T24-3 自分は特別だと思うことは自分自身に敵対すること?
真の勇気が試されるのは逆境の時ではない。幸運な時どれだけ謙虚でいられるかで試されるのだ。

ヴィクトール・フランクル

今回は、テキストから、特別性を赦すことについての一節をご紹介します。
自分は特別な存在っていい響き☆!
自分が特別な存在だという思いには、他人の不幸に劣らないほど濃厚な蜜の味がします。
つまり、エゴの大好物ということです。
私たちは、叶うものなら、自分が他者よりも抜きん出た優れた存在でありたいと思っています。
冒頭のフランクル先生の言葉「真の勇気が試されるのは逆境の時ではない。幸運な時どれだけ謙虚でいられるかで試されるのだ。」には真理が潜んでいますが、中には、謙虚である自分が素晴らしいという形にこの欲望が倒錯して結実して、他者よりもへりくだることによって自らの優位性を意識して満足するという面倒くさい人もいます。
また、特別な存在になるために努力するのが面倒くさいからといって、他者を引きずり下ろそうとする人もいますが、そんな人も、他者と自分が同じだと見ているわけではなくて、自分が特別でありたいからこそ、自分の欲しいものを持っている他人が許せなくなるだけです。
自分は特別だと思うのは自己卑下?
自分が特別であるという思いは、普通に考えると、思い上がりであり、そうだからこそ、否認すべき概念ということになります。
しかし、本当の自分が神の子としての大いなる自己であるならば、本当の自分に比べたら砂粒に満たないほどの分裂したかけらに自己同一化して、そのかけら以外の残りのすべては、自分とは分離した敵か、気に入らなければ撲滅すべき程度のどうでもよいものでしかないと捉えることは、思い上がりどころか、本当の自分を忘れて、卑小な者へと自らを卑下する「思い下がり」でしかありません。

神はすべてです。
特別であることは、ほかから抜きん出ていることです。
特別であろうとすることは、自他を区別し、すべてを包含する状態から離れようとするベクトルです。
特別性を追い求めることは、他者が自分より勝っていてはならないということなので、他者への攻撃を必然的に伴います。
だから、特別であろうとするかぎり、すべてである神からは離れ、自分に都合のよい利益を授けてくれるエゴの神を偶像として崇拝することになり、この世界と他者は、自分を引き摺り下ろそうとする競争相手であり、敵でしかないということになります。
特別であろうとすると、自らを孤独で無力で、脆弱な存在と感じざるをえません。
赦しが特別な状態を終わらせる
そして、この節の冒頭で、赦しは、特別な状態の終わりだといいます。
赦しは、この世界が幻想でしかないと見通して取り消すことです。
そして、幻想の中に重要性の程度をつけたり、ある幻想は気に入らないからなしにするけど、この幻想は気に入っているから残しておくという発想をしているかぎり、真の赦しは不可能だといいます。
でも、通常、私たちが自己実現としてイメージするのは、このような小さな自己にとって都合のよい状況が実現されることです。
自分に都合のよい状態の引き寄せは自己実現ではなく自己破壊
自分が交通事故にあったり犯罪の被害者になったりするのは幻想として消えてしまえばいいけど、自分が昇進して、マイホームを建てている幻想は消えてしまうにはもったいないから、残したいというわけです。
個としての自分にとって望ましくない属性をなくし、自分と周囲の世界を自分のお気に入りのもので満たすことさえできれば、幸せになれると。
でも、どれだけお気に入りで周りを固めても、いつまでたっても、自分(の身体)と切り離された周囲は別物であり続けるわけで、葛藤が消え去ることはありません。
争いや葛藤につきまとわれるストレスの多い会社を退職して、それまで安らぎの場であった暖かい家庭に引きこもって幸せになれると思っていたら、今度は、家庭内で会社のころのミニチュア版のような葛藤が起こってくるだけです。
自分自身がエゴ・身体と一体化し、兄弟にエゴ・身体としての役割を割り当てているかぎりは、どこまで縮小しても同じだし、社会的な規模は小さくなったように見えても、主観的に味わう苦しみの大きさは変わらないか、より素の自分として葛藤を味わうだけに、むしろ大きくなるだけです。
兄弟の位置づけの転換
エゴは兄弟たちに、私たちの許へと幸せを運ぶ役割を割り当てます(T29-4 夢での役割)。
そのために、他者が首尾よく私たちのところに幸せを配達することができず、失敗すると、期待外れの兄弟たちのせいで私たちは不幸になったとブーブー文句を垂れ流しながら、被害者、消費者として生き続けることになります。
これに対して、聖霊が兄弟に代わりに与えてくれる役割は、自分が振り上げた剣を振り下ろすか背けるかで一緒に自分を幽閉し続けるか開放するかを選択する機会を与えてくれる私たちの救い主だというものです(レッスン192「私には、神が私に果たさせようとする役目がある」)。
兄弟のことを罪の無い自分の救い主とみることで、兄弟と揃って大いなる自己を取り戻すことになるということです。

テキスト第二十四章
III. The Forgiveness of Specialness
三 特別性の赦し
1. Forgiveness is the end of specialness.
赦しは、特別な状態の終わりです。
Only illusions can be forgiven, and then they disappear.
赦されうるのはただ幻想だけです。そして、赦されたなら、幻想は消え去ります。
Forgiveness is release from all illusions, and that is why it is impossible but partly to forgive.
赦しはすべての幻想からの解放です。この理由から、一部だけを部分的に赦すことは不可能です。
No one who clings to one illusion can see himself as sinless, for he holds one error to himself as lovely still.
誰であれ、ひとつでも幻想にしがみついている者は、自分自身を罪なき者とみなすことができません。というのも、その人は、いつまでもひとつの誤りを大切にして離そうとしないからです。
And so he calls it "unforgivable," and makes it sin.
そうして、彼は、そのひとつの誤りを「許されざるもの」と呼んで、罪に変えてしまいます。
How can he then give his forgiveness wholly, when he would not receive it for himself?
したがって、その人が自分が赦されることを受け入れるまでは、彼には他者を完全に赦すことはできません。
For it is sure he would receive it wholly the instant that he gave it so.
というのも、彼が他者を完全に赦したその瞬間、彼が完全に赦されるのは間違いないからです。
And thus his secret guilt would disappear, forgiven by himself.
このようにして、彼が秘密にしている罪悪感は、自分自身による赦しによって消滅することになります。

2. Whatever form of specialness you cherish, you have made sin.
いかなる形であれ、特別であることをあなたが大切にするなら、あなたは罪を作り出したのです。
Inviolate it stands, strongly defended with all your puny might against the Will of God.
神聖にして不可侵の特別性は、あなたの脆弱な力を総動員して守備を固め、神の大いなる意志に対抗して立ち向かいます。
And thus it stands against yourself; your enemy, not God's.
したがって、特別であることは、神の意志であるあなた自身に敵対することであり、神の敵ではなく、あなたの敵となることです。
So does it seem to split you off from God, and make you separate from Him as its defender.
だから、特別であることは、あなたを神から分離させて、あなたを罪の守護者として神から分離したままにするよう見えます。
You would protect what God created not.
あなたは、神が創造しなかったものを守ろうとしているのです。
And yet, this idol that seems to give you power has taken it away.
それでも、あなたに力を授けてくれるように見えている、この特別性という偶像は、実はあなたの力を取り去ってしまったのです。
For you have given your brother's birthright to it, leaving him alone and unforgiven, and yourself in sin beside him, both in misery, before the idol that can save you not.
というのも、あなたは自分の兄弟の生得の権利を特別性という偶像に与えて、その兄弟を孤独で赦されないままにして、あなた自身も兄弟の傍で罪に浸り、あなたたちを救うことなどできもしない偶像の前でふたり揃って悲惨さを味わうことになるからです。
3. It is not you who are so vulnerable and open to attack that just a word, a little whisper that you do not like, a circumstance that suits you not, or an event that you did not anticipate upsets your world, and hurls it into chaos.
あまりに攻撃に対して無防備で傷つきやすいために、自分の気に入らないたった一言や些細な囁きであるとか、自分の意に沿わない状況や自分が予想もしなかった出来事によって、自分の世界を転覆させられて、大混乱の中に放り込まれてしまうような存在は、本当のあなたではありません。
Truth is not frail.
真理は脆弱ではありません。
Illusions leave it perfectly unmoved and undisturbed.
幻想には真理を動揺させたり、かき乱すことはまったくできません。
But specialness is not the truth in you.
しかし、特別性はあなたの中にある真理ではありません。
It can be thrown off balance by anything.
特別性は何によっても、バランスを崩されてしまいます。
What rests on nothing never can be stable.
無に基盤を置くものは、決して安定することができないからです。
However large and overblown it seems to be, it still must rock and turn and whirl about with every breeze.
無に基盤を置くものは、それがどんなに大きく膨れ上がっているように思えても、依然として軽く波風が立つたびに揺れ動いて、ひっくり返って、きりきり舞いするに違いありません。

4. Without foundation nothing is secure.
土台なくしては、何事も安定しません。
Would God have left His Son in such a state, where safety has no meaning?
神が、安全が意味を持たないそんな状態にわが子を置くようなことをしたでしょうか。
No, His Son is safe, resting on Him.
そんなはずがありません。神の子は、神に基盤を置いているがゆえに、安全なのです。
It is your specialness that is attacked by everything that walks and breathes, or creeps or crawls, or even lives at all.
息をして歩き回るものや這いずり回るもの、とにかくいやしくも命を持つすべてのものによって攻撃されるのは、あなたの特別性なのです。
Nothing is safe from its attack, and it is safe from nothing.
特別性の攻撃からは何ひとつ安全ではないし、特別性は、何ものからも安全ではありません。
It will forevermore be unforgiving, for that is what it is; a secret vow that what God wants for you will never be, and that you will oppose His Will forever.
自分は特別だと思う者は、永遠に赦すことがありません。というのも、赦さないことこそが特別性であり、決して神が自分に望んでいる通りのものにはならない、自分は永遠に神の大いなる意志に逆らうことにする、とあなたが密かに立てた誓いだからです。
Nor is it possible the two can ever be the same, while specialness stands like a flaming sword of death between them, and makes them enemies.
それに、あなたの意志と神の意志との間に、特別性が死をもたらす燃え立つ剣のように立ちはだかって、あなたの意志と神の意志を敵同士にしているかぎりは、あなたの意志と神の意志は決して同じものにはなりえません。
5. God asks for your forgiveness.
神は、あなたの赦しを求めています。
He would have no separation, like an alien will, rise between what He wills for you and what you will.
神があなたのために意図することとあなたが意図することとの間に、相容れない意図のようないかなる分離を生じさせることも、神は意図していません。
They are the same, for neither One wills specialness.
神の意図とあなたの真の意図は同じものです。なぜなら、どちらも特別であることを意図しないひとつの大いなる意図だからです。
How could They will the death of love itself?
どうして神の意志とあなたの意志が、愛そのものの死を意図できるでしょうか。
Yet They are powerless to make attack upon illusions.
しかし、神の意志にもあなたの意志にも、幻想を攻撃する力などありません。
They are not bodies; as one Mind They wait for all illusions to be brought to Them, and left behind.
神の意志とあなたの意志は、身体ではありません。両者は、ひとつの大いなる心として、すべての幻想が自分たちのところにもたらされ、それらをあとにして立ち去るときを待っています。
Salvation challenges not even death.
救済は、死にすら異議を唱えようとはしません。
And God Himself, Who knows that death is not your will, must say, "Thy will be done" because you think it is.
だから、あなたが死が自分の意志であると思っているとしても、神は、死があなたの意志ではないとわかっているがゆえに、「汝の意志がなされるように」と言うに違いないのです。

6. Forgive the great Creator of the universe, the Source of life, of love and holiness, the perfect Father of a perfect Son, for your illusions of your specialness.
あなたが自分は特別な存在だという幻想を抱いていることについて、生命と愛と神聖さの大いなる源にして、完璧な子の完璧な父である宇宙の偉大なる創造主を赦してください。
Here is the hell you chose to be your home.
この幻想世界は、あなたが自分の居場所として選んだ地獄です。
He chose not this for you.
神は、こんな世界をあなたのために選んでなどいません。
Ask not He enter this.
こんな世界に入ってくることを神に求めてはなりません。
The way is barred to love and to salvation.
この世界では、愛と救いへの道は閉ざされています。
Yet if you would release your brother from the depths of hell, you have forgiven Him Whose Will it is you rest forever in the arms of peace, in perfect safety, and without the heat and malice of one thought of specialness to mar your rest.
とはいえ、もしあなたが自分の兄弟を地獄の淵から解放することを意図したなら、あなたは大いなる父を赦したことになります。大いなる父は、あなたがいつまでもその平安の腕に抱かれ、完璧な安全性の中に安らぎ、あなたの安息を損なうような特別でありたいとの思いによる熱情や悪意をひとつも抱かないように意図しているからです。
Forgive the Holy One the specialness He could not give, and that you made instead.
聖なる存在である神を赦しなさい。神が特別性を与えたはずがないのであって、神ではなくあなたが自分で特別性をでっちあげたからです。
7. The special ones are all asleep, surrounded by a world of loveliness they do not see.
自分が特別であると思う者たちはみんな眠りこけているので、素晴らしい世界に囲まれているというのに、彼らには、その素晴らしさが目に入りません。
Freedom and peace and joy stand there, beside the bier on which they sleep, and call them to come forth and waken from their dream of death.
彼らの眠る棺の傍で、自由と平安と歓喜が、死の夢から目を覚まして棺から出てくるようにと彼らに呼びかけています。
Yet they hear nothing.
しかし、彼らには何も聞こえません。
They are lost in dreams of specialness.
彼らは、特別性という夢の中に迷いこんでしまっているからです。
They hate the call that would awaken them, and they curse God because He did not make their dream reality.
自分が特別だと思って夢の中に迷いこんでいる者たちは、自分たちを起こそうとする呼び声を嫌悪し、神が自分たちの夢を現実にしてくれなかったことを理由に神を呪います。
Curse God and die, but not by Him Who made not death; but only in the dream.
神を呪って死ぬがよいでしょう。ただし、その死は神によるものではありません。神は死を作らなかったのだから、それはただ夢の中での出来事にすぎません。
Open your eyes a little; see the savior God gave to you that you might look on him, and give him back his birthright.
あなたの目を少し開いて、神があなたに授けてくれた救い主である自分の兄弟を見てください。そうすれば、あなたは彼をよく見て、彼の生まれ持った権利をその兄弟に戻してあげる気になるはずです。
It is yours.
それは、あなたの生得の権利でもあるのです。

8. The slaves of specialness will yet be free.
特別性の奴隷になっている者であってもなお、自由になることができます。
Such is the Will of God and of His Son.
特別性から解放されることが神の大いなる意志であり、子の意志でもあるからです。
Would God condemn Himself to hell and to damnation?
神が自身を地獄や破滅に追いやるようなことをするでしょうか。
And do you will that this be done unto your savior?
それに、あなたは、自分の救い主にそんな目に遭ってほしいのでしょうか。
God calls to you from him to join His Will to save you both from hell.
神は、あなたと救い主である兄弟の双方を地獄から救い出すために、あなたも神の大いなる意志に加わるようにと、兄弟を通してあなたに呼びかけています。
Look on the print of nails upon his hands that he holds out for your forgiveness.
あなたの赦しを求めて兄弟が差し延べている彼の手に残る釘の痕を、よく見てください。
God asks your mercy on His Son and on Himself.
神はあなたに、神の子と神自身に対する慈悲を求めています。
Deny Them not.
神と子に慈悲を与えるのを拒んではなりません。
They ask of you but that your will be done.
神と子はただ、あなたの意図がなされることだけを求めています。
They seek your love that you may love yourself.
あなたが自分自身を愛することができるようにと、神と子はあなたの愛を求めているのです。
Love not your specialness instead of Them.
神と子の代わりに、自分の特別さを愛してはなりません。
The print of nails is on your hands as well.
その釘の痕はあなたの手にも残っています。
Forgive your Father it was not His Will that you be crucified.
あなたが十字架に磔にされることなど父の意志ではなかったのだから、あなたの父を赦してください。


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