レッスン163「死は存在しない。神の子は自由だ」

2013年11月22日
レッスン161〜170 0

「私とはこの身体だ」という観念のせいで、死というものが、自分自身の喪失であるとして恐れられている。
誕生と死は肉体のみに付随するものであるが、それらは自己の上に間違って押しつけられている。



ラマナ・マハルシ



神以外のものは、すべて死ぬ



ルーミー



The secret of life is to ‘die before you die’ — and find that there is no death.
人生の秘訣は、「自分が死ぬ前に死ぬ」ことだ。そうすれば、死は存在しないとわかる。



Eckhart Tolle.
エックハルト・トール



Jesus said: Whoever lives the interpretation of these words will no longer taste death.
イエスは言われた。私がこれから語る言葉の意味を理解できる者は決して死を経験することはなくなるであろう、と。

Jesus Christ

The Gospel of Thomas(1 True Meaning.)
イエス・キリスト(トマスによる福音書)



無欲であるべきだとは言わなかったのと同様、私はここで、死を恐れるべきではないと言っているわけでもない。

死に対する恐怖を抑圧すると、かえってそれを強めることになる。

今ある「私」とその他すべての「物事」は消え去るのだということを、いかなる疑念のかげりもなく知ること、その知識によって、「私」や「物事」を手放さざるをえなくなるほどに知ること、ポイントはそれだけだ――あたかもグランド・キャニオンのふちから落ちた刹那であるかのように、しっかりと”今”それを知ること。

実際のところ、あなたは生まれたときに崖っぷちから突き落とされたのだ。

そして、あなたと一緒に落ちてゆく岩にしがみついても、何の助けにもならない。

もし死が怖いなら、怖がるがいい。

要点は、それ――恐怖、幽霊、苦痛、はかなさ、消滅、そしてもろもろ――とともにあること、それがなすがままに任せることだ。

すると、これまでは信じられなかったような驚きがやってくる。決して生まれなかったがために、あなたは死なないのだ。

あなたは、自分が誰であるかをすっかり忘れてしまっていただけだ。

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アラン・ワッツ




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レッスン163です。

「死は存在しない。神の子は自由だ」が今日のテーマです。





M27 死とは何か(神は、愛の神なのか死神なのか)

が参考になると思います。


「実在」と「実在の不在」

生命と死は、愛と恐れ、光と闇と同じように一方のみが実在し、他方は実在しない無を対置する有対無の対概念です。

通常の対概念は、両方の概念が対等な実在性を持つ有対有の関係で、相互に排斥し合う対極同士です。

けれど、「実在」と「実在の不在」は、有対無であるがゆえに、一方通行の排斥関係にある、つまり、「実在」が「実在の不在」を消し去りはするけれど、「実在の不在」が「実在」を放逐することはありえないという関係性、つまり、外観上、対立しているように見えているだけで実は対立していない関係です。

生命の不在に名前をつけたものが死であり、愛の不在に名前をつけたものが恐れであり、光の不在に名前をつけたものが闇です。

実在するのは生命と愛と光です。


抽象→具体と投影先が遠くなるほど「実在」より「実在の不在」のほうがリアリティを帯びてくる

光と闇であれば、暗闇の中に光を射し込ませれば、即座に闇は消え去るので、闇に積極的な実在性がないことは一目瞭然なので、光が実在し、闇は光の不在だというこの仕組みは容易に理解できます。

それが愛と恐れ、であるとか、生命と死、精神と物質となると、話が違ってきて、通常の対概念のようにどちらも対等な力を持つ有対有の相互排斥関係を持つようになると感じます。

恐怖で怯えて心を閉ざした状態にあると、愛情で包み込まれても、簡単には恐怖は消えないので、恐怖は闇に比べると積極的に実在するように思えるからです。

時間をかければ愛が凍りついた心を溶かす見込みはまだありそうですが、どんなに時間をかけようとも、老衰や傷害によって死んだ状態に生命を注入して復活させることはできないように思えるので、百歩譲って恐怖が実在しないことまでは認めるにしても、死が実在しないと考えることだけはどうしてもできないということになります。

つまり、厳然として取り返しのつかない死が目の前にある以上は、生命の対極として生命と同じだけの積極的な実在性を持って死があるということになります。

そしてさらに、精神と物質に至っては、形の曖昧な精神より物理的に現前する物質のほうがむしろ積極的実在性を持っており、どちらか一方だけが実在するというのなら、むしろ実在するのは物質のほうであって、精神は物質の影のような程度の現実味しかないはずだ、ということになります。


陰陽の反転

同じ陰陽二極の陰の範疇に属する概念でも、闇、恐怖、死、物質と形が変わるにつれて、どんどん陽よりも陰のほうの実在性が増していき、陰が極まって陽に転ずるようにすら思えます。

これは神本来の属性、つまり、真に実在するものが持つ属性である抽象性が、幻想世界に反映されるにつれて具体性を帯びたものとなり、プラスとマイナスが正反対に逆転するので、幻想世界では、神の現実にある陽の要素が反転した陰の要素のほうが実在するように見え、逆に陽の要素は実体を持たない影のようにしか捉えられなくなる逆転現象が起こるということです。


そして、私たちが現に自分がいると思って生きているのはこの幻想世界です。


この世界かぎりでは物質や死はたしかに「存在」する

その意味で、この世界かぎりの話としては物質や死が実在性を持っているというのは事実です。ただし、それは、この世界では時間や空間が確かに「存在」するというのと同じ次元の話です。

そして、時間や空間は、自分と他者との間に隔たりがあると錯覚するひとつの分離幻想が多様な形をとっているだけです。

「For time and space are one illusion, which takes different forms.
 なぜなら、時間と空間はひとつの幻想であって、それがさまざまな形をとっているだけだからです。

 If it has been projected beyond your mind you think of it as time.
 もしそのひとつの幻想があなたの心の外側に投影されると、あなたはそれを時間として考えます。

 The nearer it is brought to where it is, the more you think of it in terms of space.
 その幻想がそのありかである心により近くもたらされると、あなたはそれを空間という観点で考えるようになります。」
T26-8 救いはもう、済んでいる 1.)


具体性を帯びる投影先ほど光源からの反映にはタイムラグが生じる

小説家が描く物語世界での筋書きの変更や修正は小説家の頭の中だけで即座に実現できます。

けれど、より具体性を持った舞台となると、脚本家が筋書きを変更しても、すでに変更前の脚本に基づいて照明・音響・演技・大道具・小道具・衣裳等々の各担当者が自分の仕事を進めており、自動的に舞台上の役者の振る舞いやセットにその変更は反映しません。脚本の変更を舞台上に反映するまでには、舞台監督、演出家等が脚本の変更を採用して裏方や俳優に指示を出して実際の上演を待つというプロセスが必要になります。

光の世界であれば、小説家が頭の中で物語を変更するように、闇を光で照らせば、即座に光の不在は解消できます。

しかし、舞台などよりもさらに複雑で多層的に展開する幻想世界では、幻想世界のルールに従うかぎりは、光で闇を消し去るように即座に修正はされえないということになります。


とはいえ、薄い影も濃い影も光に対して一瞬も持ちこたえられないのは同じ

もっとも、これは、この世界という土俵に乗っかった上での話であって、コースが狙いを定めているのは、この世界というゲームテーブルの上でプレイするゲームに上がることではなく、ゲームテーブル自体をひっくり返すことであり、このちゃぶ台返しには、この世界のルールは何ひとつ当てはまらないことを忘れてはなりません。

救済の即時性としてコースが繰り返し述べるのはこのことです。


つまり、エゴに従うかぎり、この世界の設定する序列に従うことになり、死や物質は、闇や恐れに比べてより堅固な実在性を持っており、死や物質を闇や恐怖のように払拭することは困難ということになりますが、聖霊に従うかぎり、死や物質もこの世界かぎりで存在する虚構を構成する一要素でしかない点では闇や恐怖とまったく同じくらい実体のない幻であり、闇や恐怖を払い退けられるなら、それと同じくらい容易に一掃できるものだということになります。


まとめ

さて、ながながと屁理屈を捏ねてきたので、頭が少し混乱したかもしれませんのでまとめます。

幻想の中に囚われている私たちにとっては、物質が存在するのと同じくらい確実に死は厳然として存在するとしか思えない、

けれど、

光や愛や生命や精神といった神の現実に実在する属性も、この二元性の支配する幻想世界に反映されると、それに対立する影として、闇、恐怖、死、物質が姿を現し、闇よりも恐怖、恐怖よりも死、死よりも物質という具合にどんどん実在性が増すように見える、

しかし、この難易度の序列化こそ、奇跡の難易度に序列があるように見せかける錯覚と同根の幻想であり、

世界が幻想であるなら、死や物質がどんなに堅固な実在性を持っているように見えても、しょせん幻でしかない

つまり、

死はない

ということになります。




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Lesson 163

There is no death. The Son of God is free.
死は存在しない。神の子は自由だ。



1. Death is a thought that takes on many forms, often unrecognized.
 死とは、さまざまな形をまとう思考ですが、それが死だとは気づかれないこともよくあります。

 It may appear as sadness, fear, anxiety or doubt; as anger, faithlessness and lack of trust; concern for bodies, envy, and all forms in which the wish to be as you are not may come to tempt you.
 死という思考は、悲しさ、恐れ、不安や疑念として表れることもあれば、怒りや不誠実さ、信頼の欠如、身体の心配、羨望として表れることもありますが、とにかく、あなたの許を訪れてはあなたを誘惑する自分ではないものになりたいという願望はどれもすべて死がまとう形です。

 All such thoughts are but reflections of the worshipping of death as savior and as giver of release.
 それらのすべての思いは、単に解放を与えてくれる救い主として死を崇拝していることの反映でしかありません。



2. Embodiment of fear, the host of sin, god of the guilty and the lord of all illusions and deceptions, does the thought of death seem mighty.
 恐れの権化であり、罪の宿主であり、罪悪感の神にして幻想と欺瞞の主である死という思考は、実に強大なものに見えます。

 For it seems to hold all living things within its withered hand; all hopes and wishes in its blighting grasp; all goals perceived but in its sightless eyes.
 というのは、死は生きとし生けるものをその萎びた手の内に握っているように見えるし、すべての希望と願望は、死の荒廃の手に握り潰され、すべての目標はただその盲いた目でしか知覚されないように思えるからです。

 The frail, the helpless and the sick bow down before its image, thinking it alone is real, inevitable, worthy of their trust.
 か弱い者や寄る辺なき者、病んだ者は、死だけが本物で、不可避で信頼に値するものだと思いこんで、死の影を前にひれ伏します。

 For it alone will surely come.
 というのも、確実にやってくるのは死だけだからです。



3. All things but death are seen to be unsure, too quickly lost however hard to gain, uncertain in their outcome, apt to fail the hopes they once engendered, and to leave the taste of dust and ashes in their wake, in place of aspirations and of dreams.
 死を除くあらゆる物事は、当てにならないものに思えます。どんなものも、たとえ困難を乗り越えて手に入れても、あまりにあっさりと失われてしまうような成果の不確実なものでしかなく、たいていは自分がかつて抱いた希望を果たし損ねて、憧れや夢のあった場所に塵や灰の後味を残して去ってしまうものです。

 But death is counted on.
 これに比べて、死は当てになります。

 For it will come with certain footsteps when the time has come for its arrival.
 というのも、その到着の時が来たら、死は確実な足取りで訪れるからです。

 It will never fail to take all life as hostage to itself.
 死は絶対に、自らの人質に取ったどんな生命も奪い損ねることはありません。



4. Would you bow down to idols such as this?
 あなたは、こんな偶像にひれ伏したいのでしょうか。

 Here is the strength and might of God Himself perceived within an idol made of dust.
 ここでは、塵から作り出された偶像の中に、神自身の力と強さが知覚されています。

 Here is the opposite of God proclaimed as lord of all creation, stronger than God's Will for life, the endlessness of love and Heaven's perfect, changeless constancy.
 ここでは、神の対極にあるものが全創造物の主であり、生命を意図する神の大いなる意志や愛の果てしなさや天国の完璧で不変の恒常性よりも力強いものとして宣言されます。

 Here is the Will of Father and of Son defeated finally, and laid to rest beneath the headstone death has placed upon the body of the holy Son of God.
 ここで、神と子の大いなる意志がついに打ち負かされ、そして、聖なる神の子の身体の上に死が置いた墓石の下に埋葬されます。



5. Unholy in defeat, he has become what death would have him be.
 敗北して神聖さを失った神の子は、死が望む通りの存在へと成り下がってしまいました。

 His epitaph, which death itself has written, gives no name to him, for he has passed to dust.
 死が自ら刻んだ神の子の墓碑銘には、彼のためにいかなる名前も与えられません。というのも、神の子は塵に成り果ててしまったからです。

 It says but this: "Here lies a witness God is dead."
 そこには、ただこう刻まれています。「神の死の証人、ここに眠る」と。

 And this it writes again and still again, while all the while its worshippers agree, and kneeling down with foreheads to the ground, they whisper fearfully that it is so.
 そして、死の崇拝者たちがこれに同意して、跪いて地面に頭をこすりつけて、彼らが怯えながらその通りだと囁く間中ずっと、死はこの言葉を何度も何度も書き続けるのです。



6. It is impossible to worship death in any form, and still select a few you would not cherish and would yet avoid, while still believing in the rest.
 何らかの形で死を崇拝しておきながら、なお、自分が大切にする気がなくて避けたままにしたいと思うものだけを選んで死に差し出して、それ以外のものは依然として生かしておくことができると信じるのは不可能です。

 For death is total.
 というのは、死とは全面的なものだからです。

 Either all things die, or else they live and cannot die.
 すべてのものが死ぬか、あるいは、すべてのものが生きて死ぬことがありえないか、そのどちらかです。

 No compromise is possible.
 妥協の余地はありません。

 For here again we see an obvious position, which we must accept if we be sane; what contradicts one thought entirely can not be true, unless its opposite is proven false.
 なぜなら、私たちは、もし自分が正気であるなら、ある考えに全面的に対立するものは、その反対が偽りだと証明されないかぎり、真実ではありえない、という当然の見解を受け入れざるをえないことをここで再び理解するからです。



7. The idea of the death of God is so preposterous that even the insane have difficulty in believing it.
 神の死という観念は、あまりに馬鹿げているので、狂気に陥った者ですら、それを信じることが困難です。

 For it implies that God was once alive and somehow perished; killed, apparently, by those who did not want Him to survive.
 というのも、神の死という観念が示しているのは、神がかつては生きていたが、どういうわけか死んでしまって、どうやら神が生きながらえることを望まなかった者たちによって殺されてしまったらしいということだからです。

 Their stronger will could triumph over His, and so eternal life gave way to death.
 神を滅ぼそうとした者たちの意志は、神の意志よりも強力で、神に打ち勝つことができたのであり、したがって、永遠の生命は死に道を譲ったことになります。

 And with the Father died the Son as well.
 そして、父の死に伴って子も同じく死ぬことになったというのです。



8. Death's worshippers may be afraid.
 死の崇拝者たちが怯えるのも、もっともなことです。

 And yet, can thoughts like these be fearful?
 それでも、このような考えは恐れるに値するでしょうか。

 If they saw that it is only this which they believe, they would be instantly released.
 もし死の崇拝者たちが、自分たちが信じているのが、この程度のものでしかないと理解したら、彼らは、すぐにも解放されるでしょう。

 And you will show them this today.
 そして、あなたはこのことを今日、彼らに示すことになります。

 There is no death, and we renounce it now in every form, for their salvation and our own as well.
 死は存在しません。そして、私たちは、死の崇拝者たちの救済と自分自身の救済のために、今、あらゆる形において死と縁切りします。

 God made not death.
 神は死を作りませんでした。

 Whatever form it takes must therefore be illusion.
 したがって、死がいかなる形をとろうとも、それは幻想に違いありません。

 This the stand we take today.
 今日、私たちはこの観点に立ちます。

 And it is given us to look past death, and see the life beyond.
 だから、私たちは、死を通り越して、その向こう側に生命を見ることができます。



9. Our Father, bless our eyes today.
 わが父よ、今日、私たちの目を祝福してください。

 We are Your messengers, and we would look upon the glorious reflection of Your Love which shines in everything.
 私たちはあなたの使者です。そして、私たちは、あらゆるものの中に輝くあなたの大いなる愛の栄えある反映を見るつもりです。

 We live and move in You alone.
 私たちは、あなただけの中に生き、活動します。

 We are not separate from Your eternal life.
 私たちは、あなたの永遠なる生命から離れてはいません。

 There is no death, for death is not Your Will.
 死は存在しません。というのも、死はあなたの大いなる意志ではないからです。

 And we abide where You have placed us, in the life we share with You and with all living things, to be like You and part of You forever.
 そして、私たちは、あなたと同じものとなって永遠にあなたの一部になるようにと、あなたが私たちを置いてくれた場所である生命の中に留まります。私たちはその生命を、あなたと、そして、生きとし生けるものと分かち合っています。

 We accept Your Thoughts as ours, and our will is one with Yours eternally.
 私たちは、あなたの大いなる思いを自分たちのものとして受け入れます。そして、私たちの意志は、永遠にあなたの大いなる意志とひとつなのです。

 Amen.
 アーメン。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。





次

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 松山 健 Matsuyama Ken
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