T12-4 終わりのない探求

2013年10月31日
テキスト第12章(聖霊のカリキュラム) 0

God will bring the right person into your life at the right time.
神は、あなたの人生に最適のタイミングで最適の人物を登場させてくれます。

Always believe that!
つねにそうだと信じてください。

If they are not there, God isn’t finished yet!
もしその人物が登場していないなら、神がまだ仕上げを済ませていないだけなのです。



Shannon L. Alder
シャノン・オルダー



Some people come in our life as blessings. Some come in your life as lessons.
私たちの人生に、ある人々は祝福を与えるために登場し、別の人々は教訓を与えるために登場します。



Mother Teresa
マザー・テレサ



We shall not cease from exploration
私たちが探求をやめることはないだろう。

And the end of all our exploring
私たちのすべての探求の最後は、

Will be to arrive where we started
私たちが出発したところへと至り、

And know the place for the first time.
そうして、そこを初めて知ることとなるであろう。

Through the unknown, remembered gate
未知の記憶の門を通り抜け、

When the last of earth left to discover
Is that which was the beginning;
発見されるのを待っていた最後の大地が始まりであったものになるとき、

At the source of the longest river
最も長い川の源に、

The voice of the hidden waterfall
隠れた滝の声に、

And the children in the apple-tree
そして、リンゴの樹の中の子供たちに

Not known, because not looked for
わからなかったのは、探さなかったから

But heard, half-heard, in the stillness
けれど、聞こえる。かすかに聞こえる。静寂の中に、

Between two waves of the sea.
海の二つの波の合間に。

Quick now, here, now, always--
さあ、急ぐんだ。ここだ、今だ、いつまでも

A condition of complete simplicity
(Costing not less than everything)
必要なのは、完全に純真な状態になること(少なくとも一切合切を差し出す必要がある)

And all shall be well and
そうすれば、すべてうまくいく

All manner of thing shall be well
あらゆる種類の物事がうまくいく

When the tongues of flames are in-folded
方々に燃え広がろうとする火先が畳み込まれて

Into the crowned knot of fire
炎が王冠のように結びついて、

And the fire and the rose are one.
火と薔薇がひとつになるとき。

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T.S. Eliot, from “Little Gidding,” Four Quartets (Gardners Books; Main edition, April 30, 2001) Originally published 1943.”
T.S.エリオット『四つの四重奏』より「リトル・ギディング」



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今回は、テキストから、探求と発見という一節をご紹介します。


自分の外を探さないが参考になると思います。


愛という言葉への違和感や反発

奇跡のコースに出会うまでは、「愛」という言葉に対して、空々しいイメージを抱いたり、素直に受け入れられない反発を感じたりしていたという人も多いでしょう。

愛とはひとつである実在の状態そのものであり、ひとつに結びつこうとする作用であり、実在するのは、一者である神の大いなる愛だけです。

分離幻想によって生じたこの世界でエゴ・身体というアバターとしてばらばらな存在として生きている私たちの本質は神の子であり、それが意味するのは、私たち自身の本質は愛だということです。


愛の本質は無条件→条件付きの愛は愛と矛盾→この世界に生きていて愛に違和感や反発を感じるのは当然

ですから、ただありのままの状態になれば、私たちは神とひとつである状態に戻るわけですが、本質が愛であるがゆえに、分離幻想による狂気に陥っていてもなお、放っておいても愛の探求に携わってしまうことになります。

ただし、この世界でエゴが認める愛はすべて条件つきのものです。

無条件に与えることが愛が愛であるための条件なので、条件さえ付しておけば、分離は守られてエゴは安泰だからです。

本節でもエゴが愛の探求に付す条件は「求めよ、されど、見出すなかれ」だということが述べられます。

エゴからすれば、神の大いなる愛、つまり無条件の愛を見出さないという条件つきであれば、いくらでも好きなだけ愛を求めるがよい、というわけです。

根源は同じひとつになろうというエネルギーであるので、条件つきの愛と神の愛は無関係ではありませんが、条件を付すと、たとえば、自分の家族だけ愛する、自分の味方になって利益をもたらしてくれる関係にある相手だから愛するといったふうに愛を限定すると、それが翻って、条件に満たない他者は自分に害を及ぼす敵なので攻撃しなければならない、害を及ぼさないにしても、自分にとってどうでもよい存在だからどうなろうとかまわないという反作用が起こり、自他分離の度合いをよりいっそう深めることになります。





エゴの愛も神の愛と無縁ではない

この無条件の愛と条件つきの愛、つまり、神の愛とエゴの愛のイメージは、レッスン345「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」のエッセイの渦巻きの図で把握してもらうとよいです。

すなわち、ひとつに結ばれようとする愛の働きは、本来的に枠づけられようのないものであり、分離幻想で枠づけられると、利己的な引力=他者を排除する斥力として作用し、防衛と攻撃の応酬の基盤となるわけです。

つまり、条件つきの愛は、エゴをサポートするものだということです。

エゴに従うかぎり、私たちは愛を探し求めはしても、決して真の愛に気づくことはないままになります。

聖霊に従うなら、「求めよ、さすれば、見出さん」と、愛を求めれば、必ず愛が見つかることになります。

というのも、聖霊に従うなら、私たちが自分だと思っているアバターは本当の私たちではなく、真の私たちは神の子として一体であるということになり、だからといってエゴ・身体は架空の偽物だから破壊すべきというのではなく、はたらく細胞的に言えば、アバターは人体を構成する細胞たちであり、神の子は人体を持つ魂という位置づけとなり、自分のアバター以外のアバターも、自分の本質が仮の宿とする世界を構成する自分の一部として自分と一体である自分の分身である愛すべき存在ということになるからです。


すべてに愛で返すのが正しいリアクション

そして、自分のアバターとは分離した他の存在について、家族のような味方と考えている存在からの愛情に満ちた想いはそのまま愛として受けとめ、敵からの攻撃は、実は愛を求める哀訴として受けとめるという聖霊の教えによれば、世界にあるのは、愛そのものと愛の不在によって愛を求める呼び声だけであり、したがって、愛の欠如に対して返すべきは攻撃ではなく、愛で満たしてやることだけだという至極もっともな結論にたどり着くことになります。

とはいえ、この結論を実践することが至難の技であるのは確かであり、これを当然のこととして実践できる境地に導くためにコースはあの手この手を使って私たちの心構えを変化させようとしてくれるのです。


"price"

「7. The Atonement is not the price of your wholeness, but it is the price of your awareness of your wholeness.
 贖罪は、あなたが完全になるための代価ではありません。そうではなくて、贖罪は、あなたが完全であることにあなたが気づくための代価なのです。

 For what you chose to "sell" had to be kept for you, since you could not "buy" it back.
 なぜなら、あなたが『売り渡す』ことを選んだものは、それをあなたが『買い』戻すことができなかったので、あなたのために取っておいてもらう必要があったからです。

 Yet you must invest in it, not with money but with spirit.
 しかし、贖罪のためには、あなたは自分が売り渡すことを選んだものに、お金ではなく、霊をもって投資しなければなりません。

 For spirit is will, and will is the "price" of the Kingdom.
 なぜなら、霊は意志であり、意志こそが王国の『代価』だからです。」

6.の文章を踏まえると、「あなたが『売り渡す』ことを選んだもの」は、「あなたが継承したもの」=「天の王国」=「永遠の生命」=「あなたが完全であること」です。

この自らの完全性を「あなたが『買い』戻すことができなかった」という意味は、買い戻すことは、いったん売ったものを再び買い取る=いったん不完全になってから再び完全に戻ることだけれど、神の子には、そもそも完全性を売り渡す、つまり、完全でなくなること自体不可能だから、買い戻す=不完全状態から再び完全に戻すことは不可能だということです。

したがって、完全でなくなったことなどないのだから、完全さを買い戻す、つまり、いったん完全でなくなってから再び完全になることは不可能であり、それが可能だと誤信することしかできないということになります。

最初から最後まで完全なままなので、できるのは完全でなくなったと誤信する妄想から脱することだけです。

そして、自分が完全でなくなったという妄想は、実在の不在である幻想であり、光の欠如による影であり、霊性を欠く状態なので、完全であるという真実を思い出すために必要なのは、欠けている霊性を満たすことです。

この霊(=意志)を売り渡すことを選んだもの(=不完全であるとの誤信)に投じることが完全であることの自覚を回復させることになるので、意志こそが贖罪を果たして王国を取り戻すために支払う代価だということです。




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テキスト第十二章 

IV. Seeking and Finding
四 探求と発見



1. The ego is certain that love is dangerous, and this is always its central teaching.
 エゴは愛は危険なものだと確信しています。そして、つねにエゴの教義の中核をなすのはこの確信です。

 It never puts it this way; on the contrary, everyone who believes that the ego is salvation seems to be intensely engaged in the search for love.
 もっともエゴは、決してこんなふうに自らが愛を危険なものと確信しているとは言いません。それどころか、エゴこそが救いだと信じる者はみな、情熱を傾けて愛の探求に従事しているように見えます。

 Yet the ego, though encouraging the search for love very actively, makes one proviso; do not find it.
 しかし、エゴはとても積極的に愛を探求するように奨励しはするものの、ひとつの条件をつけています。それは、ただし、愛を見つけてはならない、という条件です。

 Its dictates, then, can be summed up simply as: "Seek and do not find. "
 そこで、エゴの命じることを簡単に要約するとこうなります。「求めよ、されど、見出すなかれ」と。

 This is the one promise the ego holds out to you, and the one promise it will keep.
 これが、エゴがあなたに誓うただひとつの約束であり、そして、エゴが守ることになる唯一の約束です。

 For the ego pursues its goal with fanatic insistence, and its judgment, though severely impaired, is completely consistent.
 というのも、エゴは自らの目標を狂信的なまでの執拗さで追い求めており、深刻な欠陥があるとはいえ、エゴの判断は完全に首尾一貫しているからです。



2. The search the ego undertakes is therefore bound to be defeated.
 したがって、エゴが取りかかる探求は、はじめから失敗に終わる運命にあります。

 And since it also teaches that it is your identification, its guidance leads you to a journey which must end in perceived self-defeat.
 そして、エゴはまた、エゴとあなたは同一だとも教えるので、エゴの案内は、自滅と知覚される結末を必ず迎える旅路へとあなたを導きます。

 For the ego cannot love, and in its frantic search for love it is seeking what it is afraid to find.
 なぜなら、エゴは愛することができないために、エゴは死に物狂いになって愛を探求しながらも、エゴは自分が見つけてしまうことを恐れているものを探していることになるからです。

 The search is inevitable because the ego is part of your mind, and because of its source the ego is not wholly split off, or it could not be believed at all.
 エゴはあなたの心の一部なので、エゴが愛を探求することは不可避です。そして、エゴはその起源ゆえに、完全には心から分離しきってはいません。さもなければ、エゴが信じられることなどまったくなかったはずです。

 For it is your mind that believes in it and gives existence to it.
 というのは、エゴを信じることでエゴを存在させているのは、あなたの心だからです。

 Yet it is also your mind that has the power to deny the ego's existence, and you will surely do so when you realize exactly what the journey is on which the ego sets you.
 しかし、エゴの存在を否定する力を持っているのもまた、あなたの心なのです。そして、あなたがエゴが自分を送り出そうとする旅路が何なのか正確に理解したとき、あなたは確実にエゴの存在を否定するようになるでしょう。

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3. It is surely obvious that no one wants to find what would utterly defeat him.
 誰も自分を完全に挫折させてしまうものを見つけたいと望んだりしないのは、間違いなく言うまでもないことです。

 Being unable to love, the ego would be totally inadequate in love's presence, for it could not respond at all.
 愛することができないので、愛を前にしてエゴは完全に無力になります。というのも、エゴは愛にまったく反応することができないからです。

 Then, you would have to abandon the ego's guidance, for it would be quite apparent that it had not taught you the response you need.
 そのため、あなたはエゴの導きに見切りをつけなればならなくなります。なぜなら、あなたが必要としている反応の仕方をあなたに教えることがエゴにはできなかったことが完全に明らかになるからです。

 The ego will therefore distort love, and teach you that love really calls forth the responses the ego can teach.
 そこで、エゴは愛を歪めて、あなたに、愛が実際に呼び起こす反応はエゴにも教えることのできるものだと教えようとします。

 Follow its teaching, then, and you will search for love, but will not recognize it.
 したがって、エゴの教えに従うなら、あなたは愛を探し求めはしても、愛に気づかないままでしょう。



4. Do you realize that the ego must set you on a journey which cannot but lead to a sense of futility and depression?
 エゴは必ずあなたを空しさと憂鬱な思いにしか辿り着くことのない旅路へと送り出すことに、あなたは気づいているでしょうか。

 To seek and not to find is hardly joyous.
 探求しても発見できないのでは、何の喜びもありません。

 Is this the promise you would keep?
 こんなものがあなたの果たしたい約束でしょうか。

 The Holy Spirit offers you another promise, and one that will lead to joy.
 聖霊はあなたに、これとは別の約束を差し延べてくれています。その約束は喜びへと導く約束です。

 For his promise is always, "Seek and you will find," and under his guidance you cannot be defeated.
 というのも、聖霊の約束はいつも、「求めよ、さすれば、見出さん」というものであり、聖霊の導きの下では、あなたが失敗することなどありえないからです。

 His is the journey to accomplishment, and the goal he sets before you he will give you.
 聖霊の導きは完成のための旅路です。そして、聖霊があなたの前に掲げる目標を、聖霊はあなたに与えてくれるでしょう。

 For he will never deceive God's Son whom he loves with the Love of the Father.
 というのは、聖霊は、父の大いなる愛をもって自らが愛する神の子を絶対に欺くことがないからです。

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5. You will undertake a journey because you are not at home in this world.
 この世界ではあなたはわが家にいる気がしないので、きっとあなたは旅立つことになるでしょう。

 And you will search for your home whether you realize where it is or not.
 だから、あなたは自分の家がどこにあるのかよくわからなくても、わが家を探し求めようとするはずです。

 If you believe it is outside you the search will be futile, for you will be seeking it where it is not.
 もしあなたがその家は自分の外側にあると信じるなら、その探求は徒労に終わるでしょう。というのも、あなたはその家が存在しない場所でそれを探すことになるからです。

 You do not remember how to look within for you do not believe your home is there.
 あなたはどうやって自分の内側を見たらよいのか、覚えていません。というのも、あなたはわが家が自分の中にあると信じていないからです。

 Yet the Holy Spirit remembers it for you, and he will guide you to your home because that is his mission.
 しかし、聖霊があなたの代わりにあなたの家を覚えてくれているので、聖霊があなたをわが家へと案内してくれるでしょう。なぜなら、あなたを連れ帰ることが聖霊の使命だからです。

 As he fulfills his mission he will teach you yours, for your mission is the same as his.
 聖霊は自らの使命を果たすことで、あなたの使命をあなたに教えてくれるでしょう。というのも、あなたの使命は聖霊の使命と同じものだからです。

 By guiding your brothers home you are but following him.
 あなたの兄弟たちを家へと導くことによって、あなたはただ聖霊のあとに続くことになるのです。



6. Behold the Guide your Father gave you, that you might learn you have eternal life.
 あなたの大いなる父があなたに与えてくれた偉大な案内役をよく見てください。そうすれば、あなたも自分が永遠の生命を持っているとわかるでしょう。

 For death is not your Father's Will nor yours, and whatever is true is the Will of the Father.
 なぜなら、死はあなたの父の大いなる意志ではないし、あなたの意志でもないからです。そして、何であれ真実であるものは父の大いなる意志です。

 You pay no price for life for that was given you, but you do pay a price for death, and a very heavy one.
 生命を得るために、あなたはいかなる代償も支払うことはありません。なぜなら、生命はすでにあなたに授けられているものだからです。しかし、死に対しては、あなたが代償を支払うのは確かであり、それもきわめて重い代償を支払うことになります。

 If death is your treasure, you will sell everything else to purchase it.
 もし死を自分の宝とするなら、あなたはほかのすべてを売り払ってでも死を購おうとするでしょう。

 And you will believe that you have purchased it, because you have sold everything else.
 そして、あなたは、自分はほかのものはひとつ残らず売り払ったのだから、自分は死を買い取ったものと信じるようになります。

 Yet you cannot sell the Kingdom of Heaven.
 しかし、あなたには天の王国を売り払うことなどできません。

 Your inheritance can neither be bought nor sold.
 あなたが継承したものは買うことも売ることもできないものだからです。

 There can be no disinherited parts of the Sonship, for God is whole and all his extensions are like him.
 神の子全体には相続権を奪われた部分などありえません。なぜなら、神は全体であり、神の拡張したものはすべて神と同じものだからです。

名称未設定

7. The Atonement is not the price of your wholeness, but it is the price of your awareness of your wholeness.
 贖罪は、あなたが完全になるための代価ではありません。そうではなくて、贖罪は、あなたが完全であることにあなたが気づくための代価なのです。

 For what you chose to "sell" had to be kept for you, since you could not "buy" it back.
 なぜなら、あなたが「売り渡す」ことを選んだものは、それをあなたが「買い」戻すことができなかったので、あなたのために取っておいてもらう必要があったからです。

 Yet you must invest in it, not with money but with spirit.
 しかし、贖罪のためには、あなたは自分が売り渡すことを選んだものに、お金ではなく、霊をもって投資しなければなりません。

 For spirit is will, and will is the "price" of the Kingdom.
 なぜなら、霊は意志であり、意志こそが王国の「代価」だからです。

 Your inheritance awaits only the recognition that you have been redeemed.
 あなたが神から受け継いだものは、自分がすでに救われていることにあなたが気づくことだけを待ち望んでいます。

 The Holy Spirit guides you into life eternal, but you must relinquish your investment in death, or you will not see life though it is all around you.
 聖霊はあなたを永遠の生命へと導いてはくれます。しかし、あなたは自分が注ぎこんできた死への投資を手放さなければなりません。そうしないと、あなたの周りの至るところに生命が満ち溢れているにもかかわらず、あなたには生命が見えなくなってしまうからです。


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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
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