T11-Intro 私たちはエゴの子?神の子?


Without self knowledge, without understanding the working and functions of his machine, man cannot be free, he cannot govern himself and he will always remain a slave.”
自己を知ることなしに、自分の機械の働きや機能を理解することなしに、人は自由にはなれないし、人は自分自身を支配できず、人は奴隷であり続ける。



George Ivanovich Gurdjieff
グルジエフ

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「人間としての自我」は自分と他人との違いを明らかにし、さまざまな形をとって「私自身」として世の中に現れます。つまり、「自分」という人間を形成している原型と副人格はすべてあらかじめ決められている――それは「絶対的自我」が傍観し、支えている自我です。人間としての自我は人が超自然的な生き物であろうとする際に、他の副人格と切り離されるのを苦痛と感じながらも、精神の成長のためにそれを乗り越えようとします。

これは多くの場合「エゴ」と呼ばれ、絶対的自我と激しい対立関係にあります。この関係を突き詰めていくと、人がこの世に生きる目的はエゴを叩きのめし、さらには私たちの人間性を否定することにある、という考えに行きつきます。自分とは何者かと自問する際、このことが私たちに罪悪感をもたらし、人としてこの世に存在することは大きな過ちである、と感じるようになるのです。

しかし、私の考えは正反対です。私はエゴを、自分を導き、より高尚な自我と手を結んで働いてくれるものと理解しています。エゴは人生の旅路の中で私たちにずっと寄り添い、目的の場所へたどり着くための成長と学びのチャンスを与えてくれるもの。人生の旅で必要な分岐点にさしかかったとき、エゴは自ら姿を現し、人生とは何かがより明確になるでしょう。

そのとき、私たちは初めて、自分という人間に目覚め、人として生きていること、この世に生きるすべてのものとつながっていることを心から喜び、真の人生を生き始めることができます。それは多くの人々が言うような「エゴを叩きのめす」ことではなく、本当の意味で「エゴへのこだわりを捨てる」ことなのです。



Colin C. Tipping
コリン・C.ティッピング(「自分をゆるすということ」45ページ)

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私は片時もあなたのそばを離れません。私はあなたの一番の協力者にもなれば、一番のお荷物にもなります。私はあなたの背中を押して前に進めもすれば、足を引っ張りもします。

私がどうするかは、あなた次第。あなたがやることの半分は私に任せたほうがいいと思いますよ。私なら素早く正確にできますから。

私の扱いは簡単で、ただ厳しくすればいいのです。何をどうしてほしいかはっきり教えてもらったら、あとは何度か練習するだけで自動的にできるようになります。私はあらゆる偉人たちのしもべ。

ところが残念なことに、あらゆるだめな人たちのしもべでもあるのです。だめな人たちは、私のおかげでますますだめになります。私は機械ではありませんが、機械並みの正確さに加えて、人間の知能も使って仕事します。私を使って大もうけすることもできますが、破産することもありますよ。どっちにしても私には関係ありませんが。

私を厳しく躾ければ、世界はあなたにひれ伏すでしょう。でも甘やかしたら、私はあなたを破滅させます。

私は誰でしょう?

私は「習慣」です。

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作者不詳(スティーブン・R.コヴィー著 「完訳 第8の習慣」445ページより)

Stephen R. Covey
スティーブン・R.コヴィー

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No horse gets anywhere until he is harnessed.
馬は、馬具をつけてもらわなければ、乗り手をどこにも連れては行けない。

No stream or gas drives anything until it is confined.
蒸気やガスは、閉じ込められなければ、何も動かす力を生み出せない。

No Niagara is ever turned into light and power until it is tunneled.
ダム湖に湛えられた大量の水も、狭い水路を通らなければ、電気となって光や力に変わることはない。

No life ever grows great until it is focused, dedicated, disciplined.
いかなる人も、目的を絞って、一心不乱に身を捧げ、修練を積んで自制しなければ、決して偉大な人生を花開くことはない。



Harry Emerson Fosdick
ハリー・エマソン・フォズディック





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今回は、テキスト第十一章の序論 「神かエゴか」をご紹介します。




「最後の審判」って恐ろしいものなの?が参考になると思います。


エゴは権威問題が生み出した狂気の産物

本節では、エゴは、神の生みの親になりたいという願望によって生み出された狂気の妄想の仕組みだということが述べられます。

エゴが神の子である私たちを生む親であり、神をも凌ぐ存在であり、神の子である私たちがそのエゴを生み出したとすれば、私たちは、神の先祖ということになるし、自分を生み出すエゴを自分で作り出したことになります。

これでは、堂々巡りで究極的な源が存在しないことになります。




4.「When you have at last looked at the ego's foundation without shrinking you will also have looked upon ours.
 あなたがついに、怯むことなく、エゴの基盤を見たなら、あなたはまた、私たちの基盤をも見たということになります。」

私たちが作ったエゴが自分たちの親としての権威を有していることこそがエゴの狂気の前提であり基盤だということです。

エゴの基盤が空疎で無意味な妄想でしかないということがわかれば、上の堂々巡りの循環の鎖からエゴの輪が外れることになるので、私たちの基盤は神であるのみだということも同時にわかることになります。


自我とエゴ

このサイトでは、"ego"の訳語として「自我」ではなく「エゴ」を用い、「自我」には、日本語として一般的な、価値中立で善悪の評価を伴わない"personal self"、個別の自己、人格という意味合いを持たせ、「エゴ」には、これまた日本語として一般的な、人格の個性にできた影の悪さをする利己性という意味をもたせて用語として区別しています。



この点、原文では"ego"であり、コースでは心理学用語としての"ego"が用いられているはずだからと、日本語訳において「自我」と訳すのは素直なことではあると思います。

もっとも、心理学用語としての"ego"「自我」は、善も悪もなく、自律機能、防衛機能、統合機能その他、人の子が神の子にとってのアバターとして幻想世界内で機能するための個別の自己を指す概念であるために、コースの否認する"ego"を価値中立の心理学用語としての"ego"「自我」と同義と捉えてしまうと、コースでは重要な神の子の分霊として人の子の中に宿る"decision-maker"「意思決定者」まで否認することになってしまいます。

この点で、"ego"を「自我」と訳すことは、本来必要な自我機能まで否認する弊害を伴いかねません。



犠牲、共感その他、コースが用いる用語全般に通じることですが、コースが否認するのは、光が当たらずにできる影だけであり、概念先行で演繹的にこの言葉の概念の定義に該当するから否認するという発想、思考は混乱のもとです。

エゴの別名は間違った知覚であり、間違った知覚に必要なのは修正であり、修正して正しい知覚にする必要があるだけです。

価値中立の自我=知覚を悪者とみなす必要はないし否認したり抹殺したりする必要もありません。

そもそも自我=知覚を否認してしまったのでは正しい知覚へと修正することができません。


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この点、上述のように、ちょうど都合のよいことに、日本語では「自我」と「エゴ」の意味合いが異なっていて、自我にできた影としてのエゴという区別ができるので、コースが否認する"ego"を「エゴ」と表現して、必要な「自我」には生き残って大きく強く成長する逃げ道を残してあげることができるという考え方です。





さて、冒頭の第8の習慣でスティーブン・R .コヴィー先生が引用してくださっている作者不詳の文章の語りの主体「習慣」は、自我と同義と言ってよいでしょう。

自我の形成は習慣によるものであり、習慣として形成された自我が聖霊の光に照らされて、健全に育成、調教されて、しっかり鍛錬された主人の意のままに馬を御する御者に成長するなら、自我は魂のしもべとして主人が目的地に向かうことに奉仕できます。

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けれど、自我が未熟で躾のできていない犬のように主人の言うことを聞かずに主人を引きずり回すなら、自我はエゴとなって魂を破滅に導きます。自我をのさばらせて主人の座を明け渡すなら、エゴに堕した自我は私たちの内なる敵となって私たちを地獄に縛りつけたままにするでしょう。


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しかし、自我を太陽である聖霊の光を受ける月として従わせるなら、自我は私たちのよきしもべとなって天国への帰還を助ける友となるでしょう。

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Chapter 11 God or the Ego
第十一章 神かエゴか

Introduction
序論



1. Either God or the ego is insane.
 神かエゴのどちらか一方が狂気に陥っています。

 If you will examine the evidence on both sides fairly, you will realize this must be true.
 もしあなたが神とエゴの両方の側の証拠をそれぞれ公正に調べてみれば、あなたにもこれが真実に違いないとわかるはずです。

 Neither God nor the ego proposes a partial thought system.
 神もエゴも、不完全な思考システムを提示しているわけではありません。

 Each is internally consistent, but they are diametrically opposed in all respects so that partial allegiance is impossible.
 どちらの思考システムも内部的に見るかぎり、首尾一貫しています。しかし、両者は、あらゆる点でまったく相容れないので、双方に部分的に忠実であることは不可能です。

 Remember, too, that their results are as different as their foundations, and their fundamentally irreconcilable natures cannot be reconciled by vacillations between them.
 また、双方の思考システムのもたらす結果はその基盤と同様に異なっているので、双方の思考システムの根本的に相容れない本質を、両者の間を都合よく行き来することによって調和させることはできないことも覚えておいてください。

 Nothing alive is fatherless, for life is creation.
 生きているもので親を持たないものは何ひとつありません。というのは、生命とは創造することだからです。

 Therefore, your decision is always an answer to the question, "Who is my father?"
 したがって、あなたは決断を下すたびに、「誰が私の親なのだろうか」という疑問に答えていることになります。

 And you will be faithful to the father you choose.
 そして、あなたは自分が選択する親に忠実になります。



2. Yet what would you say to someone who believed this question really involves conflict?
 しかし、つぎの疑問が本当に矛盾をはらんでいると信じている者に、あなたはどう答えるつもりでしょうか。

 If you made the ego, how can the ego have made you?
 もしあなたがエゴを作り出したのであれば、どうしてそのエゴがあなたを作ることができたのでしょうか。

 The authority problem is still the only source of conflict, because the ego was made out of the wish of God's Son to father Him.
 依然として、権威問題だけが唯一の葛藤の源です。なぜなら、エゴは神の生みの親になりたいという神の子の願望から生み出されたものだからです。

 The ego, then, is nothing more than a delusional system in which you made your own father.
 それゆえ、エゴとは妄想を生み出す仕組みでしかなく、その妄想システムの中で、あなたは自分の親を作り出したと妄想しているのです。

 Make no mistake about this.
 このことを誤解してはなりません。

 It sounds insane when it is stated with perfect honesty, but the ego never looks on what it does with perfect honesty.
 完全に率直に言うなら、これは狂気の沙汰としか思えないはずです。しかし、エゴが自らのなすことをと完璧な正直さをもって見ようとすることは絶対にありません。

 Yet that is its insane premise, which is carefully hidden in the dark cornerstone of its thought system.
 とはいえ、あなたが作り出したエゴがあなたの生みの親としての権威を持ってしまっていることがエゴの狂気の前提です。そして、この前提はエゴの思考システムが依拠する闇の礎石の中に用心深く隠されています。

 And either the ego, which you made, is your father, or its whole thought system will not stand.
 だから、あなたが作り出したエゴがあなたの生みの親であるか、そうでなければ、エゴの全思考システムが破綻するか、そのいずれかだということになります。

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3. You make by projection, but God creates by extension.
 あなたは投影することによって作ります。それに対して、神は拡張することによって創造します。

 The cornerstone of God's creation is you, for His thought system is light.
 神の創造の基盤はあなたです。というのも、神の思考システムは光だからです。

 Remember the Rays that are there unseen.
 見えないながらも確かに存在する、あの大いなる光のことを思い出してください。

 The more you approach the center of His thought system, the clearer the light becomes.
 あなたが神の思考システムの中枢に近づけば近づくほど、その光はより明瞭になってきます。

 The closer you come to the ego's thought system, the darker and more obscure becomes the way.
 反対に、あなたがエゴの思考システムに近づけば近づくほど、道は一段と暗くなって、よりいっそう見えにくくなってきます。

 Yet even the little spark in your mind is enough to lighten it.
 しかし、あなたの心の中にあるほんの小さな閃光でも、あなたの行く手を照らすには十分です。

 Bring this light fearlessly with you, and bravely hold it up to the foundation of the ego's thought system.
 恐れることなく、この光を携えて行きなさい。そして、果敢にその光を掲げて、エゴの思考システムの基盤を照らし出すのです。

 Be willing to judge it with perfect honesty.
 自分をごまかさずにとことん正直にエゴの思考システムに価値判断を下す意欲を持ってください。

 Open the dark cornerstone of terror on which it rests, and bring it out into the light.
 エゴの思考システムが依拠する恐怖という闇の礎石を露わにして、それを光の中へともたらすのです。

 There you will see that it rested on meaninglessness, and that everything of which you have been afraid was based on nothing.
 光の中でなら、あなたにも、エゴの思考システムが無意味さに基盤を置いていたことがわかるようになるし、また、あなたが恐れを抱き続けてきたことがひとつ残らず、無にその基盤を置いていたことがわかってくるはずです。



4. My brother, you are part of God and part of me.
 私の兄弟よ、あなたは神の一面であり、私の一面でもあります。

 When you have at last looked at the ego's foundation without shrinking you will also have looked upon ours.
 あなたがついに尻込みすることなくエゴの基盤を見たなら、あなたはまた、私たちの基盤をも見たことになります。

 I come to you from our Father to offer you everything again.
 私たちの大いなる父の下から私があなたの許へとやってきたのは、再びすべてをあなたに与えるためです。

 Do not refuse it in order to keep a dark cornerstone hidden, for its protection will not save you.
 闇の礎石を隠し続けようとして、私が差し延べるものを拒絶してはなりません。というのは、そんな礎石を守ったところで、それはあなたを救ってはくれないからです。

 I give you the lamp and I will go with you.
 私はあなたにランプを与えて、私があなたと一緒に進みましょう。

 You will not take this journey alone.
 あなたは、ひとりきりでこの旅路を進むわけではないのです。

 I will lead you to your true Father, Who hath need of you, as I have.
 あなたの真に偉大な生みの親の下へと、私があなたを導いてあげましょう。大いなる父は、私があなたを必要としているのと同じように、あなたを必要としているからです。

 Will you not answer the call of love with joy?
 あなたは、愛の呼びかけに、喜びをもって答えずにはいられないはずです。


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