レッスン160「私はわが家にいる。ここでは、恐れはよそ者だ」
Fears are educated into us, and can, if we wish, be educated out.
恐れは私たちに教え込まれたものだ。だから、もし私たちが望めば、私たちは恐れを追い払うことを学ぶことができる。

Karl Augustus Menninger
カール・オーガスタス・メニンガー
Named must your fear be before banish it, you can.
恐れを追い払う前に、自分の恐れに名前をつけるようにするのじゃ

Grandmaster Yoda
ヨーダ

レッスン160です。
「私はわが家にいる。ここでは、恐れはよそ者だ」が今日のテーマです。

愛と恐れの関係
本当の私たちは神の子であり、神の大いなる愛から創造された存在、つまり、愛そのものなので、愛の不在に名前を付けた影でしかない恐れとは相容れません。
相容れないというのは、単に調和しないというだけにとどまりません。
愛のある状態と愛のない状態なわけなので、相互に排斥し合う関係だし、有と無の関係なので、有が無を埋めることはあっても、無が有を消すことはありえない有から無への一方通行の作用しかありえない関係(有るものと無いものなので、実際的な関係ではなく、概念上の関係でしかない)です。
私たちというよそ者
このように愛そのものである私たちにとって、恐れは相容れないよそ者のはずですが、正気を失って見る妄想の中でなら、本当の自分を忘れて自分とは違う生き物になることはでき、自分と相容れない恐れと一体化することを想像することはでき、そうすることで、私たちは自分自身にとってのよそ者となります。
私たちが自分だと思っている自分こそがまさにこのよそ者です。
私たちは、よそ者が本当の私たちの本来の居場所に入り込んできてそこを自分の居場所だと言い張って占拠している状態を受け入れるだけでなく、そのよそ者のほうが主人だと思い込んでいます。
監禁された被害者が、ストックホルム症候群(誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、無意識の生存戦略により犯人に好意を抱き、犯人と心理的なつながりを築いてしまう心理的な自己欺瞞)によって、単に犯人に好意を抱くだけでなく、犯人の仲間になってしまったような状態です。
「7. Seek not to make the Son of God adjust to his insanity.
神の子を、彼が陥っている狂気の状態に適応させようとしてはなりません。
There is a stranger in him, who wandered carelessly into the home of truth and who will wander off.
神の子の中には、異質なよそ者が存在しています。そのよそ者は真理の家にうっかり迷いこんでいますが、いずれ出て行くことになります。
He came without a purpose, but he will not remain before the shining light the Holy Spirit offered, and you accepted.
その闖入者は目的を持たずにやってきましたが、聖霊が差し延べ、あなたが受け入れた輝く光を前にしては、留まっていることはできないでしょう。
For there the stranger is made homeless and you are welcome.
というのも、真理の家では、そのよそ者は立ち退かされ、あなたは歓迎されるからです。
Ask not this transient stranger, "What am I?"
このような一時的に留まっているだけの流浪のよそ者に、『私は何なのか』と尋ねてはなりません。
He is the only thing in all the universe that does not know.
彼は、全宇宙の中でも、その答えを知らない唯一の存在だからです。
Yet it is he you ask, and it is to his answer that you would adjust.
ところが、あなたはそんな異邦人に尋ねて、彼の答えに合わせて自分を適応させようとしているのです。
This one wild thought, fierce in its arrogance, and yet so tiny and so meaningless it slips unnoticed through the universe of truth, becomes your guide.
このひとつの見当外れな想念は、あまりに矮小で無意味すぎるために気づかれもせずに真理の宇宙をすり抜けて、その甚だしい傲慢さで、あなたのガイドの座に居座っています。
To it you turn to ask the meaning of the universe.
あなたはそんなガイドを頼りにして、彼に宇宙の意味を尋ねようというのです。
And of the one blind thing in all the seeing universe of truth you ask, "How shall I look upon the Son of God?"
そして、真理の宇宙の中で目の見えている者たち全員の中で唯一目の見えないその者に対して、あなたは『私は神の子をどのように見るべきだろうか』と尋ねようというのです。」(T20-3 適応という罪)
よそ者は影法師でしかない
このよそ者は実在する何かであるわけではなく、恐れを抱いた神の子が被る仮面であり、解離した分裂人格であり、光から身を背けているがためにできている影でしかありません。
かといって、癌細胞を抗癌剤や手術や放射線治療で攻撃して取り除くようにして、このよそ者を切り離して切除したり、ダメージを与えて消滅させようとすることによっては救済は成し遂げられません。
この消去法で行くかぎり、いつかドラえもんのどくさいスイッチ的に、すべてが消えて何も残らないところに行き着くしかありません。
癌細胞たちは、自らの本質を見失っているので、自分はほかの細胞たちとは分離していて、周りは敵だらけだと怯えて攻撃をやめられなくなっています。
キリストのヴィジョンは、恐怖の度合いが極限まで行っていて修復不可能だとか、この程度の恐怖だったら取り返しがつくと価値判断して、災害現場などで、傷病の緊急度や重症度に応じて傷病者間の治療優先度を決めるトリアージのように、まだ救える兄弟ともはや救いの余地のない兄弟を区別して裁くようなことはありません。
ここは奇跡には難易度の序列がないというテーマで再三出てくるところですが、幼児の描いた可愛さ満点の怪獣とジュラシックパークのようなリアルなCG描写の恐竜はどちらも現実ではない架空の存在という意味では程度差はありません。
キリストは誰ひとりとして忘れない
この仕組みであるがゆえに、キリストの目から見れば、凶悪犯罪者であろうと聖者であろうと、世界を歩くアバターとしては同等の存在に見えるし、キリストには彼らの中に身をやつしているのが神の子である自分自身であるとわかっているので、分厚い肉の壁に覆われてほとんど見えない光であろうと、薄い肉の壁から輝きが漏れ出している光であろうと、等しく愛おしい存在であることに変わりはありません。
「10. Not one does Christ forget.
キリストは誰ひとり忘れてなどいません。
Not one He fails to give you to remember, that your home may be complete and perfect as it was established.
あなたが思い出すべき人をキリストがひとりでも与え損ねることはありません。だから、あなたの家は完成し、それが建てられたときと同じように完璧になります。
He has not forgotten you.
キリストは、あなたのことを忘れてなどいません。
But you will not remember Him until you look on all as He does.
しかし、キリストが見るようにすべての人たちを見るようになるまでは、あなたがキリストを思い出すことはないでしょう。
Who denies his brother is denying Him, and thus refusing to accept the gift of sight by which his Self is clearly recognized, his home remembered and salvation come.
自分の兄弟を否認する者は、キリストを拒んでいるのです。したがって、彼は、自分の真の自己を明確に認識し、わが家を思い出して救済を訪れさせることのできる視覚という贈り物を受け入れるのを拒んでいるのです。」

Lesson 160
I am at home. Fear is the stranger here.
私はわが家にいる。ここでは、恐れはよそ者だ。
1. Fear is a stranger to the ways of love.
恐れは、愛の道にとってよそ者です。
Identify with fear, and you will be a stranger to yourself.
恐れと一体化すると、あなたは自分自身にとってよそ者になってしまいます。
And thus you are unknown to you.
こうして、あなたは自分が誰なのかわからなくなります。
What is your Self remains an alien to the part of you which thinks that it is real, but different from yourself.
ありのままのあなたの真の自己は、本当のあなたではないのに自分は本物だと思いこんでいるあなたの部分とは相容れないものであり続けます。
Who could be sane in such a circumstance?
本当の自分と相容れない存在が自分なのだと思い込んでいる状況で、誰が正気でいられるでしょうか。
Who but a madman could believe he is what he is not, and judge against himself?
狂人以外の誰が、本当の自分ではない存在が自分だと信じて、自分自身を否定する裁きを下せるでしょうか。
2. There is a stranger in our midst, who comes from an idea so foreign to the truth he speaks a different language, looks upon a world truth does not know, and understands what truth regards as senseless.
私たちの中には、よそ者がいます。そのよそ者は、あまりに真理とかけ離れた想念から生じたので、異言を話し、真理が知りもしない世界を見ており、真理が無意味だとみなすものを正しいことだと判断しています。
Stranger yet, he does not recognize to whom he comes, and yet maintains his home belongs to him, while he is alien now who is at home.
さらに奇妙なことに、そのよそ者は自分が誰の許に訪れているのかわかってもいないのに、その家にいる主人をよそ者扱いして、今では、その家は自分のものだと言い張っています。
And yet, how easy it would be to say, "This is my home. Here I belong, and will not leave because a madman says I must."
それでも、「ここは私の家だ。ここは私の居場所なのだから、狂人に私が出て行くべきだと言われたからといって出て行くつもりなどない」と言うのは本当にたやすいことです。
3. What reason is there for not saying this?
このように言わないどんな理由があるでしょうか。
What could the reason be except that you had asked this stranger in to take your place, and let you be a stranger to yourself?
理由があるとすれば、あなたが、このよそ者に入ってきて自分の代わりをしてほしいと頼んで、自らを自分自身にとってのよそ者にしてしまったこと以外にはありえません。
No one would let himself be dispossessed so needlessly, unless he thought there were another home more suited to his tastes.
誰も、自分の好みにもっと合う別の家が存在すると思ったのでなければ、そんなにも不用意にわが家を手放したりはしなかったはずです。
4. Who is the stranger?
そのよそ者とは誰なのでしょうか。
Is it fear or you who are unsuited to the home which God provided for His Son?
神がわが子のために用意してくれた家にふさわしくないのは、恐れなのでしょうか、それともあなたなのでしょうか。
Is fear His Own, created in His likeness?
恐れは、神と同じものとして創造された神に属するものでしょうか。
Is it fear that love completes, and is completed by?
恐れは、愛が完成し、そして、愛によって完成されるものでしょうか。
There is no home can shelter love and fear.
愛と恐れを一緒に宿すことのできる家などありません。
They cannot coexist.
愛と恐れは共存できないからです。
If you are real, then fear must be illusion.
もしあなたが実在するなら、恐れは幻想であるはずです。
And if fear is real, then you do not exist at all.
反対に、もし恐れが実在するなら、あなたはまったく存在しないはずです。
5. How simply, then, the question is resolved.
そうだとすれば、疑問はいとも簡単に解消します。
Who fears has but denied himself and said, "I am the stranger here. And so I leave my home to one more like me than myself, and give him all I thought belonged to me."
恐れる者は、ただ自分自身を否認して、次のように言っているだけなのです。「私はここではよそ者だ。だから、私は自分の家を私自身よりも私らしい者に渡して、私が自分のものだと思っていたものすべてをその者に渡すことにする」と。
Now is he exiled of necessity, not knowing who he is, uncertain of all things but this; that he is not himself, and that his home has been denied to him.
いまや、恐れる者は、自分が誰なのかわからないまま、放浪することを余儀なくされます。彼は、自分が自分自身ではなく、自分がわが家から拒絶されていることだけはわかっていますが、それ以外はどんなことにも確信が持てません。
6. What does he search for now?
いまや、彼は何を探すのでしょうか。
What can he find?
彼に何を見つけることができるでしょうか。
A stranger to himself can find no home wherever he may look, for he has made return impossible.
自分自身にとってのよそ者になった者には、どこを探しても自分の家を見つけられるはずがありません。というのも、彼はわが家に帰ることを自分で不可能にしてしまっているからです。
His way is lost, except a miracle will search him out and show him that he is no stranger now.
彼は道を見失ってしまいましたが、奇跡だけが彼を見つけ出して、彼がもうよそ者ではないと彼に示してくれるでしょう。
The miracle will come.
その奇跡が訪れるでしょう。
For in his home his Self remains.
というのも、彼の家には、彼の真の自己が留まっているからです。
It asked no stranger in, and took no alien thought to be Itself.
真の自己は、いかなるよそ者にも入ってくるよう求めたりしたことはなく、自らと相容れない思考が自分だと取り違えたこともありません。
And It will call Its Own unto Itself in recognition of what is Its Own.
だから、真の自己は、自分自身に属するものを認識することによって、自分自身にそれを呼び戻します。
7. Who is the stranger?
このよそ者とは誰なのでしょうか。
Is he not the one your Self calls not?
それは、あなたの真の自己が招きもしていない者ではないでしょうか。
You are unable now to recognize this stranger in your midst, for you have given him your rightful place.
今のところ、あなたは、自分の中核部分にこのよそ者が居座っていることを認識できずにいます。なぜなら、あなたは自分が当然占めるべき居場所をそのよそ者に与えてしまっているからです。
Yet is your Self as certain of Its Own as God is of His Son.
しかし、神がわが子を確信しているように、あなたの真の自己は自らに属するものを確信しています。
He cannot be confused about creation.
神に自分の創造物の見分けがつかないはずがありません。
He is sure of what belongs to Him.
神は、自らに属するものを確信しているからです。
No stranger can be interposed between His knowledge and His Son's reality.
神の知識と神の子の真の姿との間には、いかなるよそ者も割りこむことはできません。
He does not know of strangers.
神はよそ者など関知しません。
He is certain of His Son.
神はわが子のことを確信しているからです。
8. God's certainty suffices.
神が確信してくれていれば、それだけで十分です。
Who He knows to be His Son belongs where He has set His Son forever.
神がわが子として知っている者は、神がわが子のために永遠に定めた場所に属しています。
He has answered you who ask, "Who is the stranger?"
「よそ者とは誰なのか」と尋ねるあなたに、神は答えてくれています。
Hear His Voice assure you, quietly and sure, that you are not a stranger to your Father, nor is your Creator stranger made to you.
あなたは自らの大いなる父にとってよそ者ではないし、あなたにとって自らの創造主が見知らぬ存在になってもいないと、神の大いなる声が静かに、そして、確実にあなたを確信させてくれるのを聞き入れなさい。
Whom God has joined remain forever one, at home in Him, no stranger to Himself.
神が結び合わせたものは永遠にひとつであり続け、神の中にくつろいで、神自身にとって見知らぬものになることなどありません。
9. Today we offer thanks that Christ has come to search the world for what belongs to Him.
今日、私たちは、キリストが自分に属するものを探すためにこの世界に訪れたことに感謝を捧げます。
His vision sees no strangers, but beholds His Own and joyously unites with them.
キリストのヴィジョンは、いかなるよそ者をも見ることはなく、ただ自らに属するものだけを見て、喜んで彼らとひとつに結びつきます。
They see Him as a stranger, for they do not recognize themselves.
彼らのほうはキリストのことをよそ者として見ていますが、それは彼らには自分が誰なのかわかっていないからです。
Yet as they give Him welcome, they remember.
しかし、彼らがキリストを歓迎するなら、彼らも思い出すことになります。
And He leads them gently home again, where they belong.
そうすれば、キリストが、彼らを優しく再び自分たちの属するわが家へと連れ帰ってくれます。
10. Not one does Christ forget.
キリストは誰ひとり忘れてなどいません。
Not one He fails to give you to remember, that your home may be complete and perfect as it was established.
あなたが思い出すべき人をキリストがひとりでも与え損ねることはありません。だから、あなたの家は完成し、それが建てられたときと同じように完璧になります。
He has not forgotten you.
キリストは、あなたを忘れてなどいません。
But you will not remember Him until you look on all as He does.
しかし、キリストが見るようにすべての人たちを見るようになるまでは、あなたがキリストを思い出すことはないでしょう。
Who denies his brother is denying Him, and thus refusing to accept the gift of sight by which his Self is clearly recognized, his home remembered and salvation come.
自分の兄弟を否認する者は、キリストを拒んでいるのです。したがって、彼は、自分の真の自己を明確に認識し、わが家を思い出して救済を訪れさせることのできる視覚という贈り物を受け入れるのを拒んでいるのです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。
