レッスン223「神は私の生命だ。私は神の生命しか持っていない」


人生に執着する理由がなければないほど、人は人生にしがみつくものだ。



デジデリウス・エラスムス



山川の末に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ

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空也上人




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レッスン223です。

「神は私の生命だ。私は神の生命しか持っていない」が今日のテーマです。

レッスンに入る前に、特別解説1「赦しとは何か」をまずご覧ください。


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実在と実在の不在

この世界で対立する二極は、天国で実在する一極が障害に阻まれることで影を生じる仕組みでスクリーン上に生まれる「対立している」という幻影・錯覚だということを再三述べてきました。

もっともわかりやすい例は、光と闇で、光が障害物に阻まれると影ができて闇が生まれます。

闇はこの仕組みで生まれます。

闇が光の不在に名前をつけただけの現象だということは誰にもわかります。有である光で照らせば、たちどころに無である闇は消え去るからです。

光のみが実在する有であり、闇が実在しない無であることは、防衛の要否に如実に現れます。

闇が消滅しないためになすべきことは、光が入ってこられないよう光を遮る障害を闇の周囲に設けて防衛するしか手立てはありません。


防衛は闇を守ることには役立つが光を守ることはできない

これに対して、闇を守ることに役立つ防衛という手段を、光を守るために用いることは役に立つでしょうか?

光の行く手に深い闇が広く広がっていて、闇が光のほうに押し寄せて猛攻撃を仕掛けてきて光を飲み込んでしまうように思える状況で、闇の魔の手から光を守ろうとして、光源の周りを障壁で取り囲んだとしたら、どうなるでしょう?

外敵から防衛するつもりの障壁は逆に光が周囲に放射して拡張することを遮る障害となって、障壁が設けられる前は輝きが拡張していた状態が、障壁によって光が遮られて、闇が広がってしまい、光を防衛するつもりで設けた障壁がかえって光を幽閉して光の拡張を害してしまうことになります。

そして、そもそも、光に対して闇が攻撃を加えること自体不可能なのだから、光を闇から防衛すること自体がありえないものです。

つまり、光は防衛によって守られることはなく、むしろ防衛によって自己を制限し、自己を損なってしまうので、非防衛によってこそ守られるということが言えます。


無防備であることによって守られるという仕組みは実在すべてに通じる

この仕組みは、光に限らず、実在するほうの一極のすべてにあてはまる、一見するとわかりにくいパラドキシカルな真理です。

すなわち、スクリーン上に投影された結果生じる、姿かたちとしては、光も影も同じ象徴なので、影が光を剋するような像を見ることは可能なので、光を守るために防衛が必要であるかのように見せかけることは可能です。

しかし、上記のように防衛に馴染まず非防衛によってのみ守られるという光の本質は変わりようがなく、光の持つほかの顔である愛、生命、力、神聖さ、精神、平安等々といった実在のすべての側面に通じてあてはまる理屈です。

したがって、生命や愛、潔白さ等々、実在する側のものを守るために防衛を講じると、かえって守るつもりのそれを損なう結果となってしまうことになるわけです。

M4-6 神の教師の特性6(無防備)

が参考になると思います。


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Lesson 223

God is my life. I have no life but His.
神は私の生命だ。私は神の生命しか持っていない。



1. I was mistaken when I thought I lived apart from God, a separate entity that moved in isolation, unattached, and housed within a body.
 私は自分が神から離れて生きていて、孤立無縁に動き回る身体の中に閉じ込められて分離した存在だと思っていたが、それは間違いだった。

 Now I know my life is God's, I have no other home, and I do not exist apart from Him.
 今では私にも、自分の生命が神の生命であり、私には神以外の家はなく、神から離れては私は存在しないとわかる。

 He has no Thoughts that are not part of me, and I have none but those which are of Him.
 神が私の一部ではない思いを抱くことはないし、私も神の思いではない思いを抱くことはない。



2. Our Father, let us see the face of Christ instead of our mistakes.
 わが父よ、私たちに、自分の間違いの代わりにキリストの顔を見せてください。

 For we who are Your holy Son are sinless.
 なぜなら、あなたの聖なる子である私たちに罪はないからです。

 We would look upon our sinlessness, for guilt proclaims that we are not Your Son.
 私たちは、自分の罪のなさを見たいのです。というのも、罪悪感が、私たちはあなたの子ではないと言い張っているからです。

 And we would not forget You longer.
 だから、私たちは、もうこれ以上あなたを忘れたままでいるつもりはありません。

 We are lonely here, and long for Heaven, where we are at home.
 私たちはこの世界では孤独であり、自分が安らぐことのできる天国を恋しく思っています。

 Today we would return.
 今日、私たちは帰郷します。

 Our Name is Yours, and we acknowledge that we are Your Son.
 私たちの名は、あなたの名です。そして、私たちは、自分たちがあなたの子であることを承認します。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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