レッスン217(レッスン197の復習)

2014年01月20日
レッスン211〜220 0

Without self-knowledge, without understanding the working and functions of his machine, man cannot be free, he cannot govern himself and he will always remain a slave.
自己の知識なしには、人は自由になることができないし、自分の人間機械の作用と機能の理解なしには、人は自分を支配できず、奴隷のままだろう。



George Gurdjieff
グルジェフ



阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。



芥川龍之介



成功者たちの共通点は、成功していない人たちの嫌がることを実行に移す習慣を身につけているということである。彼らにしても、必ずしも好きでそれを行っているわけではないが、自らの嫌だという感情をその目的意識の強さに服従させているのだ。

Albert E N Gray(The New Common Denominator of Success (Laws of Leadership))
アルバート・グレイ




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レッスン217です。

今日は、レッスン197の復習です。




「悪魔を出し抜け!」

今日は、ナポレオン・ヒル著「悪魔を出し抜け!」をご紹介します。






オーディオブック.JPで朗読音声が出ています。

アマゾン紹介文
「ナポレオン・ヒル生誕130周年記念出版!
あらゆる自己啓発書に影響を与え続けている『思考は現実化する』を発表した翌年である1938年に
書き上げながら、親族の反対により70余年封印されていた「悪魔」との対話。
人間の「意識」がもつ可能性を解き明かすナポレオン・ヒル幻の新刊。

第1章 アンドリュー・カーネギーとの出会い
第2章 「もう一人の自分」の偉大なる力
第3章 悪魔との対話
第4章 「流される」習慣
第5章 最も重要な告白
第6章 ヒプノティック・リズム
第7章 引き寄せの法則
第8章 代償の法則
第9章 善と悪は常に同時に存在している
第10章 自制心について
第11章 成功は常に過去に経験した失敗の数に比例する
第12章 「無限の知性」とつながる

(注釈者シャロン・レクターまえがきより)
私は、いまだかつてこれほど深遠なる書物を読んだことがない。
ナポレオン・ヒル財団のCEO、ドン・グリーンから、この本の出版プロジェクトに参加しないかと
誘われたときには、あまりの栄誉に自分の耳を疑ったほどだ。そして、実際ヒル博士の書いた原稿を
読み出すと、一週間は寝ることもできなかった。一九三八年に、ナポレオン・ヒルその人が自分で
タイプライターを打って書いたその原稿は、その後七十二年もの間、親族の意向により隠され続けてきた。
それはどうしてか?
(中略)
どうして博士の親族は原稿を隠そうとしたのか、その理由を尋ねると、ドン・グリーンは当時の事情を
こう話してくれた。
「それはヒルの妻アニー・ルーが公表に反対したからだ。彼女は、サウスカロライナ州クリントンにある、
プレスビテリアンカレッジの学長、ウィリアム・プルーマー・ジェイコブの秘書をしていた。
ジェイコブはジェイコブズ・プレスのオーナーであり、サウスカロライナ州にある繊維企業グループの
外部顧問でもあった。ヒルは、ジェイコブに雇われてクリントンに移ってきていたのだ。
アニー・ルーはその本に悪魔が登場することを気にしていた。既成宗教から攻撃されることを恐れたのだ
(おそらく夫の仕事のこともあったろう)。一九七〇年にヒルが亡くなったあとも、アニー・ルーは一九八四年
まで生きていた。彼女が死ぬと、原稿は当時ナポレオン・ヒル財団の会長だったチャールズ・ジョンソンの手に渡った。
チャールズは、アニー・ルーの甥でもある。チャールズの妻フランキーはアニー・ルーの気持ちを前から
知っていて、彼女の意向を尊重したいと考えていた。そこでフランキーは自分が生きている間も出版は
控えてほしいと夫に頼んだ。その妻も数年前に他界した。そこで、とうとうその原稿は私の元に来ることとなったのだ。
チャールズが渡してくれた原稿は赤革で装丁がされ、表紙には『悪魔を出し抜け』のタイトルが
金文字で打ち出されていた。その原稿に強力なメッセージがあると信じた財団は、出版することに決めたのだ。」


成功法則と不幸の法則

ナポレオン・ヒル博士が悪魔との対話によって、人間を「流される」ように仕向ける「ヒプノティック・リズム」の法則を中心として悪魔が人間を支配する法則について、悪魔に自白させ、そこから、悪魔の手中に落ちないための知恵を抽出してゆきます。



レフ・トルストイのアンナ・カレーニナの書き出しは「幸福な家庭はどれも一様に似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ不幸の中身が異なっている。」というものです。

これは確かにこの世界の事実であることは私たちも直感的に理解できます。

そして、この事象を法則として素朴に受け止めて発想すると、一様でない不幸を研究するよりも、一様な幸福の要素を抽出して成功法則を確立すればよいように思えてしまいます。

けれど、いわゆる成功法則、成功者と呼ばれる人たちの成功に至るプロセスを類型化した手順を踏襲すること、を実践して現に大成したという人にはあまりお目にかかりません。


当然先人の生み出した共有財産は活用すべき

もちろん、言語やさまざまな技術や知見等の先人が編み出した人類の共有財産を一から自分で見つけたり作り出すようなことはせずに、活用すべきなのはもちろんです。

しかし、ことが自分の目的を見出してそれを成就するということに関しては、人まねは命取りになるのであり、成功法則的なものに飛びつくのは自滅の道を邁進することになりやすいといえます。

というのも、私たちには、自分独自の魂があり、必要なのは、自分の魂の声を聴いて、その自分だけの使命を果たすことなのであり、自分の使命は、本に書かれているわけでも、インターネットで調べたらどこかのサイトに書かれていたりするわけでも、どこかの占い師に聞いたり、宗教に入信すれば教えてもらえるわけでもないし、もちろん奇跡のコースに書かれているわけでもないからです。


成功不成功の鍵は自分を偽らずに自分自身になりきれたかどうか

自分以外の何者かになろうとするのではなく、自分自身になるべし、自分という大理石の中に潜む像を掘り出す、というミケランジェロの彫像観については、奇跡のコースの学習棄却、アンラーン(unlearning)を理解するうえで役立つのでたびたび触れています。

幸福な家庭が似通っているという結果に着目して幸福に至る道、原因が似通っていると考えるのはおそらく正しくはないでしょう。

その人が幸福になれたのは、その人が自分自身になりきることができたからです。

人は無限にいるのだから、各自が自分自身になる方法が似通っているわけがありません。


他方で、不幸な家庭がそれぞれに不幸だという結果に着目して、不幸になる原因が千差万別だと考えるのはおそらく正しくないでしょう。

その人が不幸なのは、きっとその人が自分自身を殺して自分以外の何ものかになろうとしたからです。

このように、素朴な発想とはむしろ逆に、幸福という結果の原因は、各自が自分自身になりきることができたからだとすれば、幸福の原因は、自分自身になりきったことだ、というテーゼに集約はできても、そのための方法を万人共通のルールとして一般化することはできようはずがないということになるし、逆に不幸になる原因も、各自が自分であることを否認して自分以外のものになろうとしたためだとひとつの命題に絞り込むことができます。


悪魔や死は実は味方

釈迦やイエスが悟りを得るうえで、悪魔が最後に誘惑という形で力を貸しています。

私たちも悪魔を毛嫌いするのではなく、大いなる学びの機会を与えてくれる教師として活用するくらいの度量を持ちたいものです。

神や聖霊といった神聖な光の側にばかり憧れて追い求めていたのでは、心に影ができやすくなるのは否定できません。

いつもお客様に笑顔で接しなければならず、作り笑いを強いられる仕事、聖職と言われる仕事であるとか、先生と呼ばれる種類の仕事に就いている人が心に闇を抱えやすいのは否定しがたい事実でしょう。

闇は排除しようとしてなくすものでもなければ、なくせるものでもありません。排除しようとするなら、闇はますます広がり深まるばかりでしょう。

そうではなく、光の陣営に取り込んで、正しく光を当ててやれば、毒は薬に、非難は改善のための批評に、変わるでしょう。


コースを中途半端に学んでかえってエゴに支配されてしまわないように

コースを中途半端に学びエゴを消そうという発想になると、ともすれば、はてしない物語のイスカールナリたちのような個性のない、いてもいなくても変わらないような柔和で善良なだけの愛のない人間になってしまいかねません。



エゴは果実のようなもので、成熟させて熟れきったら、放っておいても落ちるものであり、未熟なままでは落ちない、この点で、自我の強い西洋人よりも自我の弱い東洋人のほうがエゴを落とすのが難しいというエゴについてのOshoの指摘を私たちは認めなければなりません。

自我がまだ未熟なのにエゴを消し去ろうとするのは、エゴを持続させて、かえって御しがたいスピリチュアル・エゴに進化させる危険があることを意識して自戒しましょう。

表面的には聖人のように柔和で人当たりはいいけれど、腹の底では自他の悟り具合を競い合ってマウントと取り合っているようなエゴは、纏足によって成長を止められた小さな足のようなもので、もはや落とすために自我をさらに成長させるのも難しいけれど、落ちないまま残って悪さだけはし続けるという具合に、かえってたちが悪いといえるかもしれません。

まずは健全な自我を成長させられるようにしたいものです。





【序文】

1.これからの復習では、私たちは毎日ひとつの考えだけを取りあげて、その考えをできるだけ頻繁に実践します。

朝と夜に15分以上の時間を捧げるほかに、1日を通して1時間ごとにその日の考えを思い出すだけでなく、それらの合間にもできるかぎり、その考えを用いるようにしてください。

これらの考えのうちの一つひとつだけでも、もしそれを真に学ぶことができたなら、救済のためにはそれで十分です。

あなたと世界をあらゆる形の束縛から解放し、神の記憶が再び訪れるよう招くには、その一つひとつだけで十分です。



2.このことを心に留めながら、私たちは実習を始めます。実習では、私たちは注意深く、聖霊がこれまでの20のレッスンで私たちに与えてくれた考えを復習します。

1日を通してどんな形で出来事が起ころうとも、もし一つひとつの考えを理解して練習して受け入れて適用できるようになれば、一つひとつの考えにカリキュラムの全体が含まれていることがわかるでしょう。

ひとつで十分です。
 
ただし、そのひとつには、いかなる例外も設けないようにしなければなりません。

だから、一つひとつの考えは私たちが学ぶ全体に役立つので、私たちは一つひとつの考えのすべてを用いて、それらをひとつに融合させる必要があります。



3.これからの実習期間は、前回の復習と同じく、ひとつの基本的なテーマを中軸に展開されており、私たちは、そのテーマを各レッスンの初めと終わりに実習します。

そのテーマとは次の通りです。


私は身体ではない。

私は自由だ。    

というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。


1日を、この考えとともに始め、この考えとともに終えます。

そして、私たちは、1時間が経過するたびに、この考えを繰り返し、その合間の時間に、私たちには自分の見ている世界を超越する役目があることを思い出すようにします。

これ以上に、つまり、その日に自分たちが実習する特別な考えを繰り返す以外には、実習にはいかなる形式も求められません。ただし、心を混乱させて、心に理性や正気や単純な真理に耳を貸せなくさせてしまうような物事をすべて心の底から捨て去ることだけは必要です。



4.私たちは、この復習を実習するうえで、すべての言葉と特別な形を超越するように試みます。

というのも、私たちは今回、神の静穏と平安に至る近道に沿って、これまでよりもペースを速めて、神の静穏と平安に到達することを試みるからです。

私たちは、単に目を閉じて、それから、自分が知っていて理解しているつもりでいたことをすべて忘れ去ります。

というのも、こうすることで、私たちは自分が知らずに理解し損ねていたことすべてから自由になれるからです。



5.このように実習を形式化しないことに関しては、ひとつだけ例外があります。

それは、雑念をひとつも見逃さないようにすることです。

もしあなたがひとつでも雑念に気づいたなら、その想念の支配力を否認し、すぐさま自分の心に、そんな思いなど心が抱くに値しないと確信させてください。

それから、あなたが否認したその雑念をそっと手放して、確信をもって速やかにその日に私たちが実習する考えで置き換えるようにしてください。



6.あなたが誘惑に駆られるときには、次のように言って、速やかに誘惑から自分が解放されたことを明確にしてください。


この思いは私が望むものではない。

その代わりに、私は(    )を選択する。


それから、その日の考えを繰り返して、その日の考えが自分が思ったことに取って代わるようにしてください。

このように毎日の考えを特別に適用すること以外には、私たちは単に、実習の助けになるような形式的な表現や特別な考えをいくらかつけ加えるだけにします。

その代わり、私たちは、このような静かな時間を、静寂のうちに指導し、平安について語り、それがいかなる意味を持つにせよ、私たちの思いを与えてくれる大いなる教師に捧げることにします。



7.私はこの復習をあなたに代わって聖霊に捧げているのです。

私はあなたを聖霊の導きに任せて、あなたが聖霊に助けを求めるたびに、あなたが聖霊から、何をして何を言い、何を思うべきか教えてもらえるようにします。

あなたが聖霊に自分を助けてくれるようにと呼びかけるたびに、聖霊があなたを助け損ねることはないでしょう。

私たちがこれから始める復習の全体を私たちで聖霊に捧げましょう。そして、私たちが日々実習するに際して、復習する考えを聖霊に捧げていることを忘れないようにして、私たちのために聖霊が定めてくれた目標に向かって前進します。その際には、聖霊に私たちにどのように進むべきか教えてもらい、各実習期間がこの世界の解放という素晴らしい贈り物となるための最善の道であることについて、聖霊を完全に信頼するようにしましょう。



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Lesson 217

I am not a body. I am free.
私は、身体ではない。私は自由だ。

For I am still as God created me.
というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。



1. [197] It can be but my gratitude I earn.
 私が得ることができるのは、自分からの感謝だけだ。



 Who should give thanks for my salvation but myself?
 私自身以外のいったい誰が、私の救済に対して感謝を捧げるべきだというのだろうか。

 And how but through salvation can I find the Self to Whom my thanks are due?
 そして、救済を通して以外に、いったいどのようにして、私が感謝を捧げるに値する大いなる自己を私が見出すことができるというのだろう。


I am not a body. I am free.
私は、身体ではない。私は自由だ。

For I am still as God created me.
というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。


名称未設定

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。





次

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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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