レッスン152「 私には決断する力がある」

2013年11月11日
レッスン151〜160 0

If you spend your time hoping someone will suffer the consequences for what they did to your heart, then you're allowing them to hurt you a second time in your mind.
もし誰かがあなたの心を傷つけたことについてその人が報いを受けて苦しむことを望みながらあなたが自分の人生の時間を過ごすなら、そのときあなたは、自分の心の中で再びその人があなたを傷つけることを容認しているのです。



Shannon L. Alder
シャノン・L・オルダー



何かを非難するには、私は年をとり過ぎている。だが、何かをなすだけの若さは、いつでも持っている。



ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ




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レッスン152です。

今日のテーマは「私には決断する力がある」です。





世界は私たちの心の選択の結果 → 救済は私たちの決断次第

レッスンでは、起こることはすべて私たちの願望の現れであり、この世界は私たちの世界であり、自らそう決断しないかぎり、誰も損失を被ることも死ぬこともありえないのであり、救われるかどうかも私たちの決断ひとつにかかっているという真理が語られます。

そして、自分が世界を作り出したとか自分に世界を変える力があるなどと信じるのは狂気の沙汰で、少なくとも傲慢なことだと考えるこの世界の常識的な発想が、どれほど理不尽なことであるか、その仕組みが詳説されます。


自分に決断する力があると認めないことはむしろ無責任で傲慢なこと

一言でいえば、神がこんな狂気の世界を作ったはずがなく、狂気の創作者としての自分の責任を棚上げして、世界が狂っていることについての責任を神になすりつけているほうが傲慢で狂気の沙汰だということになります。

したがって、自分には決断する力があると認め、世界という壮大な自己欺瞞を解消して神の子としての自覚を取り戻して神の下へと帰ることが真に謙虚になることだということです。


決断する主体、decision-maker

もっとも、ここでいう自分をアバターとしての自分と考えるのが狂気であるのは常識的な発想の通りです。

アバターとしての私たち人間が世界を作り出したわけでも、世界を変える力を持つわけでもありません。

そもそも、私たち自身、架空の夢物語の登場人物でしかないのに、私たちがそんな力を持ち合わせているはずがありません。

私たちアバターを「私」として体験している本当の私たちである神の子、あなたの中にいるキリストが、この自分です。

神の子が私たちエゴというスライドを介して自らの光を罪悪感と恐怖の暗雲のスクリーンに投じることで世界が生じているわけです。

ですから、

「The power of decision is my own.
私には決断する力がある。」

という今日の宣言は、私たちにアバターから本当の自分へとアイデンティティーシフトを迫るものです。



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Lesson 152

The power of decision is my own.
私には決断する力がある。





1. No one can suffer loss unless it be his own decision.
 自分でそう決断しないかぎり、誰も損失を被ることはできません。

 No one suffers pain except his choice elects this state for him.
 自分が苦痛に苛まれる状態にあることを自ら選択しないかぎり、誰も苦痛を味わうことはありません。

 No one can grieve nor fear nor think him sick unless these are the outcomes that he wants.
 悲しみや恐れや病いという結果を自ら望まないかぎり、誰も悲嘆に暮れることも、恐れることも、自分が病んでいると思うこともできません。

 And no one dies without his own consent.
 そして誰も、自らの承諾なしに死ぬことはありません。

 Nothing occurs but represents your wish, and nothing is omitted that you choose.
 起こることはすべてあなたの願望の現れです。そして、起こることで、あなたの選択と無関係なことはひとつもありません。

 Here is your world, complete in all details.
 ここにあるのは、細大漏らさず完全にあなたの世界なのです。

 Here is its whole reality for you.
 ここに、世界があなたに対して持つリアリティーがあります。

 And it is only here salvation is.
 だから、救済があるのは、ここにだけです。



2. You may believe that this position is extreme, and too inclusive to be true.
 あなたは、このような考え方は極端だし、あまりに網羅的すぎて真実だとは信じられないかもしれません。

 Yet can truth have exceptions?
 しかし、真理が例外を持つことなどできるでしょうか。

 If you have the gift of everything, can loss be real?
 もしあなたがすべてという贈り物を持っているなら、何かを本当に失うことなどできるでしょうか。

 Can pain be part of peace, or grief of joy?
 苦痛が平安の一部であったり、悲嘆が歓喜の一部であったりしうるでしょうか。

 Can fear and sickness enter in a mind where love and perfect holiness abide?
 愛と完璧な神聖さが留まる心の中に、恐れと病気が入りこむことができるでしょうか。

 Truth must be all-inclusive, if it be the truth at all.
 もし真理がいやしくも真理であるなら、真理はすべてを含む包括的なものであるに違いありません。

 Accept no opposites and no exceptions, for to do so is to contradict the truth entirely.
 いかなる対極やいかなる例外も受け入れてはなりません。というのも、そうすることは、真理を全面的に否認することになるからです。



3. Salvation is the recognition that the truth is true, and nothing else is true.
 救済とは、真理が真実であり、それ以外に真実はないと気づくことです。

 This you have heard before, but may not yet accept both parts of it.
 あなたはこのことを以前にも聞いたはずです。しかし、あなたはまだこの文の前半と後半を両方とも受け入れてはいません。

 Without the first, the second has no meaning.
 「真理が真実である」という前半がなければ、「それ以外に真実はない」という後半は意味をなしません。

 But without the second, is the first no longer true.
 反対に、「それ以外に真実はない」という後半がなければ、「真理が真実である」という前半はもはや真実ではなくなります。

 Truth cannot have an opposite.
 真理は対極を持つことはできません。

 This can not be too often said and thought about.
 真理が対極を持たないことは、何度も繰り返して語り、考えなければならないことです。

 For if what is not true is true as well as what is true, then part of truth is false.
 というのも、もし真実ではないことが真実であることと同じように真実だとすれば、真理の一部は偽りだということになってしまうからです。

 And truth has lost its meaning.
 そうなると、真理はその意味を失ってしまうことになります。

 Nothing but the truth is true, and what is false is false.
 真理以外にはいかなる真実もありません。そして、偽りであるものはあくまでも偽りのままです。



4. This is the simplest of distinctions, yet the most obscure.
 これは、さまざまな区別の中でも最も単純な区別ですが、最もわかりにくい区別です。

 But not because it is a difficult distinction to perceive.
 しかし、わかりにくいのは、その違いを知覚するのが困難だからではありません。

 It is concealed behind a vast array of choices that do not appear to be entirely your own.
 それは、その相違が、広大に並ぶ無数の選択肢の背後に隠れてしまって、完全に自分だけで選んでいるものであるようには見えないからです。

 And thus the truth appears to have some aspects that belie consistency, but do not seem to be but contradictions introduced by you.
 こうして、真理は一貫性に欠ける側面があるように思えるし、それでいて、あなたが自分でその矛盾を引き起こしているだけであるようには思えません。



5. As God created you, you must remain unchangeable, with transitory states by definition false.
 神があなたを創造したのなら、あなたは不変のままのはずなので、移り行く状態は当然偽りということになります。

 And that includes all shifts in feeling, alterations in conditions of the body and the mind; in all awareness and in all response.
 そして、偽りである変移には、感情面でのあらゆる変化、身体と心の状態の変化、あらゆる意識や反応における変化が含まれます。

 This is the all-inclusiveness which sets the truth apart from falsehood, and the false kept separate from the truth, as what it is.
 これは全面的な網羅性であり、この例外のない網羅性が真理を欺瞞から切り離し、偽りを真理から分離し、真理を真理のままに保ちます。



6. Is it not strange that you believe to think you made the world you see is arrogance?
 自分に見えている世界を作り出したのは自分だと思うのは傲慢なことだとあなたが信じるのは、奇妙なことではないでしょうか。

 God made it not.
 神はこの世界を作ってはいません。

 Of this you can be sure.
 このことなら、あなたにも確信できるはずです。

 What can He know of the ephemeral, the sinful and the guilty, the afraid, the suffering and lonely, and the mind that lives within a body that must die?
 短命で、罪深く罪悪感にまみれ、恐怖や苦難や孤独に苛まれる死すべき身体の中に宿る心のことなど、神に知る由もないからです。

 You but accuse Him of insanity, to think He made a world where such things seem to have reality.
 あなたは、こんなものが現実であるかのように見える世界を神が作ったと考えて、その狂気について神を非難するばかりです。

 He is not mad.
 神は狂ってなどいません。

 Yet only madness makes a world like this.
 しかし、狂気にしかこんな世界を作り出せないのは確かです。



7. To think that God made chaos, contradicts His Will, invented opposites to truth, and suffers death to triumph over life; all this is arrogance.
 神が混沌を作り出し、自らの大いなる意志を否定して、真理に敵対するものを作りあげ、死が生命に勝利することを容認すると考えるようなことは、まったく傲慢以外の何ものでもありません。

 Humility would see at once these things are not of Him.
 謙虚さがあれば、このような事柄は神に由来しないとたちどころに理解できたはずです。

 And can you see what God created not?
 神が創造しなかったものがあなたには見えるというのでしょうか。

 To think you can is merely to believe you can perceive what God willed not to be.
 自分にそれが見えると思うなら、それは神があることを意図しなかったものでも自分には知覚できるとあなたが信じているということにほかなりません。

 And what could be more arrogant than this?
 はたして、これ以上に傲慢なことがあるでしょうか。



8. Let us today be truly humble, and accept what we have made as what it is.
 今日、私たちは真に謙虚になり、自分の作り出したものをそのまま自分が作ったものとして認めることにしましょう。

 The power of decision is our own.
 こう決断する力が私たちにはあります。

 Decide but to accept your rightful place as co-creator of the universe, and all you think you made will disappear.
 ただ宇宙の共同創造者としての自分の正しい持ち場を引き受けることだけを決断してください。そうすれば、自分が作り出したとあなたが思うものはすべて消え去るでしょう。

 What rises to awareness then will be all that there ever was, eternally as it is now.
 そのとき、あなたの自覚に浮かんでくるのは、今そこにある通りのまま永遠にそれまでもそこにあったものだけです。

 And it will take the place of self-deceptions made but to usurp the altar to the Father and the Son.
 そして、そのすべてが父と子の祭壇を簒奪するためだけに作られた自己欺瞞に取って代わるでしょう。



9. Today we practice true humility, abandoning the false pretense by which the ego seeks to prove it arrogant.
 今日私たちは、真に謙虚になる練習をします。私たちは、エゴが真の謙虚さを傲慢だと証明しようとして用いる偽りの主張を放棄します。

 Only the ego can be arrogant.
 傲慢になれるのはエゴだけです。

 But truth is humble in acknowledging its mightiness, its changelessness and its eternal wholeness, all-encompassing, God's perfect gift to His beloved Son.
 しかし、真理は、自らの強大さと自らの不変性とすべてを包含する自らの永遠なる完全性を、神からその愛し子への完璧な贈り物として謙虚に承認します。

 We lay aside the arrogance which says that we are sinners, guilty and afraid, ashamed of what we are; and lift our hearts in true humility instead to Him Who has created us immaculate, like to Himself in power and in love.
 私たちは、自分たちが罪人であり、罪悪感と恐怖に苛まれ、自分の本性を恥じていると告げるような傲慢さを手放します。傲慢さの代わりに、私たちは真に謙虚になって、私たちを自らと同じように力強さと愛を備えた存在として一点の穢れもなく創造してくれた神に自らの真心を捧げます。



10. The power of decision is our own.
 私たちには決断する力があります。

 And we accept of Him that which we are, and humbly recognize the Son of God.
 だから、私たちは本当の自分を神から受け入れて、謙虚に神の子を認識します。

 To recognize God's Son implies as well that all self-concepts have been laid aside, and recognized as false.
 神の子を認識することはそれだけでなく、あらゆる自己概念を放棄して、それらが偽りだと認めたことをも意味します。

 Their arrogance has been perceived.
 神の子以外の偽りの自己概念を持つことの傲慢さが知覚されたのです。

 And in humility the radiance of God's Son, his gentleness, his perfect sinlessness, his Father's Love, his right to Heaven and release from hell, are joyously accepted as our own.
 そして、謙虚さの中で、神の子の輝き、神の子の優しさ、神の子の完全な罪のなさ、父の大いなる愛、地獄から解放されて天国に入る神の子の資格が、自分たちのものとして喜んで受け入れられます。



11. Now do we join in glad acknowledgment that lies are false, and only truth is true.
 今、私たちは心をひとつにして、さまざまな虚構が本物ではなく、ただ真理のみが真実であることを喜んで承認します。

 We think of truth alone as we arise, and spend five minutes practicing its ways, encouraging our frightened minds with this:
 私たちは、朝起きたときに真理だけを思い、5分間、私たちの怯える心を次の言葉で励ましながら、真理の道を実習します。


The power of decision is my own.
決断する力が私にはある。

This day I will accept myself as what my Father's Will created me to be.
今日、私は自分自身のことを私の父の大いなる意志が私がそうあるようにと創造してくれたままに受け入れることにする。


 Then will we wait in silence, giving up all self-deceptions, as we humbly ask our Self that He reveal Himself to us.
 それから、私たちは静かに待ち、すべての自己欺瞞を放棄し、私たちに姿を現してくれるようにと、謙虚に私たちの大いなる自己に求めます。

 And He Who never left will come again to our awareness, grateful to restore His home to God, as it was meant to be.
 そうすれば、一度も去ったことのなかった大いなる自己が私たちの自覚に再び戻ってきてくれて、そう定められていた通りに、感謝に満ちて彼の家を神の下へと戻すでしょう。



12. In patience wait for Him throughout the day, and hourly invite Him with the words with which the day began, concluding it with this same invitation to your Self.
 根気強く、1日を通して神を待ちなさい。そして、1時間ごとに1日の始めに用いた言葉で神を招き、この同じ招待をあなたの大いなる自己に行うことで1日を締めくくってください。

 God's Voice will answer, for He speaks for you and for your Father.
 神の大いなる声が答えてくれるでしょう。というのも、聖霊はあなたのために大いなる父を代弁するからです。

 He will substitute the peace of God for all your frantic thoughts, the truth of God for self-deceptions, and God's Son for your illusions of yourself.
 聖霊は、あなたの狂気の思考をすべて神の平安に置き換え、自己欺瞞を神の真理に、あなたが自分自身だと錯覚している幻の自己像を神の子に置き換えてくれるでしょう。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。





次

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 松山 健 Matsuyama Ken
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