T30-4 幻影の向こう側にある真実
We live in a fantasy world, a world of illusion.
私たちは空想の世界、つまり幻想の世界に住んでいる。
The great task in life is to find reality.
人生における偉大な任務は現実を見つけることだ。

Iris Murdoch
アイリス・マードック

今回は、テキスト30章から、第4節幻影の向こう側にある真実をご紹介します。
神の法則
反キリスト
すでに到達している目的地への旅
が参考になると思います。
偶像が必ず堕ちて裏切られる仕組み
すべての偶像、幻想は、自分自身と真理との間、自分と兄弟たちとの間に生じたと思っている隙間(これは実際には存在しないもの)を埋めようとして作った間違った想念です。
そして、この存在しない隙間の間にたくさんの偶像が置かれて埋め尽くされています。
この偶像は、子供のおもちゃのようなもので、自分勝手にそのおもちゃはこのようなものだと決めつけてルールを作り、このルールによって、自分の安全が保たれると期待しますが、偶像自体、そもそも真理を攻撃することなどできないという事実を忘れるために作り出したものであって、それぞれに分裂して矛盾する攻撃の想念でしかないので、個々の偶像に勝手に押しつけたルールの通りにそれらの偶像が従うとはかぎりません。
個別の自己である私たちは、期待どおりに偶像が願望を満たしてくれないと、自分たちの安全を守るために決めた常識や法律といったルールのとおりに物事が運ばないといって、予想外の動きを見せるおもちゃに驚いて駄々をこねる子供のように恐怖を覚えヒステリーを起こし、不平不満を抱いて非難し攻撃します。
一人相撲していたことに気づく
しかし、子供でも、自分が勝手に思いこんで決めつけていたことが間違いだったとわかれば、びっくりおもちゃの反応を笑って楽しめるようになります。
自然科学の帰納的な法則であれ、それらから打ち立てた仮説であるとか、法律のように演繹的に世界をコントロールするために作り出して用いる法規であれ、この世界で私たちが見出したり作り出したりして用いている法則はすべて、この子供が自分勝手にこのぬいぐるみは音を立てたり動き出したりしないと決めつけているマイルールと同じものでしかなく、永遠不変の原理原則ではなく、お約束を守ろうとする気のある者を縛ることしかできず、神の現実はもちろん、幻想世界、偶像をコントロールする力もないということです。
天国=神の現実は空想の幻想世界とは別次元の「現実」なので、空想世界のルールが現実世界に通用するはずがありません。
幻想世界の中でも、その世界で設定されるルールは、ルールの制定者が自分がそのルールに従うことに同意しているかぎりにおいて効力を持つだけで、制定者の意志を超えるものではないので、実は、単なるお約束でしかなく、世界自体も、世界の中の偶像も支配する力はありません。
そして、幻想世界を作り出した神の子は自らを細分化させて分離を前提に個別の利害を持つ「自分たち」の利害調整を図りながら夢の世界を運営することを強いられているので、自ら制定した諸ルール同士の衝突や破綻は不可避です。
だから、ひとり決めしたルールに頼っているかぎり、いつか偶像は堕ち、期待を裏切られ、恐怖に怯えることになってしまいます。

偶像崇拝から脱する方法
「Reality observes the laws of God, and not the rules you set.
実在は神の法に従うのであって、あなたの決める規則を守るのではありません。
It is His laws that guarantee your safety.
あなたの安全を保証してくれるのは、神の法です。
All illusions that you believe about yourself obey no laws.
あなたが自分自身について信じている幻想はすべて、いかなる法則にも従いません。
They seem to dance a little while, according to the rules you set for them.
それらの幻想は、あなたが幻想のために決めた規則に従ってしばらくの間は踊っているようには見えます。
But then they fall and cannot rise again.
しかし、それから、幻想は倒れて、二度と起き上がることはできません。」
そして、この節でお勧めしているのは、
「But you will understand that mighty changes have been quickly brought about, when you decide one very simple thing; you do not want whatever you believe an idol gives.
とはいえ、何であれ、偶像が与えてくれると自分が信じているものをもう望まないというただひとつのとても簡単な決心をしさえすれば、力強い変化が素早くもたらされたことがよくわかるでしょう。
For thus the Son of God declares that he is free of idols.
というのは、こうすることで、神の子は、自分が偶像から解放されていることを宣言することになるからです。」
ということです。
すべてが偶像となることを忘れない
偶像としてイメージするものは、人によってさまざまかもしれませんが、この世界で私たちが価値を置くものはすべて偶像です。
風水グッズであれ、仕事であれ、資産であれ、子供であれ、宗教であれ、車であれ、パソコンであれ、自分の身体であれ、自分や他人の経歴や肩書であれ、地球や宇宙であれ、すべてが偶像となりえます。
そして、奇跡のコースだって、エゴが自分勝手に押しつけた期待(覚醒であるとか人間的・霊的な成長とか)によって偶像となります。
「偶像が与えてくれると自分が信じるものをもう望まない」というのは、その偶像に自分が押しつけた決まり、つまり、偶像が満たしてくれると期待して信じている欲望が偶像によって満たされることはないと気づくことです。
とはいえ、私たちは、世知辛い世の中で、自分や家族の安全の保障がほしいし、苦痛より快楽を味わいたいと思いますし、豪邸や高級車や高価な宝石はこれらの願望を満たしてくれると期待します。
もちろん、それらを手に入れた当初は、その期待は全うされたように感じるに違いありません。
でも、業者の手抜き工事で、豪邸は修理で費用ばかりかさんだり、震災で簡単に倒壊してしまうかもしれません。
高級車を飛ばしていて、人をはねて大変な事故を起こしてしまうかもしれません。
宝石をよく見てみると、気がつかなかった傷があるのに気づいて、販売店に交換を求めても、誠意を持った対応をしてもらえず、決着するまで、傷物をつかまされたという意識で愛着も持てず、悶々とした日々を過ごす羽目になるかもしれません。
これらは、この節で、熊のぬいぐるみが突然キーキー音を立てはじめるなど思ってもみなかった子供が驚いて恐怖に怯えるのと同じようなものです。
駄々っ子が「思ってたのと違う!」と言って、癇癪を起こすように、私たちも、期待を裏切った家や車や宝石を恨みに思いますが、実際のところ、家や車や宝石が何か悪さをしたわけではなく、単に私たちがひとり決めして押しつけていたルールが間違っていただけだったということになります。
利益を与えてくれる偶像も必ず力を奪って奴隷化する
この幻想世界の中にあるあらゆる物事にこの理屈があてはまります。
中には、自分の押しつけたルールの通りにうまく働いてくれるように見える偶像もあるでしょう。
それはそれでお気に入りのハッピーエンドの映画を見るようなもので、悪くはないでしょう。
ただし、よい働きをする偶像があると信じることは、偶像自体に力を与えて渡す、つまり、自分を無力にすることでもあります。
ですから、必ず、偶像が堕ちるときがやってくるもので、その偶像やほかの偶像がその後も、期待に答え続けられないかぎりは、偶像に頼るスタンスができて、無力につぎに頼る当てを捜す自分が残されることになります。
風水や健康食品や通販グッズにはまり始めて、それらの関連商品で溢れかえって足の踏み場もなく身動きが取れない状態になっている部屋を思い浮かべてみてください。
いまやその人は、よかれと思って使いはじめた道具によって支配され、道具の奴隷に成り下がってしまっています。
本来の自分である大いなる自己が無限の豊かさに満ちあふれた存在であるとすれば、小さな自己が無限の中の一部を切り取って自分の陣地だと主張して、その回りに無意味なガラクタにすぎない偶像を積み上げて、そんな偶像が自分に安心や豊かさをもたらしてくれると期待しているという様は滑稽で哀れさすら漂います。
偶像への隷属から逃れる
自分で積み上げた偶像の山によってせき止められている無限の豊穣さが流れこんでくるには、実は、偶像を信じるのをやめて、自分から幻想に渡していた力を取り戻すだけで十分なのでしょう。
6.「But you will understand that mighty changes have been quickly brought about, when you decide one very simple thing; you do not want whatever you believe an idol gives.
とはいえ、たったひとつのとても簡単な決心をしさえすれば、すぐさま力強い変化がもたらされたことがあなたにもよくわかるはずです。その決心とは、何であれ偶像が与えてくれると自分が信じているものを、もう望まないと決めることです。」
最も気づかれないところに隠れているラスボス
もっとも、最大のパラドックスは、偶像に与えた力を取り戻して恩恵に浴したいという願望を抱いている主体である私たちエゴ・身体というアバターそのものが実は偶像だということです。
「7. Salvation is a paradox indeed!
救済とは、本当に逆説的なものです。」
各記事のこのエッセイ部分では、たびたび私たちが自分だと思っている人間は、小説や映画の主人公と同じくらい架空の存在だということを繰り返しています。
とても奇異な指摘として響くのは承知の上ですが、もっとも自覚しにくい偶像は私たちが自分だと思っている人間であり、通常、あなたは本当は実在しない架空のキャラクターなんですよ、などという指摘は誰もしてくれないので、私たちは、いつまで経っても、他者は実在しないかもしれないとしても自分だけは絶対に実在する本物だと信じながら、地球に取り憑いた地縛霊のように、輪廻転生を繰り返すことになります。
「自分はいない」なんて、過激すぎてとても受け入れがたい指摘でしょうが、生きているうちにこの真実を受け入れて成仏したほうが身のため(本当の自分である神の子のため)です。
7.「And you are asked to let yourself be free of all the dreams of what you never were, and seek no more to substitute the strength of idle wishes for the Will of God.
つまり、あなたは、あなたが決してそうであったためしのない存在になっている夢の数々から自分自身を解放し、そして、もうこれ以上、空疎な願望の力を神の大いなる意志の代わりにしないようにと求められているのです。」

テキスト第三十章
IV. The Truth behind Illusions
四 幻想の背後にある真理
1. You will attack what does not satisfy, and thus you will not see you made it up.
あなたは自分を満足させてくれないものを攻撃しようとします。そのせいで、あなたには、自分がそれを作りあげたことがわからなくなってしまいます。
You always fight illusions.
あなたはつねに幻想と戦っているのです。
For the truth behind them is so lovely and so still in loving gentleness, were you aware of it you would forget defensiveness entirely, and rush to its embrace.
というのも、そのような幻想の背後にある真理は、あまりに美しく、本当に愛に満ち溢れた優しさの中にじっと静かに佇んでいるので、もしあなたが真理に気づいたなら、あなたは身を守ることなど完全に忘れて、真理の抱擁の中へと駆け寄るに違いないからです。
The truth could never be attacked.
真理が攻撃されることは決してありえません。
And this you knew when you made idols.
あなたが偶像を作り出したとき、あなたは真理を攻撃できないことを知っていました。
They were made that this might be forgotten.
偶像が作り出されたのは、真理が不壊なるものだということを忘れられるようにするためだったのです。
You attack but false ideas, and never truthful ones.
あなたが攻撃しているのは偽りの想念だけであって、決して真実の想念ではありません。
All idols are the false ideas you made to fill the gap you think arose between yourself and what is true.
すべての偶像は、自分自身と真実であるものとの間に生じたとあなたが思っている隙間を埋めようとしてあなたが作り出した偽りの想念です。
And you attack them for the things you think they represent.
そして、あなたは、それらの偶像が象徴していると思うことのゆえに、偶像を攻撃します。
What lies beyond them cannot be attacked.
しかし、偶像の向こう側にある真理を攻撃することはできません。
2. The wearying, dissatisfying gods you made are blown-up children's toys.
あなたが作り出したうんざりするほど退屈で満足のいかないエゴの神々は、子供のおもちゃがものものしく見られているだけのものです。
A child is frightened when a wooden head springs up as a closed box is opened suddenly, or when a soft and silent woolly bear begins to squeak as he takes hold of it.
閉じていた箱を開くと突然、中から木でできた頭が飛び出してきたり、静かなはずのふわふわした熊の縫いぐるみを手に持ったとたんにそれがキーキーと音を出しはじめたりしたら、子供はびっくりして怖がります。
The rules he made for boxes and for bears have failed him, and have broken his "control" of what surrounds him.
その子が箱や熊に関して作っていたルールが彼の期待を裏切って、自分の周囲の環境に対するその子の「支配」が破綻してしまったからです。
And he is afraid, because he thought the rules protected him.
そして、その子は、自分の作ったルールが自分を守ってくれるものと思っていたので、怖がっているのです。
Now must he learn the boxes and the bears did not deceive him, broke no rules, nor mean his world is made chaotic and unsafe.
今、その子が学ばなければならないのは、箱や熊が自分を騙したわけではなく、箱や熊がどんなルールを破ったわけでも、彼の世界が混沌として危険な場所に変えられてしまったわけでもないということです。
He was mistaken.
その子のほうが間違っていたのです。
He misunderstood what made him safe, and thought that it had left.
その子は何が自分を安全にしてくれるのか誤解していたので、自分の安全が去ってしまったと思ったのです。

3. The gap that is not there is filled with toys in countless forms.
そこに存在していない隙間は、無数のさまざまな形をしたおもちゃで溢れ返っています。
And each one seems to break the rules you set for it.
そして、その一つひとつが、あなたがそれらのおもちゃのために定めたルールを破っているように思えます。
It never was the thing you thought.
どのおもちゃもまったくあなたが思った通りのものではありませんでした。
It must appear to break your rules for safety, since the rules were wrong.
きっとどのおもちゃも、安全のためにあなたが決めたルールを破っているように見えるはずです。というのも、そのルールそのものが間違っていたからです。
But you are not endangered.
それでも、あなたは危険にさらされてなどいません。
You can laugh at popping heads and squeaking toys, as does the child who learns they are no threat to him.
飛び出す頭やキーキー音を立てるおもちゃが自分を脅かすものではないとわかるようになった子供がおもちゃを笑うように、あなたもそんなおもちゃを笑い飛ばせるはずです。
Yet while he likes to play with them, he still perceives them as obeying rules he made for his enjoyment.
しかし、その子がそれらのおもちゃと遊びたがっている間は、その子は依然として、おもちゃは自分が楽しむために作ったルールに従うものと知覚します。
So there still are rules that they can seem to break and frighten him.
したがって、いまだにおもちゃが破ることができて、子供を怖がらせることができるように見えるルールがあることになります。
Yet is he at the mercy of his toys?
だからといって、その子の安否は彼のおもちゃ次第だといえるでしょうか。
And can they represent a threat to him?
また、そんなおもちゃがその子にとって脅威を意味するといえるでしょうか。
4. Reality observes the laws of God, and not the rules you set.
現実は神の法に従うのであって、あなたが定めるルールに縛られるわけではありません。
It is His laws that guarantee your safety.
あなたの安全を保障するのは、神の法です。
All illusions that you believe about yourself obey no laws.
あなたが自分自身について信じている幻想はすべて、いかなる法則にも従いません。
They seem to dance a little while, according to the rules you set for them.
それらの幻想は、あなたが幻想のために決めたルールに従ってしばらくの間は踊っているように見えます。
But then they fall and cannot rise again.
しかし、そのあとで、幻想は倒れて二度と起き上がれなくなります。
They are but toys, my child, so do not grieve for them.
わが子よ、そんな幻想はおもちゃにすぎないのだから、そんなもののために嘆き悲しむことはありません。
Their dancing never brought you joy.
幻想の踊りがあなたに喜びをもたらしたことなど一度もないのです。
But neither were they things to frighten you, nor make you safe if they obeyed your rules.
しかし、幻想はあなたを怖がらせるようなものではなかったし、仮に幻想があなたのルールに従ったからといって、あなたを安全にしてくれもしません。
They must be neither cherished nor attacked, but merely looked upon as children's toys without a single meaning of their own.
幻想など大切にする必要もなければ、攻撃する必要もありません。ただ単にそれ自体ではまったく無意味な子供のおもちゃだとみなせば十分です。
See one in them and you will see them all.
幻想の中にひとつでも意味を見出すなら、あなたはすべての幻想を見るでしょう。
See none in them and they will touch you not.
幻想の中に何の意味も見なければ、いかなる幻想もあなたに触れられなくなるでしょう。

5. Appearances deceive because they are appearances and not reality.
外観が欺くのは、それらが見せかけだけで現実ではないからです。
Dwell not on them in any form.
いかなる形であれ、外観に捉われてはなりません。
They but obscure reality, and they bring fear because they hide the truth.
外観は現実を不明瞭にするだけです。そして、外観が恐怖をもたらすのは、外観が真理を隠しているからです。
Do not attack what you have made to let you be deceived, for thus you prove that you have been deceived.
自分を欺くために自分で作ったものを攻撃してはなりません。というのも、攻撃しないことで、あなたは自分が騙されていたことを証明できるからです。
Attack has power to make illusions real.
攻撃には幻想を真に迫ったものにする力があります。
Yet what it makes is nothing.
それでも、攻撃が作り出すものは無です。
Who could be made fearful by a power that can have no real effects at all?
まったく何の現実的な影響も及ぼせないような力を、いったい誰が恐れることができるでしょうか。
What could it be but an illusion, making things appear like to itself?
そんな力は、物事をその見かけどおりのものに見せかけるひとつの幻想でしかありません。
Look calmly at its toys, and understand that they are idols which but dance to vain desires.
そのおもちゃを静かに見つめて、それは空疎な欲望に向けて踊るだけの偶像なのだと理解してください。
Give them not your worship, for they are not there.
そんな偶像を崇拝してはなりません。それらの偶像はそこには存在しないからです。
Yet this is equally forgotten in attack.
しかし、攻撃するときには、そこに偶像が存在しないことも、同様に忘れられています。
God's Son needs no defense against his dreams.
神の子は自分の夢に対抗して防衛する必要はありません。
His idols do not threaten him at all.
彼の偶像は彼をまったく脅かしてなどいないからです。
His one mistake is that he thinks them real.
彼の唯一の間違いは、彼がそれらの偶像が実在すると思っていることです。
What can the power of illusions do?
幻にすぎない力に、いったい何ができるというのでしょうか。
6. Appearances can but deceive the mind that wants to be deceived.
外観には、騙されることを望む心しか欺くことができません。
And you can make a simple choice that will forever place you far beyond deception.
だから、あなたは簡単な選択をすることで、自分を永遠に欺瞞のはるかに及ばないところに置くことができます。
You need not concern yourself with how this will be done, for this you cannot understand.
どうすればこれが達成できるのか、あなたが心配するには及びません。というのも、これはあなたには理解できないことだからです。
But you will understand that mighty changes have been quickly brought about, when you decide one very simple thing; you do not want whatever you believe an idol gives.
とはいえ、たったひとつのとても簡単な決心をしさえすれば、すぐさま力強い変化がもたらされたことがあなたにもよくわかるはずです。その決心とは、何であれ偶像が与えてくれると自分が信じているものを、もう望まないと決めることです。
For thus the Son of God declares that he is free of idols.
というのは、こうすることで、神の子は自分が偶像から解放されていると宣言することになるからです。
And thus is he free.
こうして、神の子は真に自由になるのです。

7. Salvation is a paradox indeed!
救済とは、本当に逆説的なものです。
What could it be except a happy dream?
救済は、幸せな夢にほかなりません。
It asks you but that you forgive all things that no one ever did; to overlook what is not there, and not to look upon the unreal as reality.
救済があなたに求めるのは、ただ単に、今まで誰もなしてなどいなかったことすべてを赦し、そこに存在しないものを看過して、想像上のものを現実だとみなすのをやめることだけです。
You are but asked to let your will be done, and seek no longer for the things you do not want.
あなたはただ、自らの意志が行われるようにして、それ以上自分が望んでもいないことを探し求めないようにすることを求められているだけです。
And you are asked to let yourself be free of all the dreams of what you never were, and seek no more to substitute the strength of idle wishes for the Will of God.
つまり、あなたは、あなたが決してそうであったためしのない存在になっている夢の数々から自分自身を解放し、そして、もうこれ以上、空疎な願望の力を神の大いなる意志の代わりにしないようにと求められているのです。
8. Here does the dream of separation start to fade and disappear.
ここにおいて分離の夢は色褪せはじめ、そして、消え去ります。
For here the gap that is not there begins to be perceived without the toys of terror that you made.
というのは、ここにおいて、あなたが作り出した恐怖を抱かせるおもちゃがなければ、隙間は存在しないことが徐々にわかるようになるからです。
No more than this is asked.
これ以上のことは、何も求められてはいません。
Be glad indeed salvation asks so little, not so much.
救いは多くを求めないどころか、ほとんど何も求めないことを本当に喜んでください。
It asks for nothing in reality.
現実においては、救いは何ひとつ要求しません。
And even in illusions it but asks forgiveness be the substitute for fear.
そして、幻想の中でさえ、救いはただ、恐れを抱く代わりに赦すようにと求めるだけです。
Such is the only rule for happy dreams.
これが、幸せな夢をもたらすための唯一のルールです。
The gap is emptied of the toys of fear, and then its unreality is plain.
恐れのおもちゃが取り除かれて隙間が空になったら、そのとき、その隙間が実在しないことが明らかになります。
Dreams are for nothing.
夢は無のためのものです。
And the Son of God can have no need of them.
だから、神の子にはいかなる夢も必要ありません。
They offer him no single thing that he could ever want.
夢は、神の子が欲しいと思うようなものを何ひとつ差し出してはくれません。
He is delivered from illusions by his will, and but restored to what he is.
神の子は、自分の意志によって幻想から解放されて、本当の自分に戻っただけです。
What could God's plan for his salvation be, except a means to give him to Himself?
神の子を救うための神の計画とは、神の子を神自身の下へともたらす手段にほかならないのではないでしょうか。


- 関連記事