T3-2 正しい知覚による奇跡
Miracles happen everyday, change your perception of what a miracle is and you’ll see them all around you.
奇跡は毎日起こっている。君が奇跡とは何かという捉え方を変えれば、君は自分が奇跡に取り囲まれているとわかるだろう。

Jon Bon Jovi
ジョン・ボン・ジョビ
The invariable mark of wisdom is to see the miraculous in the common.
変わることのない英知の印は、平凡なことの中に奇跡を見ることだ。

Ralph Waldo Emerson
ラルフ・ウォルドー・エマソン
質問者 正しいマインドの使い方とは何でしょうか?
マハラジ 恐れと強欲がマインドの誤用の原因だ。正しいマインドの使い方とは愛、生命、真実、そして美への奉仕にある。
質問者 言うは易く、行うは難しです。真実の愛、人間への愛、善意の愛――なんというぜいたくでしょう。世界を正すには、それらが山ほど必要です。でも誰が与えるというのでしょうか?
マハラジ あなたは真実と愛、知性と善意をどこかほかのところに永遠に探し求め、神や人に嘆願することもできるが、すべては無駄なことだ。あなたはあなた自身なのだから、あなた自身とともにはじめなければならない。これが容赦ない法則なのだ。顔を変えることなく、イメージを変えることはできない。あなたの世界はあなた自身の反映だということを、まず悟りなさい。そして反映のあら探しをするのはやめなさい。あなた自身に注意を払い、精神的にも感情的にもあなた自身を正しなさい。身体は自動的に、それにしたがうだろう。あなたは経済的、社会的、政治的改善に関して多くを語る。改善と改善者であるマインドは放っておくがいい。愚かで強欲で、冷酷な人にどんな世界がつくり出せるというのだろうか?
質問者 もし私たちがハートを変えるのを待たねばならないのなら、私たちは際限なく待たなければならないでしょう。あなたの助言は完全性への助言です。それはまた絶望への助言でもあるのです。すべてが完全なとき、世界も完全となる。何と役に立たない決まり文句でしょう!
マハラジ 私はそうは言っていない。私はただ、あなた自身を変えずに、世界は変えられないと言ったのだ。私は、すべての人を変える前にとは言っていない。他者を変えることは不必要だし、不可能だ。だが、もしあなたが自身を変えたなら、ほかの誰も変える必要はないとわかるだろう。画像を変えるにはただフィルムを変えるだけだ。あなたは映画館のスクリーンを攻撃したりはしない。
質問者 どうしてそんなに自分に確信がもてるのですか?あなたが話していることが正しいと、どうやって知るのですか?
マハラジ 私は私自身に確信があるのではない。私はあなたに確信があるのだ。あなたに必要なことは、内側でしか見つからないものを外側に探そうとするのをやめることだけだ。行動する前に、あなたの視点を正しなさい。あなたは深刻な誤解に苦しんでいる。あなたのマインドを澄ませ、ハートを浄め、生を神聖なものにしなさい。これがあなたの世界をもっとも速く変える道だ。

ニサルガダッタ・マハラジ(「アイ・アム・ザット 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話」146ページ)

テキストから正しい知覚としての奇跡という一節をご紹介します。
奇跡ってなに?が参考になると思います。
奇跡は正しい知覚によって起こる
タイトルの通り、奇跡は、間違った知覚が修正されて正しく知覚することで起こる認識の変化であると捉えることができます。
「6. The way to correct distortions is to withdraw your faith in them and invest it only in what is true.
歪みを修正する方法は、あなたが虚構を信じるのをやめて、真実であるものだけを信じるようにすることです。
You cannot make untruth true.
あなたには、虚偽を真実に変えることはできないからです。
If you are willing to accept what is true in everything you perceive, you let it be true for you.
もしあなたが自分の知覚するあらゆるものの中に、真実だけを受け入れる意欲を持つなら、あなたは自分の知覚するすべてものを自分にとっての真実にすることになります。
Truth overcomes all error, and those who live in error and emptiness can never find lasting solace.
真理はすべての誤りに打ち勝ちます。しかし、誤りと虚妄の中に生きる者たちは、決して永続する慰めを見出すことはできません。
If you perceive truly you are canceling out misperceptions in yourself and in others simultaneously.
もしあなたが正しく知覚するなら、あなたは自分自身とほかの者たちの中の誤った知覚を同時に取り消すことになります。
Because you see them as they are, you offer them your acceptance of their truth so they can accept it for themselves.
あなたはほかの者たちをあるがままに見るので、あなたは彼らに対して、あなたが受け入れた彼らの真の姿を差し延べることになります。そうすれば、彼らも自分自身で本当の自分を受け入れられるようになります。
This is the healing that the miracle induces.
これこそが、奇跡が引き起こす癒しです。」

私たち人間自体が虚構を信じるために作り出された虚構の仕組みであるなら、人間の知覚器官に頼っているかぎり虚構から脱することはできない
世界から教え込まれた価値観を維持したまま、虚構を見るために作られた知覚器官に頼っているかぎり、虚構を信じるのをやめて真実だけを信じるということは、いつまで経ってもできません。
しかし、コースを学ぶ私たちには、虚構と真実を区別することを学ぶことができます。
私たちの信じる虚構の中でも、自分自身に関する偽りが一番厄介です。
自分の目にする世界が幻想かもしれないということは、VR等からのアナロジーで、もしかしたらそうなのかもしれないと思うことはさして困難なことではありません。
けれど、人間であるつもりの自分が実在しないということ、そして、本当の自分は神の子だということだけは、誰もがそう容易に受け入れられることではありません。
さらに、他者が自分と分離した存在だというのが錯覚で、自分から切り離された他者だと思っているほかの人間の中にも、同じ仕組みでその人間になりきっている本当の自分がいるなんていうこととなると、とうてい信じられることではありません。
しかし、他者が本当は自分だというのが自分と他者についての真実です。
聖霊の3大レッスン
このことは、自分への他者の攻撃は、愛を求める哀訴であり、それに返すべきリアクションは、防衛としての反撃ではなく愛に基づく助けであり、自分が傷ついたことを示して罪悪感を抱かせようとするのではなく、自分が微塵も傷ついてはいないことを示して彼に罪がないことを理解させることであり、自分を怒らせるように思える他者は、それに攻撃ではなく赦しで対応することで他者と自分を一緒に解放する機会を与えてくれる救い主であるというのが本当のところであるという聖霊の教えによって実践的に理解するべき課題です。
ヨハネの第一の手紙の第3章2節
5.の聖書の引用句"When he shall appear (or be perceived) we shall be like him, for we shall see him as he is. "は、ヨハネの第一の手紙の第3章2節(1 John 3)です。
「3:2 Beloved, now are we the sons of God, and it doth not yet appear what we shall be: but we know that, when he shall appear, we shall be like him; for we shall see him as he is.
愛すべき者よ、今、私たちは神の子供たちではあっても、まだ私たちがどのようなものになるかは明らかになってはいません。しかし、私たちには、彼が姿を現すとき、私たちは彼と同じものとなるはずだとわかります。というのも、私たちは彼をありのままに見ることになるからです。」
「人の子」、アバターが自分だと信じている私たちは、エゴ・身体と一体化しているので、正しい知覚(本当の自分はアバターではなく神の子だという真実を知覚すること)は自分を消滅させる攻撃であると解釈して、防衛として知覚を歪めたまま(自分は本当に人間だと思わせたまま)にしようとします。
しかし、分離幻想による罪の意識を免れて真に潔白になってエゴの支配を脱した魂・閃光は、エゴ・身体を守ろうとするのではなく、本当の自分についての正しい知覚のほうを守ろうとします。
したがって、正しい知覚によって神の子キリストを知覚するとき、私たちは本当の自分を見ることになるので、キリストと同じものとなります。

テキスト 第三章
II. Miracles as True Perception
二 正しい知覚としての奇跡
1. I have stated that the basic concepts referred to in this course are not matters of degree.
私は、このコースで言及する基本的な概念には、度合いは問題にならないと述べてきました。
Certain fundamental concepts cannot be understood in terms of opposites.
根本的な概念のいくつかは、対立の観点から見ていたのでは理解できません。
It is impossible to conceive of light and darkness or everything and nothing as joint possibilities.
光と闇、または、有と無とを結びつきうるものとして心に思い描こうとしても、そんなことは不可能だからです。
They are all true or all false.
すなわち、それらは全部が真実であるか、それとも全部が偽りであるか、そのいずれかだからです。
It is essential that you realize your thinking will be erratic until a firm commitment to one or the other is made.
有である光か無である闇のいずれかに全身全霊を傾けて断固として関わらないかぎり、自分の思考は不安定なままだということをあなたが理解しておくことはきわめて重要です。
A firm commitment to darkness or nothingness, however, is impossible.
とはいえ、闇、つまり無にのみ完全に身を置くことは不可能です。
No one has ever lived who has not experienced some light and some thing.
というのも、いまだかつて、誰ひとりとして、何らかの光や何らかの物事をほんの少しも経験したことがない者が生きたためしなどないからです。
No one, therefore, is able to deny truth totally, even if he thinks he can.
したがって、たとえ自分にはそれができると思ったとしても、真理を全面的に否定することは誰にもできないのです。
2. Innocence is not a partial attribute.
潔白さは部分的な属性ではありません。
It is not real until it is total.
潔白さは、全体的な属性とならないかぎり、本物とはいえません。
The partly innocent are apt to be quite foolish at times.
部分的な潔白さというものは、ともすれば、ときにまったく馬鹿げたことになってしまうものです。
It is not until their innocence becomes a viewpoint with universal application that it becomes wisdom.
潔白さの無垢な目が物事を見るに際して用いられる普遍的な視点となったときにはじめて、潔白さは英知となります。
Innocent or true perception means that you never misperceive and always see truly.
潔白な正しい知覚とは、あなたが決して誤って知覚することなく、つねに正しく見ることを意味します。
More simply, it means that you never see what does not exist, and always see what does.
よりシンプルに言うなら、潔白な正しい知覚が意味するのは、あなたは決して存在しないものを見ることなく、存在するものだけをつねに見るようになるということです。

3. When you lack confidence in what someone will do, you are attesting to your belief that he is not in his right mind.
あなたが誰かのしようとすることを信頼できないとき、あなたはその人が正気ではないと自分が信じていることを証明しているのです。
This is hardly a miracle-based frame of reference.
他者の正気を疑って他者のなすことを信頼しないことは、奇跡に基盤を置いた判断の基準とは程遠いものです。
It also has the disastrous effect of denying the power of the miracle.
また、この信頼の欠如には、奇跡の持つ力を否定する破壊的な作用があります。
The miracle perceives everything as it is.
奇跡は、あらゆるものをありのままに知覚します。
If nothing but the truth exists, right-minded seeing cannot see anything but perfection.
もし真理以外には何も存在しないのであれば、正しい心の状態で見るかぎり、物事が完璧である状態しか見えないはずです。
I have said that only what God creates or what you create with the same will has any real existence.
私が述べたように、いやしくも真に存在するといえるのは、ただ神が創造するもの、すなわち、神と同じ意志であなたが創造するものだけです。
This, then, is all the innocent can see.
したがって、潔白な者に見えるのは、神と同じ意志であなたが創造するものだけです。
They do not suffer from distorted perception.
潔白な者たちは、歪んだ知覚に煩わされることはないのです。
4. You are afraid of God's will because you have used your own mind, which He created in the likeness of His Own, to miscreate.
あなたは神の意志を恐れています。それはあなたが、神が自身の大いなる心と同じものとして創造したあなた自身の心を誤って創造するために使ってきたからです。
The mind can miscreate only when it believes it is not free.
心が誤って創造できるのは、自らが自由ではないと心が信じる場合だけです。
An "imprisoned" mind is not free because it is possessed, or held back, by itself.
「幽閉された」心は、自分自身の狂気に支配され抑圧されているので、自由ではありません。
It is therefore limited, and the will is not free to assert itself.
したがって、幽閉された心は制限されているし、その意志は自らを自由に表現することができません。
To be one is to be of one mind or will.
ひとつになることは、ひとつの心になること、つまり、ひとつの意志を持つことです。
When the will of the Sonship and the Father are One, their perfect accord is Heaven.
神の子全体と父の意志がひとつになって、両者が完全に一致することこそが天国です。

5. Nothing can prevail against a Son of God who commends his spirit into the Hands of his Father.
自らの霊を父の大いなる手に委ねる神の子に優るものなど何もありません。
By doing this the mind awakens from its sleep and remembers its Creator.
自らの霊を父に委ねることによって、心はその眠りから目覚め、自らの大いなる創造主を思い出します。
All sense of separation disappears.
そうなれば、すべての分離の感覚は消失します。
The Son of God is part of the Holy Trinity, but the Trinity Itself is One.
神の子は聖なる三位一体の一部ですが、三位一体そのものはひとつです。
There is no confusion within Its Levels, because They are of one Mind and one will.
三位一体の三つのレベルの間には何の混乱もありません。なぜなら、三位一体はひとつの大いなる心とひとつの意志に属するものだからです。
This single purpose creates perfect integration and establishes the peace of God.
このただひとつの目的が完全なる統合を創造し、神の平安を確立します。
Yet this vision can be perceived only by the truly innocent.
けれども、このヴィジョンは、真に潔白な者によってのみ知覚されうるものです。
Because their hearts are pure, the innocent defend true perception instead of defending themselves against it.
潔白な者たちの心は清らかなので、彼らは正しい知覚に対抗して自分たち自身を守ろうとするのではなく、正しい知覚を守ります。
Understanding the lesson of the Atonement they are without the wish to attack, and therefore they see truly.
彼らは贖罪の教えを理解しているので攻撃したいと願うことはなく、それゆえに、彼らは正しく見ることになります。
This is what the Bible means when it says, "When he shall appear (or be perceived) we shall be like him, for we shall see him as he is. "
これこそ聖書が「彼が姿を現すとき(つまり、知覚されるとき)、私たちは彼と同じものとなるであろう。なぜなら、私たちは彼をあるがままに見るだろうから。」との言葉で言わんとすることです。
6. The way to correct distortions is to withdraw your faith in them and invest it only in what is true.
歪曲を修正する方法は、あなたが歪曲を信じるのをやめて、真実であるものだけを信じるようにすることです。
You cannot make untruth true.
あなたには、虚偽を真実に変えることはできないからです。
If you are willing to accept what is true in everything you perceive, you let it be true for you.
もしあなたが自分の知覚するあらゆるものの中に、真実だけを受け入れる意欲を持つなら、あなたは自分の知覚するすべてものを自分にとっての真実にすることになります。
Truth overcomes all error, and those who live in error and emptiness can never find lasting solace.
真理はすべての誤りに打ち勝ちます。しかし、誤りと虚妄の中に生きる者たちは、決して永続する慰めを見出すことはできません。
If you perceive truly you are canceling out misperceptions in yourself and in others simultaneously.
もしあなたが正しく知覚するなら、あなたは自分自身とほかの者たちの中の誤った知覚を同時に取り消すことになります。
Because you see them as they are, you offer them your acceptance of their truth so they can accept it for themselves.
あなたはほかの者たちをあるがままに見るので、あなたは彼らに対して、あなたが受け入れた彼らの真の姿を差し延べることになります。そうすれば、彼らも自分自身で本当の自分を受け入れられるようになります。
This is the healing that the miracle induces.
これこそが、奇跡が引き起こす癒しです。


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