レッスン161「聖なる神の子よ、私にあなたからの祝福を与えてください」
The best way to cheer yourself up is to try to cheer somebody else up.
自分を元気づける一番の方法は、ほかの誰かを元気づけようとすることだ。

Mark Twain
マーク・トウェイン
When you focus on being a blessing, God makes sure that you are always blessed in abundance.
あなたが祝福することに意識を集中するなら、神は間違いなく、あなたがつねに豊かさの中で祝福されるようにしてくれる。

Joel Osteen
ジョエル・オースティーン

レッスン161です。
「聖なる神の子よ、私にあなたからの祝福を与えてください」が今日のテーマです。
具体性の落とし子である私たちには、抽象的な真理は単なる理念、きれいごととしてしか響かない
今日のレッスンでは、
4.「ひとりの兄弟は、すべての兄弟なのです。
一つひとつの心はすべての心を含んでいます。というのも、すべての心はひとつだからです。
これこそ真理です。」
に続けて、
とはいえ、このような抽象的な言葉は、耳に心地よく情感として正しいような気分にさせてはくれても、根本的に理解されないし、理解すること自体不可能だと指摘します。
たしかにその通り、さすがイェシュア、といったところです。

具体性のレベルに降り立って抽象的な真理をあてはめるという作業をして体験することではじめて会得できる
心の自然な状態は抽象性にあるものの、自然な心の細分化された一区分の周囲にかさぶたのように具体性の皮をかぶせてしまっている個別の心の状態では、本来の自然な抽象思考は異質なものになってしまっているので、すべてのものは分裂してバラバラにしか見えず、ひとつであると見ることはできません。
そんな心に、抽象的な真理を示しても、外側の皮にはじき飛ばされて、心の中に染みこんではいきません。
同じ具体性のレベルに立って、この抽象的な真理を具体性のレベルであてはめるという作業をすることではじめて、かさぶたが幻でしかないということを真に体得することができるというのでしょう。
この心をバラバラにして包む身体という皮袋は、本当はつながっているはずの兄弟を見ることが恐怖と憎しみを生み攻撃と罪悪感の連鎖を生み出します。
レッスンでは、ひとりの兄弟を残りの全兄弟たちの象徴として選んで、その人の具体性を捨象して、自分自身と一体の存在であることを体感する実践をします。

Lesson 161
Give me your blessing, holy Son of God.
聖なる神の子よ、私にあなたからの祝福を与えてください。
1. Today we practice differently, and take a stand against our anger, that our fears may disappear and offer room to love.
今日、私たちは、これまでとは違ったように実習し、自分の怒りに対峙します。そうすれば、私たちの恐れは消え去り、愛に場所を譲ります。
Here is salvation in the simple words in which we practice with today's idea.
私たちが実習する今日の考えの単純な言葉の中に救済があります。
Here is the answer to temptation which can never fail to welcome in the Christ where fear and anger had prevailed before.
ここに誘惑に対する答えがあります。その答えは抜かりなく、恐れと怒りが以前には蔓延していた場所にキリストを迎え入れます。
Here is Atonement made complete, the world passed safely by and Heaven now restored.
ここで贖罪は完了し、この世界を安全に通り過ぎ、そして、今こそ天国が回復されます。
Here is the answer of the Voice for God.
ここにこそ、神に代わって語る大いなる声の答えがあります。
2. Complete abstraction is the natural condition of the mind.
完全な抽象性こそが、心の自然な状態です。
But part of it is now unnatural.
しかし、今のところ、心の一部は不自然になっています。
It does not look on everything as one.
その心の不自然な部分は、すべての物事をひとつのものとして見ていません。
It sees instead but fragments of the whole, for only thus could it invent the partial world you see.
その代わりに、その心の一部は、ただ全体の断片だけを見ています。というのも、その心の一部には、こうすることによってしか、あなたに見えているような断片的な世界を作り出すことはできないからです。
The purpose of all seeing is to show you what you wish to see.
見ることが目的とするのは、あなたが見たいと望むものをあなたに見せることだけです。
All hearing but brings to your mind the sounds it wants to hear.
聞くことはすべて、ただあなたの心が聞きたがっている音をあなたの心に運んでくるだけです。
3. Thus were specifics made.
こうして、具体的な物事が作り出されました。
And now it is specifics we must use in practicing.
だから、今、私たちが実習で使うべきなのは具体的な物事です。
We give them to the Holy Spirit, that He may employ them for a purpose which is different from the one we gave to them.
私たちは、具体的な物事を聖霊に渡します。そうすれば、私たちがこれまでそれらの具体的な物事に与えてきた目的とは違う目的のために聖霊がそれらの具体的な物事を使えるようになります。
Yet He can use but what we made, to teach us from a different point of view, so we can see a different use in everything.
しかし、私たちに違った観点から教え、そうすることで、私たちがあらゆるものについて違った用途を見出すことができるようにするために、聖霊が活用できるのは私たちの作ったものだけです。
4. One brother is all brothers.
ひとりの兄弟は、すべての兄弟なのです。
Every mind contains all minds, for every mind is one.
一つひとつの心はすべての心を含んでいます。というのも、すべての心はひとつだからです。
Such is the truth.
これこそ真理です。
Yet do these thoughts make clear the meaning of creation?
しかし、このような考えは、創造の意味を明確にするでしょうか。
Do these words bring perfect clarity with them to you?
これらの言葉は、あなたに完璧に明快な理解をもたらすでしょうか。
What can they seem to be but empty sounds; pretty, perhaps, correct in sentiment, yet fundamentally not understood nor understandable.
それらの考えや言葉は、ただ空疎に響く音にしか思えないのではないでしょうか。聞こえはいいかもしれないし、情緒的に正しくは感じられたとしても、根本的には理解できていないし、理解すること自体不可能なのではないでしょうか。
The mind that taught itself to think specifically can no longer grasp abstraction in the sense that it is all-encompassing.
具体的に思考するように自分自身を調教した心には、もはやすべてを包含するという意味の抽象性を把握することができなくなっています。
We need to see a little, that we learn a lot.
ゆえに、私たちは多くを学ぶために、少しのものに目を向ける必要があるのです。
5. It seems to be the body that we feel limits our freedom, makes us suffer, and at last puts out our life.
私たちは、身体が私たちの自由を制限し、私たちを苦しめ、ついには私たちの生命を消し去ってしまうように感じています。
Yet bodies are but symbols for a concrete form of fear.
しかし、身体は単に、恐れが具体的な形をとった象徴でしかありません。
Fear without symbols calls for no response, for symbols can stand for the meaningless.
恐れは、象徴の助けなくしては、何の反応も呼び起こすことはできません。というのは、象徴は無意味なものでも表現できるからです。
Love needs no symbols, being true.
愛は真実であるので、いかなる象徴も必要としません。
But fear attaches to specifics, being false.
しかし、恐れは偽りであるがゆえに、具体的な物事に結びきます。
6. Bodies attack, but minds do not.
身体は攻撃しますが、心は攻撃しません。
This thought is surely reminiscent of our text, where it is often emphasized.
身体は攻撃するが心は攻撃しないというこの考えは間違いなく、このことを繰り返し強調するテキストを想起させるはずです。
This is the reason bodies easily become fear's symbols.
身体は攻撃するが心は攻撃しないことが、身体が容易に恐れの象徴となってしまう理由です。
You have many times been urged to look beyond the body, for its sight presents the symbol of love's "enemy" Christ's vision does not see.
あなたは幾度も、身体を超えて見るようにと促されてきました。というのも、身体が見えていることは、キリストのヴィジョンでは見えない愛の「敵」の象徴を示しているからです。
The body is the target for attack, for no one thinks he hates a mind.
身体は攻撃の的となります。というのも、誰も自分が心を憎んでいるとは思ってはいないからです。
Yet what but mind directs the body to attack?
しかし、身体に攻撃するよう指示するのは心だけです。
What else could be the seat of fear except what thinks of fear?
恐れのことを考える心以外に、恐れを生み出せるものはありえません。
7. Hate is specific.
憎しみは具体的なものです。
There must be a thing to be attacked.
憎むには、攻撃すべき標的が存在しなければなりません。
An enemy must be perceived in such a form he can be touched and seen and heard, and ultimately killed.
敵というものは、触れることができて、見たり聞いたりできて、究極的には殺すことができるような形で知覚されるべきものです。
When hatred rests upon a thing, it calls for death as surely as God's Voice proclaims there is no death.
憎しみがある物に向けられるとき、憎しみは確実に死を求めます。それは、神の大いなる声が死は無いと宣言するのと同じくらい間違いないことです。
Fear is insatiable, consuming everything its eyes behold, seeing itself in everything, compelled to turn upon itself and to destroy.
恐れは貪欲で、すべてのものの中に自分自身を見てしまうために、自分自身に襲いかかって破壊するよう駆り立てられるので、その目に留まったものすべてを食らい尽くそうとします。
8. Who sees a brother as a body sees him as fear's symbol.
兄弟のことを身体とみなす者は、兄弟を恐れの象徴として見ています。
And he will attack, because what he beholds is his own fear external to himself, poised to attack, and howling to unite with him again.
だから、彼は攻撃することになります。なぜなら、彼には、彼の外部に置かれた彼自身の恐れが再び彼とひとつに結びつこうと攻撃態勢をとって唸り声を上げているさまが見えているからです。
Mistake not the intensity of rage projected fear must spawn.
投影された恐れが生み出す憤怒の苛烈さを見損なってはなりません。
It shrieks in wrath, and claws the air in frantic hope it can reach to its maker and devour him.
その憤怒は激するあまり金切り声を上げて、自分の作り主を捕えて貪り食ってやろうと猛り狂って、かぎ爪で空中を掻き毟っています。
9. This do the body's eyes behold in one whom Heaven cherishes, the angels love and God created perfect.
肉眼は、天国が大切にし、天使たちが愛し、神が完璧に創造した兄弟の中に、こんな恐れを象徴する姿を見ているのです。
This is his reality.
天国が大切にし、天使たちが愛し、神が完璧に創造した存在であることが兄弟の本当の姿です。
And in Christ's vision is his loveliness reflected in a form so holy and so beautiful that you could scarce refrain from kneeling at his feet.
だから、キリストのヴィジョンには、あなたが思わず彼の足下に跪かずにいられないほど神聖で美しい兄弟の素晴らしさが映し出されています。
Yet you will take his hand instead, for you are like him in the sight that sees him thus.
もっとも、あなたは跪く代わりに、兄弟の手を取ることになるでしょう。というのも、その兄弟をそのような素晴らしいものとして見る視覚には、あなた自身も兄弟と同じ素晴らしい存在に見えるからです。
Attack on him is enemy to you, for you will not perceive that in his hands is your salvation.
兄弟を攻撃することは自分に敵対することです。というのも、攻撃することによって、あなたは、兄弟の手の中に自らの救済があることがわからなくなるからです。
Ask him but for this, and he will give it to you.
兄弟に救いだけを求めてください。そうすれば、兄弟はあなたに救いを与えてくれるでしょう。
Ask him not to symbolize your fear.
兄弟にあなたの恐れの象徴となるように求めてはなりません。
Would you request that love destroy itself?
あなたは、愛に愛自身を滅ぼすことを求めようというのでしょうか。
Or would you have it be revealed to you and set you free?
それとも、あなたは、愛に自分の前に姿を現して、自分を自由にしてもらいたいのでしょうか。
10. Today we practice in a form we have attempted earlier.
今日、私たちは、以前に試みたことのある形式で実習します。
Your readiness is closer now, and you will come today nearer Christ's vision.
あなたの準備は今では以前よりもずっと整っているので、あなたは今日、キリストのヴィジョンに、より接近できるでしょう。
If you are intent on reaching it, you will succeed today.
もしあなたがキリストのヴィジョンに到達することに専念するなら、きっと今日あなたは成功するでしょう。
And once you have succeeded, you will not be willing to accept the witnesses your body's eyes call forth.
そして、いったんあなたが成功すれば、あなたには自分の肉眼が見せる証拠を受け入れようという気をなくすでしょう。
What you will see will sing to you of ancient melodies you will remember.
あなたが見ることになるものは、あなたが思い出すことになる太古の旋律をあなたに聴かせてくれるでしょう。
You are not forgot in Heaven.
天国はあなたを忘れてなどいません。
Would you not remember it?
あなたも天国を思い出したくはないでしょうか。
11. Select one brother, symbol of the rest, and ask salvation of him.
ほかのすべての兄弟たちの象徴としてひとりの兄弟を選んで、その人に救済を求めてください。
See him first as clearly as you can, in that same form to which you are accustomed.
まず、自分にできるかぎり明確に、あなたが見慣れている姿でその人の姿を心に思い浮かべてください。
See his face, his hands and feet, his clothing.
その人の顔を見て、その人の手と足、その人が着ている服も見てください。
Watch him smile, and see familiar gestures which he makes so frequently.
その人が微笑むのを見つめ、そして、その人がよくする見慣れた仕草を眺めてください。
Then think of this: What you are seeing now conceals from you the sight of one who can forgive you all your sins; whose sacred hands can take away the nails which pierce your own, and lift the crown of thorns which you have placed upon your bleeding head.
それから、次のように考えてください。「私のすべての罪を赦すことのできる人の真の姿が、今私に見えている姿によって覆い隠されて、私に見えなくなっている。その人の神聖な手こそが、私の手に打たれた釘を抜き取り、私が自らの血の滴る頭に被せた棘の冠を取り除くことができるのだ」と。
Ask this of him, that he may set you free:
その人があなたを自由にしてくれるように、次のように求めてください。
Give me your blessing, holy Son of God.
聖なる神の子よ、私にあなたからの祝福を与えてください。
I would behold you with the eyes of Christ, and see my perfect sinlessness in you.
私は、キリストの目であなたを見つめ、あなたの中に自分の完璧な潔白さを見ることにします。
12. And He will answer Whom you called upon.
そうすれば、あなたが呼びかけたキリストが答えてくれるでしょう。
For He will hear the Voice for God in you, and answer in your own.
というのも、キリストはあなたの中に神を代弁する声を聞き、あなた自身の声で答えてくれるからです。
Behold him now, whom you have seen as merely flesh and bone, and recognize that Christ has come to you.
あなたがこれまで単なる肉と骨の塊でしかないと見ていた兄弟を今こそ、よく見つめなさい。そして、キリストが自分の許に訪れてくれたことを認めてください。
Today's idea is your safe escape from anger and from fear.
今日の考えは、あなたが怒りと恐れから安全に脱出する方法です。
Be sure you use it instantly, should you be tempted to attack a brother and perceive in him the symbol of your fear.
兄弟を攻撃したくなったり、自分の恐れの象徴を兄弟の中に知覚してしまいそうな誘惑に駆られたら、必ずすぐに今日の考えを使うようにしてください。
And you will see him suddenly transformed from enemy to savior; from the devil into Christ.
そうすれば、あなたは、その兄弟がたちまち敵から救い主へ、悪魔からキリストへと姿を変えるのを見るでしょう。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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