T9-2 祈りとはすでに自分がすべてを持っていることに気づかせてくれるよう聖霊に頼むこと

2013年06月11日
テキスト第9章(贖罪の受容) 0

Whatever you ask for in prayer, believe that you have received it, and it will be yours.
あなたが祈りにおいて何を求めるにせよ、自分がすでにそれを受け取ったものと信じなさい。そうすれば、それはあなたのものとなるだろう。

And when you stand praying, if you hold anything against anyone, forgive them, so that your Father in heaven may forgive you your sins.
あなたが祈祷台に立つとき、もしあなたが誰かを咎める気持ちを抱いているなら、その相手を赦しなさい。そうすれば、天におわすあなたの父があなたの罪を赦してくださるだろう。

Jesus Christ

Jesus Christ, Mark 11:24-25
イエス・キリスト(マルコによる福音書第11章24−25節



If you possess something but you can’t give it away, then you don’t possess it… it possesses you.
もし君が自分では手放せない何かを持っているとすれば、そのとき、君はその何かを所有しているのではない。その何かのほうが君を所有しているんだ。

フランク・シナトラ_1202044047

Francis Albert "Frank" Sinatra
フランク・シナトラ




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本節は、「祈りへの答え」というタイトルです。


コースは宝の山

奇跡のコースは、テキスト、ワークブック、マニュアル等全体を通して、宝の山だと表現できます。

あらゆる人のあらゆる悩みや問いかけに対する本質的な答えがきっとコースの中に見つかります。

ですが、一連の文章の形になっているかぎり、ある人にとって、人生を変えるかもしれない一文がほかの文章の中に埋もれてしまうこともありえます。

本当の意味で宝の山であって、コース全体は、ダイヤモンドやルビーやサファイヤなど多種多様な輝きを放つ宝石を敷き詰めて、巨大な地上絵が描かれているようなものです。

全体の素晴らしさはもちろんのこと、巨大な絵を構成している一点にすぎない一文も、一個のダイヤモンドと同じように、他の宝石に埋もれた状態から切り離して闇の中に掲げると、元の居場所におかれていたかぎりは気づかなかった素晴らしい輝きを放ちはじめることがわかります。


祈りってなに?

さて、「祈り」とは何でしょうか。わかっているようで、中味もやり方もよくわからないのが祈りです。



祈りというのは、神の下に帰還したいという愛の発露です。

神の子は、本来の自分を正気で自覚していたなら、自分がすべてを持ち、すべてでもある神とひとつであるとわかるので、本来の祈りは、ただすべてを与えられすべてであることに感謝の念を抱き、神との愛の交流を交わす聖餐と同義のものといえます。

しかし、神の子は、狂気に陥って、幻想世界の中に細分化した無数の自己にアイデンティティーを持って幻想世界の人間というアバターに成り下がっていて、自分だと思い込んでいるアバターはすべてを持たず、すべてではないちっぽけな存在で、欠乏し必要に迫られている状態にあります。


世界での通常の祈り

したがって、幻想世界の中で自分が人間だと信じている私たちの状態では、祈りは、すべてを持ちすべてである状態への憧憬の具体的な発現、すなわち、物事であったり、他者の評価であったり、自信であったり、といった自分を完全にしてくれると思うもの、自分に欠けている何かを得たいという願望の形で現れることになります。

コースは、私たちは、知識の代わりに知覚を選んだことで、自分自身が神の奇跡であるという知識を失ってしまい、奇跡的に知覚することによってしか、本当の自分を思い出すことができなくなってしまっており、それゆえに、知覚が続くかぎり、祈りには役立つ余地があると言います。

知覚は、自分が分離状態にあり、何か欠乏していると思いこんでいる状態において生じる作用です。

ですから、知覚が続くかぎりは、その人は、贖罪を完了していないし、自分を完全に明け渡してもいないということになります。

上記のように、この世界での通常の祈りとは、何か得ることができるようにと願うことです。

というのも、私たちは、自分をエゴ・身体というアバターと同一視しているので、自分は宇宙、万物の中の砂粒よりもちっぽけな一点でしかなく、自分が持つものも、自分であるものも、ほぼ身体とその周囲のささやかな物品のみでしかないということになり、何も持たず何者でもない自分からよりよい物事を得てよりよい状態の自分になりたい、つまり、少しでも自分の所有や自分の状態を改善・拡大したいと願望することしかできないからです。


赦しと祈り

これに対して、コースは、いったん赦しを受け入れられたならば、通常の意味での祈りは無意味なものとなると言います。

これはもっともなことでしょう。

すなわち、赦しを受け入れたなら、本当の自分はエゴ・身体から神の子にシフトするわけなので、自分の持ち合わせない物事や自分ではないものは何もないという認識が出発点になるので、万物のうちの卑小な一点であるアバターに少しでも価値を付け加えて拡大したいという通常の意味での祈りはまったく意味をなさなくなるからです。

したがって、唯一の有意義な祈りは、赦しを得るための祈りであり、それは、ただ私たちがすでに持っているものを認識できるようにと依頼することでしかないということです。

ですので、願望実現プログラムとしての祈りは、学びの初めは自分の欲する願いを成就するためのプログラムとして働くことになるでしょうが、祈りの階梯を昇るにつれて、究極的には何かを求める願いではなく、すでに自分が持っていることに気づかせてくれるよう願う祈りとなることでしょう。

奇跡のコースを構成する文章のすべてが、この祈りだといえます。

祈りの歌が祈りに特化した解説ですので、ぜひ読んでみてください。


以下に祈りに関するいくつかの箇所の抜粋を引用してから、本文をご紹介します。

祈りの歌 目次





「11. Prayer is the medium of miracles.
 祈りは、奇跡を媒介します。

 It is a means of communication of the created with the Creator.
 祈りは、創造されたものと創造主とがコミュニケーションを取るための手段といえます。

 Through prayer love is received, and through miracles love is expressed.
 愛は祈りを通じて受け取られ、そして、愛は奇跡を通じて表現されます。」(テキスト 第一章 一)

「6. Prayer is a way of asking for something.
 祈りとは何かを求めるための方法です。

 It is the medium of miracles.
 祈りは、奇跡を媒介するものです。

 But the only meaningful prayer is for forgiveness, because those who have been forgiven have everything.
 ただし、唯一の有意義な祈りは、赦しを得るための祈りです。なぜなら、赦された者たちはすでにあらゆるものを持っているからです。

 Once forgiveness has been accepted, prayer in the usual sense becomes utterly meaningless.
 いったん赦しが受け入れられたなら、通常の意味での祈りなどすっかり無意味なものとなります。

 The prayer for forgiveness is nothing more than a request that you may be able to recognise what you already have.
 赦しのための祈りは、ただあなたが既に持っているものを認識できるようにと依頼することでしかありません。

 In electing perception instead of knowledge, you placed yourself in a position where you could resemble your Father only by perceiving miraculously.
 知識の代わりに知覚を選んだことで、あなたは奇跡的に知覚することによってしか、父に似たものになることができない立場に自分を置いてしまいました。

 You have lost the knowledge that you yourself are a miracle of God.
 あなたは、まさにあなた自身が神の奇跡であるという知識を失ってしまったのです。

 Creation is your Source and your only real function.
 創造こそが、あなたの源であり、あなたの唯一の真の役割なのです。

・・・

10. As long as perception lasts prayer has a place.
 知覚することが続く間は、祈りには役に立つ余地があります。

 Since perception rests on lack, those who perceive have not totally accepted the Atonement and given themselves over to truth.
 知覚は何かが欠乏しているとみなすことを基礎とします。それゆえ、知覚する者たちはまだ完全に贖罪を受け入れていないし、完全に自分を真理に明け渡してもいないことになります。

 Perception is based on a separated state, so that anyone who perceives at all needs healing.
 知覚は分離状態にいると思うからこそすることです。だから、少しでも知覚する者は誰しも癒しを必要とします。

 Communion, not prayer, is the natural state of those who know.
 祈りではなく、霊的交わりこそが、知る者たちにとっては自然な状態です。

 God and His miracle are inseparable.
 神と神の奇跡であるものとを分かつことはできません。

 How beautiful indeed are the Thoughts of God who live in His Light!
 神の光の内に生きる神の大いなる思いであるものたちは、実になんと美しいものでしょう。

 Your worth is beyond perception because it is beyond doubt.
 あなたの真価は、疑いの余地がないので、知覚を越えています。

 Do not perceive yourself in different lights.
 間違った光の中に自分を知覚したりしないようにしなさい。

 Know yourself in the One Light where the miracle that is you is perfectly clear.
 唯一の光の中にいるあなた自身を知りなさい。その光の中においては、神の奇跡とはあなた自身のことだということが完全に明らかになります。」(テキスト 第三章 五 知覚の超越




「1. It is hard to understand what 'The Kingdom of Heaven is within you' really means.
 『天の王国は、あなたの内にある』との言葉が何を意味するかを理解するのは難しいものです。

 This is because it is not understandable to the ego, which interprets it as if something outside is inside, and this does not mean anything.
 その理由は、エゴはこの言葉をまるで外側にある何かが内側にあると言っていると解釈し、それでは意味をなさないので、エゴには理解できないからです。

 The word 'within' is unnecessary.
 『内にある』という言葉は必要ではありません。

 The Kingdom of Heaven is you.
 天の王国とは、まさにあなたのことです。

 What else but you did the Creator create, and what else but you is His Kingdom?
 創造主があなた以外のいったい何を創造したというのでしょうか。そして、あなた以外の何が神の王国だというのでしょうか。

 This is the whole message of the Atonement; a message which in its totality transcends the sum of its parts.
 これこそ贖罪が伝えようとするメッセージの全体像です。贖罪のメッセージの全体は、贖罪のメッセージを構成する一つひとつの部分を全て合わせた総和をも凌駕する力を持つものです。

 You, too, have a Kingdom that your spirit created.
 あなたもまた、あなたの霊が創造した王国を持っています。

 It has not ceased to create because of the ego's illusions.
 あなたの霊がエゴの幻想に惑わされて、創造することをやめたことはありません。

 Your creations are no more fatherless than you are.
 あなたの創造物は、あなたがそうでないように、父親のいないものではありません。

 Your ego and your spirit will never be co-creators, but your spirit and your Creator will always be.
 あなたのエゴとあなたの霊が共同創造者となることなど、絶対にありません。しかし、あなたの霊とあなたの創造主とはいつまでも共同の創造者のままです。

 Be confident that your creations are as safe as you are.
 あなたが創造したものは、あなたと同じように安全なのだと確信してください。

 The Kingdom is perfectly united and perfectly protected, and the ego will not prevail against it.
 王国は完全に統一され、完璧に守られています。ゆえに、エゴが王国に勝るようなことはありません。

 Amen.
 アーメン。

2. This is written in the form of a prayer because it is useful in moments of temptation.
 この言葉は祈りの形式で書いてあります。それは、誘惑に駆られたときに役に立つようにとの理由からです。

 It is a declaration of independence.
 この祈りは独立宣言です。

 You will find it very helpful if you understand it fully.
 もしあなたがこの祈りの言葉を十分に理解すれば、それがとても役に立つものだとわかるでしょう。

 The reason you need my help is because you have denied your own Guide and therefore need guidance.
 あなたが私の助けを要する理由は、あなたが自分の案内役を拒んでしまったために、あなたが導きを必要としているからです。

 My role is to separate the true from the false, so truth can break through the barriers the ego has set up and can shine into your mind.
 私の役割は間違いから真実を選び出すことです。そうすれば、真理は、エゴが設けた障壁など突破できるし、あなたの心の中へと輝きを注ぐことができます。

 Against our united strength the ego cannot prevail.
 私たちが結びついた強さに、エゴが打ち勝つことなどできないのです。」(テキスト 第四章 三 葛藤のない愛






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テキスト 第九章 

II. The Answer to Prayer
二 祈りに対する答え



1. Everyone who ever tried to use prayer to ask for something has experienced what appears to be failure.
 これまでに何かを求めて祈りを使ってみたことのある者であれば誰でも、その願いが聞き入れられ損ねたように思える経験をしているはずです。

 This is not only true in connection with specific things that might be harmful, but also in connection with requests that are strictly in line with this course.
 これは害悪をもたらしかねない特定の物事に関してだけでなく、もっぱらこのコースに調和する願い事に関してもあてはまる真実です。

 The latter in particular might be incorrectly interpreted as "proof" that the course does not mean what it says.
 とくに後者については、このコースが述べていることが実際はその通りのことを意味しない「証拠」になると間違って解釈されるかもしれません。

 You must remember, however, that the course states, and repeatedly, that its purpose is the escape from fear.
 しかしながら、あなたは、このコースが再三、コースの目的は恐れからの脱出だと述べていることを思い出さなければなりません。



2. Let us suppose, then, that what you ask of the Holy Spirit is what you really want, but you are still afraid of it.
 そこで、聖霊にあなたの頼むことが本当にあなたが望むことではあっても、それでもなお、その望みが叶うことにあなたが恐れを抱いている場合について考えてみましょう。

 Should this be the case, your attainment of it would no longer be what you want.
 もしこれが事実だとすれば、あなたがその望みを達成することは、もはや、あなたが望むことだとは言えないはずです。

 This is why certain specific forms of healing are not achieved, even when the state of healing is.
 これが、たとえ癒しが成就しうる状態が整ったときでさえ、ある特定の形の癒しが達成されないことがある理由です。

 An individual may ask for physical healing because he is fearful of bodily harm.
 ある人が身体に生じている害悪に対する恐怖のゆえに、身体が癒されることを求めているとします。

 At the same time, if he were healed physically, the threat to his thought system might be considerably more fearful to him than its physical expression.
 身体的な害悪に対する恐怖心を抱いたままで、もし彼の身体が癒されたとしたら、彼の思考システムに対する脅威はおそらく恐れが身体に害悪として発現することに増してよりいっそう、本人にとって相当に恐ろしいものとなるはずです。

 In this case he is not really asking for release from fear, but for the removal of a symptom that he himself selected.
 というのも、この場合、彼は実際には、恐れから解放されることを求めているわけではなく、自分の選択した恐れが生み出す症状が除去されることだけ求めているわけだからです。

 This request is, therefore, not for healing at all.
 したがって、この場合の願いはまったく癒しを求めるものとはいえません。

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3. The Bible emphasizes that all prayer is answered, and this is indeed true.
 聖書は、すべての祈りは叶えられると断言しています。そして、すべての祈りが叶えられることは間違いなく真実です。

 The very fact that the Holy Spirit has been asked for anything will ensure a response.
 聖霊が何かを頼まれたというまさにその事実が、聖霊の応答を確実なものにするからです。

 Yet it is equally certain that no response given by him will ever be one that would increase fear.
 しかし、同様に確実なことは、聖霊によって与えられる答えはどれをとっても、決して恐れを増すようなものにはならないということです。

 It is possible that his answer will not be heard.
 聖霊からの答えが聞いてもらえないことはありえます。

 It is impossible, however, that it will be lost.
 それでも、聖霊の答えが失われることはありえません。

 There are many answers you have already received but have not yet heard.
 あなたがすでに受け取っているのに、まだ聞いていない答えが数多くあります。

 I assure you that they are waiting for you.
 そのような聖霊の答えがあなたを待っていると私が請け合っておきます。



4. If you would know your prayers are answered, never doubt a Son of God.
 もしあなたが自分の祈りは叶うと知りたいのなら、決して神の子を疑ってはなりません。

 Do not question him and do not confound him, for your faith in him is your faith in yourself.
 神の子に疑問を投げかけたり、困惑させたりしないようにしなさい。というのは、あなたが神の子を信頼することは、あなたが自分自身を信頼することだからです。

 If you would know God and his Answer, believe in me whose faith in you cannot be shaken.
 もしあなたが神と神の大いなる答えを知りたいなら、あなたへの信頼が揺らぐことのないこの私を信じてください。

 Can you ask of the Holy Spirit truly, and doubt your brother?
 心から聖霊に頼んでおきながら、自分の兄弟を疑うことなど、あなたにはできないはずです。

 Believe his words are true because of the truth that is in him.
 その兄弟の内にある真理のゆえに、彼の語る言葉が真実であると信じてください。

 You will unite with the truth in him, and his words will be true.
 あなたは、彼の内なる真理と結びつくでしょう。そうすれば、その兄弟の言葉は真実となるでしょう。

 As you hear him you will hear me.
 あなたがその兄弟の声に耳を傾けるようになれば、あなたは私の声を聞くようになるでしょう。

 Listening to truth is the only way you can hear it now, and finally know it.
 真理に耳を傾けることは、あなたが今、真理を聞いて、ついに真理を知ることができる唯一の方法です。

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5. The message your brother gives you is up to you.
 あなたの兄弟があなたにどんなメッセージを届けてくれるかは、あなた次第です。

 What does he say to you?
 その兄弟はあなたに何と言うでしょうか。

 What would you have him say?
 あなたは彼に何と言わせたいのでしょうか。

 Your decision about him determines the message you receive.
 あなたがその兄弟を何者とみなす決断をするかによって、あなたが受け取るメッセージが決まります。

 Remember that the Holy Spirit is in him, and his voice speaks to you through him.
 聖霊がその兄弟の中にいて、聖霊の大いなる声がその兄弟を通してあなたに語りかけていることを忘れないでください。

 What can so holy a brother tell you except truth?
 それほど神聖な兄弟が、真理以外の何をあなたに語ることができるでしょうか。

 But are you listening to it?
 そうだというのに、あなたは兄弟の中の聖霊の声に耳を傾けているでしょうか。

 Your brother may not know who he is, but there is a light in his mind that does know.
 あなたの兄弟は自分が誰なのかわかっていないかもしれませんが、彼の心の中には、それを確かに知っている光があります。

 This light can shine into yours, giving truth to his words and making you able to hear them.
 この光はあなたの心の中にまで射し込んで、その兄弟の言葉に真理を与えて、あなたがそれらの言葉を聞くことができるようにします。

 His words are the Holy Spirit's answer to you.
 その兄弟の言葉こそ、あなたに対する聖霊からの答えです。

 Is your faith in him strong enough to let you hear?
 あなたは聖霊の答えを聞けるほど強く、兄弟を信頼しているでしょうか。



6. You can no more pray for yourself alone than you can find joy for yourself alone.
 あなたは、自分ひとりだけで喜びを見つけられないのと同じように、自分ひとりだけで祈ることもできません。

 Prayer is the restatement of inclusion, directed by the Holy Spirit under the laws of God.
 祈りとは、神の法の下に聖霊の導きを受けることによって、すべてを包含することを再び宣言することだからです。

 Salvation is of your brother.
 救いは、あなたの兄弟から訪れます。

 The Holy Spirit extends from your mind to his, and answers you.
 聖霊は、あなたの心からその兄弟の心へと拡張し、そうして、あなたに答えてくれます。

 You cannot hear the Voice for God in yourself alone, because you are not alone.
 あなたは、神に代わって語る大いなる声を自分の中にだけ聞くことはできません。なぜなら、あなたはひとりきりではないからです。

 And his answer is only for what you are.
 そして、聖霊の答えは、本当のあなたのためだけのものです。

 You will not know the trust I have in you unless you extend it.
 あなた自身がその信頼を他者に拡張するまでは、私がどれほど厚くあなたのことを信頼しているか、あなたにはわからないままでしょう。

 You will not trust the guidance of the Holy Spirit, or believe that it is for you unless you hear it in others.
 あなたが聖霊の導きの声をほかの者たちの中に聞くようにならないかぎり、あなたは聖霊の導きを信頼せず、聖霊の導きが自分のためのものだとは信じないでしょう。

 It must be for your brother because it is for you.
 聖霊の導きはあなたのためのものなのだから、聖霊の導きは、あなたの兄弟たちのためのものでもあるに違いありません。

 Would God have created a Voice for you alone?
 神が大いなる声をあなたひとりだけのために創造したはずがありません。

 Could you hear his answer except as he answers all of God's Sons?
 あなたは神がすべての神の子たちに答えるものとしてしか、神の答えを聞くことはできません。

 Hear of your brother what you would have me hear of you, for you would not want me to be deceived.
 あなたが私に聞き入れてほしいと思うことを、あなたが自分の兄弟から聞き入れてあげなさい。なぜなら、あなたは私にあなたの真の望みを取り違えてほしくないはずだからです。

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7. I love you for the truth in you, as God does.
 神と同様に、私はあなたの中にある真理のゆえにあなたを愛します。

 Your deceptions may deceive you, but they cannot deceive me.
 あなたの欺瞞は、あなたを騙すことはできても、私を騙すことはできません。

 Knowing what you are, I cannot doubt you.
 本当のあなたを知っているので、私はあなたを疑うことができません。

 I hear only the Holy Spirit in you, Who speaks to me through you.
 聖霊はあなたを通して私に語るので、私には、あなたの中にいる聖霊の声だけが聞こえています。

 If you would hear me, hear my brothers in whom God's Voice speaks.
 もしあなたが私の言葉を聞きたいのなら、神の大いなる声を語る私の兄弟たちの声に耳を傾けてください。

 The answer to all prayers lies in them.
 すべての祈りに対する答えは、兄弟たちの中にあります。

 You will be answered as you hear the answer in everyone.
 兄弟たちみんなの中にその答えを聞くようになれば、あなたの祈りは叶えられるでしょう。

 Do not listen to anything else or you will not hear truly.
 兄弟たちの中で語る神の声以外には何も耳を傾けないようにしなさい。さもないと、あなたは真に聞くことができなくなってしまいます。



8. Believe in your brothers because I believe in you, and you will learn that my belief in you is justified.
 私があなたたちを信じているのですから、あなたも自分の兄弟たちを信じてください。そうすれば、あなたにも、私があなたを信頼するのはもっともなことだとわかってくるはずです。

 Believe in me by believing in them, for the sake of what God gave them.
 神が兄弟たちに与えたもののために、彼らを信じることによって私を信じてください。

 They will answer you if you learn to ask only truth of them.
 あなたが兄弟たちから真理だけを求めることを学んだら、きっと兄弟たちもあなたに答えてくれるでしょう。

 Do not ask for blessings without blessing them, for only in this way can you learn how blessed you are.
 兄弟たちを祝福することなしに、自分が祝福されることを求めてはなりません。というのも、兄弟たちを祝福するという方法によってのみ、あなたはいかに自分が祝福されているか学べるからです。

 By following this way you are seeking the truth in you.
 このように兄弟たちを祝福する方法に従うことによって、あなたは自分の中にある真理を探求していることになります。

 This is not going beyond yourself but toward yourself.
 これは、あなた自身の外側に進むことではなく、あなた自身に向かって進むことです。

 Hear only God's Answer in his sons, and you are answered.
 神の子らの中に神の大いなる答えだけを聞いてください。そうすれば、あなたの祈りは叶えられます。

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9. To disbelieve is to side against, or to attack.
 信じないことは、敵対して攻撃することです。

 To believe is to accept, and to side with.
 信じることは、受け入れて味方になることです。

 To believe is not to be credulous, but to accept and appreciate.
 信じることは、物事を軽々しく信じこんでしまうことではなく、受け入れて真価を認めることです。

 What you do not believe you do not appreciate, and you cannot be grateful for what you do not value.
 あなたは自分が信じていないものの真価を認めることはありません。そして、あなたは自分が価値があると思わないものに感謝の念を抱くことはできません。

 There is a price you will pay for judgment, because judgment is the setting of a price.
 何かについて価値判断すれば、その代償を支払うことになります。なぜなら、価値判断することは値打ちを決めることだからです。

 And as you set it you will pay it.
 そして、あなたが値をつけた通りに、あなたは支払うことになります。



10. If paying is equated with getting, you will set the price low but demand a high return.
 もし支払うことを手に入れることと等しいとみなすなら、あなたは支払う値段を低く抑えながら、高い見返りを要求するでしょう。

 You will have forgotten, however, that your return is in proportion to your judgment of worth.
 しかしながら、あなたが忘れてしまっているのは、あなたが受ける見返りは価値についてのあなたの判断に比例するということです。

 If paying is associated with giving it cannot be perceived as loss, and the reciprocal relationship of giving and receiving will be recognized.
 もし支払うことを与えることと結びつけて考えるなら、支払うことを喪失として知覚するはずがないので、与えることと受け取ることとの互恵的な関係を認めることができるようになります。

 The price will then be set high, because of the value of the return.
 そうすれば、見返りの価値ゆえに、値段は高く設定されるはずです。

 The price for getting is to lose sight of value, making it inevitable that you will not value what you receive.
 手に入れるための値づけは、ものの真価を見失うことであり、あなたは必然的に自分の受け取るものを大切にしなくなります。

 Valuing it little, you will not appreciate it and you will not want it.
 自分の受け取るものにはほとんど価値がないと見て、あなたはその真価を認めず、それを欲しいとも思わなくなるでしょう。

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11. Never forget, then, that you set the value on what you receive, and price it by what you give.
 ゆえに、あなたは自分が受け取るものの価値を設定していること、そして、あなたは自分が与えるものによって自分の受け取るものに値段をつけていることを決して忘れないでください。

 To believe that it is possible to get much for little is to believe that you can bargain with God.
 わずかな支払いによって多くのものを得ることが可能だと信じるのは、自分には神と取引することができると信じることです。

 God's laws are always fair and perfectly consistent.
 神の法はつねに公正であり、完璧に首尾一貫しています。

 By giving you receive.
 与えることによって、あなたは受け取ります。

 But to receive is to accept, not to get.
 しかし、受け取ることは受け入れることであって、手に入れることではありません。

 It is impossible not to have, but it is possible not to know you have.
 持たないでいることは不可能ですが、自分が持っていると知らずにいることは可能です。

 The recognition of having is the willingness for giving, and only by this willingness can you recognize what you have.
 持っていることの認識は、持っているものを与えたいという意欲となります。だから、この与える意欲によってのみ、あなたは自分が持っているものを認識することができるのです。

 What you give is therefore the value you put on what you have, being the exact measure of the value you put upon it.
 したがって、あなたが与えるものこそ、あなたの持っているものにあなたが付ける価値であり、あなたがそれをどのような値打ちで評価しているかを正確に示す尺度となります。

 And this, in turn, is the measure of how much you want it.
 逆に言えば、これは、あなたがどれほどそれを望んでいるかを示す尺度なのです。



12. You can ask of the Holy Spirit, then, only by giving to him, and you can give to him only where you recognize him.
 それゆえ、あなたはただ、聖霊に与えることによってのみ聖霊に求めることができます。そして、あなたは自らが聖霊を認識するところにおいてのみ聖霊に与えることができます。

 If you recognize him in everyone, consider how much you will be asking of him, and how much you will receive.
 だから、もしあなたがすべての者たちの中に聖霊を認識することができれば、自分が聖霊にどれほどたくさん求めることになり、自分がどれほどたくさん受け取ることになるのか、よくよく考えてみるとよいでしょう。

 He will deny you nothing because you have denied him nothing, and so you can share everything.
 聖霊はあなたに何ひとつ拒むことはないでしょう。なぜなら、あなたが聖霊に何も拒まなかったので、あなたはあらゆるものを分かち合うことができるようになるからです。

 This is the way, and the only way to have his answer, because his answer is all you can ask for and want.
 みんなの中に聖霊を認識することこそが、聖霊の答えを得るための方法であり、それも、唯一の方法です。なぜなら、聖霊の答えはあなたが求め、望むことのできるすべてだからです。

 Say, then, to everyone:
 ゆえに、みんなに次のように言いなさい。


Because I will to know myself, I see you as God's Son and my brother.
私は自分自身を知りたいので、私はあなたを神の子であり私の兄弟としてみなすことにします。


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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
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