T7-3 神の王国とは


天国の実用性

今まで述べてきたように、地上の特徴に対して天国の特徴を九つにまとめる過程で、私を驚かせてきたことは、その一貫として多岐にわたる実用性である。

興味と冒険、娯楽的価値、情熱ということに関して言えば、天国に勝るところはなく、最後には大きなことから小さなことに至るまで、天国がどれほど道理にかなって、どんなにうまく働いているかに感嘆し、驚くのだ。ここでのみ人類の呪いである対立がウソであることが暴露され、土台が破壊されるのである。

つまり、感傷的ではない無条件の愛の確固たる基礎が築かれ、静寂と岩のような安定感と、おそれが終わることが保証され、仕事での通常の能率や喜びとともに、尽きることのないインスピレーションの秘密が解放されるのだ。

さらに真実の世界の尽きることない豊かさと自由が突然に解放され、心の奥底で常に自分が持っていると知っていたパワーと栄光が、実際まさに自分自身のものであることがわかる(ここで前の表現を訂正したい。正しくは、自分自身のものというより、一者のものと言うべきである)。

この地上が現在、そして、未来にわたって提出するあらゆる問題への答えは、天国、人の本質である天国で見つかるのであるーーそれは人を無力にしかねない内気や恥ずかしさといった、地上のささいな問題に至るまで(若きダグラス・E・ハーディングの人生にとっては、それは決してささいな問題ではなかった)、その答えは天国である。



ダグラス・E・ハーディング(「今ここに、死と不死を見る」より)

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109 Jesus said: “The Kingdom is like the man who had a hidden treasure in his field.
イエスは言われた。「王国は、自分の畑に宝を隠した人のようなものだ。

He did not know it was there.
彼は宝が自分の畑にあることを知らなかった。

When he died, he left the field to his son, who knew nothing and sold the field.
彼が死ぬと、息子は彼から畑を相続するが、息子は何も知らないので、その土地を売ってしまった。

The buyer came to plow the field and found the treasure while working.
畑の買い手は、畑に来て鋤を入れて働いていると、宝を見つけた。

He began to lend money with interest to all who wanted it”.
彼は、その宝を欲しがる者に、利子をつけてお金を貸し始めた。」

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Gospel of Thomas
イエス・キリスト(トマスによる福音書第109節)

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We can know only that we know nothing.
我々が知りうる唯一のことは、我々は何も知らないということである。

And that is the highest degree of human wisdom.
そしてこれが人間の叡智が到達しうる至高の境地なのだ。



Lev Nikolayevich Tolstoy
レフ・トルストイ



The more we have the less we own.
私たちが持てば持つほど、私たちは独り占めしなくなる。



Meister Eckhart
マイスター・エックハルト

神のエクハ



A reader lives a thousand lives before he dies.
読書家は死ぬ前に千人分の人生を生きる。

The man who never reads lives only one.
まったく本を読まない人はたったひとつの人生しか生きていない。

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George R.R. Martin
ジョージ・R・R・マーティン

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今回は、テキストから王国の実像という一節をご紹介します。



私たちは王国にいない。つまり、実在しない架空の「存在」

本節では、私たち人の子の架空性を比較的明確に述べています。

2.「How can you who are God's meaning perceive yourself as absent from it?
 どのようにすれば神の意味であるあなたが、自分のことを王国にいない存在として知覚できるでしょうか。

 You can see yourself as separated from your meaning only by experiencing yourself as unreal.
 ただあなた自身を架空の存在として体験することによってのみ、あなたは自分のことを自分が本来持っている意味からかけ離れた存在だとみなすことができます。

 This is why the ego is insane; it teaches that you are not what you are.
 これがエゴが狂っている理由です。つまりエゴは、あなたは本当のあなたではないと教えているわけだからです。

 That is so contradictory it is clearly impossible.
 あなたが本当のあなたではない状態は、あまりに深刻な矛盾であり、明らかに不可能なことです。」


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私たちが架空の存在であること

上の文等、小出しにする箇所や、当然の所与の前提として論じる箇所はあれど、コースは、私たちにショックを与えすぎないように、世界の架空性を示しはしても、私たちの架空性については真正面から突きつけることはしません。

とはいえ、世界が幻想であるなら、幻想の中の生き物の人間だけは実在するというわけにはいかないので、コースの立脚点からすれば、私たちが架空の存在であることは当然の帰結です。

言わずもがなのことなので、察してくれというのが優しいイェシュアの思いやりです(T11-4 神の子が受け継いでいるもの)。


認めたくないと思うことはたいてい真実

もっとも、このサイトでは、イェシュアの優しさに甘えているよりも、勇気を持って自分たちの架空性を受容したほうが赦しのハードルを下げる副次的な効果もあるので、真正面から人間が実在しないアバターであるということに切り込んでいます(T30-6 赦しを正当化するものを参照ください)。

しつこく繰り返しているので、読者のみなさんも、もしかしたら自分は映画の主人公と同じくらい架空の存在なのかもしれない(T11-7 現実の条件)、ライブ配信のようにあの世で自分を主人公とする物語が視聴されているのかもしれない(S1-4 他者とともに祈る)、という発想に馴染みが出てきているのではないでしょうか。

普通に生きるかぎり、世界の幻想性を疑うところまではいっても、「我思う、故に、我あり」で、自分の実在性だけは最後の砦として残ってしまうので、この観点を持つに至るのはなかなか困難です。

ですが、私たちが自己愛を抱くのは至極まともな自然現象であり、問題は、愛する対象となる自己が偽りの自己像である人の子に限定されている点のみにあるので(レッスン345「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」)、利己性を押さえ込もうというスタンスでエゴをなんとかしようとするよりも、エゴである小さな自己が虚構であることを真正面から受け入れて大いなる自己の実在性にアイデンティティー・シフトをはかってゆくのが合理的です。



豊かさマインド

さて、これからの時代で育つ世代の人たちにとっては、小説や映画、映像や音楽等は、本やDVD等の媒体と一体化した「物」ではなく、デジタル・データとして触れるものであり、しかも、ダウンロードして買い切る形ではなく、サブスクリプションや無償提供サービスで見放題、聴き放題というように、空気や水道のように、無償または低額かつ定額で自分の好きなように享受できる生活インフラ(infrastructure(インフラストラクチャー)infra;下の、structure構造 下部構造、生活基盤という意味を持つ)になりつつあります。

インターネットができる前に生まれ育った世代の人たちからすると、サブスクの音楽聴き放題サービスなんてレコードやCD時代に夢見た天国だったはずです。

けれど、いざ「天国」が実現してみると、確かにコンテンツ消費までのプロセスが簡便で楽だし、容易に試し見や試し聴きをして従来よりも多くの試行錯誤によって目的の作品に辿り着きやすくなったという利点は感じるものの、結局、2時間で観れる映画は1本のままで、何も変わっていないということに気づきます。

たとえ世界の王になったとしても、自分として動かせる駒、アバターは人間の身体ひとつであり、どんな豪奢な食事も快楽もいっときにひとつずつしか味わえないし、世界のすべてのコンテンツを消費し切ることは不可能で、孫悟空のように自分の分身をたくさん作り出して一挙にたくさんの欲望を満たすこともままならない状態は虚しさの感覚を覚えさせるだけかもしれません。

しかし、コンテンツの無限の宝庫に自由にアクセスできるという仕組みを当たり前のものとして体験できる環境には、大きな福音があります。

それは、豊かさマインドが欺瞞ではなく真実だという気づき、エゴの願望よりも聖霊の意図のほうが本来の心の働きに即した真実なのだという気づきに到達しやすいことです。

コンテンツが媒体に一体化して「物」化していた時代は、限られた物を手にできる者と手に入れられない者とが分かれることにならざるをえませんでした。

他者は限られた資源を奪い合う敵であり、欠乏マインドが世界の実情に即していて、自分に不足して欠けているものだからこそそれを得たいという欲望に駆られ、それを得るには他者との競争に打ち勝たなければならないため、得られたらよいなと願望することしかできないことになります。

これに対して、コンテンツの無限の宝庫に自由にアクセス可能な状態では、資源自体が限られていないので、豊かさマインドが世界の実態に即していて、得ようと思えばいつでも得られるのだから、必要に駆られてというのではなく、満たされた状態でありながらなお、内から湧き起こる植物が太陽に向かって伸びようとするような意志に従って、意図するのが自然な状態となり、他者は競争する敵ではなく、各自が自分の本質が求めるものに辿り着くのを助け合う協力者となります。

そして、神の子の真の姿、つまり、神の王国そのものとして、すべてでありすべてを持つ状態を本当の自分のありようとして受け入れるうえで、欠乏マインドの世界観の縛りから脱して豊かさマインドを当たり前のものとして体得できていることが有益なのは言うまでもありません。






意味の取りにくい箇所

2.「Yet you are always teaching.
 それでも、あなたはつねに教えています。

 You must, therefore, be teaching something else, even though the ego does not know what it is.
 そうだとすれば、たとえエゴにはそれが何なのかわかっていないとしても、あなたは何かほかのことを教えているに違いありません。

 The ego, then, is always being undone, and does suspect your motives.
 したがって、エゴはつねに取り消されていることになるので、エゴはあなたの動機に疑惑を抱きます。」


「何かほかのこと」を教えることが、どうして「エゴはつねに取り消されていることになる」のか、少しわかりにくいかもしれません。

" be teaching something else"は、少し前の"it teaches that you are not what you are."「エゴは、あなたは本当のあなたではないと教えている」の「あなたは本当のあなたではない」とは異なること=「本当のあなた」を教えることを意味します。

つまり、エゴは私たちに、私たちが神の子ではなく人間だと教えているけれど、私たちはそれとは違うこと、つまり、自分は本当は神の子だということをつねに教えている。

したがって、エゴはつねに取り消されていることになるという流れです。


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テキスト第七章 

III. The Reality of the Kingdom
三 王国の真の姿



1. The Holy Spirit teaches one lesson, and applies it to all individuals in all situations.
 聖霊はたったひとつのレッスンだけを教え、そのひとつのレッスンをあらゆる状況において、すべての個人に適用します。

 Being conflict-free, he maximizes all efforts and all results.
 葛藤を免れているので、聖霊はすべての努力とすべての成果を最大限のものにします。

 By teaching the power of the Kingdom of God himself, he teaches you that all power is yours.
 神自身に由来する王国の力を教えることによって、聖霊はあなたに、すべての力はあなたのものだと教えてくれます。

 Its application does not matter.
 その力がどのように用いられるのかは、重要ではありません。

 It is always maximal.
 その力はつねに最大限のものです。

 Your vigilance does not establish it as yours, but it does enable you to use it always and in all ways.
 あなたが注意を怠らずにいることで、その力があなたのものになるわけではありませんが、あなたが注意深くあることで、いついかなる場合にも、あなたはその力を使えるようになります。

 When I said "I am with you always," I meant it literally.
 「私はいかなるときも、あなたたちとともにいる」と私が述べたとき、私は文字どおりの意味で言ったのです。

 I am not absent to anyone in any situation.
 私は、その人がどんな状況にあろうと、誰からも離れることはないからです。

 Because I am always with you, you are the way, the truth and the life.
 私がつねにあなたとともにいるのだから、あなたこそが道であり、真理であり、生命なのです。

 You did not make this power, any more than I did.
 私がこの力を作り出したのではないように、あなたがこの力を作り出したわけでもありません。

 It was created to be shared, and therefore cannot be meaningfully perceived as belonging to anyone at the expense of another.
 この力は分かち合うべく創造されたものなので、この力を他者の犠牲の上に誰かに属するものと解釈することは意味をなしません。

 Such a perception makes it meaningless by eliminating or overlooking its real and only meaning.
 このような見方は、この力が真に持つ唯一の意味を無視するか見落とすことによって、その力を無意味なものにしてしまいます。

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2. God's meaning waits in the Kingdom, because that is where he placed it.
 神の意味は王国の中に見つかります。なぜなら、王国こそ神が自らの意味を置いた場所だからです。

 It does not wait in time.
 神の意味は、時間の中で見出されるのを待っているわけではありません。

 It merely rests in the Kingdom because it belongs there, as you do.
 神の意味は、ただ王国の中だけにあります。なぜなら、あなたが王国に属するがゆえに、神の意味は王国に属するからです。

 How can you who are God's meaning perceive yourself as absent from it?
 どのようにすれば神の意味であるあなたが、自分のことを王国にいない存在として知覚できるでしょうか。

 You can see yourself as separated from your meaning only by experiencing yourself as unreal.
 ただあなた自身を架空の存在として体験することによってのみ、あなたは自分のことを自分が本来持っている意味からかけ離れた存在だとみなすことができます。

 This is why the ego is insane; it teaches that you are not what you are.
 これがエゴが狂っている理由です。つまりエゴは、あなたは本当のあなたではないと教えているわけだからです。

 That is so contradictory it is clearly impossible.
 あなたが本当のあなたではない状態は、あまりに深刻な矛盾であり、明らかに不可能なことです。

 It is therefore a lesson you cannot really learn, and therefore cannot really teach.
 それゆえ、あなたが本当のあなたではなくなることは、実際には学ぶことができないし、したがって、実際には教えることができないレッスンです。

 Yet you are always teaching.
 それでも、あなたはつねに教えています。

 You must, therefore, be teaching something else, even though the ego does not know what it is.
 そうだとすれば、たとえエゴにはそれが何なのかわかっていないとしても、あなたは何かほかのことを教えているに違いありません。

 The ego, then, is always being undone, and does suspect your motives.
 したがって、エゴはつねに取り消されていることになるので、エゴはあなたの動機に疑惑を抱きます。

 Your mind cannot be unified in allegiance to the ego, because the mind does not belong to it.
 エゴに忠誠を誓っていながら、あなたの心が統一されるはずがありません。なぜなら、心はエゴには属していないからです。

 Yet what is "treacherous" to the ego is faithful to peace.
 しかし、エゴに「不誠実」であることは、平安にとって忠実であることです。

 The ego's "enemy" is therefore your friend.
 したがって、エゴの「敵」はあなたの味方なのです。



3. I said before that the ego's friend is not part of you, because the ego perceives itself at war and therefore in need of allies.
 前にも述べたように、エゴは自らを交戦中の身だと知覚しており、そのために同盟を結ぶ味方を必要としているので、エゴの味方はあなたの一部ではありません。

 You who are not at war must look for brothers and recognize all whom you see as brothers, because only equals are at peace.
 戦いに身を置かないために、あなたは、兄弟たちを求め、自分の出会う人たちみんなのことを兄弟として認めなければなりません。なぜなら、相等しい者たちだけが平安でいられるからです。

 Because God's equal Sons have everything, they cannot compete.
 神の等しい子どもたちはあらゆるものを持っているので、彼らには競い合うことができません。

 Yet if they perceive any of their brothers as anything other than their perfect equals, the idea of competition has entered their minds.
 ところが、もし彼らが自分たちの兄弟の誰であろうと、その者のことを自分とは完璧に同等な者ではないと知覚するなら、競い合おうとする思いが彼らの心に入りこんだことになります。

 Do not underestimate your need to be vigilant against this idea, because all your conflicts come from it.
 このような兄弟と競い合おうとする思いが自分の心に入りこまないように絶えず注意を払う必要性を軽く見ていてはなりません。なぜなら、あなたの葛藤はすべて、競争という想念が心に入りこむことで生じるからです。

 It is the belief that conflicting interests are possible, and therefore you have accepted the impossible as true.
 競い合う想念を抱くことは、対立する利害関係がありうると信じることであり、したがって、あなたはすでにありえないことを真実として受け入れてしまっているのです。

 Is that different from saying you perceive yourself as unreal?
 それは、あなたが自分自身を本当の自分とは違う架空の存在だと知覚していると言うのと同じではないでしょうか。

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4. To be in the Kingdom is merely to focus your full attention on it.
 王国の中に在ることは、単にあなたの全面的な注意を王国に集中することにほかなりません。

 As long as you believe you can attend to what is not true, you are accepting conflict as your choice.
 あなたが真実ではないものに注意を向けることができると信じるかぎり、あなたは自らの選択肢として矛盾を受け入れています。

 Is it really a choice?
 しかし、本当に矛盾を選ぶことはできるものでしょうか。

 It seems to be, but seeming and reality are hardly the same.
 たしかに矛盾を選ぶことは可能に見えはします。しかし、そう見えるからといって、それがその通り現実であることはほとんどありません。

 You who are the Kingdom are not concerned with seeming.
 うわべ上どのような姿に見えるかによって、あなたが王国そのものであることは変わりようがありません。

 Reality is yours because you are reality.
 あなた自身が現実であるがゆえに、現実はあなたのものだからです。

 This is how having and being are ultimately reconciled, not in the Kingdom, but in your mind.
 これが、所有と実在が最終的には和解して一致することになる理由ですが、この和解は王国の中ではなく、あなたの心の中で起こることです。

 The altar there is the only reality.
 あなたの心にある祭壇こそ、唯一の現実です。

 The altar is perfectly clear in thought, because it is a reflection of perfect Thought.
 その祭壇は思考の中で完全に明確になります。なぜなら、その祭壇は完全な大いなる思考を反映しているからです。

 Your right mind sees only brothers, because it sees only in its own light.
 あなたの正しい心は兄弟たちだけを見ます。なぜなら、正しい心はその心自体の光の中においてのみ見るからです。



5. God has lit your mind himself, and keeps your mind lit by his light because his light is what your mind is.
 神は、自らあなたの心に光を点してくれたし、自らの光であなたの心を照らし続けてくれています。なぜなら、神の光こそあなたの心の本質だからです。

 This is totally beyond question, and when you question it you are answered.
 このことにまったく疑問の余地はないので、あなたがそれに疑問を抱くなら、あなたには答えが与えられます。

 The Answer merely undoes the question by establishing the fact that to question reality is to question meaninglessly.
 その大いなる答えは単に、現実を疑うことは意味もなく疑問を抱くことだという事実をはっきりさせて、その疑問を解消するだけです。

 That is why the Holy Spirit never questions.
 これが、絶対に聖霊が疑問を抱いたり呈したりしない理由です。

 His sole function is to undo the questionable and thus lead to certainty.
 聖霊の唯一の役目は疑わしさを解消し、そうすることで、確信へと導くことです。

 The certain are perfectly calm, because they are not in doubt.
 確信のある者は完全に落ち着いています。というのも、彼らは疑念の中にいないからです。

 They do not raise questions, because nothing questionable enters their minds.
 確信のある者は、疑問を呈することもありません。なぜなら、疑わしいことは何ひとつ彼らの心に入りこまないからです。

 This holds them in perfect serenity, because this is what they share, knowing what they are.
 疑念のないことが、彼らを完全な静穏の中に保ちます。なぜなら、完全な静穏こそ、本当の自分が何者なのか知っている彼らが分かち合うものだからです。


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