レッスン181「私は、自分の兄弟たちを信頼する。彼らは私とひとつなのだから」
兄弟との関わりの中には、シンプルな選択があります。相手を無罪とするか、有罪とするかです。この選択は、何度も何度も、毎日、毎時、毎秒やってきます。ひとつの思いで兄弟を幽閉し、別の思いで釈放します。相手をこう扱おうと決めたやり方で、あなたはあなた自身を裁くことになります。

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」33ページ)

レッスン181です。
「私は、自分の兄弟たちを信頼する。彼らは私とひとつなのだから」が、今日のテーマです。

知覚の焦点
今日のレッスンでは、知覚の焦点について語られます。
私たちが兄弟の間違いに焦点を合わせると、過去の誤りを罪として忘れず、将来の報復を想定することとなり、意識は、過去と未来に奪われ、他者の罪を意識することで自分の罪も意識して、間違いの奥にある真理に気づくことができなくなります。
だから、今日のレッスンでは、私たちがエゴに惑わされて、いつも知覚の焦点を間違いに合わせて過去と未来に没頭していることに気づき、過去は過ぎ去っているし、未来は単なる想像でしかないことを自覚して、今、自らの内に罪がないことに気づく必要があります。
エゴのオートフォーカスの作動を止める方策
それでも、私たちがエゴに調教されて徹底的に習慣づけられた焦点の癖はオートフォーカスで作用して、私たちを視野狭窄に陥らせて、他者を敵視して怒りを湧き上がらせて兄弟の罪をあげつらうことでしょう。
そこで、次のような指示を心に与えることによって障害を克服します。
「6. We recognize that we have lost this goal if anger blocks our way in any form.
私たちは、もし怒りが少しでも自分たちの道を塞ぐなら、自分がこの(自らの内なる罪のなさを見つめるという)目標を見失ってしまったのだと気づくようにします。
And if a brother's sins occur to us, our narrowed focus will restrict our sight, and turn our eyes upon our own mistakes, which we will magnify and call our "sins."
そして、もしひとりの兄弟の罪でも心に浮かぶなら、私たちの狭められた焦点が私たちの視野を制限し、自らの目を自分自身の間違いに向けさせ、私たちは、その間違いを誇張して自分たちの『罪』と呼ぶようになってしまいます。
So, for a little while, without regard to past or future, should such blocks arise we will transcend them with instructions to our minds to change their focus, as we say:
だから、しばらくの間でも、過去や未来に目を向けることなく、もしそのような障害が生じたときには、自分の心にその焦点を変えさせるための次のような指示を与えることで、障害を乗り越えるようにしましょう。
It is not this that I would look upon.
私が見たいのはこのようなものではない。
I trust my brothers, who are one with me.
私は、自分の兄弟を信頼する。彼らは私とひとつなのだから。」

Lesson 181
I trust my brothers, who are one with me.
私は、自分の兄弟たちを信頼する。彼らは私とひとつなのだから。
1. Trusting your brothers is essential to establishing and holding up your faith in your ability to transcend doubt and lack of sure conviction in yourself.
あなたが自分自身についての疑念や確信の欠如を乗り越える能力が自分にはあるという信念を確立して維持するためには、あなたの兄弟を信頼することが必須です。
When you attack a brother, you proclaim that he is limited by what you have perceived in him.
あなたがある兄弟を攻撃するとき、あなたは、その人はあなたがその人だと知覚した姿によって制限された存在だと宣言しているのです。
You do not look beyond his errors.
あなたはその兄弟の誤りの向こう側を見てはいません。
Rather, they are magnified, becoming blocks to your awareness of the Self that lies beyond your own mistakes, and past his seeming sins as well as yours.
それどころか、兄弟の誤りは誇張され、それが、あなた自身の間違いが及ばない向こう側にあり、あなたの間違いと同じように兄弟の見かけ上の罪の向こう側にある大いなる自己をあなたが自覚するのを妨げる障害となってしまっています。。
2. Perception has a focus.
知覚は、焦点を持ちます。
It is this that gives consistency to what you see.
あなたの見るものに一貫性を与えるのは、この知覚の焦点です。
Change but this focus, and what you behold will change accordingly.
ただこの焦点だけを変えてください。そうすれば、あなたの見るものは、それに連動して変化するでしょう。
Your vision now will shift, to give support to the intent which has replaced the one you held before.
今、あなたの視覚は、あなたが以前に用いていた意図に置き換わった新たな意図を支持するために、変化することになります。
Remove your focus on your brother's sins, and you experience the peace that comes from faith in sinlessness.
自分の兄弟の罪に焦点を合わせるのをやめなさい。そうすれば、あなたは、潔白さを信頼することによって平安が訪れるのを体験するでしょう。
This faith receives its only sure support from what you see in others past their sins.
この信頼の正しさは、あなたがほかの人たちの中に彼らの罪を通り越して見るものによってのみ確実に裏付けられます。
For their mistakes, if focused on, are witnesses to sins in you.
というのも、もし兄弟の間違いに焦点が合わされていると、それらの間違いがあなたの中に罪があることを証明することになってしまうからです。
And you will not transcend their sight and see the sinlessness that lies beyond.
そうなったら、あなたは、兄弟たちの姿を越えて、その向こう側にある罪のない姿を見ることができなくなるでしょう。
3. Therefore, in practicing today, we first let all such little focuses give way to our great need to let our sinlessness become apparent.
それゆえ、今日実習する際には、私たちはまず、兄弟の間違いに合わされているすべての卑小な焦点を私たちが潔白であることを明白にさせる大いなる必要性によって置き換えなければなりません。
We instruct our minds that it is this we seek, and only this, for just a little while.
私たちで、わずかな間、自分たちが探すのはこれであり、それも、ただこれだけだということを、自分の心に教えましょう。
We do not care about our future goals.
私たちは、自分たちの将来の目標のことなど気にかけません。
And what we saw an instant previous has no concern for us within this interval of time wherein we practice changing our intent.
そして、私たちが自分の意図を変える実践をするこの時間の合間においては、自分が一瞬前に見たものすら、私たちにとってはまったく重要なものではありません。
We seek for innocence and nothing else.
私たちが求めているのは、潔白さであって、それ以外の何ものでもありません。
We seek for it with no concern but now.
私たちはただ今にだけ集中して、潔白さを探します。
4. A major hazard to success has been involvement with your past and future goals.
あなたが自分の過去や未来の目標に巻き込まれてしまうことが、これまで、この探求に成功するうえでの最大の障害となっていました。
You have been quite preoccupied with how extremely different the goals this course is advocating are from those you held before.
あなたは、このコースの提唱する目標が以前に自分の抱いていた目標とはあまりにかけ離れていることにすっかり気をとられてしまっています。
And you have also been dismayed by the depressing and restricting thought that, even if you should succeed, you will inevitably lose your way again.
そしてまた、あなたは、たとえもし自分が成功したとしても、必ず自分は再び道を見失ってしまうはずだという憂鬱で締め付けられるような思いを抱いて怯えています。
5. How could this matter?
でも、どうしてこんなことが問題になりうるでしょうか。
For the past is gone; the future but imagined.
というのも、過去はすでに去っているし、未来は単なる想像でしかないからです。
These concerns are but defenses against present change of focus in perception.
このような心配は、単に、知覚の焦点が今変わることに対する防衛反応でしかありません。
Nothing more.
本当にそれだけです。
We lay these pointless limitations by a little while.
私たちは、しばらくの間だけでも、このような無意味な限界づけをやめることにします。
We do not look to past beliefs, and what we will believe will not intrude upon us now.
私たちは、過去の信念に目を向けるのをやめます。そうすれば、私たちが未来に信じるようになることが今私たちの邪魔をすることもなくなるでしょう。
We enter in the time of practicing with one intent; to look upon the sinlessness within.
私たちは、自らの内なる潔白さを見つめるという、ひとつの意図をもって実習時間を始めます。
6. We recognize that we have lost this goal if anger blocks our way in any form.
私たちは、もし怒りが少しでも自分たちの道を塞ぐなら、自分はこの目標を見失ってしまったのだと気づくようにします。
And if a brother's sins occur to us, our narrowed focus will restrict our sight, and turn our eyes upon our own mistakes, which we will magnify and call our "sins."
そして、もしひとりの兄弟の罪でも心に浮かぶなら、私たちの狭められた焦点が私たちの視野を制限し、自らの目を自分自身の間違いに向けさせ、私たちは、その間違いを誇張して自分たちの「罪」と呼ぶようになってしまいます。
So, for a little while, without regard to past or future, should such blocks arise we will transcend them with instructions to our minds to change their focus, as we say:
だから、しばらくの間でも、過去や未来に目を向けることなく、もしそのような障害が生じたときには、自分の心にその焦点を変えさせるための次のような指示を与えることで、障害を乗り越えるようにしましょう。
It is not this that I would look upon.
私が見たいのはこのようなものではない。
I trust my brothers, who are one with me.
私は、自分の兄弟を信頼する。彼らは私とひとつなのだから。
7. And we will also use this thought to keep us safe throughout the day.
そして、私たちはまた、自分を安全に保つことができるように、この考えを一日を通して用います。
We do not seek for long-range goals.
私たちは、長期的な目標を追求するわけではありません。
As each obstruction seems to block the vision of our sinlessness, we seek but for surcease an instant from the misery the focus upon sin will bring, and uncorrected will remain.
一つひとつの障害が、私たちの罪のなさのヴィジョンを妨げるように思えるたびに、私たちは、罪に焦点を合わせることでもたらされて未修正のまま残る惨めさをただ一瞬、手放すことだけを求めます。
8. Nor do we ask for fantasies.
そして、私たちは空想を求めることもしません。
For what we seek to look upon is really there.
というのも、私たちが見たいと求めるものは本当にあるものだからです。
And as our focus goes beyond mistakes, we will behold a wholly sinless world.
そして、私たちが間違いを越えたところに焦点を移すにつれて、私たちは、完全に罪のない世界を目にするでしょう。
When seeing this is all we want to see, when this is all we seek for in the name of true perception, are the eyes of Christ inevitably ours.
私たちが完全に罪のない世界を見たいと望み、正しく知覚するために私たちがその世界だけを求めるようになったとき、必ずキリストの目が私たちのものとなります。
And the Love He feels for us becomes our own as well.
そして、キリストが私たちに感じている愛は、同じように私たち自身のものとなります。
This will become the only thing we see reflected in the world and in ourselves.
私たちは、このキリストの愛だけを、世界と自分自身の中に反映されている唯一のものとして見るようになります。
9. The world which once proclaimed our sins becomes the proof that we are sinless.
かつて私たちの罪深さを宣言していたこの世界は、私たちが無罪である証しとなります。
And our love for everyone we look upon attests to our remembrance of the holy Self which knows no sin, and never could conceive of anything without Its sinlessness.
そして、自分の見るすべての者たちに対する私たちの愛は、いかなる罪も知るところではなく、そして、決して自らの潔白さを伴うことなく何ものをも心に描くことのできない神聖な大いなる自己が私たちの記憶の中にあることを証明します。
We seek for this remembrance as we turn our minds to practicing today.
私たちが今日の実習に自分の心を向けるに際して、私たちは、この記憶を探します。
We look neither ahead nor backwards.
私たちは、前方を見ることも後方を振り返ることもしません。
We look straight into the present.
私たちは、現在の中へとまっすぐに目を向けます。
And we give our trust to the experience we ask for now.
そして、私たちは、自分が今求めている体験に信頼を置きます。
Our sinlessness is but the Will of God.
私たちの罪のなさは、単に神の大いなる意志にほかなりません。
This instant is our willing one with His.
この瞬間こそ、神の意図することとひとつの私たちの意図する瞬間なのです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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