レッスン233「私は今日、自分の命を神の導きに捧げる」
Surrender is a journey from outer turmoil to inner peace.
明け渡しとは、外的な騒乱から内なる平安に向かう旅なのだ。

Sri Chinmoy
シュリ・チンモイ
本当の価値観とは、あなたが人生でどのように行動したいのかを問い続けるプロセスです。自分の人生に足りない要素を補うのが目的ではありません。
この考え方がわかりづらいようなら、試しにこう自分に問いかけてみてください。
「もし使いきれないほどの金を手に入れ、理想の仕事につき、毎日が幸福に満ち溢れていて、誰からも尊敬されていたとしたら、私はどのように行動するだろうか? 自分や他者との関わり方はどう変わるだろうか?」
すべてが満ち足りた状態でもなお行動せずにはいられない物事こそが、あなたの心の底に眠る本当の価値観なのです。

鈴木祐(「最高の体調」188ページ)

レッスン233です。
「私は今日、自分の命を神の導きに捧げる」が今日のテーマです。
まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。

自発的に聖霊を選択しないかぎりエゴが勝手に導いてしまう
今日のレッスンでは、私たちがエゴとして、自分が自分を導く先導者となって自分独自の思いを抱いて独自の行動をすることをやめて、一歩引き下がって、神の大いなる導きに従って神の意志をなすことが語られます。
放っておくかぎりは、エゴが自動操縦で私たちを導き、どこにも行きつくことはありません。
エゴからすれば、神という最終目的地に行きつきさえしなければ、安泰だからです。
これに対して、神=聖霊がエゴからハンドルをぶんどって強引に私たちを導くということをしないということは、テキスト第7章10節(T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?)その他でも語られます。
エゴに従うかぎり、私たちは自由意志の感覚という錯覚は得られはしても、実はエゴに支配されて私たちに自由意志はありません。
「It is not your will to be imprisoned because your will is free.
囚われの身となることは、あなたの意志ではありません。なぜなら、あなたの意志は自由だからです。
That is why the ego is the denial of free will.
だから、エゴとは自由意志の否定なのです。」(テキスト第八章 二 幽閉と自由との違い 3)
。
なので、私たちが自発的に聖霊を選択する決断をしないかぎり、強引に手取り足取り導こうとするのは、聖霊ではなく、エゴのほうなので、自動的にエゴの自動操縦に導かれてしまうことになります。
エゴの願望と聖霊の意図の相違
エゴに導かれて抱く欲求、願望がどんなものか、私たちは知らないわけじゃありません。
低級な次元の生理的欲求から悟りを得たいというような高尚なものに思える願望に至るまで、煎じ詰めれば、水路や電気回路のようにエネルギーの通り道がお膳立てされて、そこを通らざるをえないことで生じるそうせざるをえないような余儀なくされる駆り立てられ突き動かされる感覚です。
貯水池に溜まっている状態では平穏な水が、水路を通るとエネルギーを生みます。
電気回路も回線を狭くしたり抵抗の強い導体にすると、電圧が高まります。
私たちは、エゴが、実在の不在である恐れが形を成したバラエティーに富んだ影、幻想という抵抗を用いて生命エネルギーを堰き止めては狭い水路に流し込むことで、欲求、願望に駆り立てられて、さもその願望が自分のものであるかのように錯覚します。
けれど、このような願望の生じる仕組みからして、願望が自由意志によるものではなく、逆に自由意志の否定の産物であることは理解できることです。
自由意志によるのは、駆り立てられるのではない自然に湧き起こる意図です。
貯水池の中を自由に泳ぐ神の想念の魚たちが神の意図するがままに泳いでいくと、自ずとそれが波のうねりとなり、川の流れになっているという具合です。
願望が擁壁で囲んで高低差を設けて水圧によって作り出されるエネルギーだとすると、意図は海の波や川の流れそのものに乗るありのままのエネルギーの流れの一部になるといったイメージです。

Lesson 233
I give my life to God to guide today.
私は今日、自分の命を神の導きに捧げる。
1. Father, I give You all my thoughts today.
父よ、今日、私はあなたに自分の思いのすべてを捧げます。
I would have none of mine.
私は、自分だけの思いを一切抱かないことにします。
In place of them, give me Your Own.
私の思いの代わりに、あなたの思いを私に与えてください。
I give You all my acts as well, that I may do Your Will instead of seeking goals which cannot be obtained, and wasting time in vain imaginings.
私はあなたに自分の行いのすべても捧げて、到達しようのない目標を追い求め、虚しく空想に耽ることに時間を浪費する代わりに、私があなたの大いなる意志をなすことができるようにします。
Today I come to You.
今日、私はあなたの下に参ります。
I will step back and merely follow You.
私は、身を引いて、ただあなたに従うことにします。
Be You the Guide, and I the follower who questions not the wisdom of the Infinite, nor Love whose tenderness I cannot comprehend, but which is yet Your perfect gift to me.
あなたが大いなる導き手となって、私を従者としてください。従者である私は、無限なる存在の英知を疑うことなく、また、私には理解が及ばないとしても、あなたから私への完璧な贈り物である大いなる愛の優しさを疑いません。
2. Today we have one Guide to lead us on.
今日、私たちには、自分を導いてくれる唯一の大いなるガイドがいます。
And as we walk together, we will give this day to Him with no reserve at all.
そして、私たちが一緒に歩むに際して、私たちは、今日という日を余すところなく神に捧げることにします。
This is His day.
今日は神の日です。
And so it is a day of countless gifts and mercies unto us.
だから、今日は私たちに数えきれない贈り物と恵みが差し延べられる日なのです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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