レッスン235「慈悲溢れる神は、私が救われることを意図している」
I believe if God doesn't give you a miracle, you are a miracle of God for somebody else's salvation.
私は、信じています。もし神があなたに奇跡を授けないとき、あなたこそがほかの誰かの救済のために神が授けた奇跡なのだと。

Nick Vujicic
ニック・ブイヂ
少年はすべてを書いた手の方に向きなおった。そうしながら、彼は宇宙がしんと静まるのを感じた。彼は何も話さないことに決めた。
少年の心から愛の流れがほとばしり出た。そして彼は祈り始めた。それは、いまだかつて一度も行ったことのない祈りだった。言葉も願いごともない祈りだった。羊のために牧草地が見つかった時の感謝の祈りでもなく、クリスタルがもっと売れるように願う祈りでもなく、愛する女性が彼の帰りを待ち続けているように乞い願う祈りでもなかった。静寂の中で少年はすべてを悟った。・・・少年は大いなる魂に到達し、それが神の魂の一部であることを知った。そして、神の魂はまた彼自身の魂であることを悟った。そして、一人の少年が、彼自身が、奇跡を起こすことができると、知ったのだった。

パウロ・コエーリョ(「アルケミスト」181ページ)

レッスン235です。
「慈悲溢れる神は、私が救われることを意図している」が今日のテーマです。
まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。

レッスン101「神が私のために意図するのは完全な幸せだ」が参考になると思います。
神の子は完全に幸せに創造され、現に幸せなままであるはず
親が子の幸せを願わないはずがありません。
神がわが子の幸せを意図しないはずがありません。
そして、全能の神がわが子を不幸な存在として創造したはずがないし、わが子を幸福に創造することに失敗したはずがありません。
したがって、神の子は完全に幸せに創造され、現に幸せなままであるはずです。
私たち人の子は不幸まみれ
それにもかかわらず、私たちは至福の状態にあるどころか、不幸まみれです。
ですが、上記の素朴な論理に照らして、私たちが幸福でないとしても、その不幸に神が原因している余地はまったくありえません。
とすれば、私たちが自分で自分を不幸にしているだけだし、不幸な私たちは実在しないはずだ、ということになります。
実在しない架空の存在の私たちが自分で自分を不幸にしているだけというのが結論
これがそうではないとしたら、神を不完全で万能ではないものとして定義し直す必要があることになりますので、神が神であるかぎり、私たちが実在せず、実在しない架空の存在の私たちが自分で自分を不幸にしているだけということは疑いの余地はありません。
そして、神は、神の子を自由な存在として創造したがゆえに、神の子が空想の中で私たちになりきって間違いを犯して不幸になったからといって、神の子の空想の中に強引に介入してきて私たち幻想の生き物を消去したり、その生き物の存在を否認してあるべき状態に矯正して誤りを正して幸せを強要するようなことはありません。
神は狂気に取り合わない
「10. You do not realize how much you have denied yourself, and how much God, in his love, would not have it so.
あなたは、自分がどれほど自分自身を否認してきたか理解していません。そしてまた、あなたは、神が自らの愛ゆえに、あなたに自分自身を拒んだままにさせないよう、どれほど強く意図したかも理解していません。
Yet he would not interfere with you, because he would not know his son if he were not free.
それでも、神はあなたに干渉しようとはしません。なぜなら、もし神の子が自由でなかったら、神は自らの子を知ることができなくなってしまうからです。
To interfere with you would be to attack himself, and God is not insane.
神があなたに干渉することは、神自らを攻撃することになってしまいますが、神は正気を失ってなどいません。
When you deny him you are insane.
あなたが神を否認するとき、あなたは狂気に陥っているのです。
Would you have him share your insanity?
あなたは神に、自分の狂気を共有させたいというのでしょうか。」(T10-5 神を否認すること)
これが納得できないのは、私たちが夢の主人公だから
私たちは、どうしても自分の実在性を確固たる事実としてそこを基盤にしてしか発想ができないので、悩ましいところですが、自分が夜見る夢で考えてみても、仮に自分が不幸極まる災厄まみれの悪夢を見ていたとしても、夢を見ている張本人である私たちが望むのは、夢から早く目を覚まして現実に帰ることであって、夢の中での苦悩を軽減したり、幸運に満ちた夢が永続することなどこれっぽっちも望まないはずです。
夢がよりよい夢になったり、よい夢が永続することを望むのは、夢見る私たちが成り切っている夢の主人公、私たちではない架空の登場人物だけです。神の子の見る夢では、私たちはこの登場人物のほうであるがゆえに、私たちは、夢がより幸福なものに変わることを望むし、幸福な夢なら夢のままずっと続いてほしいと望むわけです。
わが子が夜寝ているときにどんなひどい悪夢にうなされていようと、親にできるのは、子が安らかに目を覚ますのを待つことだけです。
仮にわが子が精神疾患を患って狂気による幻覚を見て空想の世界に生きることになったとしても、親は、子の見る狂気の世界が実在すると同調して、自らも薬物を服用するなどして子の狂気を共有しようとはしないはずです。
私たちに必要なのは、聖霊に従って、本当の自分は神によって幸福に創造されている神の子だと認識して神による救済を受け入れることだけ
神にできるのは、聖霊というガイドを与えて神の子が私たち幻想の生き物になりきって世界の中に自分を幽閉する狂気から自力で脱する手助けをすることだけです。
とはいえ、上記のように、私たちは、勘違いによって自分で自分を不幸にしているだけという仕組みなわけですから、私たちが幸福になるために必要なのは、自分でがんばって何かを達成することではなく、神に幸福に創造された本当の自分とは違う自分になって見知らぬ世界を流浪する夢を見ていることに気づいて夢から目覚める必要があるだけであり、そのためには、本当の自分は神によって幸福に創造されている神の子だと認識して神による救済を受け入れることだけです。
何の助けもなければ、この単純な仕組みにすら気づいて脱出するのは困難ですが、私たちには聖霊という心強いガイドがついてくれています。
せっかく聖霊に従うことにするなら、中途半端に半信半疑でいるよりも、思い切って全托したほうがよくないでしょうか。

Lesson 235
God in His mercy wills that I be saved.
慈悲溢れる神は、私が救われることを意図している。
1. I need but look upon all things that seem to hurt me, and with perfect certainty assure myself, "God wills that I be saved from this," and merely watch them disappear.
私はただ自分を傷つけるように見えるものすべてを眺め、そして、完璧な確信をもって「神は私がこのことから救われることを意図している」と納得して、単にそれらが消え去るのを見守るだけでいい。
I need but keep in mind my Father's Will for me is only happiness, to find that only happiness has come to me.
ただ幸福だけが私に訪れていることに気づくために、私はただ、自らの大いなる父が私のために意図するのはただ幸福だけだと心に留めるだけでいい。
And I need but remember that God's Love surrounds His Son and keeps his sinlessness forever perfect, to be sure that I am saved and safe forever in His Arms.
そして、私が救われており、永遠に神の両腕の中に無事に抱かれていることを確信するために、私はただ、神の大いなる愛が神の子を包みこみ、神の子の罪のなさを永遠に完璧な状態に保っていることを思い出すだけでいい。
I am the Son He loves.
私は、神の愛し子なのだ。
And I am saved because God in His mercy wills it so.
そして、慈悲に溢れる神がそう意図するがゆえに、私は救われている。
2. Father, Your Holiness is mine.
大いなる父よ、あなたの神聖さは私の神聖さです。
Your Love created me, and made my sinlessness forever part of You.
あなたの大いなる愛が私を創造し、私の罪のなさを永遠にあなたの一部としてくれました。
I have no guilt nor sin in me, for there is none in You.
私は、自分の中に罪悪感も罪も一切持っていません。というのも、あなたの中には、罪悪感も罪も存在しないからです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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