レッスン246「父なる神を愛することは、神の子を愛することだ」

2014年02月25日
レッスン241〜250 0

God is love, and as pure love, He is always inclusive, and I believe that we should be, too.
神は愛です。そして、神は純粋な愛であるので、神はつねにすべてを包み込みます。だから、私は私たちも神と同じようにあるべきだと信じています。

mary vasqes_1129125831

Mary Vasquez, Love Poems from God
メリー・ヴァスケス



I don't like that man.
私はあの男のことが気に入らない。

I must get to know him better.
私は彼のことをもっと知るようにならなければならない。

リンカーン_1128062549

Abraham Lincoln
エイブラハム・リンカーン



俺の敵は、だいたい俺です。



南波六太(「宇宙兄弟」より)



All truly wise thoughts have been thought already thousands of times; but to make them truly ours, we must think them over again honestly, until they take root in our personal experience.
すべての真に賢明な思考はすでに何千回も考えられてきた。しかし、それらの賢明な思考を真にわがものとするには、私たちは、その思考が自らの個人的な経験の中に根を張るまで、その思考を真摯に、はじめからもう一度繰り返さなければならない。



Johann Wolfgang von Goethe
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ




shutterstock_1961013871 (1)_1227061758 (1)

レッスン246です。

「父なる神を愛することは、神の子を愛することだ」が今日のテーマです。



まず、世界とは何かをご覧ください。






頭での理解は誰でもできる

敵を持ちながら、「神」を「愛」することは可能です。

ただし、この場合の「神」は、すべてを包含する愛の神ではなく、限定された偶像としての神だし、この場合の「愛」は、偶像としての神だけに向けられた条件つきの偏愛でしかなく、真実の大いなる愛ではありません。

多くの人は、神を愛しながらも敵を持ち、許せない罪を許さないままでいます。

敬虔に神を信じて博愛を実践しようとしている人でも、間違った謙虚さを抱いて、イエス・キリストを神と一体である神の子として愛することはしても、自分自身や他人は神の子ではなく、神やキリストほど尊ぶべき存在ではないと卑下したり、憎んだり、攻撃したりして、少なくとも、神やキリストを愛するのと同じようには自分や兄弟を愛することはできないというのが実際のところです。

抽象概念を弄んで、自分は神を愛している、キリストを愛している、と思って自己満足することは誰にでもできます。

そして、はたらく細胞的に考えて、敵に見えている他者が実は自分自身だとアナロジーによって理解することも、最初は受け入れがたくても、繰り返して考えてみれば、頭で理解するのは必ずしも困難なわけではありません。


躾のできていない犬に命令が通らないことにヤキモキする飼い主と同じくらい、実践は難しい

けれど、いざ現実に、自分自身や自分の大切にする仲間に対して、口汚い罵りや物理的な暴力で非難・攻撃を投げかけてくる他者に対して、彼らの攻撃は愛を求める哀訴であり、返すべきは反撃ではなく助けだと認識して、愛をもって応じることは容易な道ではありません。

乗っている馬が暴れはじめるのを上手に制御できない騎手のように、エゴや身体が自動反応として他者を敵として非難し攻撃しようとするのをコントロールするのには馬の調教と同じように訓練を要するからです。

この訓練は、世捨て人のような暮らしをして、他者との葛藤や軋轢から免れた環境に身を置いて、俗世の薄汚い情念に汚されないままピュアにスピリチュアルな求道をしても身につくものではありません。

俗世から逃れて自分は悟ったと自己満足するよりも、たとえ思うように行かなくても、人生が求めてくる課題に応えるべく、敵の顔にキリストの顔を見ることを求めて、泥の中を泳ぐような思いをして赦しを実践するほうが、神の恵みによって幸いにも、泥の中に蓮の花が咲くのを見ることができたときの喜びが大きいのではないでしょうか。

レッスン334「今日こそ私は、赦しが与えてくれる贈り物を手に入れる」のエッセイが参考になると思います。


生きるツールとして実践的に活用しない座学の知識として取り入れるにはコースはあまりに危険な思想

コースの教えは、この世界の教えのように、外にある情報を取り込んで身につけてゆくものではなく、逆に、この世界からの間違った教育や自分の誤った学習で心にこびりついた錯覚を落として心をきれいにしてゆく作業です。

本や情報の取り入れ方についてのスタンス次第では、コース自体はもちろん、関連書籍をたくさん読んで衒学的な知識を頭に詰め込んでも、使い物にならないアプリをたくさん端末にダウンロードして端末の内蔵ストレージをいっぱいにして、かえってパソコンやスマホの動きを悪くしてしまうだけに終わるように、心の働きを鈍くするだけになる面があります。

さらには、コースが世界からすれば、きわめてラディカルな異端思想であるがゆえに、消化不良を起こしたコースの断片的な情報は、ともすれば毒となって自己概念や世界認識を歪ませてしまい、コースになど触れずにどっぷり幻想世界に浸かって自分が確固たる実在世界に生きる人間であることを疑うこともなく生きていれば、そこそこ「幸せな人生」を送ることができていたはずの人の人生を破壊してしまう危険すらありえます。

コースの学び方には慎重なうえにも慎重さが必要と言えるでしょう。


準備と実践の段階の区別

さて、この世界の学習でも、コースの学習棄却、アンラーン(unlearning)でも、基礎固めと技術の修練、つまり、準備と実践という二段階を区別することが重要です。

多くの人は、準備さえ整えば、それで解決という考え方に陥りがちです。

道具、手段の役目は目的達成に役立つことです。


「Preoccupations with problems set up to be incapable of solution are favorite ego devices for impeding learning progress.
 解決不能となるように仕組まれた問題に没頭することは、学習の進歩を邪魔するためにエゴが好んで用いる得意技です。

 In all these diversionary tactics, however, the one question that is never asked by those who pursue them is, "What for?"
 しかしながら、このような陽動作戦の中で、作戦を遂行する者たちによって決して問われることのないひとつの質問があります。それは『何のために?』という質問です。

 This is the question that you must learn to ask in connection with everything.
 これこそ、あなたがあらゆる物事に関して問うことを学ばなければならない質問です。

 What is the purpose?
 何が目的なのだろうか?、と。

 Whatever it is, it will direct your efforts automatically.
 その目的が何であっても、その目的があなたの行動を自動的に方向づけてくれるようになるはずです。」(T4-5 悪名高きエゴですが、打ち倒すべき強敵なのでしょうか? 6.)


手段の自己目的化に注意!

すべてのことについて、何が目的なのだろうか?と自問して、手段が自己目的化していないかチェックして、手段を集める道具コレクターになっていないか自戒して、手段を使う実践を続けることです。

一生をかけて奇跡のコースを繰り返し熟読して暗記するまでに至って自分は悟ったと自己満足している人よりも、攻撃は助けを求める哀訴であり、返すべきは攻撃ではなく愛に基づく助けだ、自分を怒らせる他者は自分が振り上げた剣を振り下ろして相手と一緒に自分を破滅させようとするか、剣を背けて一緒に救われるか機会を与えてくれている自分の救い主なのだ、自分の本質は傷つかざる神の子なのだから、攻撃する相手へのスタンスは、自分が傷ついたことを示して罪悪感を抱かせることではなく、少しも傷ついていないことを示して自分が無罪だと相手にわからせることなのだ、という重要な聖霊の3大レッスンのみを実人生の中でも失敗を繰り返してもがき苦しみながらも試して実践し、自分は聖霊の教えをまだまだマスターできなかったと回顧している人のほうがはるかに遠くまで進んでいるはずです。

世を捨てて瞑想に耽って何らかの覚醒体験を味わって自分は悟ったと自己満足に浸るよりも、他者の攻撃を愛を求める哀訴と解釈する聖霊の教えのうちの1レッスンだけでも、それを実践してそれまで敵だと思っていた兄弟と心を通わす体験を一回でも人生で味わうことができたなら、生まれてきた甲斐があったと言ってよいほど幸福な人生だと言えるのではないでしょうか。



kame (1)_1226094537 (1)

Lesson 246

To love my Father is to love His Son.
父なる神を愛することは、神の子を愛することだ。



1. Let me not think that I can find the way to God, if I have hatred in my heart.
 自分の心の中に憎しみを抱いたまま神に至る道を見出せるなどと、私が思いませんように。

 Let me not try to hurt God's Son, and think that I can know his Father or my Self.
 神の子を傷つけようとしておきながら、神の子の大いなる父や私の大いなる自己を知ることが自分にできるなどと、私が思いませんように。

 Let me not fail to recognize myself, and still believe that my awareness can contain my Father, or my mind conceive of all the love my Father has for me, and all the love which I return to Him.
 自分自身を認識し損ねたままでいながらなお、私が自らの父なる神を自覚できると信じたり、神が私のために抱いてくれるすべての愛、そして、私が神に返すすべての愛を私の心が宿すことができるなどと、私が信じないようにさせてください。



2. I will accept the way You choose for me to come to You, my Father.
 わが父よ、私は、あなたの下に赴くために、あなたが私のために選んでくれた道を受け入れるつもりです。

 For in that will I succeed, because it is Your Will.
 というのも、こう意図することでこそ、私は成功するからです。なぜなら、それがあなたの大いなる意志だからです。

 And I would recognize that what You will is what I will as well, and only that.
 だから、私は、あなたの意図することは私の意図でもあり、唯一意図することなのだと認めることにします。

 And so I choose to love Your Son.
 それゆえ、私はあなたの子を愛することを選びます。

 Amen.
 アーメン。


名称未設定



それでは、ブリトニーさんのレッスンです。





次

関連記事
 image (1)  image (3) image (4)

It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

コメント0件

コメントはまだありません
未分類 (10)
奇跡のコース (10)
書籍 (3)
朗読 (0)
映画 (2)
アフォリズム (11)
教材 (2)
ネット (1)
テキスト (262)
┣  テキスト第1章(奇跡の意味) (7)
┣  テキスト第2章(分離と贖罪) (8)
┣  テキスト第3章(潔白な知覚) (7)
┣  テキスト第4章(エゴという幻想) (8)
┣  テキスト第5章(癒しと完全性) (8)
┣  テキスト第6章(愛のレッスン) (8)
┣  テキスト第7章(王国の贈り物) (11)
┣  テキスト第8章(戻りの旅路) (9)
┣  テキスト第9章(贖罪の受容) (8)
┣  テキスト第10章(病の偶像) (6)
┣  テキスト第11章(神かエゴか) (9)
┣  テキスト第12章(聖霊のカリキュラム) (8)
┣  テキスト第13章(罪なき世界) (12)
┣  テキスト第14章(真理のための教え) (11)
┣  テキスト第15章(神聖な瞬間) (11)
┣  テキスト第16章(幻想を赦す) (7)
┣  テキスト第17章(赦しと神聖な関係) (8)
┣  テキスト第18章(夢の消滅) (9)
┣  テキスト第19章(平安の達成) (9)
┣  テキスト第20章(神聖さのヴィジョン) (8)
┣  テキスト第21章(理性と知覚) (9)
┣  テキスト第22章(救いと神聖な関係) (7)
┣  テキスト第23章(自分自身との戦い) (5)
┣  テキスト第24章(特別であるという目標) (8)
┣  テキスト第25章(神の正義) (9)
┣  テキスト第26章(移行) (10)
┣  テキスト第27章(夢を癒す) (8)
┣  テキスト第28章(恐れを取り消す) (7)
┣  テキスト第29章(目覚め) (9)
┣  テキスト第30章(新たなる始まり) (8)
┗  テキスト第31章(最後のヴィジョン) (8)
ワークブック・パート① (237)
┣  レッスン1〜10 (11)
┣  レッスン11〜20 (10)
┣  レッスン21〜30 (10)
┣  レッスン31〜40 (10)
┣  レッスン41〜50 (10)
┣  レッスン51〜60 (11)
┣  レッスン61〜70 (10)
┣  レッスン71〜80 (10)
┣  レッスン81〜90 (11)
┣  レッスン91〜100 (10)
┣  レッスン101〜110 (10)
┣  レッスン111〜120 (11)
┣  レッスン121〜130 (10)
┣  レッスン131〜140 (10)
┣  レッスン141〜150 (11)
┣  レッスン151〜160 (10)
┣  レッスン161〜170 (10)
┣  レッスン171〜180 (11)
┣  レッスン181〜190 (11)
┣  レッスン191〜200 (10)
┣  レッスン201〜210 (11)
┗  レッスン211〜220 (10)
ワークブック・パート② (159)
┣  ワークブック・パート②特別解説 (16)
┣  レッスン221〜230 (10)
┣  レッスン231〜240 (10)
┣  レッスン241〜250 (10)
┣  レッスン251〜260 (10)
┣  レッスン261〜270 (10)
┣  レッスン271〜280 (10)
┣  レッスン281〜290 (10)
┣  レッスン291〜300 (10)
┣  レッスン301〜310 (10)
┣  レッスン311〜320 (10)
┣  レッスン321〜330 (10)
┣  レッスン331〜340 (10)
┣  レッスン341〜350 (10)
┣  レッスン351〜360 (10)
┗  レッスン361〜365 (3)
マニュアル (42)
┣  マニュアル1~3 (4)
┣  マニュアル4 (10)
┣  マニュアル5~10 (6)
┣  マニュアル11~20 (9)
┗  マニュアル21~30 (10)
心理療法 (13)
┣  心理療法 第1章 (2)
┣  心理療法 第2章 (8)
┗  心理療法 第3章 (3)
用語解説 (8)
祈りの歌 (15)
┣  祈りの歌 第1章 (7)
┣  祈りの歌 第2章 (4)
┗  祈りの歌 第3章 (4)