レッスン230「今、私は神の平安を求め、そして、見出す」
It is a miracle that curiosity survives formal education.
普通の教育を受けたのに好奇心を保ち続けることができたなら、それこそ奇跡だ。

Albert Einstein
アルベルト・アインシュタイン
The most useful piece of learning for the uses of life is to unlearn what is untrue.
人生の使い途を学ぶことによる最も有益な収穫は、偽りであるものを念頭から払い除けられることだ。

Antisthenes
アンティステネス

レッスン230です。
「今、私は神の平安を求め、そして、見出す」が今日のテーマです。
レッスンに入る前に、特別解説1「赦しとは何か」をまずご覧ください。

この世界での学びとはまったく違う学び
奇跡のコースは、コース=学習課程という名前を持ってはいますが、この世界での学びとはまったく違う学びについて教えています。
この世界では、無能力で何もできず、何も持っていない未成熟な者が自分の外から有益な情報を獲得して自分の中に取り込んで、体系的に自分のマインド・セット、スキル・セットとして身につけ、多様な外的事象に即して模範的な対応ができるよう成長することを学習とみなします。
この世界では、限られた資源をみんなで奪い合うしかない、だから、たくさん得られるなら得られるほど良い、という欠乏神話が信じられており、それはそういうものだと誰もが頭から信じ込んでいるがゆえに、個人の「成長」に価値が置かれるので、みんなが高スペックのパソコンや最新の高級車に憧れるように、人から抜きんでるよう成長することが幸せであるように思えます。
しかし、全体と調和しない個のみの成長や進化は必ずしも絶対的な善や幸福を意味せず、むしろ全体にとって、ひいては全体を構成する一部であるその個にとっても害をもたらす悪となり不幸を意味することのほうが多いでしょう。

アンラーン
この点で、コースの発想は、もともと完璧な存在が空想の世界で卑小な人間という生き物のキャラクターを作り出して、それに自己同一化して、自分は卑小な存在だと信じ込んで、本来持っている能力や知識を失ってしまった状態から、本来の全知全能状態へと復旧させること、つまり、有害な虚偽情報、バグ、ウイルスによって間違って身につけてしまった学習を消去するという逆の観点です。
これまでにも、このコースのスタンスを"unlearning"「学習棄却」、「アンラーン」として幾度も説明してきました。
持っていないものを獲得したり、遠い場所にある目的地に到達しようとしたりするのではなく、持っているのに持っていないと勘違いしたり、目的地に自分がいるのにどこか別の場所に行かなければならないと思い込んでいる誤解を解消しようというスタンスです。
ですから、やるべきことは、自分の外に価値あるものを探し求めてそれを自分の中に取り込んで蓄積する盛り付け作業ではなく、外から押しつけられて知らないうちに大量に自分の中に溜まって蓄積されてしまった偽りのガラクタ、余計なものの削ぎ落とし作業です。
障害を除去する学びの喜び
美しい顔に被せている醜い仮面を外し、素晴らしい光景を暗くて醜悪なものに見せている色眼鏡を外し、空に飛び立てる翼をつなぎとめている鎖を外し、といったふうに。
本当の自分ではない何者かになろうという努力は骨が折れて達成できるかどうかも確かではなく、不安で苦々しい思いをするばかりの苦行ですが、偽りの自分から本当の自分に戻るための努力は、必ず達成できるという確信に裏打ちされた安心の上に易々と楽しくこなせるものです。
そして何より、学習が進めば進むほど、息を吹き返した本当の自分が瑞々しくよみがえってくるので、この世界の砂を噛むような学習とは正反対で、幸せと喜びにみなぎる学習となることがどんどん実感できます。
自分自身になる
はてしない物語で、現実世界で満たされなかった願望を現実世界の記憶の喪失と引き換えに次々と達成しエゴの権化となって女王幼ごころの君の王座を奪おうとするまでに至り、それが叶わず忘れてしまった本当の自分に戻ろうと放浪し、最後にようやく友の力添えで生命の水を浴びたバスチアンは、もう自分以外の何者かになりたいとは思いませんでした。
「今は、あるがままの自分でありたいと思った。そう思えるのは、何よりもすばらしいことだった。あらゆるあり方から一つを選ぶことができたとしても、バスチアンは、もうほかのものになりたいとは思わなかっただろう。今こそ、バスチアンにはわかった。世の中には悦びの形は何千何万とあるけれども、それはみな、結局のところたった一つ、愛することができるという悦びなのだと。愛することと悦び、この二つは一つ、同じものなのだ。」(はてしない物語 ミヒャエル・エンデ作 上田真而子 佐藤真理子 訳 岩波書店)。
私たち個別の人の子、アバターとしての人間に求められているのは、本当の自分は神の子だという正しいアイデンティティーへのシフトではあります。
けれど、それは、アバターが自分だと信じたまま、「我こそ神の子なり!」と宣言してそう信じ込むことではありません。
こう宣言するときの「我」はエゴ・身体としての自我ではなく、神の子の大いなる自己としての真我だからです。
アバターが神の子に変身するわけではない
ワークブックのレッスンの中には、このようなテーマをかかげるものも多い(というよりも、ほぼこのテーマが中心な)ので、コースの学習者はこの道に落ちる誘惑にさらされることになります。
神の子としての自覚を得ようと求道し自己鍛錬し、もしそのような自覚を得たなら、それは魔境に陥ったと思ってよいでしょう。
Wiki「魔境(まきょう)とは、禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により自我が肥大し精神バランスを崩した状態のことを指す。ユング心理学で「魂のインフレーション」と名づけられた状態だという指摘[誰?]もある。」
私たちは、夢の主人公であり、神の子を夢世界に幽閉している側なのであって、神の子を人質にとるのをやめて解放すべき架空のキャラクターなわけです。
どうしても人間としての自分からアイデンティティーを外すのは難しいので、アプローチとしては、ドラスティックに、人間としての自分は架空の登場人物だという冷厳な事実を真正面から認めるほうが効果的でしょう。
世界の覗き窓の一つにすぎない自分というキャラクターを成長させて霊的に進化させ悟らせて活躍させようとすることは神の子を目覚めさせるのではなく、さらに深く眠りこませるだけで、逆に、自分というキャラクター自体がそもそもお呼びでない邪魔ものだという自覚によって、自分は何もしなくていいというスタンスで、聖霊の使う絵筆のひとつになることです。

Lesson 230
Now will I seek and find the peace of God.
今、私は神の平安を求め、そして、見出す。
1. In peace I was created.
平安の中で私は創造された。
And in peace do I remain.
そして、平安の中に私は確かに留まっている。
It is not given me to change my Self.
私には自分の真の自己を変える力は授けられていない。
How merciful is God my Father, that when He created me He gave me peace forever.
私を創造した際に私に平安を永遠に授けてくれたとは、私の父なる神はなんと慈悲深いことだろう。
Now I ask but to be what I am.
今、私はただ真の私になることだけを求める。
And can this be denied me, when it is forever true?
真の自分であることが永遠に真実だというのに、私にそれを叶えられないことがありうるだろうか。
2. Father, I seek the peace You gave as mine in my creation.
大いなる父よ、私を創造するに際してあなたが私のものとして授けてくれた平安を私は求めます。
What was given then must be here now, for my creation was apart from time, and still remains beyond all change.
そのときに授けられたものは、今もここにあるに違いありません。というのも、私の創造は時間から隔絶し、今なお、あらゆる変化を超越して変わらないままだからです。
The peace in which Your Son was born into Your Mind is shining there unchanged.
あなたの子があなたの大いなる心の中へと生まれたその平安は、そこで変わることなく輝いています。
I am as You created me.
私はあなたに創造された私のままです。
I need but call on You to find the peace You gave.
あなたが授けてくれた平安を見出すには、私はただあなたに呼びかける必要があるだけです。
It is Your Will that gave it to Your Son.
あなたの子に平安を授けたのはあなたの意志だからです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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