レッスン3「私は自分の見るどんなもののことも理解していない」
問いを持った部族は生き残ったが、答えを持った部族は滅びた。

ネイティブ・アメリカンの諺
Everything that irritates us about others can lead us to an understanding of ourselves.
私たちが他者に覚えるどんな怒りも、私たちに自分自身についての理解をもたらすことができる。

Carl Gustav Jung
カール・ユング

レッスン3です。
今日のテーマは、「I do not understand anything I see.
私は自分の見るどんなもののことも理解していない」です。
まだレッスンは始まったばかりで困惑は当然なので、無理はしないように
初めてワークブックに取り組む際には、指示されたことがよく理解できなくて混乱してしまうこともあると思います。
とくにテキストを抜きにして、いきなりワークブックから入ると、この心の混乱はより大きいと思います(といっても、この混乱自体、ワークブックの狙っているところであることも確かですが)。
1日1レッスンの原則を守って、ゆっくり進めていくことで、徐々にこの混乱もおさまっていくはずです。
できれば、テキストをざっと読んで、基本的な概念を押さえ、それから、テキストと同時進行でワークを進めていくのが望ましいように思います。
関連個所の抜粋
では、テキストの関連個所を引用しますので、それからレッスンの実習をしてみてください。

「5. You have been wrong about the world because you have misjudged yourself.
あなたは、自分の価値を誤って判断してきたせいで、世界を誤解し続けてきました。
From such a twisted reference point, what could you see?
そんなにも歪んだ判断の基準から、あなたはいったい何を見ることができでしょうか。
All seeing starts with the perceiver, who judges what is true and what is false.
見るということはすべて、何が真実で何が虚偽なのか判断する知覚者から始まります。
And what he judges false he does not see.
そして、自分が偽りだと判断したものを知覚者が見ることはありません。
You who would judge reality cannot see it, for whenever judgment enters reality has slipped away.
現実を価値判断しようとするあなたには、現実を見ることはできません。なぜなら、価値判断が入りこむたびに、すでに現実はするりと消え去ってしまっているからです。
The out of mind is out of sight, because what is denied is there but is not recognized.
小さな心の外側に置かれたものは視界から外れてしまうのです。なぜなら、否認されたものはそこにあるとしても、認識されなくなるからです。
Christ is still there, although you know him not.
たとえあなたがキリストを知らないとしても、キリストは今でもあなたの心の中にいます。
His Being does not depend upon your recognition.
キリストの大いなる実在が、あなたの認識に左右されるはずがないからです。
He lives within you in the quiet present, and waits for you to leave the past behind and enter into the world he holds out to you in love.
キリストは、静かなる現在において、あなたの内に生きており、あなたが過去をあとにして、キリストが愛をこめてあなたに差し出している世界の中にあなたが入ってきてくれるのを待っています。」(テキスト 第十三章 VII. Attainment of the Real World 七 真の世界の幕開け)

Workbook Lesson 3
I do not understand anything I see.
私は、自分の見るどんなもののことも理解していない。
I do not understand anything I see in this room [on this street, from this window, in this place].
私は、この部屋の中で(この通りで、この窓から、この場所で)自分が目にするどんなもののことも理解していない。
1. Apply this idea in the same way as the previous ones, without making distinctions of any kind.
この考えをこれまでのレッスンと同じように、どんな種類の区別もせずに適用してください。
Whatever you see becomes a proper subject for applying the idea.
あなたが目にするどんなものも、この考えをあてはめるのにふさわしい対象となります。
Be sure that you do not question the suitability of anything for application of the idea.
それが何であれ、この考えを適用するのが適当かどうかを疑わないように注意してください。
These are not exercises in judgment.
これは、価値判断を行う実習ではないのです。
Anything is suitable if you see it.
それがもしあなたの目に触れるなら、どんなものでも、この考えをあてはめるのに適しています。
Some of the things you see may have emotionally charged meaning for you.
あなたが見るものの中には、あなたにとって感情的な緊張を募らせるような意味合いを持つものもあるかもしれません。
Try to lay such feelings aside, and merely use these things exactly as you would anything else.
そんな気持ちは脇に置くように努めてください。そして、単に、あなたが何かほかの物を対象にしようというときと同じように、それらの物をそのまま、この考えをあてはめる対象として用いてください。
2. The point of the exercises is to help you clear your mind of all past associations, to see things exactly as they appear to you now, and to realize how little you really understand about them.
この実習のポイントは、あなたの心から過去を連想させるものを一掃して、物事を今あなたに見えている姿のまま正確に見ることができるようにして、自分がどれほどそれらの物事を真に理解できていないか気づくのを手助けすることにあります。
It is therefore essential that you keep a perfectly open mind, unhampered by judgment, in selecting the things to which the idea for the day is to be applied.
したがって、今日の考え方をあてはめる対象物をどれにするか選ぶ際には、価値判断に邪魔されることなく、あなたが完全に心を開いていることが絶対に欠かせません。
For this purpose one thing is like another; equally suitable and therefore equally useful.
この目的のためには、ある物はほかの物と同じで、等しく適当なものであり、それゆえ、同じように役に立つのです。


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