レッスン239「わが父の栄光は私のものだ」

2014年02月17日
レッスン231〜240 0

謙虚さというのは、他のいかなる美徳よりも思い違いをされるものである。

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ジョージ・サヴィル



過度に謙虚な人を真に受けてはいけない。ことに、自分で自分を皮肉るような態度を信用してはいけない。その背後には、たいがい虚栄心と名誉心の強烈な一服がひそんでいる。



カール・ヒルティ





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レッスン239です。

今日のテーマは、「わが父の栄光は私のものだ」です。


傲慢さと謙虚さについての誤解

まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。




「1. Let not the truth about ourselves today be hidden by a false humility.
 今日は、間違った謙虚さによって、私たちが本当は何者かという真理が隠されてしまわないようにしよう。」

しばしばコースでは、傲慢さと謙虚さについての誤解を解くようにと、両者の混同についての説明がなされます。

そもそも、自分が神の子であるという根本的なコースの主張自体が、通常人の感覚からすれば、常軌を逸したとんでもない狂気の沙汰です。

常識的に言って、神やキリストは自分たちとは無縁な高尚極まる存在で、自分たちはそのような神聖な存在によって救済してもらう必要のある愚かで罪深い出来損ないの卑小な生き物にすぎないし、たくさんいる人間や生き物の中で自分のことなど、神やキリストのような尊い存在がかまうはずがないと考えることは謙虚で正しいことだし、自分を神やキリストと同等視するなんて傲慢どころの次元ではない誇大妄想の極限で、狂気の沙汰もいいところだということになります。


正しいセンタリング

この点については、レッスン61「私は世界の光だ」レッスン132「私は、これまで自分がこの世界はこうだと思いこんでいたすべての思考から、この世界を解放する」が参考になると思いますので、参照していただければと思います。

エゴとは、立ち位置があるべきところからずれているために、個性に光が正しく当たらずにできる影だと述べたことがあります。

個性自体は本来、価値中立で善も悪もないものですが、センタリングがまずくて、ふさわしい立ち位置からずれたエキセントリックなポジションにいるかぎり、光の当たらない裏の面が生まれ、その裏の面の側に色濃く影ができ、周囲が辟易するほど毒々しいエゴとなります。

このような人は、裏の面での自分の欠落を意識してしまい、真の自信を持てないので、目上の人には過剰にへりくだった謙虚な姿勢を取りつつ、自分より下に見ている人に対しては、見下した尊大な態度を取って心理的なバランスを取ろうとします。

正しくセンタリングができた小さな心は、自他一体感が基盤となるので、個性が光り輝きはしても、裏表はなく、周囲が毒気に当てられて困るということはありません。

このような人は、他者からの評価を受けなければ自我の安定を保てないということがないので、必要もなく傲慢になることも謙虚になることもありません。


はたらく細胞的な観点

健康な状態の身体では、体内の細胞たちには、さまざまな個性の大きな相違はあっても、ほとんど自己主張がありません。

無我の境地で細胞各自が粛々と自らの役目を幸せに果たしています。

これが、虫歯になったり、切り傷ができたり、感染症になったり、癌化したりして、激しい痛みを特定の部位が訴えて、人体内の特定の細胞や器官が自己を強烈に主張したり、逆に、まったく無感覚になっている状態は、身体の一部に不具合が生じている不健康状態です。

自分が本当は神の子であるという正しいアイデンティティーを持つことは、個としての自分、アバターへの自己同一化を解いて正しくセンタリングすることであり、我を真の自己に据えることによって、個としての小さな自己を持つアバターを健康な状態の細胞と同じような位置に置いて、個としての自分に囚われずに、全体に奉仕することに幸せを感じる無我の境地に至ることです。


無私の心や無我の境地は身体の細胞たちにとってのデフォルト・モード→逆に私心を持つ状態は病気の状態

無私の心や無我の境地と言うと、たいそう遠大な悟りの境地のように響きますが、身体の細胞に置き換えて見れば、本来の健康な心の状態、病んでいない心のデフォルト・モードであることがわかります。

いつもの学習における目的と手段の原理の応用の理屈の通り、無私の心を目的にするのではなく、手段に格下げしてしまうのが有益です。

仕事の面で、このことを体感している人も少なくないでしょう。

有能な看護師は、仕事の場面では、一切の私心を払って患者への奉仕に邁進することで、すばらしい看護を実現して患者の笑顔が自分の喜びとなる経験を得ます。

そうして、この看護師は、中途半端に私心を残すことがかえって仕事の質を低下させ自分を苦しませることが経験上わかるので、さらに精進するなら、どんどん好循環に入ってゆきます。

スピリチュアルや宗教的求道として素朴に無私の状態の獲得を目指して遅々として進歩のない人を尻目に、そんなことを求めてもいない仕事人間が無我の境地を得ているわけです。

スピリチュアル方面に関心の向く私たちとしては、自戒すべき点かもしれません。




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Lesson 239

The glory of my Father is my own.
わが父の栄光は私のものだ。



1. Let not the truth about ourselves today be hidden by a false humility.
 今日は、間違った謙虚さによって、私たちが本当は何者かという真理が隠されてしまわないようにしよう。

 Let us instead be thankful for the gifts our Father gave us.
 その代わりに、私たちの父なる神が私たちに与えてくれた贈り物に感謝することにしよう。

 Can we see in those with whom He shares His glory any trace of sin and guilt?
 神が神の栄光を分かち合う者たちの中に、少しでも罪や罪悪感の痕跡を見ることなど、私たちにできるだろうか。

 And can it be that we are not among them, when He loves His Son forever and with perfect constancy, knowing he is as He created him?
 わが子が自分の創造したままだと知っている神が、永遠にまったく変わらないまま神の子を愛しているというのに、神の栄光を分かち合う者たちの中に私たちが含まれていないということがありうるだろうか。



2. We thank You, Father, for the light that shines forever in us.
 父よ、永遠に私たちの中に輝く光について、私たちはあなたに感謝します。

 And we honor it, because You share it with us.
 そして、私たちはその光を尊びます。なぜなら、あなたがその光を私たちと分かち合ってくれるからです。

 We are one, united in this light and one with You, at peace with all creation and ourselves.
 私たちはひとつです。この光の中で結び合わされて、あなたとひとつであり、あらゆる創造物と私たち自身と調和しています。



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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。





次

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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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