レッスン236「私は、ただ私だけが支配しなければならない自分の心を支配する」


民のいない王になんの意味がある
国を頼むと民から託されているからこそ
俺は王でいられるのだぞ
その民が、国など滅んでいいと言う
では俺は、なんのためにここにおるのだ!

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十二国記 延王 小松三郎尚隆






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レッスン236です。

「私は、ただ私だけが支配しなければならない自分の心を支配する」が今日のテーマです。


まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。




私たちは自らの王座に臣下を座らせている

私たちは、自分の心の王国を支配する王としての責任を放棄して、私たちが空席にしている王座に、次々と、臣下にすぎない諸々の願望が我がもの顔で居座って、各自が好き勝手に暴政を敷くのを容認しています。

私たち神の分霊たる魂と心の中の諸々の願望という思考とは精神的な想念であるという点では同じでも、本質的には異質なものです。


バスチアンが願望実現の代償として現実の記憶を喪失したように、願望を王座に据えるかぎり、神の子の生命エネルギーは代償として奪われてゆく

それは、神は光であり、その拡張である私たちの本質も光であるのに対して、願望は分離幻想によるエゴというスライドが光の前に置かれて色付けされて存在するように見えているだけの投影像、つまり、影であり、私たち光なくしては存在しえない虚像でしかないからです。

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はてしない物語の後半で「汝の欲することをなせ」とのアウリンの銘に従って本当の自分の記憶を喪失することと引き換えにエゴの願望を実現していったように、すべてを持ちすべてである神の子が意図ではなく願望実現しようとすると、本当の自分ではない自分が持ち合わせない卑小な存在へと自分を縮小していくしか手立てはありません。

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本来ひとつである神の大いなる心が無数に分裂して小さな心が生じたように見えても、大いなる心を用いて思考するのが神という霊であるように、小さな心をスクリーンとして用いて思考するのは大いなる霊の一側面である魂です。

簡単に言えば、魂は生命そのものなのに対して、願望等の思考は魂の光を反映する生命の発露でしかなく、それ自体で生命を持つものではないという大きな相違があります。

魂が王座に就いているなら、王座から生命が流れ出し、王国の各機能が適切に成就されます。

これに対して、願望等の思考が王座に就いているのなら、その願望が魂の強い思いを受けて生命力を負託された程度次第では、しばらくは魂が王座にいるのと変わらない支配力を及ぼすことはできても、電池のようにいつかは空になってしまうので、やがて王国は枯れ果てて砂漠のように何も生み出せなくなります。


魂の暗転の解消はアンラーンによる

誰もが、友人知人といった知り合いやテレビやネットの有名人で、以前は、善良な気質がさわやかで清々しい雰囲気で伝わっていたのに、しばらく見ない間にがらっと雰囲気が変わってしまって、目つきも雰囲気も何かに取り憑かれたような邪悪な感じで別人のようになってしまった人を目にしたことがある(その逆に憑き物が落ちたように良い感じで変わる人も!)と思います。

まさに憑き物という言葉の表すとおり、本来、クリアであるべきところに余計な障害が憑りついて被さって、白光が透明な光を放つことができず、濁った色付きのどす暗く鈍い光しか発することができなくなりますが、それでも、"little spark"閃光である魂はどこかに去ってしまったわけではなく、そこにあるままです。

そこから閃光が去ってしまったら、そもそもスライドを介して色付きの光を発することすら不可能になるからです。

王座に臣下が就く状態は、王である魂を追放して実現するものではなく、魂を毒して眠り込ませて、そのすきに王の威光をかさにきて臣下である想念が邪悪をなすという仕組みです。

必要なのは、王が目を覚まして臣下が専横している権限を取り戻して自分が行使する正しい状態に戻ることだけです。

これは学習棄却、アンラーンです。

その手段は本を読んで知識を詰め込むことなんかじゃなく、他者との関わりにおいての赦しです。

他国(ほかの人間、自分以外のエゴ・身体)との国交を通して、王と王とが直接の交流を結んで自分たちが同じ光源を持つ閃光であるということを赦しを介して愛を体験して会得することは、自他分離が真実だという恐怖、虚偽を素材にして築き上げた城壁を愛の光を当てて崩壊させ消滅させてゆくことであり、幻でできた障害物を除去していくことです。

私たちの心は魂である私たち自身が支配しなければならず、魂である私たちとは光である神の分霊であるのだから、神とは異質な意志を持つものではなく、心を聖霊に奉仕するよう捧げることしかできません。




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Lesson 236

I rule my mind, which I alone must rule.
私は、ただ私だけが支配しなければならない自分の心を支配する。



1. I have a kingdom I must rule.
 私には自分で治めなければならない王国がある。

 At times, it does not seem I am its king at all.
 ときには、私がその王国の王であるようにはまったく思えないこともある。

 It seems to triumph over me, and tell me what to think, and what to do and feel.
 王国のほうが私を征服し、私に何を思い、何をし、何を感じるべきか命じているように思える。

 And yet it has been given me to serve whatever purpose I perceive in it.
 それでも、王国は、何であれ、私が王国に見出す目的を果たす役に立つようにと、私に授けられたものなのだ。

 My mind can only serve.
 私の心はただ奉仕することができるだけだ。

 Today I give its service to the Holy Spirit to employ as He sees fit.
 今日、私は聖霊が私の心にふさわしいと見るとおりに自分の心を使ってもらうために、聖霊に私の心を役立ててもらうことにする。

 I thus direct my mind, which I alone can rule.
 こうして、私は自分だけが支配できる私の心を導く。

 And thus I set it free to do the Will of God.
 こうして、私は、神の大いなる意志をなすことができるように、自分の心を解放する。



2. Father, my mind is open to Your Thoughts, and closed today to every thought but Yours.
 父よ、私の心をあなたの大いなる思いへと開き、今日、あなたの思い以外のあらゆる思いに対して閉ざすことにします。

 I rule my mind, and offer it to You.
 私は自分の心を支配し、自分の心をあなたへと捧げます。

 Accept my gift, for it is Yours to me.
 私からの贈り物を受け入れてください。というのも、それはあなたから私に授けられた贈り物だからです。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。






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