T13-9 罪悪感の雲

2014年02月03日
テキスト第13章(罪なき世界) 0

Making another person feel guilty will never build unity or goodwill; only blessing, not blaming, can do that.
他者に罪悪感を抱かせようとすることによっては絶対に、心をひとつに結ぶことも親善を深めることもできません。咎めるのではなく、祝福することによってのみ、そうすることができるのです。

All judgment does is to shut people down emotionally and psychologically.
価値判断や裁きには、ただ人びとの気持ちと心を閉ざすことしかできないからです。



Marianne Williamson
マリアン・ウィリアムソン



The future influences the present just as much as the past.
過去が現在に影響を与えるのと同じくらい、未来も現在に影響を与える。



Friedrich Nietzsche
ニーチェ




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今回は、テキストから罪悪感の雲という一節をご紹介します。


エゴの法則と時間の矢

本節の冒頭では、過去が未来を決めるというエゴの法則について述べられます。

この世界では、時間は過去から矢のように未来に向かって進み、後戻りしないと考えられています。


ビデオテープの再生のアナロジー

これに対して、時間は未来から過去に向かって進んでいるという考え方もあります。

いずれにせよ、時間は実在しない錯覚なわけですから、未来と過去のどちらから流れているかの議論はある意味空疎なものだと言えなくはないですが、こと幻想世界内での時間という仕組みの本質と作用に即して奇跡を学ぶという意味で言うと、時間は未来から過去に向かって進んでいるというのが正確で、かつ、実践的でしょう。

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昔のビデオテープの再生で考えると、左側のハブに巻き取られているテープが右のハブに巻き取られてゆき、その中間で磁気ヘッドに触れるテープの部分が再生されるという仕組みです。

つまり、再生前の未来は、当初左のハブで再生待ち状態にあり、それがヘッドで再生された後に、右のハブに過去として巻き取られるという仕組みです。

未来が現在であるヘッドに向けて流れてきて、現在を通過して過去となるというわけです。

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カセットテープやビデオテープ以前のオープンリールレコーダーからこの仕組みで、再生を意味する右向きの矢頭の三角マークはおそらくこの仕組みが元で生まれたのだと思います。

この再生を意味する三角マークは、現在ではYouTube等の動画再生で、再生バー(シークバー)とセットになって、再生バーの再生ポイントが左の過去から右の未来に向かって進むことを印象付け、すべての人に、まさに時間の矢が過去から未来に進んでいくイメージをよりつよく固定観念として植え付けることになっています。


「川の流れのように」と言いつつ、自己本位に川の流れと逆の流れを時間と捉えている

時間と、時間とともに展開する世界は、このように未来から過去へと流れることで、「存在」することになりますが、ヘッドに相当する私たちは時間と一緒に過去に巻き取られてはいかずに、現在に止まったままになります。

時間は川の流れのように未来から過去に流れて行くわけですが、私たちのほうは川にアイデンティティーを合わせずに自己本位の観点から時間を眺めてしまいます。

すなわち、川の中に打ち込まれた杭から見ると自分は川の流れに逆らっているように思えるのと同じように、磁気ヘッドに相当する私たちの観点からすると、自分が本来の未来から過去への時間の流れに逆らって、過去から未来に向かって進んでいるように見えることになります。




この時間の矢のイメージによる錯覚が奇跡を信じられなくしてしまう

このような自分本位の観点に立つことで、時間は本来の未来から過去への流れとは逆に、過去から未来に向けて流れているように錯覚することになるわけです。

そして、この過去から未来に流れるというエゴの時間観念を抱くことは、私たちに、奇跡が起こることを不可能または不自然に思わせる重大な副作用があります。

つまり、未来は過去の出来事による因果律によって支配されるので、時系列的に考えて、ある過去の出来事を前提とすれば、未来に起こりようがない出来事が存在するということになるからです。

善因善果、悪因悪果の因果応報が理(ことわり)となり、過去に罪を犯せば、必ず未来に処罰が待ち受けることになります。

しかし、「筋肉は裏切らない」には真理があるかもしれないとしても(笑)、「努力は必ず報われる」は少しも真理ではないことは、だれしも実感していることなはずです。

ひとつの人生というスパンだけでは、善因善果、悪因悪果の因果応報の帳尻が合わず、極悪人が虚飾の栄華を極めたまま大往生を遂げたり、善人が非業の死を遂げたり、誠実な努力がまったくの水の泡と消えるというような出来事など、因果応報ではどうしても説明がつかない理不尽さで世は溢れています。

これは、転生という観点が抜け落ちていることにもよりますが、そもそも過去が未来を決定するという時間進行の世界観の錯覚を雄弁に物語っています。


時間が未来から過去に流れるなら、むしろすべてが奇跡となる

これに対して、未来から過去へと時間が進行するという世界観に立つと、小説家や映画製作者が物語展開を面白くするために、常識では脱出不可能な事態に陥った主人公を奇跡ともいうべき突飛な出来事や手段で脱出に成功させるように、同じ過去の主人公の人生ラインから、いくらでも過去に縛られない選択肢を想定して自由に未来を設定することができます。


究極的には世界も時間も存在せず、私たち自身もこの世界には存在しないわけですが、ここから抜け出すのを困難にしているのがこの世界で通用するルールに自分は縛られているという錯覚です。

この偽のルールから自由になるには、自縄自縛している法則の一つひとつについて、それが抗いようがない法則だと私たちが勝手に思い込んでいるだけで、実は理屈に合わない見せかけのルールだということに一つひとつ気づいてゆくことが必要です。

この世界での偽りの因果関係を成り立たせている時間の矢の進行方向の誤解は、私たちに根深くこびりついていて、アバターへの自己同一化を維持させる大きな要因であるので、自分が誤解していることに気づき、その気づきに基づく奇跡の体験による確信を得るべき重要な事柄と言えるでしょう。


過去の自分を助ける

すべてが書かれているなら、そして、その筋書きがひとつだけとは限らないなら、そして、時間は実在せず、存在する時間はむしろ未来から過去に流れているのなら、私たちは過去の自分にメッセージを送って励まし、助けることができるということになります。

誰しも、とうてい乗り越えられるはずがないと絶望していた過去の自分に対して、それを乗り越えた今の自分から伝えたい応援メッセージを持っているはずです。

過去の自分は今の自分からすると、同じ時間を生きる他者と同じくらい自分とは離れているように見えていながらも近しい別バージョンの大切な自分です。

同じ時間を生きる他者の力になるのと同じくらい、過去の自分も励まし、助けてあげましょう。

心の中で過去の自分に語りかけてつながり、励まし愛を送ることは、同時代の他者に愛を送る祈りに劣らない意義を持ちます。

この祈りを日々行うなら、今の自分が過去の自分を助けてあげているのと同じように、未来の自分が彼にとっての過去である今の自分に愛と励ましと助けを送ってくれていることに気づくことになります。







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テキスト第十三章 

IX. The Cloud of Guilt
九 罪悪感の雲



1. Guilt remains the only thing that hides the Father, for guilt is the attack upon his Son.
 父なる神を隠し続ける唯一のものは罪悪感だけです。なぜなら、罪悪感を抱くことは神の子を攻撃することだからです。

 The guilty always condemn, and having done so they will still condemn, linking the future to the past as is the ego's law.
 罪の意識を抱く者はつねに非難するものであり、非難することによって、エゴの法則の通りに、未来を過去に結びつけて、彼らはさらに非難するようになります。

 Fidelity to this law lets no light in, for it demands fidelity to darkness and forbids awakening.
 エゴの法則に忠実であることが一切の光を排除します。というのも、エゴの法則は闇への忠誠を要求し、目覚めることを禁ずるからです。

 The ego's laws are strict, and breaches are severely punished.
 エゴの法則は厳格に服従を求め、違反は厳しく罰せられます。

 Therefore give no obedience to its laws, for they are laws of punishment.
 だからこそ、絶対にエゴの法則に忠誠を誓ってはなりません。なぜなら、それは処罰の法則だからです。

 And those who follow them believe that they are guilty, and so they must condemn.
 エゴの法則に従う者たちは自分が有罪だと信じているので、彼らは他者を非難せずにはいられません。

 Between the future and the past the laws of God must intervene, if you would free yourself.
 もしあなたが自分自身を解放したいなら、未来と過去の間に神の法が介入して仲裁する必要があります。

 Atonement stands between them, like a lamp shining so brightly that the chain of darkness in which you bound yourself will disappear.
 贖罪が未来と過去の間に立ちはだかってランプのように煌々と輝くので、あなたが自分自身を縛りつけていた闇の鎖は消滅してしまいます。

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2. Release from guilt is the ego's whole undoing.
 罪悪感から解放されることで、エゴは完全に取り消されます。

 Make no one fearful, for his guilt is yours, and by obeying the ego's harsh commandments you bring its condemnation on yourself, and you will not escape the punishment it offers those who obey it.
 誰にも恐れを抱かせてはなりません。なぜなら、彼が抱く罪悪感をあなたも抱くことになるからです。また、エゴの過酷な戒律に従うことで、あなたはエゴによる有罪判決を自分にもたらすことになり、あなたはエゴに服従する者にエゴが言い渡す処罰を逃れられなくなるからです。

 The ego rewards fidelity to it with pain, for faith in it is pain.
 エゴは自らに忠誠を尽くす者に苦痛をもって報います。なぜなら、エゴを信頼することそのものが苦痛だからです。

 And faith can be rewarded only in terms of the belief in which the faith was placed.
 そして、信頼は、その信頼が置かれた信念の観点でしか報わられません。

 Faith makes the power of belief, and where it is invested determines its reward.
 信頼は信じる力を生み出すので、その信頼をどこに置くかによって、その報いが決まります。

 For faith is always given what is treasured, and what is treasured is returned to you.
 なぜなら、信頼はつねに大切だと思うものに与えられるので、大切に思うものがあなたに戻ってくるからです。



3. The world can give you only what you gave it, for being nothing but your own projection, it has no meaning apart from what you found in it and placed your faith in.
 世界は、あなたが世界に与えたものしか、あなたに与えることができません。というのは、世界は、あなた自身の投影でしかないので、世界は、そこにあなたが見出してあなたが信頼を置いたもの以外には何の意味も持たないからです。

 Be faithful unto darkness and you will not see, because your faith will be rewarded as you gave it.
 闇を信頼するなら、あなたは何も見えなくなります。なぜなら、あなたの信頼は、あなたが信頼を与えたとおり闇をもって報いられることになるからです。

 You will accept your treasure, and if you place your faith in the past, the future will be like it.
 あなたは自分が大切にするものを受け入れることになります。だから、もしあなたが過去に信頼を置くなら、未来は過去と同じようなものになるでしょう。

 Whatever you hold dear you think is yours.
 あなたが大切に思うものは、それがどのようなものであれ、あなたはそれを自分のものと考えます。

 The power of your valuing will make it so.
 あなたの評価する力がそうさせるのです。

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4. Atonement brings a re-evaluation of everything you cherish, for it is the means by which the Holy Spirit can separate the false and the true, which you have accepted into your mind without distinction.
 贖罪は、あなたが大切にしているものすべてについての再評価をもたらします。なぜなら、贖罪は、これまであなたが何の区別もせずに自分の心に受け入れてきた虚偽と真実とを、聖霊が分離できるようにする手段だからです。

 Therefore you cannot value one without the other, and guilt has become as true for you as innocence.
 虚偽と真実を区別せずに受け入れてきたせいで、あなたは一方なくしては他方を評価することができず、罪は潔白さと同じように、あなたにとって真実になってしまっています。

 You do not believe the Son of God is guiltless because you see the past, and see him not.
 あなたは神の子が無罪だとは信じていません。なぜなら、あなたは過去を見て神の子を見ていないからです。

 When you condemn a brother you are saying, "I who was guilty choose to remain so. "
 あなたが兄弟を咎めて有罪の宣告をするとき、あなたは「罪を犯した私は有罪のままでいることを選ぶ」と言っているのです。

 You have denied his freedom, and by so doing you have denied the witness unto yours.
 あなたはその兄弟が自由であることを否認したのであり、そうすることによって、あなたは自分が自由であることを証言してくれる証人を拒んでしまったのです。

 You could as easily have freed him from the past, and lifted from his mind the cloud of guilt that binds him to it.
 あなたにはそうするのと同じくらい容易に、その兄弟を過去から解放して、彼の心から、彼を過去に縛りつけている罪悪感の雲を取り除くことができたはずなのです。

 And in his freedom would have been your own.
 そうしていたら、その兄弟が自由になることで、あなたも自由になっていたはずです。



5. Lay not his guilt upon him, for his guilt lies in his secret thought that he has done this unto you.
 兄弟に罪の意識を抱かせようとしてはなりません。なぜなら、彼が罪悪感を抱くのは、彼が心の中で自分はあなたに対して罪を犯してしまったと思う場合だけだからです。

 Would you, then, teach him he is right in his delusion?
 それなのに、あなたはその兄弟に、彼が妄想していることは正しいと教えたいのでしょうか。

 The idea that the guiltless Son of God can attack himself and make himself guilty is insane.
 罪のない神の子が自分自身を攻撃して自分に罪悪感を抱かせることができると考えるのは正気の沙汰ではありません。

 In any form, in anyone, believe this not.
 どんな形にせよ、また誰に関してであれ、こんなことを信じてはなりません。

 For sin and condemnation are the same, and the belief in one is faith in the other, calling for punishment instead of love.
 というのは、罪と非難は同じものなので、一方を信じることは他方をも信じることであり、愛の代わりに処罰を求めることになるからです。

 Nothing can justify insanity, and to call for punishment upon yourself must be insane.
 いかなるものも狂気を正当化することはできません。そして、自分自身に処罰を要求することは狂気の沙汰に違いありません。

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6. See no one, then, as guilty, and you will affirm the truth of guiltlessness unto yourself.
 ですから、誰ひとり有罪とみなしてはなりません。誰も有罪と見なければ、あなたは自分が無罪であるという真理を自分自身に対しても肯定することになります。

 In every condemnation that you offer the Son of God lies the conviction of your own guilt.
 あなたが神の子に有罪判決を言い渡すたびに、あなたは自分自身の罪を断罪しているのです。

 If you would have the Holy Spirit make you free of it, accept his offer of Atonement for all your brothers.
 もしあなたが聖霊に自分をそのような罪悪感から解放してもらいたいなら、自分の兄弟みんなのために聖霊が差し延べている贖罪を受け入れてください。

 For so you learn that it is true for you.
 というのは、そのようにして、あなたは贖罪が自分にとって真実であると学ぶことになるからです。

 Remember always that it is impossible to condemn the Son of God in part.
 神の子の一部だけを非難するのは不可能だということを、つねに忘れないでください。

 Those whom you see as guilty become the witnesses to guilt in you, and you will see it there, for it is there until it is undone.
 あなたが有罪とみなす者たちは、あなた自身が有罪であることの証人となるので、あなたは自分を有罪とみなすことになります。というのは、他者を有罪視するのをやめるまで、あなたは心の中に罪悪感を抱き続けるからです。

 Guilt is always in your mind, which has condemned itself.
 罪悪感はつねに、自らに罪の宣告をしたあなたの心の中にあります。

 Project it not, for while you do, it cannot be undone.
 罪悪感を投影してはなりません。というのも、あなたが罪悪感を投影しているかぎり、罪悪感を取り消すことはできないからです。

 With everyone whom you release from guilt great is the joy in Heaven, where the witnesses to your fatherhood rejoice.
 ひとり、またひとりと、あなたが誰かを罪悪感から解放するたびに、天国では、あなたの父性を証明する証人たちが喜んで、天国は大きな喜びに満たされます。



7. Guilt makes you blind, for while you see one spot of guilt within you, you will not see the light.
 罪悪感はあなたを盲目にしてしまいます。というのも、あなたが自分の中に少しでも罪の汚点があると思っているかぎり、あなたには光が見えなくなるからです。

 And by projecting it the world seems dark, and shrouded in your guilt.
 そして、罪悪感を投影することによって、世界はあなたの罪悪感に覆い尽くされた闇の場所に見えるようになります。

 You throw a dark veil over it, and cannot see it because you cannot look within.
 あなたは世界に暗いヴェールを投げかけ、あなたにはそのヴェールの内側が見えなくなるので、その世界を見ることができません。

 You are afraid of what you would see there, but it is not there.
 あなたは、そこで自分が目にするはずだと思っているものに恐れを抱いていますが、そのヴェールの内側にはあなたの恐れているものはありません。

 The thing you fear is gone.
 あなたが恐れているものは、もう去ってしまっているのです。

 If you would look within you would see only the Atonement, shining in quiet and in peace upon the altar to your Father.
 もしあなたが内面をよく見つめてみれば、あなたに見えるのは、あなたの大いなる父に捧げる祭壇の上で、静寂と平安に包まれて光り輝く贖罪だけです。

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8. Do not be afraid to look within.
 内面を見つめることを恐れないでください。

 The ego tells you all is black with guilt within you, and bids you not to look.
 エゴは、あなたの内面は罪悪感で真っ暗だとだけあなたに言って、自分の内面を見ないようにとあなたに命じます。

 Instead, it bids you look upon your brothers, and see the guilt in them.
 エゴはあなたに、自分の内面を見るのではなく、自分の兄弟たちを見て、彼らの中に罪を見るようにと命じます。

 Yet this you cannot do without remaining blind.
 しかし、こんなことをすれば、あなたは盲目のままでいざるをえません。

 For those who see their brothers in the dark, and guilty in the dark in which they shroud them, are too afraid to look upon the light within.
 なぜなら、兄弟たちを闇の中で見て、自ら闇でその兄弟たちを包みこむことで有罪だとみなした者たちは、恐怖のあまり内面の光に目を向けることができないからです。

 Within you is not what you believe is there, and what you put your faith in.
 あなたがそこに存在すると信じて疑わないものは、あなたの内面にはありません。

 Within you is the holy sign of perfect faith your Father has in you.
 あなたの内面にあるのは、大いなる父があなたに置いてくれている完全な信頼の聖なる印です。

 He does not value you as you do.
 父なる神はあなたのことを、あなたが自分で評価しているようにして価値を置くわけではありません。

 He knows himself, and knows the truth in you.
 神は自身のことを知っているし、あなたの中にある真理も知っています。

 He knows there is no difference, for he knows not of differences.
 神は、神自身とあなたの中にある真理には何の相違もないと知っています。なぜなら、神は相違など関知しないからです。

 Can you see guilt where God knows there is perfect innocence?
 あなたは、神が完全な潔白さが存在すると知っているところに、罪を見ることができるでしょうか。

 You can deny his knowledge, but you cannot change it.
 あなたには、神の知識を否認することはできても、神の知識を変えることはできません。

 Look, then, upon the light he placed within you, and learn that what you feared was there has been replaced with love.
 ゆえに、神があなたの内に置いた光を見つめ、そこにあるはずだとあなたが恐れていたものはすでに愛に置き換えられていることを学んでください。


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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
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