レッスン185「私は神の平安を望む」


When you see the world through serene eyes, you generate peace wherever you go.
あなたが穏やかに澄んだ目で世界を眺めるとき、あなたは自分の赴くどこにでも平安を創出している。



Jerry Dorsman; Bob Davis
ジェリー・ドースマン、ボブ・デイヴィス



「ものごとは一筋縄では行かないものだなどと考えたこともない変わり者は、ある日、まるで自分のために特別に商品が運び込まれたかのようなショーケースの前に、わけもわからず居合わせる。そこでは最初のお客さんはなんでもただでもらえることになっているのだった。その人の背後には、「人生の現実とは甚だ暗澹としていて、ツキがあるのは変わり者だけ」ということを信じて疑わない人々による長蛇の列ができあがる。
人生とは、世界が居住者たちに、「じゃあ、私がどんなか、当ててごらん!」という同じ質問を常に投げかけているゲームなのである。各人はそれぞれの考え方に応じて、「お前は攻撃的だ」または「お前は居心地が良い」と答える。あるいは、「楽しい」「暗い」「友好的だ」「敵対的だ」「幸福だ」「不幸だ」というようにである。
それにしても興味深いのは、このクイズ・ゲームでは誰もが勝者になれるという点だ。世界は、誰の前であろうと、注文どおりの形で姿を現してくれる。そして、もし幸運に恵まれていた先ほどの変わり者が「人生の現実」というものに突き当たり、世界に対する自分の態度を変えたとすると、リアリティはそれに呼応して変化し、先見の明があったはずの変わり者は、列の最後尾へと放り投げられることになる。



Vadim Zeland
ヴァジム・ゼランド(「トランサーフィン 鏡の「超」法則 リンゴが空へと落下する―奇跡の願望実現法」174ページ)

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No matter how full a reservoir of maxims one may possess, and no matter how good one’s sentiments may be, if one has not taken advantage of every concrete opportunity to act, one’s character may remain entirely unaffected for the better.
どんなにたくさんの金言名句を知っていても、どんなに善良な心根を持っていても、それを行動に表す具体的なチャンスを逃さずに活用しなければ、その者の人格は少しも向上しないままだろう。

With mere good intentions, hell is proverbially paved.
ことわざ(地獄への道は善意で敷き詰められている)に言うように、単に善い意図を持っているだけなら、地獄への道が歩みやすくなるだけだ。



William James
ウィリアム・ジェイムズ






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レッスン185です。

今日のテーマは「私は神の平安を望む」です。




世界という夢芝居の舞台

このレッスンでは、次のように、この世界という舞台とその登場人物の仕組みについて述べられています。T27-8 夢の主人公が参考になると思います。


「3. Two minds with one intent become so strong that what they will becomes the Will of God.
 一つの意図を持った二つの心はあまりに強力なので、彼らの意志は神の大いなる意志となります。

 For minds can only join in truth.
 というのも、心と心は真理の中でのみひとつに結びつくことができるからです。

 In dreams, no two can share the same intent.
 夢の中では、同じ意図をふたつの心が分かち合うことはできません。

 To each, the hero of the dream is different; the outcome wanted not the same for both.
 お互いにとって夢の主人公が違うので、望まれる結果は両者にとって同じものにはならないからです。

 Loser and gainer merely shift about in changing patterns, as the ratio of gain to loss and loss to gain takes on a different aspect or another form.
 利益と損失の比率は、違った局面や違った形をとるので、単に失う者と得る者が交互に変わってゆくことで交代するだけです。」


世界の成り立ちやアバター同士の関係性という心惹かれるテーマに惑わされない

夢の世界を体験するための主人公として用いられているアバターは個々の兄弟ごとで相互に異なるので、夢の中で、つまり、この世界で同じ意図を私たちが分かち合うことはできないけれど、自分を分裂させてアバターになりきっていた擬似人格を統合して心をひとつにすることで、真理の中で、つまり、ゲームセンターであるこの世界に入り込む前の神の現実においては、自分はひとりの神の子なのだと気づくことができるということが述べられています。

私たちは、アバターである無数の人の子たちの関係性や世界の成り立ちについてとても心惹かれてしまいがちです。

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世界を知覚し心で認知作用を営み自意識を持つ自分と同じ思考作用がはたして本当にほかの人の中でも起こっているのだろうか、他者の中でも自分と同じ「私現象」が起こっているのだとしたら、他者から見えている世界と自分が見ている世界は同じなのだろうか、重なり合っているのだろうか、それとも、一人ひとりは別の世界を生きていて、そこに登場している他者は木偶人形なのだろうか、等々さまざまな疑問や興味、関心を抱きます。


器や形に心奪われるのはエゴ

ですが、神のひとり子の救済のみに焦点を当てるコースからすれば、そんなことはまったくの些事でしかありません。

分離幻想という狂気が生み出した形でしかない夢の世界やその世界を眺める覗き窓であるアバターであるエゴ・身体のことを精密に研究して解明したところで、狂気からの脱出のためには何の役にも立ちません。

要点は、それらの形という結果を生み出した原因である内容、心を理解することだけです。

私たちが内容に注意を払うのを忘れて、形に関心を持つことは、分離幻想を維持することになるので、エゴは私たちに形に関心を持つよう仕向けます。

なので、私たちは、どうしても心よりも世界に心奪われてしまいます。

「8. The ego is incapable of understanding content, and is totally unconcerned with it.
 エゴは内容を理解することができないので、内容にはまったく関心を持ちません。

 To the ego, if the form is acceptable the content must be.
 エゴにとっては、もし形が満足のいくものであれば、中身も満足できるに違いないのです。

 Otherwise it will attack the form.
 形が気に入らない場合には、エゴはその形を攻撃します。

 If you believe you understand something of the "dynamics" of the ego, let me assure you that you understand nothing of it.
 もしあなたが自分はエゴの「力学」を多少なりとも理解していると信じているなら、あなたがエゴの力学を何ひとつ理解していないのは間違いないと私が請け合いましょう。

 For of yourself you could not understand it.
 なぜなら、自分ひとりだけでは、あなたにエゴの力学を理解することはできないからです。

 The study of the ego is not the study of the mind.
 エゴを研究しても、それは心を学ぶことにはなりません。

 In fact, the ego enjoys studying itself, and thoroughly approves the undertakings of students who would "analyze" it, thus approving its importance.
 実際のところ、エゴは喜んでエゴ自体について研究します。そして、生徒たちがエゴの「分析」を試みることは、エゴの重要性を承認することなので、エゴはその試みに諸手を挙げて賛同します。

 Yet they but study form with meaningless content.
 しかし、生徒たちは無意味な中身の入れ物の形態を研究することにしかなりません。

 For their teacher is senseless, though careful to conceal this fact behind impressive sounding words, but which lack any consistent sense when they are put together.
 こうなるのは、生徒たちを教える教師が無意味な存在だからです。教師としてのエゴは、印象的な響きを持つ言葉を並べ立てて、自分に中身がないという事実を注意深く隠そうとします。しかし、それらの言葉をまとめてつなぎ合わせても、首尾一貫した意味など何もないのです。」


必要以上に妄想を現実として取り合わない

狂っている人が見ている妄想からその人が脱するためには、複雑怪奇なその妄想の世界の仕組みを解明することはまったく必要ありません。

そんなことはかえって狂気を深めるだけです。

結果として現れている妄想からその原因となっている心の歪みを読み取るために妄想を観察する以上のことは必要ありません。

やるべきことはありもしない妄想が錯覚だということをその人が理解できるよう治療を行うことだけです。

そして、私たちという狂気の存在たちが世界という妄想世界に生きている原因が分離幻想という愛の欠如であることは、すでに聖霊が教えてくれているのですから、私たちは、それ以上、原因究明のための活動を行う必要はありません。


世界を自分の内面を映す鏡としてシンプルに捉えるところでとどめておく

私たちに必要な世界認識は、世界とは自己認識を投影によって反映する鏡のようなものであり、自分とは分離した無数の他者が存在すると確信している心にはその通り分裂しきった複雑に錯綜した冷酷な世界としての姿を見せるし、愛に満ちた目で他者を自分とひとつに結ばれた兄弟と見るシンプルな心には、シンプルで愛に溢れた自分の身体のように愛しい世界としての姿を見せるであろうという程度の理解で十分なはずです。

それ以上に客観的な世界の仕組みを解明しようなどという願望は断ち切ったほうが健全でいられるかもしれません。

というのも、世界は心の投影でしかないのだから、世界=心であり、客観的な世界の仕組みなどおそらく存在せず、その人の分離幻想の深刻さ度合いに応じて世界は複雑怪奇な姿を見せるだけなはずだからです。


奇跡のコースをアカデミックに学問として学ばないように注意する

So far as I can remember, there is not one word in the Gospels in praise of intelligence.
私の記憶の及ぶ限り、福音書の中には、知性を称賛する言葉はたったの一言も存在しない。

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Bertrand Russell
バートランド・ラッセル



Well done is better than well said.
うまいことを言うよりも、うまくやり遂げるほうがずっとよい。



Benjamin Franklin
ベンジャミン・フランクリン



この点、奇跡のコースは、行動ではなく心の内面のみにフォーカスを合わせ、しかも、知的な側面からのアプローチをとるために、コースの学びはどうしてもアカデミックな色彩を帯びがちなことは否定できません。

このような点からすると、「アルケミスト」に登場する求道者、素朴な行動派の主人公サンチャゴと複雑な思考が得意な学究肌のイギリス人のタイプ分けで言うなら、コースの学習は、イギリス人タイプの人に向いているように一見思えます。

現に奇跡のコースに惹かれる人はどちらかというと理知的なタイプの人が多いかもしれません。

けれど、逆説的ですが、おそらくイギリス人タイプの人は、スタートダッシュはとても早く学習が進むでしょうが、早々にプラトーに達して大いに伸び悩むことになるでしょう。

このタイプの学習者は、コースの知的な側面にとらわれてコースを学問のように学ぶ罠にハマってしまいがちだからです。

そのまま、知性重視の発想から抜け出せないかぎり、コースの言葉は、心の表面を「神聖」な「真理」で氷のように固めて輝かせて、一見、キラキラときれいにしますが、凍てついた心は、清く正しく美しいもの以外は受け付けず、汚れや誤りや醜さを排除し攻撃する狭量で柔軟性のない結晶化したものにしてしまうでしょう。

いつの間にか学習で得た有益なはずの情報が心の動きを悪くする重荷に変わって、学ぶことは苦痛となり、苦しいけれど、がんばればいつか悟りがひらけるはずだという未来志向の期待だけを頼みにして、同じところをぐるぐる回り続けることになります。

これに対して、サンチャゴタイプの人は、取り組み当初は遅々として歩みは進まないかもしれないけれど、地道に学習を進めれば進めるほど、何も頭に詰め込んで覚えておく必要がないという理解が進み、凝り固まった考え方から解放されます。

心は温かい湖の水面のように柔らかになり、汚れや誤りや醜さとして流れ込む水も受け入れて、湖面を自由に波立たせ、思考の魚たちが思うがままに泳ぎ回って表面的には汚れや誤りや醜さとして現れていた物事から栄養を吸収して育ち、湖はどんどん豊かになります。

繰り返せば繰り返すほど、コースの学びによって心の湖の表面は、木の板の荒い表面が、鑿から鉋、やすり、目の細かいサンドペーパーをかけて美しく磨かれていくように、どんどん穏やかに磨き込まれ、暖かな愛に引き寄せられてやってくるすべてを表面的な禍福や美醜、善悪を問わずに受け入れて祝福する愛に裏打ちされた広い度量が身についてゆくことになります。




「でも、この旅であなたは僕に何も教えてくれませんでしたね」と少年は言った。「僕は、あなたが知っていることを僕に教えてくれるものだと思っていました。少し前、僕は錬金術のことを書いた本を持っている人と一緒に、砂漠を渡ってきました。でも、僕は本からは何も学ぶことができませんでした」

「学ぶ方法は一つしかない」と錬金術師は答えた。「それは行動を通してだ。おまえは必要なことはすべて、おまえの旅を通して学んでしまった。おまえはあと一つだけ、学べばいいのだ。」

少年はそれが何なのか、知りたかった。しかし錬金術師ははやぶさを探して、地平線のかなたを見ていた。

「あなたはなぜ、錬金術師と呼ばれているのですか?」

「錬金術師だからさ」

「では、他の錬金術師が金を作ろうとしても作れなかったのは、何がまちがっていたのですか?」

「彼らはただ金だけを探しているのだ」と錬金術師は答えた。「彼らは自分たちの運命の宝物だけを求めていて、実際に運命を生きたいとは思っていないのだ」



Paulo Coelho
パウロ・コエーリョ(「アルケミスト」)





ワークブックのレッスンを実践すればわかるように、コースは学習者が自分の人生での実践を通して学ぶことを求めています。

コースが目指すのはアンラーニングによる心の変化ではあっても、心の変容の問題だからと外的な行動は無関係だとして本の虫のようになるのではなく、錬金術師が教えてくれるように、行動を通してしか人は学ぶことができないということを意識して宝物だけを求めるのではなく、実際に自分の運命を生きることが欠かせないと言えるでしょう。


カート・ヴォネガットさんが次の言葉で示してくれているように、この世界では、自分はこういう人間だという自己認識、自己評価が本当のその人を示すのではなく、むしろ他者から見たその人の生きざまが本当のその人を示すものとなります。

各人の心の内面が投影されて生まれるこの世界では、他者との関わり、行動を抜きにして自分が何者であるかを知ることはできません。

自分のことを、心の内面では愛の想念を育んでいる愛に溢れた人物だと自任しながらも、外的には、社会との関わりを断ち、他者や動物を傷つけたり虐待したりする人生を送った人物は、客観的には真に愛を生きた人とはいえないでしょう。

自他分離の錯覚を脱して他者とつながることを愛というのであれば、これは当然でしょう。



We are what we pretend to be, so we must be careful about what we pretend to be.
私たちが表向きに装う姿こそ、本当の私たちにほかならない。だから、私たちは、自分が何者のふりをするかに慎重であらねばならない。

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Kurt Vonnegut, Mother Night
カート・ヴォネガット



イエスは何より行動の人だった

イエスは、形式主義で細かい戒律を重視して愛ある信仰ではなく偽善による神の正義を求める律法学者ファリサイ派を批判し、直接弟子にとった12使徒たちは、ペテロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネ、ピリポは漁師だったし、その他の弟子たちも大工や徴税人でした。

イエスが求めていたのは、理知的な学びによって律法を誦(そらん)じ(暗記して何も見ないでも言えるようになること)たり縦横無尽に都合よく解釈できる力ではなく、知性によって曇らされていた真理を覆う障りを取り払って真理を会得し、自他分離は錯覚で自分も含めたみんなが神の子を宿す兄弟であるという自覚に基づいて愛の業(行動)をなす人たちだったからです。

イェシュアは今も、コースを通じて当時と同じように、私たちに学者や修行僧のようになって悟りの境地に到達ようとしたり、博愛主義者となって他者に滅私奉公することを求めているのではなく、自分の本質が愛そのものであることに気づいて、自分の影響の輪の中で、その自覚が呼びかける通りに愛の業を実践することを求めているように思います。


理解することよりも使うことを優先することが大事

コースを理解しようという観点も大切ですが、コースを道具として使い倒そうという観点のほうが大切に思います。

私たちは、その物事の仕組みをそれほど完全に理解しているわけではないけれど、その物事を活用してその恩恵に浴するということを日々の生活で体験しています。

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電話、インターネット、電力、ガス、交通網等々、さまざまな社会的なインフラ、国家、営利会社、NPO等の組織、機関が提供するさまざまな人的物的サービス、パソコンをはじめとする電化製品や自動車、そして、自分の心や身体も、私たちは、仕組みがほとんどわかっていないにもかかわらず、それなりに使いこなして役立てています。

もちろん、仕組みをしっかり理解することがその物事をよりよく役立てるうえで有効なのは言うまでもありません。

けれど、物事が存在するのは、それを理解するためではなく、その物事が担う機能、役割を発揮するためです。

利用者が電灯が光る仕組みをまったく理解していなくても、スイッチを押して明かりを灯す役目を果たすことができれば、利用者は電灯を使う意義を十分果たしているのであり、それ以上、電灯の仕組みを勉強して理解する必要はないといえます。

最新の自動車にはたくさんの役立つ機能が満載ですが、それらをほとんど活用できなくても、ハンドル操作とアクセル・ブレーキ操作ができて、運転して行きたい場所に行くために使えれば、最低限、車の役目を果たしていることになります。


車の持つ機能を完全に理解することに人生を賭けて、一度も運転しないまま人生を終える人はどうかしているというべきでしょう。

その人は、自分が自動車を手に入れたのは、いったい何のためだったのかを改めて問い直す必要があります。

奇跡のコースを完全に理解することに人生を賭けて、コースを人生の目的にしてしまって、一度も赦しの実践をしないまま人生を終える人もどうかしているというべきではないでしょうか。


コースは道具でしかない。偶像化しないで捨て去るときが来るのを目指す(笑)

そして、皮肉なことに、コースを理解するための対象として位置づけるかぎり、理解が困難なままなのに対して、コースを道具として活用すると位置づけたとたん、コースの理解が容易になって促進するというパラドキシカルな関係性を指摘することができます。つまり、理解することを目的に学ぶ人よりも、赦しを行うツールとしてコースを使うために学ぶ人のほうが、実践を通じて理解が進むわけです。

この点は、レッスン93「光と喜びと平安が私の中にある」のエッセイを読んでいただければと思います。

奇跡のコースを奉ることなく、道具として位置づけ、絶対視しないで、活用するというくらいでちょうど良いのではないでしょうか。

お釈迦さまの筏の喩えは、大切なのは此岸(「しがん」河岸のこちら側 仏教では、生死の迷いを河、海に喩え、此岸は、迷いと悩みの世界であるこの世を指す)から彼岸(「ひがん」河のあちら側の向こう岸。仏教では、サンスクリット語で、彼岸は「パーラム」、河などを渡ることを「イター」と言うので、悟りの境地に至って極楽浄土に至ることを「パーラミター」、漢訳で「到彼岸」と言います。)に渡ることであり、その方便としての仏法がどんなに優れて有益なものだとしても、道具にすぎないものに愛着していつまでもしがみついていたのでは、かえって向こう岸に行く邪魔になるということを教えてくれています(レッスン246「父なる神を愛することは、神の子を愛することだ」)。

コースも仏典と同じように、神の子の救済、神の子が神の下に帰還するための方便でしかないのだから、むしろ、とことん使いこなしてできるものなら、早く捨て去りたいものだというくらいの位置づけがなされるべきだと言えます。

私たちの学びが進んでコースを捨て去ることができたとしたら、どんなに素晴らしいことでしょう。

イェシュアは、どれほど喜んでくれることでしょう。

 


Lesson 185
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I want the peace of God.
私は神の平安を望む。



1. To say these words is nothing.
 単にこの言葉を言うことそれ自体には意味はありません。

 But to mean these words is everything.
 しかし、この言葉をその通り本気で意図することには全面的な意味があります。

 If you could but mean them for just an instant, there would be no further sorrow possible for you in any form; in any place or time.
 もしあなたがただほんの一瞬でも、この言葉を本気で意図することができたら、いかなる形でも、いついかなるときでも、もうこれ以上、あなたは悲しむことはできなくなります。

 Heaven would be completely given back to full awareness, memory of God entirely restored, the resurrection of all creation fully recognized.
 そのとき、あなたは天国の自覚を完全に取り戻して、神の記憶を完全に回復し、すべての創造物が復活したことを完全に認識するからです。



2. No one can mean these words and not be healed.
 「私は神の平安を望む」という言葉を真に意図しながら、癒されない者など誰ひとりいません。

 He cannot play with dreams, nor think he is himself a dream.
 その人はもう、さまざまな夢と戯れることも、自分自身を夢だと思うこともできなくなります。

 He cannot make a hell and think it real.
 彼は、地獄を作り出して、それを本物だと思うこともできません。

 He wants the peace of God, and it is given him.
 彼は神の平安を望み、彼にはそれが与えられます。

 For that is all he wants, and that is all he will receive.
 というのも、彼は神の平安だけを望み、彼は神の平安だけを受け取るからです。

 Many have said these words.
 多くの者たちが、この言葉を口にしてきました。

 But few indeed have meant them.
 しかし、この言葉を真に意図した者は、本当にごくわずかしかいませんでした。

 You have but to look upon the world you see around you to be sure how very few they are.
 このような者がいかにわずかしかいないか確かめたければ、あなたはただ自分の周囲の世界を見渡してみれば事足ります。

 The world would be completely changed, should any two agree these words express the only thing they want.
 どんなふたりであれ、この言葉が自分たちの望む唯一のものを表現していることに同意するなら、この世界は完全に様変わりするでしょう。



3. Two minds with one intent become so strong that what they will becomes the Will of God.
 一つの意図を持った二つの心はあまりに強力なので、彼らの意志は神の大いなる意志となります。

 For minds can only join in truth.
 というのも、ただ真理の中でのみ、心と心がひとつになれるからです。

 In dreams, no two can share the same intent.
 夢の中では、同じ意図をふたつの心が分かち合うことはできません。

 To each, the hero of the dream is different; the outcome wanted not the same for both.
 お互いにとって夢の主人公が違うので、望ましい結果は両者にとって同じものにはならないからです。

 Loser and gainer merely shift about in changing patterns, as the ratio of gain to loss and loss to gain takes on a different aspect or another form.
 利益と損失、損失と利益の比率は、違った局面や違った形をとるので、単に失う者と得る者が交互に変わってゆくことで交代するだけです。



4. Yet compromise alone a dream can bring.
 だから、夢がもたらすことができるのは妥協だけです。

 Sometimes it takes the form of union, but only the form.
 ときには、夢がひとつに結ばれるような形をとることもありますが、それはただ形だけです。

 The meaning must escape the dream, for compromising is the goal of dreaming.
 その夢からは必ず意味が逃れ去ってしまいます。なぜなら、夢を見ることの目標は妥協することだからです。

 Minds cannot unite in dreams.
 心と心は、夢の中でひとつに結びつくことはできません。

 They merely bargain.
 心と心は単に取引するだけです。

 And what bargain can give them the peace of God?
 それに、はたしてどのような取引が、心に神の平安を与えられるというのでしょうか。

 Illusions come to take His place.
 取り引きによって、幻想がやってきて神の平安に取って代わるだけです。

 And what He means is lost to sleeping minds intent on compromise, each to his gain and to another's loss.
 そして、各自が自分の利益を得て他者が損失を被る内容で妥協しようと意図している眠り込んだ心たちには、神の意図することは見失われてしまいます。



5. To mean you want the peace of God is to renounce all dreams.
 あなたが神の平安を望むと本気で意図することは、すべての夢を放棄することです。

 For no one means these words who wants illusions, and who therefore seeks the means which bring illusions.
 というのも、この言葉の通り本気で神の平安を望む者は誰も幻想を望まなくなり、したがって、幻想をもたらす手段を探し求めることもなくなるからです。

 He has looked on them, and found them wanting.
 本気で神の平安を望む者は、幻想を見て、幻想とは欠乏だと見抜いたのです。

 Now he seeks to go beyond them, recognizing that another dream would offer nothing more than all the others.
 彼は別の夢も残りのすべての夢と同じように無をもたらすだけだと気づいたので、いまや幻想を超えて進もうとします。

 Dreams are one to him.
 いかなる夢も彼にとっては同じものだからです。

 And he has learned their only difference is one of form, for one will bring the same despair and misery as do the rest.
 つまり、彼は数々の夢の間の唯一の違いは形の相違だけだと学んだのです。というのも、ひとつの夢は残りの夢と同じように、同じ絶望と悲惨さをもたらすだけだからです。



6. The mind which means that all it wants is peace must join with other minds, for that is how peace is obtained.
 自らが望むのは平安だけだと本気で意図する心は、必ず、ほかの心たちとひとつに結びつきます。というのも、ほかの心と結びつくことで平安は得られるからです。

 And when the wish for peace is genuine, the means for finding it is given, in a form each mind that seeks for it in honesty can understand.
 そして、平安への願いが心からのものであるなら、ひたむきに平安を求めるそれぞれの心が理解できる形で、平安を見出すための手段が与えられます。

 Whatever form the lesson takes is planned for him in such a way that he can not mistake it, if his asking is sincere.
 もし彼の求めが真摯なものであるなら、それがどのような形をとろうとも、彼に与えられるレッスンは彼が平安を見出し損ねることのありえないような方法で彼のために計画されたものなのです。

 But if he asks without sincerity, there is no form in which the lesson will meet with acceptance and be truly learned.
 しかし、もし彼が真摯に求めないなら、そのレッスンが受け入れられて真に学ばれるような形はひとつも存在しません。



7. Let us today devote our practicing to recognizing that we really mean the words we say.
 今日は、自分の口にする言葉を自分が本気で意図することを自覚していられるよう実践することに専念しましょう。

 We want the peace of God.
 私たちは神の平安を望みます。

 This is no idle wish.
 これは空疎な願望などではありません。

 These words do not request another dream be given us.
 この言葉は、自分に別の夢が与えられるように要請するものではありません。

 They do not ask for compromise, nor try to make another bargain in the hope that there may yet be one that can succeed where all the rest have failed.
 この言葉は、妥協を求めているのではないし、また、残りのすべての取引が失敗しても、ひとつくらいは成功するかもしれないという希望の下に、別の取引を試みようとするものでもありません。

 To mean these words acknowledges illusions are in vain, requesting the eternal in the place of shifting dreams which seem to change in what they offer, but are one in nothingness.
 この言葉を本気で意図することは、幻想が空疎なものだと承認することであり、移り変わるさまざまな夢の代わりに永遠を求めることです。そんな数々の夢は、いろんなものを差し出してくれるように見えはしても無でしかないという点で変わりはないのです。



8. Today devote your practice periods to careful searching of your mind, to find the dreams you cherish still.
 今日は、あなたの実習時間を注意深く自分の心を検索することに費やし、あなたがいまだに大切にしている夢の数々を見つけ出してください。

 What do you ask for in your heart?
 あなたは心の奥底でいったい何を求めているのでしょうか。

 Forget the words you use in making your requests.
 あなたが願い事をする際に用いる言葉は忘れてください。

 Consider but what you believe will comfort you, and bring you happiness.
 ただ何が自分を安らがせ、自分に幸せをもたらしてくれると信じているのかだけ、よく考えてみてください。

 But be you not dismayed by lingering illusions, for their form is not what matters now.
 しかし、まだ留まっている幻想の名残りによって、狼狽させられてはなりません。というのも、もはや幻想がどんな形をまとっているかは重要ではないからです。

 Let not some dreams be more acceptable, reserving shame and secrecy for others.
 いくらかの夢ならまだ手放すことを容認できるけれど、ほかの夢については恥ずかしくて秘密にしたいので取っておこうなどとしないでください。

 They are one.
 それらはひとつのものなのです。

 And being one, one question should be asked of all of them, "Is this what I would have, in place of Heaven and the peace of God?"
 ひとつのものなのだから、どんな夢にも、ひとつの質問を投げかけるべきです。その質問とは「はたしてこれは、天国と神の平安に代えてまで、私が持っていたいものだろうか」という問いです。



9. This is the choice you make.
 あなたが下すのはこの選択だけです。

 Be not deceived that it is otherwise.
 選択肢がこれ以外にあると誤解してはなりません。

 No compromise is possible in this.
 このことに関しては、いかなる妥協もありえません。

 You choose God's peace, or you have asked for dreams.
 あなたが神の平安を選ばないなら、あなたは夢を求めたのです。

 And dreams will come as you requested them.
 そして、あなたが求めた通りに、夢が訪れるでしょう。

 Yet will God's peace come just as certainly, and to remain with you forever.
 しかし、神の平安も同じように確実に訪れ、あなたの許に永遠に留まるでしょう。

 It will not be gone with every twist and turning of the road, to reappear, unrecognized, in forms which shift and change with every step you take.
 神の平安は、道が曲がりくねるたびに消えてはまた現れたり、あなたが一歩踏み出すごとに姿を変えて認識できなくなったりすることはありません。



10. You want the peace of God.
 あなたが望んでいるのは神の平安です。

 And so do all who seem to seek for dreams.
 そして、さまざまな夢を追い求めているように見えるどんな者たちもあなたと同じです。

 For them as well as for yourself, you ask but this when you make this request with deep sincerity.
 あなたが心の底から真摯にこのことを求めるとき、あなたは、自分のためにも、彼らのためにも、神の平安だけを求めることになります。

 For thus you reach to what they really want, and join your own intent with what they seek above all things, perhaps unknown to them, but sure to you.
 なぜなら、こうしてあなたは、彼らが真に望むことに到達し、あなた自身の意図を彼らが何にもまして探し求めるものとひとつに結びつけるからです。おそらく彼らには自分が何を真に探し求めているのかわかっていませんが、あなたにとって、それは確かなものです。

 You have been weak at times, uncertain in your purpose, and unsure of what you wanted, where to look for it, and where to turn for help in the attempt.
 これまであなたは、ときに弱気になり、自分の目標に確信が持てなかったり、自分が何を望むのか、どこでそれを探したらよいのか、そして、それを試みるに際してどこに助けを求めたらよいのか、わからなくなったりしたこともありました。

 Help has been given you.
 それでも、助けはすでにあなたに与えられているのです。

 And would you not avail yourself of it by sharing it?
 だから、あなたもその助けを分かち合うことによって、助けを自分のために役立ててはどうでしょうか。



11. No one who truly seeks the peace of God can fail to find it.
 真に神の平安を求める者は誰も、それを見つけ損ねることはありえません。

 For he merely asks that he deceive himself no longer by denying to himself what is God's Will.
 というのも、彼は単に、ありのままの神の大いなる意志を自分自身に拒むことによって自分自身を欺くことをもうこれ以上したくないと求めているだけだからです。

 Who can remain unsatisfied who asks for what he has already?
 自分がすでに持っているものを求めて、満たされないままでいることなど、誰にもできないのではないでしょうか。

 Who could be unanswered who requests an answer which is his to give?
 与えるために自分に与えられている答えを求めて、答えを得られない者などいるでしょうか。

 The peace of God is yours.
 神の平安はあなたのものです。



12. For you was peace created, given you by its Creator, and established as His Own eternal gift.
 平安はあなたのために創造され、平安の創造主によってあなたに授けられ、そして、創造主からの永遠の贈り物として確立されました。

 How can you fail, when you but ask for what He wills for you?
 創造主があなたのために意図するものをあなたが求めているだけだというのに、どうしてあなたが失敗することができるでしょうか。

 And how could your request be limited to you alone?
 そして、あなたの頼みがどうしてあなたひとりだけに限定されたものになりうるでしょうか。

 No gift of God can be unshared.
 神からの贈り物で、分かち合われていないものは一切ありえません。

 It is this attribute that sets the gifts of God apart from every dream that ever seemed to take the place of truth.
 共有されているという神の贈り物が持つこの属性こそ、これまで真理の座を奪っているように見えていたすべての夢から神の贈り物を区別して明確に際立たせる相違点です。



13. No one can lose and everyone must gain whenever any gift of God has been requested and received by anyone.
 神の贈り物が求められ、誰かによって受け取られるとき、誰も失うことはできず、必ずみんなが得ることになります。

 God gives but to unite.
 神はただ、ひとつに結び合わせるためにだけ与えます。

 To take away is meaningless to Him.
 神にとって奪い取ることなど無意味だからです。

 And when it is as meaningless to you, you can be sure you share one Will with Him, and He with you.
 そして、あなたにとっても奪うことが無意味になったとき、あなたは自分がひとつの大いなる意志を神と分かち合い、神もあなたとひとつの大いなる意志を分かち合っていることを確信できるはずです。

 And you will also know you share one Will with all your brothers, whose intent is yours.
 そして、あなたはまた、自分がすべての自分の兄弟たちとひとつの大いなる意志を共有しており、兄弟全員の意図することは自分の意図することだと知るでしょう。



14. It is this one intent we seek today, uniting our desires with the need of every heart, the call of every mind, the hope that lies beyond despair, the love attack would hide, the brotherhood that hate has sought to sever, but which still remains as God created it.
 私たちが今日探し求めるのは、このひとつの意図です。このひとつの意図が私たちの願いを、みんなが胸に抱く欲求やすべての心からの呼びかけ、絶望の彼方にある希望、攻撃が隠そうとする愛、憎しみが断ち切ろうとしてきたものの依然として神が創造したままであり続ける同胞愛とひとつに結び合わせているのです。

 With Help like this beside us, can we fail today as we request the peace of God be given us?
 このような大いなる助けを自分たちの傍らに伴って、今日、私たちが神の平安を求めながら、それを得られないということがありうるでしょうか。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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