T17-1 空想を真理に引き渡す
Truth is beautiful, without doubt; but so are lies.
疑いなく真理は美しい。しかし、美しいのは偽りも同じだ。

Ralph Waldo Emerson
ラルフ・ワルド・エマーソン

今回はテキスト第十七章から「空想を真理へともたらす」をご紹介します。
幻想を真理にもたらす
5.では、幻想を真理の下にもたらすべきで、真理を幻想の許にもたらすのではないという他の箇所でもよく出てくる表現が示されます。
その理由はこうです。
「Truth has no meaning in illusion.
幻想の中では、真理は何の意味も持ちません。
The frame of reference for its meaning must be itself.
真理の意味を評価する基準は、真理そのものでなければなりません。
When you try to bring truth to illusions, you are trying to make illusions real, and keep them by justifying your belief in them.
あなたが真理を幻想の中に持ちこもうとするとき、あなたは幻想を本物にしようとしているのであって、自分が幻想を信じていることを正当化することによって、幻想を保ち続けようとしているのです。
But to give illusions to truth is to enable truth to teach that the illusions are unreal, and thus enable you to escape from them.
これに対して、幻想を真理に渡すことは、幻想が本物ではないと真理が教えることを可能にするので、あなたは幻想から逃れられるようにしてもらえます。」

真理はありのままの真理として幻想の中に入り込むことはできない
幻想は、虚偽として現実の中に移行することはできますが、真理は、幻想のひとつに姿を変えてなければ虚構に入ることはできないので、ありのままの真理として幻想の中に入り込むことはできません。
VRゲームの世界や本の中の物語世界のキャラクターを現実世界でイラスト化したり想定して話題にしたりすることはできますが、こうする場合、そのキャラクターは本質通り虚構として現実世界にもたらされることになります。
他方、現実の世界にいる私たちは、VR世界に入るには、現実の姿のままで入ることはできず、アバター等架空の存在、偽りの幻想にならなければ、虚構世界に入ることはできません。
幻想世界の中の幻想を現実に持ってくれば、それが偽りだとわかって本質通りに無として扱われますが、幻想世界の中に真理をもたらそうとすると、その時点で真理は偽り(真理を反映する虚構)になっているので、偽りになった真理に照らされても、幻想はびくともしません。
幻想を真理にもたらすべきというのは、このような当たり前の仕組みを述べているだけだということです。
真理の光を得た者には、その光を闇の中にもたらす任務が生じる
もっとも、幻想を真理にもたらして真理の光を得たならば、今度は、その光を闇の中にもたらす任務が生じます。
「7. You who are now the bringer of salvation have the function of bringing light to darkness.
いまや、救いをもたらす者であるあなたには、光を闇にもたらすという任務があります。
The darkness in you has been brought to light.
あなたの中の闇はすでに光へと運ばれました。
Carry it back to darkness, from the holy instant to which you brought it.
あなたが闇を持ちこんだ神聖な瞬間から、今度は光を闇へと持ち帰ってきてください。」(T18-3 夢の中の光)
レッスン107「真理が私の心の中で誤りを修正してくれる」
幻同士としては同等だが、実在を反映する幻は真理に通じる扉となる
スクリーン上の幻としては、実在の不在も実在も同等の象徴でしかないのは同じですが、パソコンのデスクトップ上のアイコンと同じように、実在の不在は、クリックしても何も起こらない無であるのに対して、実在の反映はクリックすれば、アプリケーションが立ち上がる実在に通じる扉となります。
神聖な瞬間を通じて真理の光を得た者は、このような機能するアイコンに転化したのであり、ほかの中身の空っぽのアイコンたちにも、そのアイコンが現状において象徴している実在の不在、たとえば欠乏マインドに基盤を置く不平不満に対して、逆の実在のほうである豊かさマインドに基盤を置く感謝と祝福につながるリンクを取り戻させる任務が生じるということです。
闇に光をもたらす手立ては聖霊の3大レッスンの実践
その方法はいつものように、非難攻撃で自分を怒らせる他者は、自分が振り上げた剣を振り下ろすか背けるかによって、自分たちを地獄に幽閉するか解放するかの機会を与えてくれる救い主なのだと認識し、相手からの非難攻撃を愛を求める哀訴として正しく知覚して、自分が傷ついたことを示して相手に罪悪感を抱かせようとするのではなく、自分が傷ついていないことを示してともに罪悪感から解放されるという、聖霊の3大レッスンの実践です。
闇の絵と光の絵
「 And each is given its rightful place when both are seen in relation to each other.
二枚の絵を互いに関連させて見るとき、それぞれの絵にはふさわしい場が与えられます。
The dark picture, brought to light, is not perceived as fearful, but the fact that it is just a picture is brought home at last.
光の下にもたらされると、闇の絵は恐ろしいものには見えません。ただ、それが単なる絵でしかないという事実がようやく十分に納得されるだけです。
And what you see there you will recognize as what it is; a picture of what you thought was real, and nothing more.
そして、あなたは自分の目の前にあるものを見て、それが自分が現実だと思っていたものを描写した絵でしかなく、それ以上の何ものでもないとありのままに認めるでしょう。
For beyond this picture you will see nothing.
というのは、この絵の向こう側には、あなたに見えるものは何もないからです。
15. The picture of light, in clear-cut and unmistakable contrast, is transformed into what lies beyond the picture.
それとは明快に間違えようのないほど対照的に、光の絵は、その絵の向こう側にあるものへと変容します。
As you look on this, you realize that it is not a picture, but a reality.
あなたがこの絵を見つめると、それが絵ではなく現実であることにあなたは気づきます。
This is no figured representation of a thought system, but the Thought itself.
これは思考システムが絵という形で表現されたものではなく、大いなる思いそのものなのです。
What it represents is there.
絵が表すものそれ自体がそこにあります。
The frame fades gently and God rises to your remembrance, offering you the whole of creation in exchange for your little picture, wholly without value and entirely deprived of meaning.
額縁は静かに姿を消します。そして、まったく何の価値もなく完全に意味を喪失したあなたの小さな絵と引き換えに、創造のすべてをあなたに差し延べながら、神があなたの記憶によみがえってきます。」(T17-4 ふたつの絵)

Chapter 17 FORGIVENESS AND THE HOLY RELATIONSHIP
第十七章 赦しと神聖な関係
I. Bringing Fantasy to Truth
一 空想を真理へともたらす
1. The betrayal of the Son of God lies only in illusions, and all his "sins" are but his own imagining.
神の子が現実に違背できるのはただ幻想の中でのみです。だから、神の子の「あまたの罪」はどれも、単に彼が勝手に想像しているものでしかありません。
His reality is forever sinless.
本当の神の子は、永遠に罪がないままです。
He need not be forgiven but awakened.
神の子は、目覚めさせられる必要はあっても、赦される必要はありません。
In his dreams he has betrayed himself, his brothers and his God.
彼が見る夢の中で、神の子は自分自身を裏切り、自らの兄弟を裏切り、自らの大いなる神をも裏切ってきました。
Yet what is done in dreams has not been really done.
しかし、夢の中でなされたことは、実際になされたわけではありません。
It is impossible to convince the dreamer that this is so, for dreams are what they are because of their illusion of reality.
もっとも、夢を見ている当人に、彼が夢の中にいて夢の中での出来事は実際には起こっていないのだと納得させようとしても、それは不可能です。なぜなら、夢が夢であるゆえんは、夢が幻想を現実だと錯覚させるものだからです。
Only in waking is the full release from them, for only then does it become perfectly apparent that they had no effect upon reality at all, and did not change it.
夢から完全に解放されるには、目覚めるしか手立てはありません。なぜなら、ただ目が覚めたときにだけ、夢は現実にまったく影響を与えておらず、現実を変えてはいなかったことが完璧に明らかになるからです。
Fantasies change reality.
夢想は現実を変えようとすることです。
That is their purpose.
それこそ、夢想する目的です。
They cannot do so in reality, but they can do so in the mind that would have reality be different.
もっとも、夢想には本当に現実を変えることはできません。しかし、現実を違うものにしようと意図する心の中でなら、夢想は好きなように現実を変えることができます。

2. It is, then, only your wish to change reality that is fearful, because by your wish you think you have accomplished what you wish.
したがって、恐れるべきは、現実を変えたいというあなたの願望だけです。なぜなら、自ら望むことによって、あなたは自分が望むことを自分が達成したものと思いこんでしまうからです。
This strange position, in a sense, acknowledges your power.
願望することによって現実を変えられたと思いこむこの奇妙な観点は、ある意味では、あなたの力を認めてはいます。
Yet by distorting it and devoting it to "evil," it also makes it unreal.
しかし、それと同時に、この見解は、あなたの力を歪めて「邪悪」なものに捧げることによって、あなたの力を想像上のものにしてしまいます。
You cannot be faithful to two masters who ask conflicting things of you.
あなたは、自分に相容れないことを求めるふたりの主人に忠実であることはできません。
What you use in fantasy you deny to truth.
あなたが空想の中で使うものを、あなたは真理に対して拒むことになります。
Yet what you give to truth to use for you is safe from fantasy.
しかし、自分のために活用してもらうためにあなたが真理に捧げるものは、空想に害されることなく安全なままです。
3. When you maintain that there must be an order of difficulty in miracles, all you mean is that there are some things you would withhold from truth.
あなたが奇跡には難しさの序列があるに違いないと主張するとき、あなたは単に自分には何かしら真理に渡さずに残しておきたいものがあると思っているだけなのです。
You believe truth cannot deal with them only because you would keep them from truth.
あなたは、単に自分がそれを真理に渡さずにおこうとしさえすれば、真理もそれに手を出せないはずだと信じているわけです。
Very simply, your lack of faith in the power that heals all pain arises from your wish to retain some aspects of reality for fantasy.
ごく簡単に言えば、あなたがあらゆる苦痛を癒す力を信頼できずにいるのは、あなたが空想のために現実のいくらかの側面を温存しておきたいという願望を抱いているせいなのです。
If you but realized what this must do to your appreciation of the whole!
あなたがこんな願望を抱くせいで、どんなにあなたが現実をありのまま正確に認識できなくなっているか、あなたがそれに気づいてくれさえすれば、どんなによいことでしょう。
What you reserve for yourself, you take away from him Who would release you.
あなたが何かを自分自身のために取っておこうとするなら、あなたはそれを、自分を解放しようとしてくれている聖霊から奪い取ることになってしまいます。
Unless you give it back, it is inevitable that your perspective on reality be warped and uncorrected.
あなたがそれを聖霊に返さないかぎり、必然的に、現実に対するあなたの見方は歪曲され、修正されないままになります。

4. As long as you would have it so, so long will the illusion of an order of difficulty in miracles remain with you.
あなたがそうあってほしいと思う間は、あなたは奇跡に難しさの序列があるという錯覚を抱いたままでしょう。
For you have established this order in reality by giving some of it to one teacher, and some to another.
というのも、あなたはすでに現実のある部分をある教師に与え、別の部分を別の教師に与えることによって、現実の中にこの序列を確立してしまっているからです。
And so you learn to deal with part of the truth in one way, and in another way the other part.
こうしてあなたは、真理のある部分にはある方法で対処し、真理の別の部分には別の方法で対処することを学んでしまいます。
To fragment truth is to destroy it by rendering it meaningless.
真理をばらばらに断片化することは、真理を無意味なものにすることによって真理を破壊しようとすることです。
Orders of reality is a perspective without understanding; a frame of reference for reality to which it cannot really be compared at all.
現実を序列化することは、実際には比較する余地などまったくありえない現実に対して、一定の評価基準を用いて比較しようという理解しがたいものの見方だといえます。
5. Think you that you can bring truth to fantasy, and learn what truth means from the perspective of illusions?
あなたは、自分には真理を空想の中に持ちこんで、錯覚したものの見方によって真理が意味することを学べるとでも思っているのでしょうか。
Truth has no meaning in illusion.
幻想の中では、真理は何の意味も持ちません。
The frame of reference for its meaning must be itself.
真理の意味を評価する基準は、真理そのものでなければなりません。
When you try to bring truth to illusions, you are trying to make illusions real, and keep them by justifying your belief in them.
あなたが真理を幻想の中に持ちこもうとするとき、あなたは幻想を本物にしようとしているのであって、自分が幻想を信じていることを正当化することによって、幻想を保ち続けようとしているのです。
But to give illusions to truth is to enable truth to teach that the illusions are unreal, and thus enable you to escape from them.
これに対して、幻想を真理に渡すことは、幻想が本物ではないと真理が教えることを可能にするので、あなたは幻想から逃れられるようにしてもらえます。
Reserve not one idea aside from truth, or you establish orders of reality that must imprison you.
ただのひとつとして想念を真理に渡さないまま残してはなりません。さもなければ、あなたは現実に序列を定めることになり、その序列が必ずあなたを幽閉してしまいます。
There is no order in reality, because everything there is true.
現実にはいかなる序列もありません。なぜなら、存在するのは真実だけだからです。

6. Be willing, then, to give all you have held outside the truth to him Who knows the truth, and in Whom all is brought to truth.
それゆえに、あなたが真理の外側に留めていたものすべてを、真理を知る聖霊に喜んで渡しなさい。そうすれば、聖霊の中で、すべてが真理へともたらされます。
Be not concerned with anything except your willingness to have this be accomplished.
このことを達成してもらいたいという自分の意欲を除いては、あなたはほかに何も心配しなくてよいのです。
He will accomplish it; not you.
聖霊がこのことを達成してくれるのであって、あなたが達成するわけではありません。
But forget not this:
しかし、次のことを忘れないでください。
When you become disturbed and lose your peace of mind because another is attempting to solve his problems through fantasy, you are refusing to forgive yourself for just this same attempt.
誰かが自らの問題を空想を抱くことを通じて解決しようとしていることが原因であなたの心がかき乱され、あなたが心の平安を失うなら、あなたは、まったく同じ試みをしている自分自身を赦すのを拒絶しているのです。
And you are holding both of you away from truth and from salvation.
こうして、あなたは真理と救済からあなたたちふたりともを引き離すことになってしまいます。
As you forgive him, you restore to truth what was denied by both of you.
あなたが彼を赦すことで、あなたは自分たちがふたり揃って否認していたものを真理へと戻すことになります。
And you will see forgiveness where you have given it.
そうすれば、あなたは自分が赦しを与えたところに赦しを見出すでしょう。


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