ワークブック・レビュー6 序文


怠けた前頭葉が動き出せば「全機」する

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仏教に関する本を書くときは常になじみのないむずかしい漢字や熟語が頻発する。これが読者を仏教書から遠ざける原因の一つになっていると思う。筆者も本書ではそうならないように注意してはいるが「全機」という言葉だけはぜひ熟語のまま使いたい。しかも全人類が全機すれば世界を救うことができるほどの重要な言葉である。ぜひ読者も日常この言葉を使って、現代語として復活させていただきたい。
「全機」は禅宗で使われる用語で、「与えられたあらゆる機能を余すところなく発揮させる」ことをいう。機とはハタラキのこと、ゆえに全機とは「ハタラキ全し」だ。全機のもっともよい例は自然だ。自然は全機している。
だから、自然をよくよく観察すれば、
「全機すれば調和する」
という格言が、なっとくできるはずだ。
しかし、残念なことに、地球上の存在でただ人間だけが全機していないのである。だから悩みをいだく。これは、人間に特有の大きな前頭葉がなまけて全機していないかららしい。つまり、前頭葉が全機していないから、人間が全機していないという理なのだ。このような前頭葉を全機させ、ひいては人間を全機させるのが、六波羅蜜なのである。



森政弘今を生きていく力「六波羅蜜」31ページ)

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You are in prison.
あなたは牢獄の中にいる。

If you wish to get out of prison, the first thing you must do is realize that you are in prison.
もしあなたが牢獄から脱出したいと願うなら、まず第一にあなたがすべきなのは、自分が幽閉されていると認めることだ。

If you think you are free, you can't escape.
もしあなたが自分は自由だと思っていたのでは、あなたは脱出できない。



George Ivanovich Gurdjieff
グルジエフ

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Your life is yours to live, no matter how you choose to live it.
あなたの人生は、あなたがどのような生き方を選ぶにせよ、あなたが生きるべきものだ。

When you do not think about how you intend to live it, it lives you.
あなたが自分の人生をどう生きるかについて考えないなら、人生のほうがあなたを生きることになる。

When you occupy it, step into it consciously, you live it.
あなたが意識的に人生に足を踏み入れて人生の主人の座を占めるなら、あなたが人生を生きることになる。

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Gary Zukav, The Seat of the Soul
ゲイリー・ズーカフ





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お疲れさまでした!

ワークブックの復習もこれで6回目になります。

今回の復習では1日1レッスンの振り返りをするので、復習期間は20日間と長めになります。

すでにこれまでの復習で体験しているように、この期間は、ともすれば、やっつけ仕事的なものになりがちなので注意しましょう。


ワークブックのレッスンのこなし方に私たちの人生に向き合うスタンスが表れている!?

ワークブックの日々のレッスンと復習期間は、私たちの人生の過ごし方に準(なぞら)えることができます。

私たちは、文章を読むことがレッスンをこなすことであるように勘違いしているので、ほんの少しの手がかりの文章だけしか与えられずにいると、何もできないままになってしまいます。

実際の自分の人生でも、日中は身体の従事する活動に慌ただしく巻き込まれて、内省する時間などないし、夜、日記をつけるためにその日を振り返るのが関の山で、瞑想や空想などとんとやっていない、娯楽も動画配信で映画やドラマを見たりはしても、最近は小説なんて読むこともなくなったという人が多いのではないでしょうか。

文字や映像や音声の視聴覚情報による支援を受けなければ、自力で心の中でイメージを思い浮かべて操作することなどできないという人もいると思います。

補助輪付きの自転車が楽だからとずっと乗り続けて、補助輪なしでは満足に自転車を運転できなくなってしまうような状態です。

スマホやPC等頭の外に出して思考する道具は有益なものですが、道具を使いこなすよりも、道具に支配されて無能化するリスクも伴います。

人間の本来の姿についてイメージするには、「響きわたるシベリア杉シリーズ」が参考になると思います。

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ウラジーミル・メグレ「響きわたるシベリア杉シリーズ」)

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なすべきことの多い日ほど余計に祈りの時間を取らなければならない

「7つの習慣」に、マルティン・ルターは「今日はあまりにもすべきことが多いから、一時間ほど余分に祈りの時間をとらなければならない」と言ったというエピソードが紹介される個所があります(第7の習慣 刃を研ぐ)。



Martin Luther
マルティン・ルター




スティーブン・R.コヴィー先生は、これを笑い話として紹介しているわけではありません。



Stephen R. Covey
スティーブン・R.コヴィー

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私たち現代人はこれを笑い話として受け取ってしまうほど、何が本当に大切なのかわからなくなっているという痛烈な皮肉がこめられています。


このルターの言葉には、アインシュタインの問題解決のための時間配分に通じる真理が含まれています。



Albert Einstein
アルベルト・アインシュタイン





「If I had only one hour to save the world, I would spend fifty-five minutes defining the problem, and only five minutes finding the solution.
もし世界を救うための私の持ち時間が1時間しかなかったとしたら、私は、問題を見極めて定義するために55分をかけ、解決策を見つけるために5分を費やすだろう。」


御者がただ馬を走らせれば「生きた」ことになるわけではない。馬車の奥にいる主人が目を覚まして御者にたどり着くべき目的地を伝え馬車を構成する馬・御者・主人が一体となって馬車が進む状態だけが真に「生きた」ことになる

私たちには、やることがいっぱいというのであれば、祈りに割いている時間があったら、その時間をやることをやるために回せばいいのに、と、ルターの言葉が理解できず、宗教家のエキセントリックなこだわりにしか思えないし、少なくとも不合理に感じます。

このように、私たちはアバターが五感で感知する情報を処理することが生きることだと信じてどっぷりと自分のアバターの周囲の世界に浸かって右往左往します。

車の運転で言えば、フロントガラスやリアガラス、バックミラーから見える周囲の状況にばかり気をとられて運転操作に意識が集中している状態です。

目的地がどこなのか、目的地に至る経路はどこを通るのが最善かといった車を運転していることによって達成しようとする本当の目的を果たすために必要なことは、実際に運転している状態では満足に整えることはできません。

運転中にカーナビを操作したりスマホをいじったりすると事故の元であるように、ながら運転は禁物です。

目的地が遠方で道のりが難路であるほど、運転前のルート設定と難局で車の運転を止めて、どれだけしっかりとリルートを構成できるかが目的地に到達できるかどうかを左右するはずで、どんなに運転自体を高速度で行うことができても、目的地が間違っていたら、明後日の方向にまっしぐらになるだけです。

私たちも、日々のタスクに忙殺されてToDoリストにチェックマークをつけることで有意義に生きることができているつもりになっているけれど、仕事や日常から身を引いて心の中に沈潜するような時間を日常的に持てないとしたら、素晴らしい運転はしているけれど、どこに行きつくのかはわからない車と同じくらい悲惨な存在になっていると気づく必要があります。


このテーマについては、「WHITE SPACE ホワイトスペース―仕事も人生もうまくいく空白時間術 ( ジュリエット・ファント著)">WHITE SPACE ホワイトスペース―仕事も人生もうまくいく空白時間術」 ( ジュリエット・ファント著)が参考になると思います。




わずかな文字情報しか与えられない復習期間は、補助輪なしで自分で自転車をこぎ始めるような訓練期間として捉えることができます。

自転車に乗れるようになるうえで本当に飛躍的な進歩が得られる段階は、支援のある補助輪付きの段階で学んできたことを支援なしで実践する補助輪なしの段階です。

せっかくの飛躍のチャンスを無駄にしないためにルターの言葉を心に銘記しましょう!

「今日はあまりにもすべきことが多いから、一時間ほど余分に祈りの時間をとらなければならない」と。


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Sixth Review- Introduction
6回目の復習 〜 序論



1. For this review we take but one idea each day, and practice it as often as is possible.
 これからの復習では、私たちは毎日ひとつの考えだけを取りあげて、その考えをできるだけ頻繁に実践します。

 Besides the time you give morning and evening, which should not be less than fifteen minutes, and the hourly remembrances you make throughout the day, use the idea as often as you can between them.
 朝と夜に15分以上の時間を捧げるほかに、1日を通して1時間ごとにその日の考えを思い出すだけでなく、それらの合間にもできるかぎり、その考えを用いるようにしてください。

 Each of these ideas alone would be sufficient for salvation, if it were learned truly.
 これらの考えのうちの一つひとつだけでも、もしそれを真に学ぶことができたなら、それで救済には十分です。

 Each would be enough to give release to you and to the world from every form of bondage, and invite the memory of God to come again.
 あなたと世界をあらゆる形の束縛から解放し、神の記憶が再び訪れるよう招くには、その一つひとつだけで十分です。



2. With this in mind we start our practicing, in which we carefully review the thoughts the Holy Spirit has bestowed on us in our last twenty lessons.
 このことを心に留めながら、私たちは実習を始めます。実習では、私たちは注意深く、これまでの20のレッスンで聖霊が私たちに与えてくれた考えを復習します。

 Each contains the whole curriculum if understood, practiced, accepted, and applied to all the seeming happenings throughout the day.
 1日を通してどんな形で出来事が起ころうとも、もし一つひとつの考えを理解して練習して受け入れて適用できるようになれば、一つひとつの考えにカリキュラムの全体が含まれていることがわかるでしょう。

 One is enough.
 ひとつで十分です。

 But from that one, there must be no exceptions made.
 ただし、そのひとつには、いかなる例外も設けないようにしなければなりません。

 And so we need to use them all and let them blend as one, as each contributes to the whole we learn.
 だから、一つひとつの考えは私たちが学ぶ全体に役立つので、私たちは一つひとつの考えのすべてを用いて、それらをひとつに融合させる必要があります。



3. These practice sessions, like our last review, are centered round a central theme with which we start and end each lesson.
 これからの実習期間は、前回の復習と同じく、ひとつの基本的なテーマを中軸に展開されており、私たちは、そのテーマを各レッスンの初めと終わりに実習します。

 It is this:
 そのテーマとは次の通りです。


I am not a body.
私は身体ではない。

I am free.
私は自由だ。    

For I am still as God created me.
というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。


 The day begins and ends with this.
 1日を、この考えとともに始め、この考えとともに終えます。

 And we repeat it every time the hour strikes, or we remember, in between, we have a function that transcends the world we see.
 そして、私たちは、1時間が経過するたびに、この考えを繰り返し、その合間の時間に、私たちには自分の見ている世界を超越する役目があることを思い出すようにします。

 Beyond this, and a repetition of the special thought we practice for the day, no form of exercise is urged, except a deep relinquishment of everything that clutters up the mind, and makes it deaf to reason, sanity and simple truth.
 これ以上に、つまり、その日に自分たちが実習する特別な考えを繰り返す以外には、実習にはいかなる形式も求められません。ただし、心を混乱させて、心に理性や正気や単純な真理に耳を貸せなくさせてしまうような物事をすべて心の底から捨て去ることだけは必要です。



4. We will attempt to get beyond all words and special forms of practicing for this review.
 私たちは、この復習を実習するうえで、すべての言葉と特別な形を超越するように試みます。

 For we attempt, this time, to reach a quickened pace along a shorter path to the serenity and peace of God.
 というのも、私たちは今回、神の静穏と平安に至る近道に沿って、これまでよりもペースを速めて、神の静穏と平安に到達することを試みるからです。

 We merely close our eyes, and then forget all that we thought we knew and understood.
 私たちは、単に目を閉じて、それから、自分が知っていて理解しているつもりでいたことをすべて忘れ去ります。

 For thus is freedom given us from all we did not know and failed to understand.
 というのも、こうすることで、私たちは自分が知らずに理解し損ねていたことすべてから自由になれるからです。



5. There is but one exception to this lack of structuring.
 このように実習を形式化しないことに関しては、ひとつだけ例外があります。

 Permit no idle thought to go unchallenged.
 それは、雑念をひとつも見逃さないようにすることです。

 If you notice one, deny its hold and hasten to assure your mind that this is not what it would have.
 もしあなたがひとつでも雑念に気づいたなら、その想念の支配力を否認し、すぐさま自分の心に、そんな思いは自分の心が抱くに値しないものだと確信させてください。

 Then gently let the thought which you denied be given up, in sure and quick exchange for the idea we practice for the day.
 それから、確信をもって速やかにその日に私たちが実習する考えで置き換えることで、あなたが否認したその雑念をそっと手放すようにしてください。



6. When you are tempted, hasten to proclaim your freedom from temptation, as you say:
 あなたが誘惑に駆られるときには、次のように言って、速やかに誘惑から自分が解放されたことを明確にしてください。


This thought I do not want.
この思いは私が望むものではない。

I choose instead ______
その代わりに、私は(    )を選択する。


 And then repeat the idea for the day, and let it take the place of what you thought.
 それから、その日の考えを繰り返して、その日の考えが自分が思ったことに取って代わらせてください。

 Beyond such special applications of each day's idea, we will add but a few formal expressions or specific thoughts to aid in practicing.
 このように毎日の考えを特別に適用すること以外には、私たちは単に、実習の助けになるような形式的な表現や特別な考えをいくらかつけ加えるだけにします。

 Instead, we give these times of quiet to the Teacher Who instructs in quiet, speaks of peace, and gives our thoughts whatever meaning they may have.
 その代わり、私たちは、このような静かな時間を、静寂のうちに指導し、平安について語り、それがいかなる意味を持つにせよ、私たちの思いを与えてくれる大いなる教師に捧げることにします。



7. To Him I offer this review for you.
 私はこの復習をあなたに代わって聖霊に捧げているのです。

 I place you in His charge, and let Him teach you what to do and say and think, each time you turn to Him.
 私はあなたを聖霊の導きに任せて、あなたが聖霊に助けを求めるたびに、あなたが聖霊から、何をして何を言い、何を思うべきか教えてもらえるようにします。

 He will not fail to be available to you, each time you call to Him to help you.
 あなたが聖霊に自分を助けてくれるようにと呼びかけるたびに、聖霊があなたを助け損ねることはないでしょう。

 Let us offer Him the whole review we now begin, and let us also not forget to Whom it has been given, as we practice day by day, advancing toward the goal He set for us; allowing Him to teach us how to go, and trusting Him completely for the way each practice period can best become a loving gift of freedom to the world.
 私たちがこれから始める復習の全体を私たちで聖霊に捧げましょう。そして、私たちが日々実習するに際して、復習する考えを聖霊に捧げていることを忘れないようにして、私たちのために聖霊が定めてくれた目標に向かって前進します。その際には、聖霊に私たちにどのように進むべきか教えてもらい、各実習期間がこの世界の解放という素晴らしい贈り物となるための最善の道であることについて、聖霊を完全に信頼するようにしましょう。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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