T2-5 ミラクル・ワーカー

2014年02月07日
テキスト第2章(分離と贖罪) 0

I can do things you cannot, you can do things I cannot; together we can do great things.
私はあなたにできないことができ、あなたは私にできないことができます。一緒になら、私たちには偉大なことができます。



Mother Teresa
マザー・テレサ



A miracle is when the whole is greater than the sum of its parts.
全体がそれを構成する部分の総和よりも偉大なものとなるとき、奇跡がある。

A miracle is when one plus one equals a thousand.
1+1=1000となるとき、そこに奇跡がある。

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Frederick Buechner
フレデリック・ブフナー



Miracles are not contrary to nature, but only contrary to what we know about nature.
奇跡は自然に反するものではない。ただ、私たちが自然について知っていることに反するだけだ。



St. Augustine
聖アウグスティヌス



祈りと慈愛を自分の中心に抱きながら生活することで、私たちは奇跡を起こす人、すなわちミラクル・ワーカーになります。
人びとは私たちといることで高揚感と活力を感じ、私たちという存在の中で潜在的に修復されて癒されます。
明らかに、よりポジティブな空気が広がります。
私たちが自分の最も高次の世界に到達したとき、周囲の人びとも最も高次の世界へと招かれるように感じます。そして、それこそがすべての魂が探し求めている使命なのです。
私たちが自分の中の霊的な遺産を思い出し、そのパワーをよりどころとして立つとき、私たちは人生のすべてを違う形でとらえ、行動し、体験しはじめます。
誰かを非難しようとした矢先に、その人の永遠不変の無垢さを思い出します。誰かに関する思いやりのない話を人に打ち明けようとしたときに、「人に私がすることは、私が自分にすることだ」という真実を思い出します。
誰かの犠牲の上に勝利を手に入れようとしたときに、勝ち負けなどないことを思い出します。
何かに愚痴をこぼしているとき、「どうして私はここで無駄な時間を過ごしているのかしら?」と立ち止まって自分に問いかけます。
それこそがより良い自己の誕生であり、非常に緩やかな途切れることのないプロセスなのです。
というのも、私たちはあらゆる瞬間、つねにエゴの声か愛の声のどちらかを聞いているのですから。



マリアン・ウィリアムソン(人生を変える「奇跡のコース」の教え148ページ)







俺たちは奇跡を生きてんねん。

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杉本高文(明石家さんま)



Treat a man as he is, he will remain so.
その人の今の姿のままで彼に接するなら、彼はそのまま変わらないだろう。

Treat a man the way he can be and ought to be, and he will become as he can be and should be.
その人がそうあることができる、あるべき人物として彼に接するなら、彼はなることができあるべき人物になることだろう。



Johann Wolfgang von Goethe
ゲーテ



論語とソロバンというかけ離れたものを一つにするという事が最も重要なのだ。

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渋沢栄一



The true secret of happiness lies in taking a genuine interest in all the details of daily life.
ありふれた日々の生活の細部に至るまで純粋な興味を持つことこそが、幸せになる真の秘訣なのだ。



William Morris
ウィリアム・モリス



思いやりはキリスト意識への鍵

 キリスト意識を開発しようと思ったら、まず、思いやりの心を養いなさい。あなたの中に、他人の事を自分の事のように思いやる気持ちが湧いてくるようになったら、あなたはその偉大な意識を現し始めているのです。しかし、他人に不親切な言葉が口に出る間は、あなたはキリスト意識の普遍的な思いやりから遠く離れた所にいます。イエスは、「自分を迫害する者のために祈れ」と言っています。イエスは自ら聖なる思いやりの手本を示しました。彼は、悪を行う人たちと戦いましたが、だれをも憎みませんでした。それは、彼がすべての人の中に神を見ていたからです。クリシュナはこう言っていますーー

 「どんなに人間に対しても、平等の心をもって見る人は、すぐれたヨギである」(バガヴァッド・ギーター6・9)
 他人を非難するのはやめなさい。それは自分の心や口を汚すことです。だれに対しても誠実でありなさい。特に、自分を偽ってはなりません。あなたの内なる神は、絶えずあなたを見守っておられます。神を騙すことはできません。
 神は、あなたの良心の聖所から聞こえてくるささやきであり、あなたの直感となって射し込んでくる光です。あなたは間違ったことをしたとき、たいがいそれを自覚します。つまり、あなたの全存在があなたにそれを知らせます。その感じが神の声です。あなたがそれを聞き入れようとしなければ、神は沈黙されます。しかし、あなたが自分の迷いに気づいて正しい道へ進みたいと思えば、神はあなたを導いてくれます。神は、あなたが父の家に帰る気になるのをいつも待っておられます。神はあなたの行いや考えを、善い事も悪い事もすべて見ておられますが、あなたを待つお気持ちは変わりません。あなたが神の子であることに変わりはないからです。

 他人のすべての悩みを和らげるような思いやり、また、イエスに「父よ彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているか知らないのです」と言わせたような思いやりが、あなたの心からも湧いてこなければなりません。イエスの偉大な愛は、すべてを包み込む愛でした。彼は、一瞥で敵を殺すこともできました。しかし、神と一体になっている偉大な魂は、ちょうど神がわれわれの邪悪な考えをすべてご承知のうえで、なおわれわれをいつも赦しておられるように、われわれを浩大な愛で包んでいるのです。



パラマハンサ・ヨガナンダ(「人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集-」334ページ)








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今回は、テキストから奇跡を起こす者が担う役割という一節をご紹介します。


シナジーと奇跡






7つの習慣」の第6の習慣「シナジーを創り出す」の冒頭でスティーブン・R.コヴィー先生はこう語ってくれています。



「シナジーは、原則中心のリーダーシップの真髄である。原則中心の子育ての真髄である。人間の内面にある最高の力を引き出し、一つにまとめ、解き放つ。ここまで学んできたすべての習慣は、シナジーの奇跡を創り出すための準備だったのである。
 シナジーとは、簡単に言えば、全体の合計は個々の部分の総和よりも大きくなるということである。」


この、全体は部分の総和を凌駕するという観点は、テキストの次の一節に出てきます。

「6. It should especially be noted that God has only one Son.
 神はただひとりの子しか持たないということに、特に着目すべきです。

 If all His creations are His Sons, every one must be an integral part of the whole Sonship.
 もし全ての神の創造物が神の子らであるなら、一人ひとりが神の子全体を構成する不可欠な部分であるに違いありません。

 The Sonship in its Oneness transcends the sum of its parts.
 一体となった神の子は、数ある部分の単なる総和を凌駕するものです。

 However this is obscured as long as any of its parts is missing.
 しかしながら、数ある部分のどれかが欠けている限り、このことは覆い隠されています。

 That is why the conflict cannot ultimately be resolved until all the parts of the Sonship have returned.
 だから、神の子全体を構成する全ての者たちが回帰するまでは、究極的には葛藤が解消されることはあり得ません。

 Only then can the meaning of wholeness in the true sense be understood.
 ただ全員が戻ったときにのみ、真の意味において、完全であることの意味を理解することができます。

 Any part of the Sonship can believe in error or incompleteness if he so chooses.
 神の子のどの部分に属する者であれ、彼がもしそれを選ぶなら、誰でも、誤りを信じたり不完全なものを信じることができます。

 However, if he does so, he is believing in the existence of nothingness.
 けれども、もし彼が誤りや不完全なものを信じるなら、彼は無が存在すると信じているのです。

 The correction of this error is the Atonement.
 この誤りを修正することこそが贖罪です。」(テキスト第二章 VII.Cause and Effect 七 原因と結果

つまり、「7つの習慣」は、私たちアバターに、シナジーという奇跡を起こさせるための原則を教えてくれているということです。


奇跡をシナジーと呼ぶことは奇跡を矮小化すること?

もちろんシナジーとは人、物、事柄などが複数存在し、それらがお互いに作用し合うことで、機能や効果を高める相乗効果という意味合いを持つ言葉なので、一般的な、きわめて稀有でありえない事態という奇跡よりもずっと広義のカバー範囲を持つ言葉ではあります。

そのため、シナジーと奇跡を同等視すると、奇跡を矮小化するような印象を受けたり違和感を覚える方も少なくないかもしれません。奇跡ってもっともっと凄いことのはずだと。

けれど、大事な家族が今日元気で生きていてくれることは奇跡ではないのでしょうか。

つまらないありきたりな人生だと思う今日という1日を、ちょっとだけ想像力を働かせて別の観点から見たら、それがかけがえのない奇跡だと気づくことができます。

もしかしたら、世界大戦が勃発して放射能汚染で地上に住めない世界にいる自分がいるかもしれません。

もしかしたら、大切な家族が病気や交通事故で死んでしまって、もうこの世にいない愛する配偶者や可愛い子どもの面影を思いながら生ける屍のように生き延びている自分がいるかもしれません。

もしかしたら、お酒を飲みすぎて暴力事件を起こして人を死なせてしまって、刑務所で被害者や被害家族だけでなく自分の家族に対する罪悪感に苛まれ、取り返しのつかないことをしてしまったことに対する後悔の日々を送る自分がいるかもしれません。

もしかしたら病気や事故で、失明したり、車椅子生活になったり、一生寝たきりの生活になっている自分がいるかもしれません。

このようなパラレルワールドでのたうち回るような苦しみを抱えて生きている別の自分たちは、今の私たちの今日を思い出しては、奇跡が起こってあの平凡な日常に戻れるならすべてを投げ打ってもいいと思っているかもしれません。

今のつまらない平凡な日常が、実は、その自分がなんとしてもとこいねがった奇跡が起こってあのときに戻れた状態であり、ただその記憶を失っているだけだとしたらどうでしょうか。

兄弟である世界中の人びとに目を向ければ、上のもしかしたらという事態に陥った別バージョンの自分たちが身をもって私たちに奇跡が起こっていることを教えてくれていることに気づくはずです。


アインシュタインの教えてくれるように、すべては奇跡なのであり、私たちの側が奇跡を当たり前の平凡なことに貶めて気づかずにいるだけなのですから、シナジー≧奇跡と、たくさんあるシナジーよりも、ほとんど起こらない奇跡というふうに捉えるのは、奇跡を尊ぶどころか、序列化することになるだけです。



人は、私を運のない女と言うでしょう。
親と夫に先立たれたうえに、息子の大けがに大病まで患い・・・こんなに幸が薄い女はいません。

でも、人生って不思議なもので、案外、律儀なんです。
何かを奪ったと思うと、代わりのものをくれるんです。

親に先立たれたから、夫の大切さを知りました。
夫に先立たれ、子の大切さを知りました。子が大けがをして、子の面倒を見る私自身の大切さを知りました。
私が早く逝くことになり、助けて下さる皆さんがどんなに大切か知りました。

死ぬまでに、こんな大切なことに気づく人は何人いるでしょうか。
こんなふうに生きられて、私は本当に幸せな人間だと思います。

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「良くも、悪くも、だって母親」 第14話よりヨンスンのセリフ



「The miracle is always there.
 奇跡はつねに存在します。

 Its presence is not caused by your vision; its absence is not the result of your failure to see.
 あなたのヴィジョンによって奇跡が引き起こされて存在するようになるわけではありません。また、あなたがヴィジョンで見ることに失敗した結果として奇跡が存在しなくなるわけでもありません。

 It is only your awareness of miracles that is affected.
 あなたのヴィジョンに左右されるのは、あなたが奇跡を自覚できるかどうかということだけです。」(レッスン91「奇跡は、光の中で見える」、1.)


大規模で稀有なことではない、日常的なきわめてささやかな出来事でも、そこに大きな愛が溢れ出すなら、それは奇跡ではないでしょうか。



Miracles happen everyday, change your perception of what a miracle is and you’ll see them all around you.
奇跡は毎日起こっている。君が奇跡とは何かという捉え方を変えれば、君は自分が奇跡に取り囲まれているとわかるだろう。

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Jon Bon Jovi
ジョン・ボン・ジョビ



The invariable mark of wisdom is to see the miraculous in the common.
変わることのない英知の印は、平凡なことの中に奇跡を見ることだ。



Ralph Waldo Emerson
ラルフ・ワルド・エマーソン


奇跡をシナジーと見ることで気づくこと

また、私たちは、奇跡というと、漠然と、常識の範疇を超える驚異的な事象が生じることというイメージを抱くばかりで、そもそも人が起こすものではなく、偶然に「起こる」ものという捉え方をしています。

ですので、本節のように"the Miracle Worker"「奇跡を起こす者」という表現にも違和感を覚えます。

えっ?奇跡って起こるものだと思ってたけど、人が起こせるものなの?と。

ここまでテキストを読み進めたみなさんには、知的理解として、奇跡というのは、赦しによって分離幻想の錯覚から脱することで、すべてが愛に結ばれてひとつであるという真理が内心を反映する世界に溢れ出す愛の発露を意味するという認識は獲得できています。

そして、赦しについては、今後学習が進むと、赦しは、自らの罪を投影した先である他者抜きにしてはなしえない(救いの公式T12-2 神を思い出す方法)ということを学びます。

したがって、奇跡は赦しを手段に人が起こすものであり、それも、ひとりで起こすのではなく、兄弟と一緒に起こすものだということです。

そして、素朴に発想すると、みんなが心をひとつにするには、同じ考え方(客観的に正しい「真理」の教え!)で統一して同調すべきであって、たとえば、奇跡のコースを学ぶ人同士で思いをひとつに祈れば良いというように考えることになるかもしれません。

けれど、ここにパラドックスがあります。


みんなが違う個性を持ち、異なる考えをすることは恵み

It is not our differences that divide us.
私たちが互いに違っていることが私たちを分割させているのではありません。

It is our inability to recognize, accept, and celebrate those differences.
私たちが自分たちの相違を認め、受け入れ、祝福することができないことが、私たちを別々に引き裂いているのです。

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Audre Lorde
オードリー・ロード


私たち個別の自己、自我、個別の霊たる魂は、みな、直霊(なおひ)からズレのある曲者なのであり、光で言えば、必ず何らかの色を持つ存在です。




奇跡は、大いなる愛を垣間見る作用ですが、大いなる愛を光の側面で見ると、すべてのスペクトルを含む白光です。

光の三原色(RGB)が均等なバランスで重なると白光となり、色の三原色(RYB)が混ざると黒になりますが(正しい自己中になるにはどうすればよい?)、コースは、エゴが色を塗りたくるのを止めて、各自が持っている光を重ね合わせて、みんなの中にいるひとつの聖霊が白光として姿を現わす奇跡を起こすことを教えています。

色を持つ光である私たちが白光を輝かせることは、自分ひとりだけでは不可能ですし、自分と同じような思想を抱く人同士で同調しても、同じスペクトルの色合いをより色濃くする作用を生じることしかできません。

偏りのある個別の魂が白光に到達するには、必ず自分とは異質な他者との交流が必要なわけです。

この点で、シナジーというのは相乗効果という訳語の通り、違いのあるもの同士が交わることで個別にあるだけでは起こりようのない次元を超える質的変化というべき化学変化が起こることを意味しますので、奇跡をシナジーと捉えることは、自分とは違う他者の存在を尊重し、自分とは違う考え方を否定して自分と同じ考えに変えようとするのではなく、異質な考えを歓迎して理解し、第三の案を模索するスタンスを帰結します。


ですので、自分とはとことん異質の相容れないくらいの誰かとシナジーを起こせたら、似たもの同士では到底起こりえないような奇跡と呼ぶべき変化が起こるであろうという発想になり、他者が自分と違うこと、敵と思えるほど、自分とは相容れない考えをする人たちで世界が溢れ返っていることを喜ばしい事実として受け止められるようになります。

この観点の変換はすばらしい福音ではないでしょうか。

普通の発想では誰もが呪いとして忌避したいと思う自分とは相容れない存在や思い通りにならない境遇が恵みであり祝福として受け入れたくなってしまうわけですからどうかしちゃっています(笑)。





Honest differences are often a healthy sign of progress.
気兼ねなく異なる意見を表明できることは、多くの場合、議論が健全に前進している印だ。

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Mahatma Gandhi
マハトマ・ガンジー



誰かと一緒に平和にいるためには、自分を相手から隔てるものではなく結びつけるものを見る必要があります。結びつけるものを見て取るなら、互いの差異をも尊重できます。差異のほうを見て取るなら、その差異を克服しようとあくせくすることになります。

差異を克服しようとしても、たいてい失敗します。それは、差異があるということは健全だからです。お互いの差異を尊重するかぎり、親密な良い関係を築く可能性を妨げることはありません。

いつでも相手に、自分と違っているための場所の隙間を残しておいてあげなさい。そうすれば、あなたも、相手と親密になることを避けようとは思わないでしょう。

自分が受け入れられるためには、相手と同じようにならなければならない、そして、その逆も真だと感じると、あなたは差異を克服する努力をします。

差異はそのままにしておきなさい。あなたはそのままで受け入れられる人ですし、相手もそうです。そうすれば、あなたのハートにも相手のハートにも平和があります。それでいいのです。

自分がいかに相手を、こうあるべきだと信じるイメージ通りに変えようとしているかに気づき始めてください。また、相手がいかにあなたを変えようとしているかにもです。その押したり引いたりを感じてください。それがエゴの世界というものです。

エゴとは宇宙で最も不安定なものです。だからこそ、いつでも、どの側につくかを決めたり、地位や立場に寄りかかったりするのです。自分自身にもともと信頼を寄せていませんし、スピリットの寛大性を持ち合わせてもいません。

Jesus Christ

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)








7つの習慣


「5. Miracles are habits, and should be involuntary.
 奇跡は習慣であり、意識しなくても起こるようになるべきものです。

 They should not be under conscious control.
 奇跡を意識的なコントロールの下に置こうとしてはなりません。

 Consciously selected miracles can be misguided.
 意識的に選ばれた奇跡は、見当違いなものになりかねないからです。」(T1-intro,1 奇跡の原理



さて、このサイトでは、「7つの習慣」をたびたび引用しています。




世界的な大ベストセラーで本当にすばらしい本です。

「大衆が評価する本なんて読むもんか」という天邪鬼的な発想で手をつけていない方は、あまりにもったいないので、騙されたと思って読んでみてください(この観点については、レッスン178「レッスン165と166の復習」のエッセイで述べていますので、ご覧ください)。

奇跡のコースは、救済されるべきは神の子であることを真正面から打ち出している、聖霊の教えという縦糸のみの体系であるがゆえに、ともすれば、私たちアバター・エゴという横糸には活躍の場を与えないどころか、排除するかのように読めてしまうきらいもありますが、揺るぎない縦糸の間を縦横無尽に横糸が掻(か)い潜(くぐ)ることによって救済という織物は織り上げられるものだと思います。

エゴ、パーソナル・セルフという私たちアバターが人間として役目を果たすうえでの人としての生き方については、コースが触れることは少ないので、7つの習慣はミラクルワーカーとなるための個人の指針として大切な本だといえます。


慈悲の心による思いやりについての解説

本説では、ミラクルワーカーにとっての必須ツールである「思いやりの心」についての解説がなされています。

「9. Healing is an ability that developed after the separation, before which it was unnecessary.
 癒しは分離の起こった後に開発された能力であって、分離が起こる前には癒しは必要ありませんでした。

 Like all aspects of the belief in space and time, it is temporary.
 時間と空間に対する信仰のすべての側面がそうであるように、癒しは一時的なものにすぎません。

 However, as long as time persists, healing is needed as a means of protection.
 しかしながら、時間が持続するかぎりは、保護の手段として癒しが必要です。

 This is because healing rests on charity, and charity is a way of perceiving the perfection of another even if you cannot perceive it in yourself.
 その理由は、癒しは慈悲の心による思いやりに基づくものだからです。そして、思いやりこそが、たとえあなたが自分自身が完全だと理解できなくても、他者の完全性に気づけるようになるための方法です。

 Most of the loftier concepts of which you are capable now are time-dependent.
 あなたが現時点で持つことができる崇高な概念のほとんどは、時間に依存するものです。

 Charity is really a weaker reflection of a much more powerful love-encompassment that is far beyond any form of charity you can conceive of as yet.
 実のところ、この思いやりすら、今のあなたに想像できるどのような形の思いやりをもはるかに超えた、いっそう力強い愛の包容力をかすかに反映するものでしかありません。

 Charity is essential to right-mindedness in the limited sense in which it can now be attained.
 思いやりは、今すぐ、力強い愛の抱擁に到達できるという限られた意味において、正しい心の状態でいるために不可欠なものです。

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10. Charity is a way of looking at another as if he had already gone far beyond his actual accomplishments in time.
 思いやりは、ほかの人のことを、あたかも彼が時間の中で現に到達しているところよりもはるか遠くまですでに進み終えているかのようにみなす方法です。

 Since his own thinking is faulty he cannot see the Atonement for himself, or he would have no need of charity.
 その人が抱いている考え方は不完全なので、彼は自分だけで贖罪を理解することができません。そうでなければ、彼には思いやりなど必要なかったことでしょう。

 The charity that is accorded him is both an acknowledgment that he needs help, and a recognition that he will accept it.
 彼に対して抱くのがふさわしい思いやりとは、彼には助けが必要であると認めること、そして、彼がその助けを受け入れるだろうと認めることの両方です。

 Both of these perceptions clearly imply their dependence on time, making it apparent that charity still lies within the limitations of this world.
 このふたつの認識は、いずれも時間に依存していることをはっきりと示しているので、思いやりが依然としてこの世界の制約の中にあることは明らかです。

 I said before that only revelation transcends time.
 私が前に述べたように、ただ啓示だけが時間を超越します。

 The miracle, as an expression of charity, can only shorten it.
 慈悲の発露としての奇跡にできるのは、時間を短縮することだけです。

 It must be understood, however, that whenever you offer a miracle to another, you are shortening the suffering of both of you.
 それでも、理解しておくべきなのは、あなたがほかの人に奇跡を捧げるたびに、あなたは自分と相手の両方の苦しみを短縮しているということです。

 This corrects retroactively as well as progressively.
 この奇跡は、未来に向かって修正するのはもちろん、過去に遡っても修正することになります。

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「10. Charity is a way of looking at another as if he had already gone far beyond his actual accomplishments in time.
 思いやりは、ほかの人のことを、あたかも彼が時間の中で現に到達しているところよりもはるか遠くまですでに進み終えているかのようにみなす方法です。」

これは、兄弟の中にいるキリストを見るための有益な観点です。


パラマハンサ・ヨガナンダ先生は冒頭で引用した言葉に続いて、次のようにキリスト意識の神秘を教えてくださっています。



「普遍的な思いやりの心を養う超越的方法は瞑想です。心がいつも超意識状態にある人は、いつも幸福で、賢明で、愛情があり、瞑想後の状態を保持しています。もしあなたが、瞑想後の意識状態を自然に保持できるようになれば、あなたは超意識状態に達したと言えます。そうなれば、だれか見知らぬ人が突然あなたの前に現れても、あなたにはその人の性質や生涯が一目でわかるでしょう。しかし、キリスト意識に達すればそれ以上です。宇宙のすべての出来事が同時にあなたの意識に感じられます。
 すべての人に対する思いやりを養うことによって、あなたは自分の意識を拡大し、必要な事はなんでも知ることができるようになります。ちょうど、あなたが自分のからだや、手足や、考えや、脳を同時に意識しているように、キリスト意識に達すると、あなたが出会うすべての人が感じている事を感じ、それらの人たちが今までに抱いたすべての考えを知ることができます。」(「人間の永遠の探求」334ページ)







幻想世界を生きる指針

さて、本節の最後の文章は、私たちがこの世界に生きるうえでの基本的なスタンスを示してくれています。


「8. You can do much on behalf of your own healing and that of others if, in a situation calling for help, you think of it this way:
 助けを要する事態において、もしあなたが次に述べるように考えるなら、あなたは、自分自身を癒し、ほかの者たちをも癒すために、大いに力になることができます。


I am here only to be truly helpful.
私は、真に役立つためにだけ、この世界にいる。

I am here to represent him who sent me.
私がここにいるのは、私を遣わした聖霊の代理を務めるためだ。

I do not have to worry about what to say or what to do, because he who sent me will direct me.
私には、何を言ったらよいのか、何をしたらよいのかと心配する必要はない。なぜなら、私を遣わした聖霊が私を導いてくれるからだ。

I am content to be wherever he wishes, knowing he goes there with me.
聖霊が私と一緒にそこに行ってくれるとわかっているので、私はどこであれ、聖霊が私をいさせたいと望むところにいることに満足する。

I will be healed as I let Him teach me to heal.
私が聖霊に癒し方を教えてもらうようにすれば、私も癒されることになる。」

繰り返しの効果は偉大です。

その対象が偽りでも、徹底して繰り返すなら、それが自分の中に確固として組み込まれてしまいます。

逆に、対象が真理であるなら、自分の中にほどきがたくこびりついていた偽りの思考体系を掘り崩し、本来、神に創造されたままの思考体系が姿を現せるようにしてくれます。

これが当たり前だと思えるように、手帳に転記したり、スマホの待ち受け表示に設定して毎日読んでもいいでしょう。


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テキスト第2章

V.The Function of the Miracle Worker
五 奇跡を起こす者が担う役割



1. Before miracle workers are ready to undertake their function in this world, it is essential that they fully understand the fear of release.
 奇跡を起こす者たちがこの世界における自らの役割を担う準備をするには、その前に、彼らが解放への恐れについて十分に理解しておくことが絶対に欠かせません。

 Otherwise they may unwittingly foster the belief that release is imprisonment, a belief that is already very prevalent.
 さもないと、彼らは無自覚のままに、解放されることは幽閉されることだというすでに誰もが抱いている信念を募らせてしまいかねません。

 This misperception arises in turn from the belief that harm can be limited to the body.
 この解放は幽閉だという誤った知覚は、危害を被るのを身体だけに限定できると信じることに引き続いて生じます。

 That is because of the underlying fear that the mind can hurt itself.
 その理由は、心には心それ自体を傷つけることができるという恐怖が根底にあるからです。

 None of these errors is meaningful, because the miscreations of the mind do not really exist.
 これらの誤りは、いずれも意味をなしません。なぜなら、心が誤って創造するものは実際は存在しないからです。

 This recognition is a far better protective device than any form of level confusion, because it introduces correction at the level of the error.
 このように心が誤って創造するものが実在しないと認識することは、どんな形でレベルを混同させることよりもはるかに優れた保護の手段となります。というのは、心が誤って創造するものは実在しないとの認識は、誤りの生じたレベルで修正を施すことになるからです。

 It is essential to remember that only the mind can create, and that correction belongs at the thought level.
 次のことを覚えておくことがとても大切です。それは、ただ心だけが創造できること、そして、修正は思考のレベルでなされるべきこと、この2点です。

 To amplify an earlier statement, spirit is already perfect and therefore does not require correction.
 前に述べたことを強調しておきましょう。すなわち、霊ははじめから完全なので、修正など必要としません。

 The body does not exist except as a learning device for the mind.
 身体は、心が学ぶための道具としてのみ存在します。

 This learning device is not subject to errors of its own, because it cannot create.
 この身体という学びの道具がそれ自体で誤りに陥る危険はありません。なぜなら、身体は創造することができないからです。

 It is obvious, then, that inducing the mind to give up its miscreations is the only application of creative ability that is truly meaningful.
 そうだとすれば、心に自らの誤った創造をやめさせることこそが、本当に有意義なたったひとつの創造能力の使い方であるのは言うまでもありません。

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2. Magic is the mindless or the miscreative use of mind.
 魔術とは、心を空疎にすること、つまり、誤った創造のために心を用いる方法です。

 Physical medications are forms of "spells," but if you are afraid to use the mind to heal, you should not attempt to do so.
 物質的な薬物療法は「呪術」の一種です。しかし、もしあなたが癒すために心を用いるのが怖いようなら、あなたは心を用いて癒そうと試みるべきではありません。

 The very fact that you are afraid makes your mind vulnerable to miscreation.
 あなたが恐れているというまさにその事実が、誤創造の誘惑にあなたの心を屈服させてしまうからです。

 You are therefore likely to misunderstand any healing that might occur, and because egocentricity and fear usually occur together, you may be unable to accept the real Source of the healing.
 したがって、どのような癒しが起ころうとも、あなたはそれを誤解してしまうでしょう。また、自己中心的になることと恐れとは決まって一緒に起こるので、あなたは癒しの真の源を受け入れられなくなってしまうでしょう。

 Under these conditions, it is safer for you to rely temporarily on physical healing devices, because you cannot misperceive them as your own creations.
 このような状況においては、一時的に物質的な治療法に頼るほうが、あなたにとってはより安全なはずです。なぜなら、あなたは物質的な治療法を自分が創造したものだと誤って知覚しないはずだからです。

 As long as your sense of vulnerability persists, you should not attempt to perform miracles.
 自分が脆弱だという感覚が持続する間は、あなたは奇跡を起こそうと試みるべきではないのです。



3. I have already said that miracles are expressions of miracle-mindedness, and miracle-mindedness means right-mindedness.
 すでに述べたように、奇跡は、奇跡を起こそうと志向する心の発露として起こるのであり、そして、奇跡を志向する心とは、心が正しい状態にあることを意味します。

 The right-minded neither exalt nor depreciate the mind of the miracle worker or the miracle receiver.
 心が正しい者は、奇跡を起こす者や奇跡を受け取る者の心を褒めそやすこともなければ貶めることもありません。

 However, as a correction, the miracle need not await the right-mindedness of the receiver.
 とはいえ、修正を行うために、奇跡を受け取る者の心が正しい状態になるまで奇跡が待たなければならないわけではありません。

 In fact, its purpose is to restore him to his right mind.
 それどころか、むしろ奇跡を受け取る者を彼自身の正しい心へと戻すことが奇跡の目的なのです。

 It is essential, however, that the miracle worker be in his right mind, however briefly, or he will be unable to re-establish right-mindedness in someone else.
 けれども、奇跡を起こす者のほうは、いかに短い時間であろうとも、正しい心の状態にあることが絶対に必要です。そうでなければ、彼にほかの誰かの心を正しい状態に回復させることなどできないでしょう。

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4. The healer who relies on his own readiness is endangering his understanding.
 自分自身の準備が整うことを当てにして癒そうとする者は、自分の理解力を危険にさらしていることになります。

 You are perfectly safe as long as you are completely unconcerned about your readiness, but maintain a consistent trust in mine.
 あなたが自分の準備ができているかどうかをまったく心配することなく、ただ私に準備ができていることだけをつねに一貫して信頼してくれるかぎり、あなたは絶対に大丈夫です。

 If your miracle working inclinations are not functioning properly, it is always because fear has intruded on your right-mindedness and has turned it upside down.
 もしあなたが起こそうとする奇跡の成り行きが思わしい方向に作用しないとしたら、それはつねに、あなたの心の正しい状態に恐れが入りこんで、心をひっくり返して混乱させていることがその理由です。

 All forms of not-right-mindedness are the result of refusal to accept the Atonement for yourself.
 心が正しい状態にないなら、いかなる形であれ、それはすべて、あなたが自分のために贖罪を受け入れることを拒否した結果です。

 If you do accept it, you are in a position to recognize that those who need healing are simply those who have not realized that right-mindedness is healing.
 もしあなたが贖罪を確かに受け入れたなら、あなたは、癒しを必要とする者たちとは、単に、まだ正しい心の状態こそが癒しなのだと理解していない者たちのことでしかないと認識できるようになります。



5. The sole responsibility of the miracle worker is to accept the Atonement for himself.
 奇跡を起こす者の唯一の責任は、自分のために贖罪を受け入れることだけです。

 This means you recognize that mind is the only creative level, and that its errors are healed by the Atonement.
 これは、あなたが、ただ心だけが唯一の創造のレベルであって、心の誤りは贖罪によって癒されると認めることを意味します。

 Once you accept this, your mind can only heal.
 いったんあなたが、このことを受け入れてしまえば、あなたの心はただ癒すことしかできなくなります。

 By denying your mind any destructive potential and reinstating its purely constructive powers, you place yourself in a position to undo the level confusion of others.
 あなたの心の破壊的な潜在能力を一切否定し、あなたの心が宿している純粋に建設的な力をあなたの心に回復させることによって、あなたは自分自身をほかの人たちのレベルの混同を取り消すことができる立場に置くことになるからです。

 The message you then give to them is the truth that their minds are similarly constructive, and their miscreations cannot hurt them.
 そのとき、あなたが彼らに伝えるメッセージは、「あなたたちの心は私の心と同様に建設的なものなのだから、あなたたちの心が誤って創造したものがあなたたちの心を傷つけることなどありえない」という真理です。

 By affirming this you release the mind from over evaluating its own learning device, and restore the mind to its true position as the learner.
 このように宣言することによって、あなたは、心をそれが所有する身体という学びの道具を過大に評価することから解放し、心を学ぶ者としての正しい位置へと戻すことになります。

名称未設定

6. It should be emphasized again that the body does not learn any more than it creates.
 あらためて強調しておかなければならないのは、身体は創造することも学習することもないということです。

 As a learning device it merely follows the learner, but if it is falsely endowed with self-initiative, it becomes a serious obstruction to the very learning it should facilitate.
 学びの道具として、身体は単に学び手である心に従うだけですが、もし間違って身体に自主性が与えられたとしたら、身体が促進すべきはずの当の学びにとって、身体そのものが深刻な足かせとなってしまいます。

 Only the mind is capable of illumination.
 ただ心だけが光明を得ることができます。

 Spirit is already illuminated and the body in itself is too dense.
 霊はすでに光明に満たされているし、身体は光明を得るにはそれ自体あまりにも濃密にすぎるからです。

 The mind, however, can bring its illumination to the body by recognizing that it is not the learner, and is therefore un-amenable to learning.
 しかしながら、身体は学ぶものではなく、したがって、学ぶことには適していないのだと認めることによって、心は自らの光明を身体へともたらすことができます。

 The body is, however, easily brought into alignment with a mind that has learned to look beyond it toward the light.
 いかに学びに不向きな身体といえども、身体を超えて光を見つめることを学んだ心とであれば、容易に調和するようになります。



7. Corrective learning always begins with the awakening of spirit, and the turning away from the belief in physical sight.
 矯正のための学習は必ず、霊性に目覚め、肉眼で見えるものを現実視する信仰を捨て去ることから始まります。

 This often entails fear, because you are afraid of what your spiritual sight will show you.
 あなたは自分の霊的な視覚があなたに見せるはずのものを恐れているので、肉眼への信仰を捨て去ることには、しばしば恐れが伴います。

 I said before that the Holy Spirit cannot see error, and is capable only of looking beyond it to the defense of Atonement.
 私が前に述べたように、聖霊は誤りを見ることはできず、ただ誤りを越えて贖罪という防衛手段に目を向けることができるだけです。

 There is no doubt that this may produce discomfort, yet the discomfort is not the final outcome of the perception.
 誤りを越えて贖罪を見ようとすると、不快感が生じるであろうことに疑いの余地はありません。しかし、いつまでも不快感を知覚したままで凝り固まってしまうわけではないこともまた確実なことです。

 When the Holy Spirit is permitted to look upon the defilement of the altar, he also looks immediately toward the Atonement.
 聖霊が祭壇の穢れを見る機会を与えられたなら、聖霊はすぐさま贖罪のほうにも目をやります。

 Nothing he perceives can induce fear.
 何であれ、聖霊が知覚するものが恐れを生じさせることはありえません。

 Everything that results from spiritual awareness is merely channelized toward correction.
 霊的な自覚から起こることはすべて、ただ修正に向けて導かれるだけだからです。

 Discomfort is aroused only to bring the need for correction into awareness.
 不快感は、単に修正が必要であることを自覚させるためにだけ生じるのです。

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8. The fear of healing arises in the end from an unwillingness to accept unequivocally that healing is necessary.
 結局のところ、癒しに対する恐れが生ずるのは、癒しが必要だということをあなたが断固として受け入れる気持ちになれないからです。

 What the physical eye sees is not corrective, nor can error be corrected by any device that can be seen physically.
 肉眼で見えているものは修正できるものではありません。また、誤りは肉眼で見えるどんな手段によっても修正することはできません。

 As long as you believe in what your physical sight tells you, your attempts at correction will be misdirected.
 あなたが、肉体の視力が自分に告げることを信じるかぎり、修正しようとするあなたのいかなる試みも的外れなものになってしまうでしょう。

 The real vision is obscured, because you cannot endure to see your own defiled altar.
 あなたが自分自身の穢れた祭壇を見ることに耐えられないために、真のヴィジョンは不明瞭になってしまっています。

 But since the altar has been defiled, your state becomes doubly dangerous unless it is perceived.
 しかし、祭壇が穢されてしまった以上は、まずは祭壇の穢れをちゃんと知覚しなければ、あなたの心の状態は二重に危険なものになってしまいます。



9. Healing is an ability that developed after the separation, before which it was unnecessary.
 癒しは分離の起こった後に開発された能力であって、分離が起こる前には癒しは必要ありませんでした。

 Like all aspects of the belief in space and time, it is temporary.
 時間と空間に対する信仰のすべての側面がそうであるように、癒しは一時的なものにすぎません。

 However, as long as time persists, healing is needed as a means of protection.
 しかしながら、時間が持続するかぎりは、保護の手段として癒しが必要です。

 This is because healing rests on charity, and charity is a way of perceiving the perfection of another even if you cannot perceive it in yourself.
 その理由は、癒しは慈悲の心による思いやりに基づくものだからです。そして、思いやりこそが、たとえあなたが自分自身が完全だと理解できなくても、他者の完全性に気づけるようになるための方法です。

 Most of the loftier concepts of which you are capable now are time-dependent.
 あなたが現時点で持つことができる崇高な概念のほとんどは、時間に依存するものです。

 Charity is really a weaker reflection of a much more powerful love-encompassment that is far beyond any form of charity you can conceive of as yet.
 実のところ、この思いやりすら、今のあなたに想像できるどのような形の思いやりをもはるかに超えた、いっそう力強い愛の包容力をかすかに反映するものでしかありません。

 Charity is essential to right-mindedness in the limited sense in which it can now be attained.
 思いやりは、今すぐ、力強い愛の抱擁に到達できるという限られた意味において、正しい心の状態でいるために不可欠なものです。

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10. Charity is a way of looking at another as if he had already gone far beyond his actual accomplishments in time.
 思いやりは、ほかの人のことを、あたかも彼が時間の中で現に到達しているところよりもはるか遠くまですでに進み終えているかのようにみなす方法です。

 Since his own thinking is faulty he cannot see the Atonement for himself, or he would have no need of charity.
 その人が抱いている考え方は不完全なので、彼は自分だけで贖罪を理解することができません。そうでなければ、彼には思いやりなど必要なかったことでしょう。

 The charity that is accorded him is both an acknowledgment that he needs help, and a recognition that he will accept it.
 彼に対して抱くのがふさわしい思いやりとは、彼には助けが必要であると認めること、そして、彼がその助けを受け入れるだろうと認めることの両方です。

 Both of these perceptions clearly imply their dependence on time, making it apparent that charity still lies within the limitations of this world.
 このふたつの認識は、いずれも時間に依存していることをはっきりと示しているので、思いやりが依然としてこの世界の制約の中にあることは明らかです。

 I said before that only revelation transcends time.
 私が前に述べたように、ただ啓示だけが時間を超越します。

 The miracle, as an expression of charity, can only shorten it.
 慈悲の発露としての奇跡にできるのは、時間を短縮することだけです。

 It must be understood, however, that whenever you offer a miracle to another, you are shortening the suffering of both of you.
 それでも、理解しておくべきなのは、あなたがほかの人に奇跡を捧げるたびに、あなたは自分と相手の両方の苦しみを短縮しているということです。

 This corrects retroactively as well as progressively.
 この奇跡は、未来に向かって修正するのはもちろん、過去に遡っても修正することになります。

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A.Special Principles of Miracle Workers
A 奇跡を起こす者にとっての特別な指針



1. The miracle abolishes the need for lower-order concerns.
 奇跡は低い次元の関心事の必要性を根絶します。

 Since it is an out-of-pattern time interval, the ordinary considerations of time and space do not apply.
 奇跡は型通りの時間の間隔に縛られることがないので、時間と空間についての常識など奇跡には通用しません。

 When you perform a miracle, I will arrange both time and space to adjust to it.
 あなたが奇跡を起こす際には、私が奇跡に適合するように時間と空間の両方を調整してあげましょう。



2. A clear distinction between what is created and what is made is essential.
 創造されたものと作られたものとの間に、はっきりと区別をつけることが肝心です。

 All forms of healing rest on this fundamental correction in level perception.
 いかなる形の癒しも、レベル認識に関するこの根本的な修正に基盤を置きます。



3. Never confuse right- and wrong-mindedness.
 正しい心の状態と誤った心の状態を決して混同してはなりません。

 Responding to any form of error with anything except a desire to heal is an expression of this confusion.
 どのような形の誤りに応ずるにしても、癒したいという願い以外の気持ちで臨むとすれば、それは心の状態の正誤を混同している印です。



4. The miracle is always a denial of this error and an affirmation of the truth.
 奇跡はつねにこのような誤りを否定して、真理を肯定します。

 Only right-mindedness can correct in a way that has any real effect.
 心が正しい状態にあるときにのみ、なんらかの現実的な効果を伴う方法で修正することができます。

 Pragmatically, what has no real effect has no existence.
 実用的にみて、現実的な効果を伴わないものは存在しているとはいえません。

 Its effect, then, is emptiness.
 ゆえに、現実的な効果を伴わないものの結果は内容のない空疎なものとなります。

 Being without substantial content, it lends itself to projection.
 実質的な内容がないので、この空疎な誤った心の状態は、それ自体を投影させるようになるのです。



5. The level-adjustment power of the miracle induces the right perception for healing.
 奇跡の持つレベルを調整する能力が、癒しのために正しい知覚がなされるよう仕向けてくれます。

 Until this has occurred healing cannot be understood.
 この正しい知覚が生じないかぎり、癒しを理解することはできません。

 Forgiveness is an empty gesture unless it entails correction.
 それが修正を引き起こさないのであれば、そのような許しなど、中身のない格好だけのものでしかありません。

 Without this it is essentially judgmental, rather than healing.
 修正を伴わない許しは、本質的には、癒しではなく価値判断による裁きです。

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6. Miracle-minded forgiveness is only correction.
 奇跡を志向する赦しは、ただ修正するだけです。

 It has no element of judgment at all.
 奇跡を志向する赦しには、価値判断を下す要素がまったくありません。

 The statement "Father forgive them for they know not what they do" in no way evaluates what they do.
 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分たちが何をしているかわかっていないのです」との言葉は、決して彼らの行いの価値を評価したものではありません。

 It is an appeal to God to heal their minds.
 この言葉は、彼らの心を癒してくれるようにと神に訴えたものです。

 There is no reference to the outcome of the error.
 彼らの誤りがもたらした結末についての言及はどこにもありません。

 That does not matter.
 そのようなことは問題ではないのです。



7. The injunction "Be of one mind" is the statement for revelation-readiness.
 「心をひとつにせよ」という訓令は、啓示を受ける準備をさせるための言明です。

 My request "Do this in remembrance of me" is the appeal for cooperation from miracle workers.
 「私の記念として、これを行うように」という私の頼みは、奇跡を起こす者たちの協力を求める訴えです。

 The two statements are not in the same order of reality.
 このふたつの言明は、現実の同じ次元に属するものではありません。

 Only the latter involves an awareness of time, since to remember is to recall the past in the present.
 ただ後者の言明だけが時間を自覚することを必要とします。なぜなら、何かを覚えて思い出すというのは、現在において過去のことを呼び起こすことだからです。

 Time is under my direction, but timelessness belongs to God.
 時間は私の命令に従いますが、時間のない状態は神に属します。

 In time we exist for and with each other.
 時間の中にいる間は、私たちはお互いのために、そして、お互いとともに存在します。

 In timelessness we coexist with God.
 時間の存在しない状態においては、私たちは神とともに存在するのです。



8. You can do much on behalf of your own healing and that of others if, in a situation calling for help, you think of it this way:
 助けを要する事態において、もしあなたが次に述べるように考えるなら、あなたは、自分自身を癒し、ほかの者たちをも癒すために、大いに力になることができます。


I am here only to be truly helpful.
私は、真に役立つためにだけ、この世界にいる。

I am here to represent him who sent me.
私がここにいるのは、私を遣わした聖霊の代理を務めるためだ。

I do not have to worry about what to say or what to do, because he who sent me will direct me.
私には、何を言ったらよいのか、何をしたらよいのかと心配する必要はない。なぜなら、私を遣わした聖霊が私を導いてくれるからだ。

I am content to be wherever he wishes, knowing he goes there with me.
聖霊が私と一緒にそこに行ってくれるとわかっているので、私はどこであれ、聖霊が私をいさせたいと望むところにいることに満足する。

I will be healed as I let Him teach me to heal.
私が聖霊に癒し方を教えてもらうようにすれば、私も癒されることになる。


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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
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