなら、始まりにおいてそうであったように、今もこれからも、私たちは一緒に父の下へと昇るからです。というのも、そうすることこそ、父に創造されたままの神の子が生まれながらに持つ天性だからです。

5. Do not underestimate the power of the devotion of God's Son, nor the power the god he worships has over him.
神の子の献身が持つ力を過小評価してはなりません。また、神の子がエゴの神を崇める場合に、その神がその神の子に及ぼす力についても、見くびってはなりません。
For he places himself at the altar of his god, whether it be the god he made or the God Who created him.
というのは、神の子は、それが自分で作り出した偶像の神であれ、自分を創造してくれた真の神であれ、自分が受け入れる神の祭壇に自分自身を捧げることになるからです。
That is why his slavery is as complete as his freedom, for he will obey only the god he accepts.
これこそが、神の子が完全な奴隷となるか完全に自由になるかのいずれかである理由です。というのは、神の子は自ら受け入れる神にだけ従うことになるからです。
The god of crucifixion demands that he crucify, and his worshippers obey.
磔刑の神は、神の子にほかの者を迫害することを要求し、磔刑の神の崇拝者たちはそれに従います。
In his name they crucify themselves, believing that the power of the Son of God is born of sacrifice and pain.
磔刑の神の名において、崇拝者たちは神の子の力は犠牲と苦痛から生まれるものと信じて、自分たち自身を十字架にかけようとします。
The God of resurrection demands nothing, for he does not will to take away.
これに対して、復活の神は何ひとつ要求しません。というのは、復活の神は取りあげることなど意図しないからです。
He does not require obedience, for obedience implies submission.
復活の神は要求に従うことを求めません。というのは、要求に従うことは屈服を意味するからです。
He would only have you learn your will and follow it, not in the spirit of sacrifice and submission, but in the gladness of freedom.
復活の神は犠牲や服従の精神によるのではなく、自由の喜びに満ちてあなたが自らの意志を学んで、自らの意志に従うことだけを意図しています。
6. Resurrection must compel your allegiance gladly, because it is the symbol of joy.
復活は、きっとあなたに喜んで忠誠を尽くすようにさせるはずです。なぜなら、復活こそが喜びの象徴だからです。
Its whole compelling power lies in the fact that it represents what you want to be.
復活がまったく圧倒的な力を持っているのは、復活というものが、あなたがこうありたいと望む状態を象徴している事実にその理由があります。
The freedom to leave behind everything that hurts you and humbles you and frightens you cannot be thrust upon you, but it can be offered you through the grace of God.
あなたを傷つけたり、卑屈にさせたり、恐怖に陥れたりするものをことごとく置き去りにする自由を強制的にあなたに押しつけることはできません。それでも、あなたはこの自由を神の恵みを通して差し延べてもらうことができます。
And you can accept it by his grace, for God is gracious to his Son, accepting him without question as his own.
だから、あなたは神の恵みによって、その自由を受け入れることができます。というのは、神はわが子を何の疑いもなく自らに属するものとして受け入れているので、子を慈悲深くもてなしてくれるからです。
Who, then, is your own?
それでは、あなたに属するのは誰でしょうか。
The Father has given you all that is his, and he himself is yours with them.
父なる神は、自らに属するものすべてをあなたに与えてくれています。だから、神に属するものたちだけでなく、神自身もあなたのものなのです。
Guard them in their resurrection, for otherwise you will not awake in God, safely surrounded by what is yours forever.
あなたに属するものたちのことを守って、彼らが復活できるようにしてください。というのも、そうしなければ、あなたは、あなたに永遠に属するものたちに安全に囲まれているというのに、神の中に目覚めることができなくなってしまうからです。

7. You will not find peace until you have removed the nails from the hands of God's Son, and taken the last thorn from his forehead.
あなたが神の子の両手から釘を抜き去り、神の子の額から最後の棘を取り除くまでは、あなたが平安を見出すことはないでしょう。
The Love of God surrounds his Son whom the god of crucifixion condemns.
神の大いなる愛が、磔刑の神から有罪の宣告を受けた神の子を包みこんでいます。
Teach not that I died in vain.
私が無駄に死んだなどと教えてはなりません。
Teach rather that I did not die by demonstrating that I live in you.
そうではなく、私が現にあなたの中に生きていると実証することによって、私が死ななかったことを教えてください。
For the undoing of the crucifixion of God's Son is the work of the redemption, in which everyone has a part of equal value.
なぜなら、神の子の磔刑を取り消すことこそ、救いのなすべき業だからです。そして、この救いを成し遂げるために一人ひとりが等しく重要な役割を担っています。
God does not judge his guiltless Son.
神は、罪のないわが子に裁きを下したりしません。
Having given himself to him, how could it be otherwise?
わが子に自分自身を与えたというのに、どうして神がわが子に裁きを下したりできるでしょうか。
8. You have nailed yourself to a cross, and placed a crown of thorns upon your own head.
あなたは自分自身を十字架に釘づけにし、自分の頭に荊の冠を被せました。
Yet you cannot crucify God's Son, for the will of God cannot die.
しかし、あなたは神の子を十字架にかけることはできません。なぜなら、神の意志である者が死ぬことなどできないからです。
His Son has been redeemed from his own crucifixion, and you cannot assign to death whom God has given eternal life.
神の子は、自分自身による磔刑から救われています。そして、あなたは神から永遠の生命を授けられた者に死を課すことなどできません。
The dream of crucifixion still lies heavy on your eyes, but what you see in dreams is not reality.
磔刑の夢は、いまだにあなたの瞼の裏に重々しく留まっています。しかし、あなたが夢の中で見ていることは現実ではありません。
While you perceive the Son of God as crucified, you are asleep.
神の子が磔刑にされたものとあなたが知覚している間は、あなたは眠りこんでいるのです。
And as long as you believe that you can crucify him, you are only having nightmares.
そして、自分には神の子を磔刑にできるとあなたが信じるかぎり、あなたはただ悪夢を見ているだけなのです。
You who are beginning to wake are still aware of dreams, and have not yet forgotten them.
あなたは目覚めはじめてはいますが、いまだに夢を意識しており、まだ夢を忘れ去ってはいません。
The forgetting of dreams and the awareness of Christ come with the awakening of others to share your redemption.
ほかの者たちが目を覚ましてあなたの救済を分かち合うのと同時に、あなたは完全に夢を忘れ去ってとキリストとして自覚を取り戻すことになります。

9. You will awaken to your own call, for the Call to awake is within you.
あなたは自分自身の呼びかけに応えて、目を覚ますでしょう。なぜなら、目覚めるようにとの大いなる呼びかけがあなたの中にあるからです。
If I live in you, you are awake.
もし私があなたの中に生きているなら、あなたは目覚めているはずです。
Yet you must see the works I do through you, or you will not perceive that I have done them unto you.
しかし、あなたは、私があなたを通してなす業を見なければなりません。さもないと、あなたは私がそれらの働きをあなたに対してなしたことを知覚できないでしょう。
Do not set limits on what you believe I can do through you, or you will not accept what I can do for you.
私があなたを通してできるとあなたが信じることに、制限を課さないでください。さもないと、あなたは私があなたのためになすことができることを受け入れられなくなるでしょう。
Yet it is done already, and unless you give all that you have received you will not know that your redeemer liveth, and that you have awakened with him.
それでも、それらの業はすでになされているのです。あなたが自分がすでに受け取っているものすべてを与えないでいるかぎり、あなたは自分の救い主が生きていて、あなたも自分の救い主と一緒にすでに目覚めていると知ることはないでしょう。
Redemption is recognized only by sharing it.
救済は、それを共有することによってのみ認識できるものだからです。
10. God's Son is saved.
神の子は救われています。
Bring only this awareness to the Sonship, and you will have a part in the redemption as valuable as mine.
神の子が救われているというこの自覚だけを、神の子全員にもたらしなさい。そうすれば、あなたは救済において、私の役割と同じように重要な役割を担うようになるでしょう。
For your part must be like mine if you learn it of me.
というのは、もしあなたが私から自分の役割を学ぶなら、必ずあなたの役割は私の役割と同じものになるからです。
If you believe that yours is limited, you are limiting mine.
もしあなたが自分の役割は限られたものだと信じるなら、あなたは私の役割まで制限することになってしまいます。
There is no order of difficulty in miracles because all of God's Sons are of equal value, and their equality is their oneness.
奇跡に難しさの序列はありません。なぜなら、すべての神の子は同等の価値を持っており、みんなが平等であることは、みんながひとつであることを意味するからです。
The whole power of God is in every part of him, and nothing contradictory to his will is either great or small.
神のすべての力は、神のどの部分の中にもあります。そして、神の意志に矛盾するものには大きいも小さいもありません。
What does not exist has no size and no measure.
存在しないものには、大小もなければ、度合いもないからです。
To God all things are possible.
神にとっては、あらゆることが可能です。
And to Christ it is given to be like the Father.
そして、キリストには、大いなる父と同じ者であるようにと、神のすべての力が与えられているのです。

