M20 平安をどのように見出し、そして、保つことができるのか


各自がおのれの分をわきまえ、他者には他者の利益を認めるなら、永遠の平和はたちどころに成る。

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Johann Wolfgang von Goethe
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

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There is no need to go to India or anywhere else to find peace.
平安を見つけるためにインドに行ったり今いる場所以外のどこかに行ったりする必要はありません。

You will find that deep place of silence right in your room, your garden or even your bathtub.
あなたは、まさに自分の部屋や自分の庭で、バスタブに浸かっている時にさえ、その深い静寂の場所を見つけられるのですから。



Elisabeth Kubler-Ross.
エリザベス・キューブラー・ロス






Whatever we are waiting for - peace of mind, contentment, grace, the inner awareness of simple abundance - it will surely come to us, but only when we are ready to receive it with an open and grateful heart.
心の平安、満足、思いやりなど、私たちがそれをどのようなものとして期待しているにせよ、シンプルな豊かさの内面的な自覚は、必ず手に入ります。ただし、私たちがそれを手にできるのは、開かれた感謝の心をもって受け入れる準備ができている場合に限られます。

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Sarah Ban Breathnach, Simple Abundance: A Daybook of Comfort of Joy
サラ・バン・ブレスナック




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神の平安

今回は、教師のためのマニュアルから、「神の平安」についてです。

本節で語られるテーマは次の3点です。
① どうやって、神の平安を認識できるのか
② そして、平安をどのように見つけるのか
③ 見出した平安をどのようにして保つのか



①平安の認識は、それまでのどんな体験とも違う、過去を連想させることのない新たな体験であり、永遠の静寂が過去に置き換わって存在することを認識することだといいます。

②平安の見つけ方は、どんな怒りも正当化されることがないと理解し、平安の必要条件である赦しによって、争いというものが幻であることに気づくことだということです。

③平安の保ち方は、再び怒りが湧いてきそうなときに、永遠の静寂にあったとき自分がどんなに幸せだったか思い出し、自分が自分を防衛しようとして、一度は地に置いたはずの剣を再び手にしていることに気づいて、しばらく立ち止まり、死と生命のどちらを選びたいのか考えてみて、剣を投げ捨てるという方法です。


必要なのは赦しだけ

本節では、平安に至るためには、赦しが必要であり、赦しだけで足りることが述べられます。




3.「More than this, given forgiveness there < must > be peace.
 もっとも、赦しは単に必要条件に留まらず、必要十分条件でもあります。なぜなら、赦しさえあれば、そこには「必ず」平安があるからです。」

そして、次のようにコースの学びを一文に要約しています。


コースを凝縮した一文はこれ!

5.「Forgive the world, and you will understand that everything that God created cannot have an end, and nothing He did not create is real.
 世界を赦しなさい。そうすれば、あなたには、神が創造したどんなものも終わりを持つはずがないし、神が創造しなかったものは実在しないとわかってくるでしょう。

 In this one sentence is our course explained.
 この一文の中に私たちの学ぶコースの要点が総括されています。

 In this one sentence is our practicing given its one direction.
 この一文の中に、私たちの実践が向かうべきたったひとつの方向が示されています。

 And in this one sentence is the Holy Spirit's whole curriculum specified exactly as it is.
 そして、この一文の中に、聖霊のカリキュラム全体がありのままに、きっちりと明確に述べられています。」

上の文章は、赦しという側面からコースを要約したものですが、テキスト第一章の序文では、赦しが効力を有する理論的な仕組みについて次のように要約しています。


赦しが奏功する理論的な仕組み

「It does aim, however, at removing the blocks to the awareness of love's presence, which is your natural inheritance.
 しかしながら、あなたが生まれながらに受け継いでいる愛の存在を自覚するのを妨げている障害を取り除くことに、このコースが狙いを定めているのは確かです。

 The opposite of love is fear, but what is all- encompassing can have no opposite.
 愛の対概念は恐怖ですが、すべてを包含するものはいかなる対極も持つことはできません。

 This course can therefore be summed up very simply in this way:
 したがって、このコースは、ごく簡潔に次のように要約できます。


Nothing real can be threatened.
実在するものは一切、脅かされることはありえません。

Nothing unreal exists.
実在しないものは、何ひとつ存在しません。」


 Herein lies the peace of God.
 ここにこそ、神の平安があります。」(テキスト第一章 序文



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Section 20
第20節

What Is the Peace of God?
神の平安とは何か



1. It has been said that there is a kind of peace that is not of this world.
 この世のものならぬ平安があると言われてきました。

 How is it recognized?
 どのようにすれば、そんな平安を認識できるのでしょうか。

 How is it found?
 どうすれば、その平安は見つかるのでしょうか。

 And being found, how can it be retained?
 そして、見つかったとして、どうすれば、その平安を保てるのでしょうか。

 Let us consider each of these questions separately, for each reflects a different step along the way.
 私たちでじっくりと、これらの質問を個別に一つひとつ順番に考えてみましょう。というのも、これらの質問はそれぞれ、道を歩むに際しての異なる段階を反映するものだからです。



2. First, how can the peace of God be recognized?
 最初に、どうやって神の平安を認識できるのでしょうか。

 God's peace is recognized at first by just one thing; in every way it is totally unlike all previous experiences.
 神の平安は、まず、たったひとつのことによって気づくことができます。それは、神の平安は、あらゆる点で、それまでのどのような体験とも、まったく似ていないということです。

 It calls to mind nothing that went before.
 神の平安は、以前に過ぎ去ったどんなことも心に呼び起こしません。

 It brings with it no past associations.
 神の平安は、過去を連想させることが一切ありません。

 It is a new thing entirely.
 神の平安は、完全に新たなものだからです。

 There is a contrast, yes, between this thing and all the past.
 この新たなものと過去のすべてとの間には著しい相違があるのは確かです。

 But strangely, it is not a contrast of true differences.
 しかし奇妙なことに、その違いは本当に何かが違っているという相違ではありません。

 The past just slips away, and in its place is everlasting quiet.
 過去がただすっと滑るように消え去って、過去のあった場所に永遠の静寂があります。

 Only that.
 ただそれだけです。

 The contrast first perceived has merely gone.
 最初に感知された相違は、ただ消え去っています。

 Quiet has reached to cover everything.
 静寂が広がって、あらゆるものを包みこんでいます。



3. How is this quiet found?
 どうやって、この静寂を見出すことができるでしょうか。

 No one can fail to find it who but seeks out its conditions.
 この静寂の条件を探し出そうとしさえすれば、誰でも必ずこの静寂を見つけることができるはずです。

 God's peace can never come where anger is, for anger must deny that peace exists.
 神の平安は、怒りのあるところへは決してやってくることができません。なぜなら、怒りは必ず平安の存在を否定してしまうからです。

 Who sees anger as justified in any way or any circumstance proclaims that peace is meaningless, and must believe that it cannot exist.
 方法や状況次第では怒りが正当化されることもあるとみなす者は、平安には意味はないと宣言しているのであって、平安は存在しえないと信じているに違いありません。

 In this condition, peace cannot be found.
 このような心境で、平安が見つかるはずがありません。

 Therefore, forgiveness is the necessary condition for finding the peace of God.
 それゆえ、赦しこそが、神の平安を見出すための必要条件となります。

 More than this, given forgiveness there < must > be peace.
 もっとも、赦しは単に必要条件に留まらず、必要十分条件でもあります。なぜなら、赦しさえあれば、そこには「必ず」平安があるからです。

 For what except attack will lead to war?
 攻撃以外の何が戦いに導くというのでしょうか。

 And what but peace is opposite to war?
 そして、戦いの対極が平安以外の何だというのでしょうか。

 Here the initial contrast stands out clear and apparent.
 ここにこそ、最初の相違がはっきりと明白に際立っています。

 Yet when peace is found, the war is meaningless.
 しかし、平安が見出されたら、戦いは無意味なものになります。

 And it is conflict now that is perceived as nonexistent and unreal.
 そして、いまや争いのほうが、存在しない架空のものとして知覚されることになります。



4. How is the peace of God retained, once it is found?
 いったん神の平安を見出したとして、どのように神の平安を保てばよいのでしょうか。

 Returning anger, in whatever form, will drop the heavy curtain once again, and the belief that peace cannot exist will certainly return.
 どのような形であれ、再び怒りを抱くなら、それはもう一度、重いカーテンを下ろすことになってしまい、そして、平安など存在しえないという信念が確実に舞い戻ってきてしまいます。

 War is again accepted as the one reality.
 争いが唯一の現実として、再び受け入れられることになります。

 Now must you once again lay down your sword, although you do not recognize that you have picked it up again.
 自分が再び剣を拾いあげていることにあなたが自分では気づいていなかったとしても、今こそ、あなたはもう一度自分の剣を捨て去らなければなりません。

 But you will learn, as you remember even faintly now what happiness was yours without it, that you must have taken it again as your defense.
 もっとも、あなたが今、剣を持たずにいたときに自分がどんなに幸せだったか、そのことをたとえかすかにでも思い出すなら、あなたは自らを守ろうとして自分が再び剣を手にしていたに違いないとわかるようになるはずです。

 Stop for a moment now and think of this: Is conflict what you want, or is God's peace the better choice?
 今しばらく立ち止まって、次のことを考えてみてください。あなたが望んでいる争いと神の平安のいずれがよりよい選択なのだろうかと。

 Which gives you more?
 どちらがあなたにより多くを与えてくれるでしょうか。

 A tranquil mind is not a little gift.
 平穏な心は、取るに足らない贈り物ではありません。

 Would you not rather live than choose to die?
 あなたは死を選ぶよりも、むしろ生きようとは思わないでしょうか。



5. Living is joy, but death can only weep.
 生きることは喜びです。しかし、死は悲しませることしかできません。

 You see in death escape from what you made.
 あなたは、死ぬことで自分の作り出したものから逃げ出せると思っています。

 But this you do not see; that you made death, and it is but illusion of an end.
 しかし、あなたがわかっていないことがあります。それは、あなたが死を作り出したのであり、だから、死は終わりの錯覚にすぎないということです。

 Death cannot be escape, because it is not life in which the problem lies.
 死が逃げ道になるはずがありません。なぜなら、問題は生命にあるわけではないからです。

 Life has no opposite, for it is God.
 生命に対極はありません。なぜなら、生命とは神のことだからです。

 Life and death seem to be opposites because you have decided death ends life.
 死が生命を終わらせるものだとあなたが決めたために、生と死が対立しているように見えているだけです。

 Forgive the world, and you will understand that everything that God created cannot have an end, and nothing He did not create is real.
 世界を赦しなさい。そうすれば、あなたには、神が創造したどんなものも終わりを持つはずがないし、神が創造しなかったものは実在しないとわかってくるでしょう。

 In this one sentence is our course explained.
 この一文の中に私たちの学ぶコースの要点が総括されています。

 In this one sentence is our practicing given its one direction.
 この一文の中に、私たちの実践が向かうべきたったひとつの方向が示されています。

 And in this one sentence is the Holy Spirit's whole curriculum specified exactly as it is.
 そして、この一文の中に、聖霊のカリキュラム全体がありのままに、きっちりと明確に述べられています。



6. What is the peace of God?
 神の平安とは何でしょうか。

 No more than this; the simple understanding that His Will is wholly without opposite.
 それは、神の大いなる意志は完全に対極を持つことがないというシンプルな理解、ただそれだけです。

 There is no thought that contradicts His Will, yet can be true.
 神の大いなる意志に相反する思いでありながら、真実でありうる思いなど一切ありません。

 The contrast between His Will and yours but seemed to be reality.
 神の大いなる意志とあなたの意志の間に相違があることが本当であるかのように見えているだけです。

 In truth there was no conflict, for His Will is yours.
 真理の中には、何の葛藤もありませんでした。それは、神の大いなる意志はあなたの意志であるからです。

 Now is the mighty Will of God Himself His gift to you.
 いまや、神自身の力強い意志こそが、神からあなたへの贈り物です。

 He does not seek to keep it for Himself.
 神は、自らの意志を自分だけで独り占めしておこうとはしません。

 Why would you seek to keep your tiny frail imaginings apart from Him?
 それなのに、なぜあなたは、自分のちっぽけではかない空想を神から引き離しておこうとするのでしょうか。

 The Will of God is One and all there is.
 神の大いなる意志は、ただひとつであり、それしかありません。

 This is your heritage.
 神の大いなる意志こそ、あなたが受け継いでいるものです。

 The universe beyond the sun and stars, and all the thoughts of which you can conceive, belong to you.
 太陽や星々を超えて、あなたに想像することができるすべての思いを超える全宇宙があなたのものなのです。

 God's peace is the condition for His Will.
 神の平安は、神の大いなる意志に至るための条件です。

 Attain His peace, and you remember Him.
 神の平安を獲得しなさい。そうすれば、あなたは神を思い出すでしょう。






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