レッスン158「今日、私は自分が受け取るように与えることを学ぶ」

2013年11月17日
レッスン151〜160 0

Service to others is the rent you pay for your room here on earth.
他者に貢献することは、あなたがこの地球での自分の居場所に払う家賃である。

モハメド・アリ_1205030309

Muhammad Ali
モハメド・アリ



I do not agree with the big way of doing things.
私は、大規模な方法で物事をなすことがよいとは思っていません。

To us, what matters is an individual.
私たちにとって重要なのは個人的な事柄だからです。

To get to love a person, we must come in close contact with him.
ある人物を愛せるようになるには、私たちはその人と親密に近づいて向き合う必要があります。

If we wait till we get numbers, then we will be lost in the numbers, and we will never be able to show that love and respect for the person.
もし私たちがまとまった人数が揃うまで待っていたのでは、私たちは数に気を取られてしまって、その人物に対する愛と敬意を示すことができなくなってしまうでしょう。

I believe in person-to-person; every person is Christ for me, and since there is only one Jesus, that person is the one person in the world at that moment.
私は1対1の人間関係を信じています。存在するのはイエス様おひとりなのだから、一人ひとりの人物は私にとってキリストであり、その人はその瞬間において、世界で唯一の人物なのです。



Mother Teresa
マザー・テレサ




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レッスン158です。


「今日、私は自分が受け取るように与えることを学ぶ」が今日のテーマです。


マクトゥーブ

今日のレッスンでは、「すべてはすでに書かれている」が出てきます。

3.「Yet there is no step along the road that anyone takes but by chance.
 しかし、ただの一歩であろうと、この道を偶然によって踏み出すことはありません。

 It has already been taken by him, although he has not yet embarked on it.
 その人がまだその道を歩みはじめていないとしても、その一歩はすでに彼によって踏み出されているのです。

 For time but seems to go in one direction.
 というのも、時間はただひとつの方向に進んでいるように見えているだけだからです。

 We but undertake a journey that is over.
 私たちはただ、すでに終わっている旅に出るだけです。」


「Such is each life; a seeming interval from birth to death and on to life again, a repetition of an instant gone by long ago that cannot be relived.
 一つひとつの人生というのは、そんなものです。すなわち、誕生から死まで続くように見える合い間、そして、再び生まれてくることで、はるか昔に過ぎ去って二度と再び生きることなどできないはずの一瞬を繰り返しているのです。

 And all of time is but the mad belief that what is over is still here and now.
 だから、時間というものはすべて、すでに終わったことが依然として今ここにあるという狂気の信念でしかないのです。」(T26-5 些細な障害、13.)





すでに書かれた台本に縛られるのは物語の登場人物たち

4.「The script is written.
 その台本はすでに書かれています。

 When experience will come to end your doubting has been set.
 あなたの疑念に終わりをもたらす体験がいつ訪れるかも、すでに定められているのです。

 For we but see the journey from the point at which it ended, looking back on it, imagining we make it once again; reviewing mentally what has gone by.
 というのも、私たちは単に、その旅路をそれが終わった地点から振り返って眺め、もう一度自分たちがその旅路を歩んでいると想像しながら、すでに過ぎ去ったことを心の中で再生しているだけだからです。」


時間という仕掛けによって、すでに終わっている旅を空想の中であたかも今まさに歩んでいるように錯覚させられているということが語られます。

このことは、決定論、宿命論を述べているようで、無力感と絶望をもって受け取られることもあるでしょう。


読み手は束縛されてはおらず自由

けれども、私たちに自由意志がなく運命の奴隷であるのは、エゴに束縛されているがゆえであって、本当の私たちである神の子には真の自由があります。

しかし、皮肉なことに、エゴに束縛されているかぎり、その束縛の度合いが強いほど、自分は自由意志を持って自分で運命を切り開いているのであって、運命の奴隷なんかではないと本気で信じたがることになります。


受け入れることができないテーマは、それが事実であればあるほど躍起になって反証しようとするもの

あるテーマが真実であるとどうしても受け入れることができずに躍起になって、それが間違いだと言い張って証明しようと反発するのは、たいてい心の奥底ではそれが真実だと感づいていて、エゴがあたふたと金切り声を上げて暴走している証拠だと思ってよいでしょう。

それが間違いであることが真実であるなら、「ふん」と鼻で笑ってやり過ごせば十分なはずで、一生懸命になって間違いであることの証明をする必要もないはずだからです。


あなたに自由意志はない!と言われて反発心は湧いてきませんか?

自分に自由意志がないというテーマを受け入れられないのはエゴだけです。

私たちが個人として自由意志を持っていると錯覚することでエゴは生きながらえているからです。

したがって、自分が運命の操り人形であるという受け入れがたい真実を悪あがきせずに受け入れることが、エゴから自由になるための第一歩だと言えるでしょう。

「すべてはすでに書かれている」を本当に受け入れることができれば、価値判断の重圧、罪悪感からの途方もない解放に導く福音ともなるものだと思います。


身体として見ないというのは身体を否認せよということではない

8.「And this you give today: See no one as a body.
 そして、今日あなたが与えるのは次の言葉です。それは『誰のことも身体として見てはならない』というものです。

 Greet him as the Son of God he is, acknowledging that he is one with you in holiness.
 すべての人を彼の本質通りに神の子として遇し、その人が自分と神聖さでひとつに結ばれていることを承認してください。」

この言葉は、身体を知覚してはならないということではなく、兄弟が何者かについて、彼を身体と同一視してはならない、自分と分離した身体を持つ他者に見えているだけで、実は神聖な神の子として自他は分離しておらずひとつなのだというアイデンティティーに関して述べたものです。

この誰のことも身体として見ないということを、身体を否認すべき対象として、身体を知覚しないようにしなければならないと解釈するのは、かえって身体に重要性を付与して身体に囚われてしまう発想に陥っています。


「However, it is almost impossible to deny its existence in this world.
 しかしながら、この世界の中で身体の存在を否定することは、ほとんど不可能です。

 Those who do so are engaging in a particularly unworthy form of denial.
 この世界の中で身体の存在を否定しようとする者たちは、否認の中でも、とりわけ価値のない形の否認にかまけているといえます。

 The term "unworthy" here implies only that it is not necessary to protect the mind by denying the unmindful.
 ここで『価値のない』という言葉を使うのは、ひとえに心を持たない身体を否認することによって心を保護する必要などないと示したいからです。

 If one denies this unfortunate aspect of the mind's power, one is also denying the power itself.
 もしある人が、この身体の存在という心の力が不適切に表れた側面を否認するなら、彼は同時に自分の心の力そのものをも否定することになってしまうのです。」(T2-4 恐れからの解放としての癒し 3.)


否認するのではなく聖霊のための道具として活用する

この世界で人間として生きるかぎり、五感での知覚は続き、五感を通して身体の存在を知覚することになります。

しかし、コースは、五感を封じて何も知覚しないようにせよと教えるわけではありません。


歪曲した五感での偽りの知覚が心の中で幅を利かせていて、本来の正しい知覚であるキリストのヴィジョンがまったく使われず、廃用性萎縮のような状態になっているので、代用器官への依存を弱めて、本来の器官の機能を回復して復旧させるためのリハビリ訓練をしているわけです。

骨折して歩くために松葉づえを使っていたけれど、リハビリして歩けるようになれば、松葉づえはそのうち要らなくなるように、本来の器官が再生してそちらが機能を果たすようになれば、代用は放っておいてもお払い箱になります。



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Lesson 158

Today I learn to give as I receive.
今日、私は自分が受け取るように与えることを学ぶ。



1. What has been given you?
 あなたは何を授かっているのでしょうか。

 The knowledge that you are a mind, in Mind and purely mind, sinless forever, wholly unafraid, because you were created out of love.
 それは、あなたはひとつの小さな心であり、大いなる心の中にある純粋な心であり、あなたが愛から創造されたがゆえに永遠に罪がなく、まったく恐れを知らない心であるという知識です。

 Nor have you left your Source, remaining as you were created.
 それに、あなたは自分の大いなる源から離れたことはなく、あなたが創造されたときのままだという知識です。

 This was given you as knowledge which you cannot lose.
 このことは、あなたが失うことのできない知識としてあなたに授けられました。

 It was given as well to every living thing, for by that knowledge only does it live.
 この知識は、同じようにすべての生きるものたちにも授けられました。というのも、この知識によってのみ生きとし生けるものは生かされているからです。



2. You have received all this.
 あなたはこの知識のすべてを受け取っています。

 No one who walks the world but has received it.
 この世界を歩む者でこの知識を受け取っていない者は誰もいません。

 It is not this knowledge which you give, for that is what creation gave.
 あなたが与えるのはこの知識ではありません。というのは、この知識は創造によって与えられたものだからです。

 All this cannot be learned.
 この知識はすべて、学ぶことのできるものではありません。

 What, then, are you to learn to give today?
 そうだとすれば、今日、あなたが与えることを学ぶのは何なのでしょうか。

 Our lesson yesterday evoked a theme found early in the text.
 私たちが昨日学んだレッスンは、テキストの最初の部分で出てきたテーマのひとつを思い起こさせるものでした。

 Experience cannot be shared directly, in the way that vision can.
 ヴィジョンを共有できるような方法で、体験を直接に分かち合うことはできません。

 The revelation that the Father and the Son are one will come in time to every mind.
 大いなる父と子はひとつだという啓示は、やがてすべての心に訪れるでしょう。

 Yet is that time determined by the mind itself, not taught.
 しかし、その時をいつにするかは、その心自身が決めることであって、教わることではありません。



3. The time is set already.
 その時は、すでに定められています。

 It appears to be quite arbitrary.
 その時は、いくらでも好きなように決められるように思えます。

 Yet there is no step along the road that anyone takes but by chance.
 しかし、ただの一歩であろうと、この道を偶然によって踏み出すことはありません。

 It has already been taken by him, although he has not yet embarked on it.
 その人がまだその道を歩みはじめていないとしても、その一歩はすでに彼によって踏み出されているのです。

 For time but seems to go in one direction.
 というのも、時間はひとつの方向に進んでいるように見えているだけだからです。

 We but undertake a journey that is over.
 私たちはただ、すでに終わっている旅に出るだけです。

 Yet it seems to have a future still unknown to us.
 しかし、その旅路には、まだ私たちには未知の未来があるように見えます。



4. Time is a trick, a sleight of hand, a vast illusion in which figures come and go as if by magic.
 時間は、手品のようなトリックであり、その中に、まるで魔法のように人影が訪れては去ってゆく広大な幻想です。

 Yet there is a plan behind appearances that does not change.
 しかし、見せかけの背後には、変わることのないひとつの計画があります。

 The script is written.
 その台本はすでに書かれています。

 When experience will come to end your doubting has been set.
 あなたの疑念に終わりをもたらす体験がいつ訪れるかも、すでに定められています。

 For we but see the journey from the point at which it ended, looking back on it, imagining we make it once again; reviewing mentally what has gone by.
 というのも、私たちは単に、その旅路をそれが終わった地点から振り返って眺め、もう一度自分たちがその旅路を歩んでいると想像しながら、すでに過ぎ去ったことを心の中で再生しているだけだからです。



5. A teacher does not give experience, because he did not learn it.
 教師は、体験を与えるのではありません。なぜなら、教師は体験を学んで身につけたわけではないからです。

 It revealed itself to him at its appointed time.
 体験は、それが定められた時に自ずから教師に明らかになったものです。

 But vision is his gift.
 しかし、ヴィジョンは教師が与えることのできる贈り物です。

 This he can give directly, for Christ's knowledge is not lost, because He has a vision He can give to anyone who asks.
 ヴィジョンなら、教師は直接与えることができます。というのも、キリストの知識は失われてはおらず、キリストはそれを求める者なら誰にでも与えることのできるヴィジョンを持っているからです。

 The Father's Will and His are joined in knowledge.
 父の大いなる意志とキリストの意志は知識の中でひとつに結びついています。

 Yet there is a vision which the Holy Spirit sees because the Mind of Christ beholds it too.
 しかし、キリストの大いなる心が知識だけでなくヴィジョンをも見ているがゆえに、聖霊に見えるヴィジョンが存在します。



6. Here is the joining of the world of doubt and shadows made with the intangible.
 ここで、疑いと影の世界が形のないものとひとつに結びつきます。

 Here is a quiet place within the world made holy by forgiveness and by love.
 ここに、この世界の中で、赦しと愛によって聖なるものとされた静かな場所があります。

 Here are all contradictions reconciled, for here the journey ends.
 ここにおいて、すべての対立は和合します。というのも、ここで旅路が終わるからです。

 Experience--unlearned, untaught, unseen--is merely there.
 学ばれることなく、教えられることも見られることもなく、体験はただ存在するだけです。

 This is beyond our goal, for it transcends what needs to be accomplished.
 体験は私たちの目標を越えるものです。というのも、体験は獲得されるべきものを超越しているからです。

 Our concern is with Christ's vision.
 私たちが関心を向けるのは、キリストのヴィジョンです。

 This we can attain.
 キリストのヴィジョンであれば、私たちにも獲得できるからです。



7. Christ's vision has one law.
 キリストのヴィジョンには、ひとつの法則があります。

 It does not look upon a body, and mistake it for the Son whom God created.
 キリストのヴィジョンは、身体を見てそれを神が創造した大いなる子と取り違えることはありません。

 It beholds a light beyond the body; an idea beyond what can be touched, a purity undimmed by errors, pitiful mistakes, and fearful thoughts of guilt from dreams of sin.
 キリストのヴィジョンが見るのは、身体を超えた光であり、触ることのできるものを超えたひとつの想念であり、誤りや哀れな間違いや罪という夢から生まれる罪悪感の恐ろしい思いによってぼやかされていない純粋さです。

 It sees no separation.
 キリストのヴィジョンは、一切、分離を見ることはありません。

 And it looks on everyone, on every circumstance, all happenings and all events, without the slightest fading of the light it sees.
 そして、キリストのヴィジョンは、すべての者たち、すべての状況、すべての出来事やすべての事件について、少しも弱まることのない光を見ます。



8. This can be taught; and must be taught by all who would achieve it.
 このことは教わることができるので、キリストのヴィジョンを獲得しようとする者はみな、このことを教えなければなりません。

 It requires but the recognition that the world can not give anything that faintly can compare with this in value; nor set up a goal that does not merely disappear when this has been perceived.
 そのためには、この世界には、ほんのかすかにでもキリストのヴィジョンと比較できるような価値のあるものを与えることはできないし、キリストのヴィジョンを知覚するようになったときには、ただ消え去ってしまう目標しかこの世界には掲げることができないと認めることが必要です。

 And this you give today: See no one as a body.
 そして、今日あなたが与えるのは次の言葉です。それは「誰のことも身体として見てはならない」というものです。

 Greet him as the Son of God he is, acknowledging that he is one with you in holiness.
 すべての人を彼の本質通りに神の子として遇し、その人が自分と神聖さでひとつに結ばれていることを承認してください。



9. Thus are his sins forgiven him, for Christ has vision that has power to overlook them all.
 こうして、その人の罪の数々は赦されます。というのも、キリストは、すべての罪を無視する力のあるヴィジョンを持っているからです。

 In His forgiveness are they gone.
 キリストに赦されることで、すべての罪は消え去ります。

 Unseen by One they merely disappear, because a vision of the holiness that lies beyond them comes to take their place.
 キリストによって見られることがないので、すべての罪はただ単に消え去るだけです。なぜなら、すべての罪を超越する神聖さのヴィジョンがすべての罪に置き換わることになるからです。

 It matters not what form they took, nor how enormous they appeared to be, nor who seemed to be hurt by them.
 その罪がどのような形をとっていたか、いかにその罪が途方もないものに見えていたか、誰がその罪によって傷つけられているように見えていたか、そんなことは問題ではありません。

 They are no more.
 それらはもはや存在しないからです。

 And all effects they seemed to have are gone with them, undone and never to be done.
 そして、罪が持っていたように見えたすべての結果は、罪と一緒に去って取り消されてしまったので、二度と生じることはありません。



10. Thus do you learn to give as you receive.
 こうして、あなたは自分が受け取るように与えることを学びます。

 And thus Christ's vision looks on you as well.
 こうして、キリストのヴィジョンは、あなたのことも見つめるようになります。

 This lesson is not difficult to learn, if you remember in your brother you but see yourself.
 もしあなたが自分の兄弟の中に自分自身だけを見ることを忘れなければ、このレッスンを学ぶのは難しくありません。

 If he be lost in sin, so must you be; if you see light in him, your sins have been forgiven by yourself.
 もし兄弟を罪の中に迷いこませるなら、あなたも罪の中に迷いこんでしまうに違いありません。もしあなたが兄弟の中に光を見るなら、あなたの罪はすでにあなた自身によって赦されています。

 Each brother whom you meet today provides another chance to let Christ's vision shine on you, and offer you the peace of God.
 あなたが今日出会う一人ひとりの兄弟が、キリストのヴィジョンがあなたに輝きを注いで、あなたに神の平安を与える新たなチャンスを与えてくれます。



11. It matters not when revelation comes, for that is not of time.
 啓示がいつ訪れるかは重要ではありません。というのは、啓示は時間とは関わりのないものだからです。

 Yet time has still one gift to give, in which true knowledge is reflected in a way so accurate its image shares its unseen holiness; its likeness shines with its immortal love.
 しかし、それでもなお、時間はひとつの贈り物を与えることができます。その贈り物の中には、真の知識が本当に正確に反映されているので、その姿は、目には見えない知識の神聖さを分かち合い、その肖像は、不滅の愛で輝いています。

 We practice seeing with the eyes of Christ today.
 今日、私たちは、キリストの目で見ることを実践します。

 And by the holy gifts we give, Christ's vision looks upon ourselves as well.
 そして、私たちの与える聖なる贈り物によって、キリストのヴィジョンは私たち自身をも見るようになるのです。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです.





次

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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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