レッスン212(レッスン192の復習)

2014年01月15日
レッスン211〜220 0

It is our attitude at the beginning of a difficult task which, more than anything else, will affect its successful outcome.
難しい課題に取りかかる際の私たちの態度が、ほかの何にもまして、その結果の成功に影響を及ぼす。



William James
ウィリアム・ジェイムズ



『奇跡講座』を学んでいようと、他の形態の癒しに携わっていようと、人々が陥る罠の一つに「成果を望む」ということがあります。成果が得られないなら、つまり、風邪が治らないなら、傷が癒やされないなら、腫瘍が消えないなら、それは自分が良いヒーラーではないという意味になると考えるわけです。そのときに何が起こったかというと、ただ、肉体を実在するものと見なしてしまうという、いつもと同じ罠に陥ったということなのです。
このコースが一貫して警告している重要なことの一つは、「誤りを実在のものとしてはならない」ということです。『奇跡講座』は罪を信じませんが、もしこのコースに反する罪があるとすれば、それは、「誤りを実在のものとすること」となります。誤りを支持したりそれに対抗したりするために何かをしなければならないと信じるなら、それによって、私たちはその誤りを実在のものと見なしてしまう。肉体のレベルで癒されなければならない何らかの問題があると信じるやいなや、誤りが実在すると言っていることになります。



ケネス・ワプニック(「奇跡の原理」224ページ)








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レッスン212です。

今日は、レッスン192の復習です。





今回は、人間の永遠の探求:パラマハンサ・ヨガナンダ講話集をご紹介します。

永遠の探求



Paramahansa Yogananda
パラマハンサ・ヨガナンダ


奇跡のコースは人の子ではなく神の子の救済のみを目指している

奇跡のコースは、「神の子」の救済のための本であって、私たち「人の子」が人生を上手に生き、魂を浄化することに主眼を置く本ではありません。

また、覚醒するのは神の子であって私たちアバターが覚醒するわけではありません。

光である神の子の白光がありのままに光を放つことができなくする蓋として覆いかぶさっているのが私たちアバター人の子たちであり、人の子というかさぶたが剥がれることで光が本来の白光に戻ることが覚醒であり、人の子が障害となって神の子の覚醒を妨げているという仕組みです。

私たちアバターが覚醒することは原理的にありえないので、私たちが主役意識を捨てられないかぎり、神の子が目を覚ますことはありえません。




ここは、一瞥体験をしたり、悟りの境地に到達したりしようと意気込んでいる私たちからすると??なはずです。


ですが、残念ながら、私たちが夜見る夢に置き換えてみれば、簡単にわかることです。

私たちが夜見る夢や薬物によって見る幻覚の妄想の中で、自分以外の別の人物になっている夢物語を体験している場合、その夢の世界の主人公である人物がよりよい人生を生き、夢が覚めずにずっと続くことは、夢見る当人にとっての幸せではありません。


私たち自身が最大の障害

この例で言えば、私たちは、夢の中の主人公なのであり、私たちが夢見の主体の意識を奪って現実に目覚めるのを邪魔している最大の障害です。

私たち夢の主人公が引き寄せの法則に熟達して「望み通りの現実」を引き寄せて人生を謳歌するなら、主人公の人生を追体験している神の子は心揺さぶられるテレビドラマシリーズにどハマりしている視聴者と同じように、夢の世界にどっぷりと浸かりきるだけです。


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その夢が悟りを開いたりアセンションを遂げたりといったスピリチュアル方面に関心の向く私たちが大満足するような内容のものだったとしても、何も変わりません。

コースが私たちに語りかけるのは、神の子が私たちになりきっていて、私たちを介してしてしかアプローチのしようがないからにすぎません。

冷淡な言い方をすれば、警察が、人質をとって立てこもっている犯人グループの中で、まだ良心が残っていて話の通じそうな者を説得して人質を解放しようとしている場面の警察との窓口になりうる犯人が私たちなわけです。


人生の向上や魂の浄化等を期待するならコースはお門違い

通常のスピリチュアル的発想は、犯人が人質を利用してさまざまな要望を遂げ、果ては自分が人質の立場を得て人質に成り代わろうとするベクトルなので、投降して人質を解放することを求めるコースはそのような発想を挫くものだと言えます。

ここがコースを難解に思わせ、ときに学習者を混乱させて厭世的にさせてしまうことがあるポイントかもしれません。

神の子は私たちアバターを通してしか神の声を聞くことができなくなっているために、コースは私たち幻のアバターに働きかけはしますが、人の子としての私たちが個としての魂のカルマを解消したり、霊的次元を向上したりすることにコースの関心はなく、ましてやエゴ・身体としての私たちが上手に世渡りして世間的成功を遂げることなど、コースの眼中には一切ありません。

そのため、個人的な幸福を願って、心の癒しや引き寄せの法則的なよりよい人生を招き寄せたいという素朴な動機でコースに取り組む人にとっては、当然のようにまったく効果はないので、取り組み当初のエゴ本位のスタンスがそのまま維持されているような場合には、思うような効果があがらないと不満を感じてしまうことになるかもしれません。


自分が幸せになろうとするのを諦めてせめて兄弟を幸せにしようと意識を変えたら、すでに自分は幸せだと気づいていたというパラドックス

もちろん、コースの学びによってエゴから聖霊にガイドが交代することによる副次的な効果として、奇跡や癒しの恩恵に浴することは当然に起こりうるわけですが、それを主目的に据えているかぎりは、うさぎ人形を追うグレイハウンドと同じように、絶対に目的に辿り着けないというパラドキシカルな仕組みなわけです。

仏教説話の地獄の三尺三寸箸のお話が教えてくれている通り、地獄の住人たちのように、自分ひとりでご馳走にありつこうと奮闘するかぎりはお預けを食らったままだけど、極楽の住人たちのように、誰かがご馳走を食べられるよう助けようとしたら、ご相伴にあずかって、心ゆくまでご馳走を味わうことができるという寸法です。

この点は、各記事の冒頭の名言でヴィクトール・フランクル先生たちが、幸福になろうとするかぎりは幸福にはなれないという趣旨のテーマで語ってくれている通りです。

コースのスタイルは、突き放すようでいて実は近道という聖霊の経糸のみの教えで、ハマる人にはハマりますが、なかなかとっつきにくいし混乱しやすい道と言えるでしょう。

このような観点から言えば、ヨガナンダ先生の本は、広く門戸を開いて、万人を受け入れて、より優しく手取り足取り人の子としての生き方までフォローしてくれているといえます。

いずれも目指すところは神で同じですので、ぜひ読んでみてください。





【序文】

1.これからの復習では、私たちは毎日ひとつの考えだけを取りあげて、その考えをできるだけ頻繁に実践します。

朝と夜に15分以上の時間を捧げるほかに、1日を通して1時間ごとにその日の考えを思い出すだけでなく、それらの合間にもできるかぎり、その考えを用いるようにしてください。

これらの考えのうちの一つひとつだけでも、もしそれを真に学ぶことができたなら、救済のためにはそれで十分です。

あなたと世界をあらゆる形の束縛から解放し、神の記憶が再び訪れるよう招くには、その一つひとつだけで十分です。



2.このことを心に留めながら、私たちは実習を始めます。実習では、私たちは注意深く、聖霊がこれまでの20のレッスンで私たちに与えてくれた考えを復習します。

1日を通してどんな形で出来事が起ころうとも、もし一つひとつの考えを理解して練習して受け入れて適用できるようになれば、一つひとつの考えにカリキュラムの全体が含まれていることがわかるでしょう。

ひとつで十分です。
 
ただし、そのひとつには、いかなる例外も設けないようにしなければなりません。

だから、一つひとつの考えは私たちが学ぶ全体に役立つので、私たちは一つひとつの考えのすべてを用いて、それらをひとつに融合させる必要があります。



3.これからの実習期間は、前回の復習と同じく、ひとつの基本的なテーマを中軸に展開されており、私たちは、そのテーマを各レッスンの初めと終わりに実習します。

そのテーマとは次の通りです。


私は身体ではない。

私は自由だ。    

というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。


1日を、この考えとともに始め、この考えとともに終えます。

そして、私たちは、1時間が経過するたびに、この考えを繰り返し、その合間の時間に、私たちには自分の見ている世界を超越する役目があることを思い出すようにします。

これ以上に、つまり、その日に自分たちが実習する特別な考えを繰り返す以外には、実習にはいかなる形式も求められません。ただし、心を混乱させて、心に理性や正気や単純な真理に耳を貸せなくさせてしまうような物事をすべて心の底から捨て去ることだけは必要です。



4.私たちは、この復習を実習するうえで、すべての言葉と特別な形を超越するように試みます。

というのも、私たちは今回、神の静穏と平安に至る近道に沿って、これまでよりもペースを速めて、神の静穏と平安に到達することを試みるからです。

私たちは、単に目を閉じて、それから、自分が知っていて理解しているつもりでいたことをすべて忘れ去ります。

というのも、こうすることで、私たちは自分が知らずに理解し損ねていたことすべてから自由になれるからです。



5.このように実習を形式化しないことに関しては、ひとつだけ例外があります。

それは、雑念をひとつも見逃さないようにすることです。

もしあなたがひとつでも雑念に気づいたなら、その想念の支配力を否認し、すぐさま自分の心に、そんな思いなど心が抱くに値しないと確信させてください。

それから、あなたが否認したその雑念をそっと手放して、確信をもって速やかにその日に私たちが実習する考えで置き換えるようにしてください。



6.あなたが誘惑に駆られるときには、次のように言って、速やかに誘惑から自分が解放されたことを明確にしてください。


この思いは私が望むものではない。

その代わりに、私は(    )を選択する。


それから、その日の考えを繰り返して、その日の考えが自分が思ったことに取って代わるようにしてください。

このように毎日の考えを特別に適用すること以外には、私たちは単に、実習の助けになるような形式的な表現や特別な考えをいくらかつけ加えるだけにします。

その代わり、私たちは、このような静かな時間を、静寂のうちに指導し、平安について語り、それがいかなる意味を持つにせよ、私たちの思いを与えてくれる大いなる教師に捧げることにします。



7.私はこの復習をあなたに代わって聖霊に捧げているのです。

私はあなたを聖霊の導きに任せて、あなたが聖霊に助けを求めるたびに、あなたが聖霊から、何をして何を言い、何を思うべきか教えてもらえるようにします。

あなたが聖霊に自分を助けてくれるようにと呼びかけるたびに、聖霊があなたを助け損ねることはないでしょう。

私たちがこれから始める復習の全体を私たちで聖霊に捧げましょう。そして、私たちが日々実習するに際して、復習する考えを聖霊に捧げていることを忘れないようにして、私たちのために聖霊が定めてくれた目標に向かって前進します。その際には、聖霊に私たちにどのように進むべきか教えてもらい、各実習期間がこの世界の解放という素晴らしい贈り物となるための最善の道であることについて、聖霊を完全に信頼するようにしましょう。



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Lesson 212

I am not a body. I am free.
私は、身体ではない。私は自由だ。

For I am still as God created me.
というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。



1. [192] I have a function God would have me fill.
 私には、神が私に果たさせようとする役目がある。


 I seek the function that would set me free from all the vain illusions of the world.
 私は、この世界のあらゆる空疎な幻想から自分を解放する役目を求める。

 Only the function God has given me can offer freedom.
 神が私に授けてくれた役目だけが、自由をもたらしてくれる。

 Only this I seek, and only this will I accept as mine.
 この役目だけを私は求め、そして、この役目だけを私は自分の役割として受け入れる。


I am not a body. I am free.
私は、身体ではない。私は自由だ。

For I am still as God created me.
というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。





次

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 松山 健 Matsuyama Ken
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