レッスン195「愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ」


If you have men who will exclude any of God's creatures from the shelter of compassion and pity, you will have men who will deal likewise with their fellow men.
もしあなたたちの中に自分が同情や哀れみをかけて守ってあげようとする対象から神の創造物のどんな一部でも除外しようとする者がいるなら、あなたたちは同じように自分たちの中で仲間外れをしようとする者を仲間に持つことになる。



Francis of Assisi
アッシジの聖フランチェスコ



When you are grateful, fear disappears and abundance appears.
君が感謝するなら、恐れは消え去り豊かさが姿を見せるだろう。

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Tony Robbins
トニー・ロビンス




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レッスン195です。

「愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ」が今日のテーマです。


他者との比較が感謝を学ぶことを難しくさせる

レッスンの冒頭から、世界を誤解する者にとって感謝することを学ぶのは困難な課題であり、彼らにできることは、他者が自分よりも苦境にあるのを見て、それと比較して自分は他人よりもましだと思って満足することくらいだということが語られます。

自分よりも恵まれない他者に想いを馳せて足ることを知り謙虚な気持ちを忘れないということはエゴとしての自分を弁えるうえでは大切なことです。

しかし、神の子としての自分という観点で見るなら、この世界を生きるアバターである自分としての小さな自己も、他者として生きるアバターとしての自己も、私たちが映画や小説の主人公に感情移入していっとき、その主人公になりきっていろんな体験をするように、本当の自分である神の子が宿る仮そめの存在として、等しく自分であると同時に本当の自分ではない仮面だということになります。




自分だと信じる人間も他人だと思う人間も真の自分が被る仮面だとしたら他者の不幸を喜べなくなる

この観点からは、兄弟のアバターが自分のアバターよりも不自由であるとしても、そのことを神に感謝すべき理由はありません。また、兄弟のアバターが自分のアバターより自由に見えるからといって、不公平だ!と憤慨することなどできないはずです。

自分の体内の細胞や組織について考えてみると、たしかに、目は足の裏の皮膚よりも重要で足裏は目よりも劣った存在であるかのようにみなすことはできます。

けれど、この世界での配役についてで述べたように、人体内での人事担当がとち狂って、不公平を訴えてストライキを起こした足裏細胞の要望に従って、足裏細胞を眼球に昇格させるようなことをしたら、大変な事態となります。

全細胞はつながっていて、部分的に切り取って見ればある部分が優れて高貴で他の部分は劣って下賤であるように見えることはあっても、本当はそれぞれが自分の役目を果たすことで全体が利益を得て健やかでいられるというのが真理です。

ひとつにつながっているものを分割して比較することは、分析的な思考によって部分が全体のために担う機能を理解し、「分かる」ために役に立つことはあっても、全体としての利益を実際に図るうえでは、ほとんど意味をなさないばかりか、かえって害にしかなりません。


はたらく細胞で考えればわかる当然の仕組みも「意識」という視野狭窄によって自明のことではなくなる




人体であれば、この理屈が理解できるのに、この世界のこととなると理解できなくなってしまうのだから不思議です。

これは自覚の及ぶ範囲をアバターという世界を覗く覗き窓によって制限する「意識」というエゴの領域に属する作用のなせる業です。

アインシュタインのつぎの言葉のとおりです。



Albert Einstein
アルベルト・アインシュタイン





He experiences himself, his thoughts and feelings, as something separated from the rest -a kind of optical delusion of his consciousness.
個人としての私たちは、自分の思考や自分の感情を含めた自分自身が、まるで自分以外の残りの全体から分離した存在であるかのように体験しています。これは、人の意識という一種の錯視現象による思い違いです。

This delusion is a kind of prison for us, restricting us to our personal desires and to affection for a few persons nearest us.
この錯覚は、私たちを自分の個人的な願望に束縛し、自分のごく身近なわずかな人たちだけへの愛着に制限することによって、私たちを幽閉する牢獄のようなものです。


ゴキブリやナメクジ(そしてエゴも)は抹殺すべき害悪で存在価値はない?

たまたま世界を覗くために用いた窓から見える限られた光景のみに視野狭窄を起こし、そこから見えるもの以外は伝聞でしか把握できなくなるので、五感で感知できる自分の周囲にあるものだけが現実だし、自分のアバターの知覚に心地よい情報を与えるものは味方で、不快な情報を与えるものは抹殺すべき敵だと実感することになります。

ゴキブリは気持ち悪いし、雑菌を媒介するから地球上から抹殺すべき存在価値のない生物だということになります。


アッハライの真の悲劇はバスチアンに救われることで始まった

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はてしない物語で、主人公バスチアンは、「ファンタージエン国」中で最も醜(みにく)い芋虫のような生き物アッハライがその身の醜さを嘆いて絶えず涙を流しているのを見て哀れに思い、「救い主として」、おひかり、アウリンの力で蝶のように羽ばたけるようにしてやります。


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アッハライは、それまでは、自らの醜さを世に詫びるとともに、自らの慰みとして、自らの流す涙が地中から洗い出す銀を細やかに織りなして美しい銀細工を作り、その涙が溜まって、銀の都アマルガントの危険かつ明媚(めいび)な涙の湖ムーフーとなるというように、ファンタージエン国で重要な役割を担っていました。

大いなる慈善者として称賛されたいという動機に基づく、「救い主」バスチアンの気まぐれな「救い」によって、アッハライたちは、常泣き虫から道化蛾、常笑いのシュラムッフェンとなり、自らの醜さを嘆く不遇から解放されはしますが、騒がしいだけの迷惑者になってしまい、物語の終盤、記憶を失ったバスチアンに自分たちを元のアッハライに戻せと要求し、バスチアンが現実世界に戻るために必要な生命の水に導いてくれるはずの、ミンロウド坑という絵の採掘場からバスチアンが苦労して掘り出した雲母(うんも)の薄い板でできた絵を粉々に壊してしまいます。


自分以外の羨ましい何者かになるのではなく本当の自分を彫り出す

このエピソードは、物語の登場人物として、アバターとしての私たちは個としての自分の役目を全うすることに幸せがあり、与えられた自分の属性をもっとよい(と世界の序列化された価値観に毒された自分の独断で思う)ものに取り替えようとすることの愚かしさ、自分以外の何ものかになろうとするよりも自分自身を掘り出して自分自身になりきることの大切さを表していますが、ひとつにつながっている世界には抹殺すべきであったり、救い出してやったりすべき劣った存在はなく、求められてもいないのに(あるいは、アッハライの嘆きのような表面的な求めに惑わされて)独善的な価値観で善意の押し売りをすることは仇となりかねないことも示しています。



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Lesson 195

Love is the way I walk in gratitude.
愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ。



1. Gratitude is a lesson hard to learn for those who look upon the world amiss.
 世界を間違って見ている者たちにとって、学ぶのが困難な課題は感謝することです。

 The most that they can do is see themselves as better off than others.
 彼らにできることといえばせいぜい、ほかの者たちに比べたら自分はまだましだとみなすことくらいです。

 And they try to be content because another seems to suffer more than they.
 そこで、彼らは、ほかの者が自分よりも苦しんでいるように見えることで満足しようとします。

 How pitiful and deprecating are such thoughts!
 こんなふうに考えるなんて、なんと情けなくて卑しいことでしょうか。

 For who has cause for thanks while others have less cause?
 というのも、ほかの者たちが自分ほど感謝できることに恵まれていないのを尻目に自分だけ感謝できる正当な理由を誰も持ち合わせていないからです。

 And who could suffer less because he sees another suffer more?
 それに、いったい誰が、ほかの者が自分より苦しんでいるのを見ることで、苦しみを減らせられるというのでしょうか。

 Your gratitude is due to Him alone Who made all cause of sorrow disappear throughout the world.
 あなたが感謝を捧げるにふさわしいのは、世界中の悲しみを根こそぎにしてくれる大いなる存在だけです。



2. It is insane to offer thanks because of suffering.
 苦悩や災難を理由にして感謝を捧げるなど、狂気の沙汰です。

 But it is equally insane to fail in gratitude to One Who offers you the certain means whereby all pain is healed, and suffering replaced with laughter and with happiness.
 しかし、すべての苦痛や災難を癒して、苦悩を笑い声と幸せに置き換える確かな手段をあなたに与えてくれる大いなる存在に感謝できないとしたら、それは苦悩や災難に感謝するのと同じくらい狂気の沙汰です。

 Nor could the even partly sane refuse to take the steps which He directs, and follow in the way He sets before them, to escape a prison that they thought contained no door to the deliverance they now perceive.
 しかも、少しでも正気を保っている者であれば、誰も聖霊が導く歩みを踏み出すのを拒むはずがないし、かつては解放に至る扉がどこにもないと思い込んでいたけれど、今ではその扉があるとわかっている牢獄から脱出するために、自分の前に聖霊が用意してくれる道を辿るのを拒むはずがありません。



3. Your brother is your "enemy" because you see in him the rival for your peace; a plunderer who takes his joy from you, and leaves you nothing but a black despair so bitter and relentless that there is no hope remaining.
 あなたの兄弟があなたの「敵」になるのは、あなたが兄弟のことを自分の平安を奪い取ろうとするライバルだとみなしているからです。兄弟は、あなたから喜びを奪い取ることを自らの喜びとし、あとには何の希望も残らないほど深刻で容赦のない暗黒の絶望だけをあなたに残す略奪者だというわけです。

 Now is vengeance all there is to wish for.
 そうなると、もはや復讐以外に望むことはなくなります。

 Now can you but try to bring him down to lie in death with you, as useless as yourself; as little left within his grasping fingers as in yours.
 いまや、あなたにできるのはただ、自分自身と同じように役立たずで、自分と同じように握り締めた指先に何も残されていない者として、自分と一緒に死の床につかせるために、その兄弟を引きずり下ろそうとすることだけです。



4. You do not offer God your gratitude because your brother is more slave than you, nor could you sanely be enraged if he seems freer.
 兄弟が自分よりも不自由であることについて、あなたは神に感謝を捧げるべきではありません。同じように、あなたが正気であるなら、兄弟が自分より自由に見えるからといって、憤慨することなどできないはずです。

 Love makes no comparisons.
 愛は、いかなる比較もしません。

 And gratitude can only be sincere if it be joined to love.
 そして、感謝が偽りのないものでありうるのは、それが愛に結びついているときだけです。

 We offer thanks to God our Father that in us all things will find their freedom.
 私たちがひとつに結ばれることで、万物が自らの自由を見出せることについて、私たちは、自分たちの父なる神に感謝を捧げます。

 It will never be that some are loosed while others still are bound.
 ほかの者たちが依然として束縛されたままなのに、ある者たちだけ解放されるということは絶対にありえません。

 For who can bargain in the name of love?
 というのも、愛の名において取引できる者など誰もいないからです。



5. Therefore give thanks, but in sincerity.
 だから、ただ真摯に感謝を捧げてください。

 And let your gratitude make room for all who will escape with you; the sick, the weak, the needy and afraid, and those who mourn a seeming loss or feel apparent pain, who suffer cold or hunger, or who walk the way of hatred and the path of death.
 そして、あなたの感謝によって、あなたとともに脱出することになる者たちのための居場所を設けてください。あなたと一緒に脱出するのは、病んだ者、弱い者、困窮して怯えている者、そして、見せかけの喪失に嘆き悲しみ、見せかけの苦痛を味わう者、寒さと飢えに苦しむ者、憎しみと死の道を歩む者たちです。

 All these go with you.
 このような者たちみんなが、あなたと一緒に行くのです。

 Let us not compare ourselves with them, for thus we split them off from our awareness of the unity we share with them, as they must share with us.
 私たちは自分自身と彼らを比較しないようにしましょう。というのも、私たちは、彼らが私たちと分かち合うのと同じように、私たちも彼らとひとつであるという自覚を分かち合っているのですが、比較することによって、私たちは、このひとつに結ばれている自覚から彼らを切り離してしまうからです。



6. We thank our Father for one thing alone; that we are separate from no living thing, and therefore one with Him.
 私たちは、ただひとつのことだけについて、私たちの大いなる父に感謝します。それは、私たちは、生命を持つどんなものからも分離しておらず、したがって、神とひとつであるということです。

 And we rejoice that no exceptions ever can be made which would reduce our wholeness, nor impair or change our function to complete the One Who is Himself completion.
 そして、私たちは、私たちの全体性を減じ、まさに完全そのものである一なる存在を完成させるという私たちの役目を損なったり、変えてしまうような、いかなる例外を設けることも決してできないことを喜びます。

 We give thanks for every living thing, for otherwise we offer thanks for nothing, and we fail to recognize the gifts of God to us.
 私たちは、生きとし生けるものについて感謝します。というのは、そうでなければ、私たちは無について感謝することになり、私たちは神から私たちへの贈り物に気づけなくなってしまうからです。



7. Then let our brothers lean their tired heads against our shoulders as they rest a while.
 だから、自分の兄弟たちがしばらくの間安らぐことができるように、彼らが疲れた頭を私たちの肩にもたれかけられるようにしてあげましょう。

 We offer thanks for them.
 私たちは、彼らがいてくれることに感謝を捧げます。

 For if we can direct them to the peace that we would find, the way is opening at last to us.
 というのも、もし私たちが自分の見出そうとする平安へと彼らを導くことができたら、その道がついに私たちに開かれるからです。

 An ancient door is swinging free again; a long forgotten Word re-echoes in our memory, and gathers clarity as we are willing once again to hear.
 太古の扉が再び何の妨げもなく開け放たれて、長い間忘れ去られていた大いなる言葉が私たちの記憶の中に再び響き渡ります。そして、私たちが再び聞こうとする意欲を持てば持つほど、その言葉は、どんどんはっきり聞こえるようになってきます。



8. Walk, then, in gratitude the way of love.
 だから、感謝を忘れずに愛の道を歩みなさい。

 For hatred is forgotten when we lay comparisons aside.
 というのも、私たちが比較するのをやめるとき、憎しみは忘れ去られるからです。

 What more remains as obstacles to peace?
 そうなれば、それ以上、平安に至るのを妨げるどんなものが残っているというのでしょうか。

 The fear of God is now undone at last, and we forgive without comparing.
 神への恐れが今、ついに取り消されました。そして、私たちは比較することなく赦します。

 Thus we cannot choose to overlook some things, and yet retain some other things still locked away as "sins."
 そうなると、私たちは、いくつかの物事は見過ごしておきながら、なお、いくらかのほかの物事は「罪」として閉じこめたままにしておくという選択ができなくなります。

 When your forgiveness is complete you will have total gratitude, for you will see that everything has earned the right to love by being loving, even as your Self.
 あなたの赦しが完了するとき、あなたは全面的な感謝を抱くでしょう。というのも、あなたには、自らの真の自己と等しい愛に溢れる存在であるがゆえに、愛を得る権利を万物が享有していることがわかるようになるからです。



9. Today we learn to think of gratitude in place of anger, malice and revenge.
 今日、私たちは、怒りや悪意そして復讐心に感謝が取って代わるように考えることを学びます。

 We have been given everything.
 私たちは、すべてのものを授かっているからです。

 If we refuse to recognize it, we are not entitled therefore to our bitterness, and to a self-perception which regards us in a place of merciless pursuit, where we are badgered ceaselessly, and pushed about without a thought or care for us or for our future.
 もし私たちが自分たちがすべてを授かっていると認めるのを拒んだとしても、だからといって、私たちは、自分のことをぞんざいな扱いを受けて当然の存在だと思っていてよいわけではありません。そうだというのに、私たちは、自分には苦々しい境遇がふさわしいと思ったり、自分のことを、絶え間なく責め立てられて、今の状態や未来のことを考えたり心配する余地もない残酷な探求の場に置かれていると思い込んでいます。

 Gratitude becomes the single thought we substitute for these insane perceptions.
 感謝することだけが、このような狂気の知覚に私たちが置き換えることができる唯一の思いです。

 God has cared for us, and calls us Son.
 神は私たちを大切に思い、私たちをわが子と呼んでくれています。

 Can there be more than this?
 これ以上すばらしいことがありうるでしょうか。



10. Our gratitude will pave the way to Him, and shorten our learning time by more than you could ever dream of.
 私たちの感謝は神への道をなだらかにし、あなたには夢見ることすらできないほど私たちの学びの時間を短縮します。

 Gratitude goes hand in hand with love, and where one is the other must be found.
 感謝と愛は相伴うものなので、一方のあるところには必ず他方も見出されます。

 For gratitude is but an aspect of the Love which is the Source of all creation.
 というのも、感謝とは、あらゆる創造物の偉大な源である大いなる愛が持つひとつの側面にほかならないからです。

 God gives thanks to you, His Son, for being what you are; His Own completion and the Source of love, along with Him.
 神は、わが子であるあなたがありのままでいてくれることについて、あなたに感謝を与えてくれます。あなたがありのままであることは、あなたが神自身を完成させる存在であり、神とともに愛の大いなる源であることだからです。

 Your gratitude to Him is one with His to you.
 あなたの神への感謝は、神のあなたへの感謝とひとつのものです。

 For love can walk no road except the way of gratitude, and thus we go who walk the way to God.
 というのも、愛には感謝の道以外のいかなる道も歩むことができないので、神への道を歩む私たちは感謝の道を進むことになるからです。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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