レッスン232「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」
Prayer is not asking.
祈りは求めることではありません。
Prayer is putting oneself in the hands of God, at His disposition, and listening to His voice in the depth of our hearts.
祈りは、自分を神の手に委ねて、神の意のままになる道具にして、私たちの心の奥底から神の声に耳を澄ますことです。

Mother Teresa
マザー・テレサ

レッスン232です。
「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」が今日のテーマです。
まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。

不可能なことは起こっていない
私たちの本質である神の子は神とひとつであり、私たちは神の大いなる思いとして神の中にいます。
したがって、そもそも本当の私たちには、神と異なる思いを心に抱くことなど不可能です。
けれど、私たちは、エゴに従って個別の心が神とは違う意志を抱いて異なる思考をしていると考えています。
これは不可能なことが起こっているということでしょうか?
そうだとしたら、二元論が正しいことになります。
不可能なことは起こっていないのだとしたら、何が起こっているのでしょうか?
影は「存在」しても「実在」しない
いつもの実在と実在の不在の対比の通り、現実=天国にあるのが神の意志のみだとしたら、この世界=幻想に反映される際に、神の意志の不在が影として生じ、それが実在するかのように思えて世界に「存在」(このサイトでは、天国に実在しない影がこの世界かぎりで幻想としてある状態("exist","there is"と表現される場合)を指す用語として、「実在」("being","real"と表現される場合)に対する対義語としての意味をこめて用いています。)しているだけということになります。
つまり、神の意志が不在の無の状態が起こっていて、それが、まるで日光に照らされて影ができたときに影が姿かたちをなすことから、影には実在性があるかのように思えるように、神の意志の不在による影が私たちの意志のごときものとして形をなしている状態を神の意志と対抗できる私たちの意志が実在しているかのように錯覚しているだけです。
この影に名前をつけたものがエゴであり、エゴに従う心には自分の中には神がいないように思えるということになります。
たしかに、実在(=神)の不在であるエゴと自己同一化している状態では神がいないように思えるのは当然です。
自分だけは実在するという素朴な感覚が誤った前提として入り込んでしまっている
ただし、その状態における最大の錯覚は、神とは別の思考をする自分がいると信じていることです。
なので、「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」というのは、エゴに従うことでの錯覚を解消して、ありのままの心の本来の状態にあることを求める祈りだということが言えます。
そして、本来の状態に戻ることを求めるだけなので、自分の誤解に気づきさえすれば、正しく光が当たれば、それまで色濃く長きにわたって存在していた影が一瞬にして消え去るように、何の努力もなしに、元に戻ることができるはずです。

Lesson 232
Be in my mind, my Father, through the day.
わが父よ、一日中、私の心の中にいてください。
1. Be in my mind, my Father, when I wake, and shine on me throughout the day today.
わが父よ、私が起きたとき、私の心の中にいてください。そして、今日という1日を通して、私を照らしてください。
Let every minute be a time in which I dwell with You.
毎分が、私があなたとともに過ごす時となりますように。
And let me not forget my hourly thanksgiving that You have remained with me, and always will be there to hear my call to You and answer me.
そして、あなたが私の許に留まって、私のあなたへの呼びかけを聞き入れて私に答えてくれるために、あなたがつねにそこにいてくれることに対する感謝を私が1時間ごとに捧げるのを忘れないようにさせてください。
As evening comes, let all my thoughts be still of You and of Your Love.
夜になってもなお、私があなたとあなたの大いなる愛だけを思っていられますように。
And let me sleep sure of my safety, certain of Your care, and happily aware I am Your Son.
そして、あなたの愛情を確信し、私があなたの子であることを幸福に自覚しながら、私が自分は安全だと確信して眠りに就くことができますように。
2. This is as every day should be.
これこそ、毎日のあるべき状態です。
Today, practice the end of fear.
今日は恐れの終わりを実習します。
Have faith in Him Who is your Father.
あなたの父である大いなる存在に信頼を抱いてください。
Trust all things to Him.
あらゆる物事についての信頼を神に委ねてください。
Let Him reveal all things to you, and be you undismayed because you are His Son.
神にあらゆる物事をあなたに明らかにしてもらってください。あなたは神の子なのですから、ひるむことはありません。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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