P2 intro 心理療法のプロセス序文


私の人生の中で、私の心を私が望むような形で尊重してくれない人には、あまり心を開くべきではないと感じていた時期がありました。私を傷つけたと私が感じた人に対して怒りを感じていましたが、その怒りの感情と向き合って、神に解放してあげる代わりに、私はその怒りの感情を否定しました。これは奇跡のコースを学ぶ人たちが陥りがちな落とし穴です。怒りを感じていたならば、それを意識の上に持ってこないと、それは行き場がありません。すると、それは自分自身を攻撃するエネルギーになったり、無意識のうちに他の人を攻撃するという結果になります。



Marianne Williamson
マリアン・ウィリアムソン(「愛への帰還」161ページ)

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The true definition of mental illness is when the majority of your time is spent in the past or future, but rarely living in the realism of NOW.
心の病いを真に定義するなら、こうなります。それは、自分の時間のほとんどを過去や未来の空想に費やして、今という現実を生きることがきわめて稀にしかない状態です。



Shannon Alder
シャノン・オルダー






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心理療法から、2「心理療法のプロセス」の序文をご紹介します。


心理療法の役割

心理療法の役割は、小さな自己の自己認識、小さな自己から眺める世界、他者の見え方を変化させることです。

心理療法の役割の究極目的は、真の自己を確立することではありません。

真の自己はすでに神によって創造され確立しているからです。

しかし、私たちが、この世界は本物で、自分が世界の中でばらばらに生きている人間だと信じていることは、真の自己が狂気に侵されて機能不全に陥っていることを示しています。

セラピストも患者も、人間として生きている以上、偽りの自己概念を抱いている(より正確に言えば、彼ら(=私たち)のほうこそ、神の子によって妄想されている偽りの自己概念である)ということになります。

患者は心理療法に「私はこういう人間だ」という自己概念を少しも変えることなしに、アバターとして用いている人間という肉体精神機構の精神的機能不全(うつ状態等)の改善を求めます。

セラピストは、患者の「病んだ」自己概念を、セラピスト自身が自分なりに正しく本物だと信じる自己概念に変えることが患者の治療になると信じて心理療法に取り組みます。





心理療法の場面では自己概念に関与する交流が行われる

とはいえ、通常のセラピストが信じる正しい自己概念がコースで言う「神の子」であるはずもなく、彼もまた偽りの自己概念を抱いており、患者と同じように、エゴが本当の自己だと信じたままでしょう。

セラピストの信じる自己概念は、患者の信じるそれに比べて、生きづらさを感じることなく、より上手に世渡りして、独立して幻想世界の中で社会生活を営むことのできる「健常なエゴ」であるという程度です。

ですが、セラピストは、自己概念を手つかずのままよくなりたいという目的を持つ患者に対して、患者の病んだ自己概念を変えることを目的に心理療法という場面で関与することになるのは確かです。

したがって、心理療法の場面では、患者とセラピストの目的は一致していないし、各自が考える「改善」も相違しています。






心理療法は、患者とセラピスト双方が真の自己を認識する道となりうる

なので、心理療法が持つ課題は、このような両者の希望の相違を調和させることであり、聖霊の導きを受けて心理療法がうまく進むなら、両者は自分たちが心理療法を始める際に抱いていたもともとの目標を放棄することを学ぶことになります。

4.「Hopefully, both will learn to give up their original goals, for it is only in relationships that salvation can be found.
 うまくいけば、セラピストと患者の双方は自分たちの元々の目標を諦めることを学ぶでしょう。というのは、救済を見出すことができるのは、ただ関係性の中においてのみだからです。」

心理療法が首尾よく進むなら、心理療法は、「怒りによって自分の真に望むものを獲得でき、攻撃によって自分を防衛できる」という患者の抱く信念が根本的な誤りであることに気づく機会をセラピストにも患者にも提供する関係性となり、両者が真の自己を認識することを通じて現実に至る道となることができます。



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2. THE PROCESS OF PSYCHOTHERAPY
心理療法のプロセス



Introduction
序文



1. Psychotherapy is a process that changes the view of the self.
 心理療法は、自分についての見方を変えるプロセスです。

 At best this "new" self is a more beneficent self-concept, but psychotherapy can hardly be expected to establish reality.
 うまくすれば、この「新しい」自己は、より役に立つ自己概念となります。しかし、心理療法に真の自己を確立することを期待するのはお門違いです。

 That is not its function.
 現実を確立することは、心理療法の役目ではないからです。

 If it can make way for reality, it has achieved its ultimate success.
 もし心理療法が現実に至る道を開くことができたなら、心理療法は最終的にその目的を達することに成功したといえます。

 Its whole function, in the end, is to help the patient deal with one fundamental error; the belief that anger brings him something he really wants, and that by justifying attack he is protecting himself.
 最終的に、心理療法が果たすべき役目は、患者が唯一の根本的な誤りに取り組む手助けをすることだけです。その根本的な誤りとは、怒りが患者の真に望む物事を彼にもたらし、攻撃を正当化することで患者は自分自身を防衛することになるという信念です。

 To whatever extent he comes to realize that this is an error, to that extent is he truly saved.
 怒りが自分の真に欲するものを与えてくれるとか、攻撃によって自分を守ることができるという信念が根本的な誤りだと気づく程度に応じて、その患者は真に救われることになります。



2. Patients do not enter the therapeutic relationship with this goal in mind.
 患者は、このことに気づくことを目標として心に掲げて、治療のための関係に入るわけではありません。

 On the contrary, such concepts mean little to them, or they would not need help.
 それどころか、患者にとっては、そのような概念はほとんど意味をなしません。それが意味をなしていたなら、そもそもその患者に助けなど必要なかったはずです。

 Their aim is to be able to retain their self-concept exactly as it is, but without the suffering that it entails.
 患者たちが目指しているのは、自分たちの自己概念はきっちりそのまま温存しながらも、その自己概念に当然付随する苦痛だけ味わわずに済むようになることです。

 Their whole equilibrium rests on the insane belief that this is possible.
 彼らは、こんなことが可能だという狂気の信念を、心の安定のための全面的な拠り所にしているのです。

 And because to the sane mind it is so clearly impossible, what they seek is magic.
 そして、正気の心にとっては、自己概念をそのままにしておきながら苦痛から免れることは明らかに不可能なので、患者たちは魔術を求めているというほかありません。

 In illusions the impossible is easily accomplished, but only at the cost of making illusions true.
 幻想の中であれば、不可能なことでも達成するのは容易いことです。ただし、それは幻想を本物に仕立てあげるという代償を払う場合だけです。

 The patient has already paid this price.
 その患者はすでにこの支払いを済ませています。

 Now he wants a "better" illusion.
 いまや、その患者は「よりよい」幻想を欲しているのです。



3. At the beginning, then, the patient's goal and the therapist's are at variance.
 したがって、出だしから、患者の目的とセラピストの目的は一致していないのです。

 The therapist as well as the patient may cherish false self-concepts, but their respective perceptions of "improvement" still must differ.
 患者と同じようにセラピストも、不正確な自己概念を抱いているかもしれません。しかし、彼ら各自の「改善」についての捉え方は依然として違ったものであるはずです。

 The patient hopes to learn how to get the changes he wants without changing his self-concept to any significant extent.
 患者は、少しでも意味を持つ程度に自分の自己概念を変化させることなく、自分の欲する変化を手に入れるにはどうすればよいか学びたいと望んでいます。

 He hopes, in fact, to stabilize it sufficiently to include within it the magical powers he seeks in psychotherapy.
 それどころか、患者は、自分が心理療法の中に求めている魔術的な力を自分の自己概念の中にしっかりと組みこんで小さな自己を安定させたいと望んでいます。

 He wants to make the vulnerable invulnerable and the finite limitless.
 患者は、傷つきうるものを傷つかざるものに、限りあるものを限りないものにしようと望んでいるわけです。

 The self he sees is his god, and he seeks only to serve it better.
 患者の見ている小さな自己が彼の神であり、患者は自分の神によりよく奉仕することだけを求めているのです。



4. Regardless of how sincere the therapist himself may be, he must want to change the patient's self-concept in some way that he believes is real.
 セラピスト本人がいかに誠実であるかにかかわりなく、セラピストは、どうにかして患者の自己概念をセラピストが本物と信じるものに変えようと望むに違いありません。

 The task of therapy is one of reconciling these differences.
 治療の課題は、このようなセラピストと患者の希望の相違を調和させることです。

 Hopefully, both will learn to give up their original goals, for it is only in relationships that salvation can be found.
 うまくいけば、セラピストと患者の双方は自分たちのもともとの目標を諦めることを学ぶでしょう。というのは、救済を見出すことができるのは、ただ関係性の中においてのみだからです。

 At the beginning, it is inevitable that patients and therapists alike accept unrealistic goals not completely free of magical overtones.
 初めの段階では、患者とセラピストがともに、魔術的なニュアンスを完全には払拭しきれていない非現実的な目標を受け入れてしまうのは避けようのないことです。

 They are finally given up in the minds of both.
 それでも、最終的には、非現実的な目標は、双方の心の中において放棄されることになります。







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Kino
2014/03/04 (Tue) 17:42

07

kenさんこんにちは、いつも有難うございます。心理療法としての奇跡のコース、魔術と真理の区別を見誤らないようにしながら、幻惑に囚われず自らに落としこんでいくことが如何に大事かと感じ入る次第です。

さて、この「心理療法」のテキストはコースとはどのような関係に位置づけられているのでしょうか?コースと同じくイェシュアの言による唯一の真実なる療法の定義を説いている部分と捉えれば良いのでしょうか。読み終える前の質問で恐縮ですが、宜しくお願い致します。

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ken
2014/03/04 (Tue) 22:08

Re: 07

Kinoさん、ご質問、ありがとうございます。

テキスト、ワークブック、教師のためのマニュアルが本文として位置づけられているのに対して、
「心理療法」や「用語の定義」は、

Addendums:
I. Clarification of Terms
II. Epilogue
Supplements:
I. Psychotherapy : Purpose, Process & Practice
II. Song of Prayer

といった風に、
(Addendumsもsupplementも補足、補遺、付録といった意味合い)
本文の補足として位置づけられています。

もちろん、奇跡のコースを構成する一部です。

テキストの心理療法に関連する節(<a href="http://gnothiseauton.blog.fc2.com/blog-entry-339.html" target="_blank" title="癒されていない治療者(テキスト第九章5)">癒されていない治療者(テキスト第九章5)</a>)の補足にとどまらない敷衍した内容となっており、テキスト全体の理解にとって有益な示唆がたくさん得られます。

かなり分量があるので読み応えもあります。

おまけとして、先の部分の一部を抜粋しておきますね。

「The process of psychotherapy is the return to sanity.
心理療法のプロセスは、正気へと戻ることです。

Teacher and pupil, therapist and patient, are all insane or they would not be here.
教師と生徒、セラピストと患者は、みな狂気に陥っています。さもなければ、彼らはこの世界にいなかったはずです。」

「One wholly egoless therapist could heal the world without a word, merely by being there.
一人の完全にエゴのないセラピストは、一言も発することなくただそこに在るだけで、世界を癒すことができます。」

「And all who ask for illness have now condemned themselves to seek for remedies that cannot help, because their faith is in the illness and not in salvation.
そして、病気を求めるものはみな、今や、自分たちを、助けとなり得ない治療法を探すように運命付けます。なぜなら、彼らは救済ではなく、病気を信頼しているからです。」


「Who, then, is the therapist, and who is the patient?
それでは、いったい誰がセラピストで、誰が患者なのでしょうか。

In the end, everyone is both.
最終的には、誰もが両方だといえます。

・・・

Each patient who comes to a therapist offers him a chance to heal himself.
セラピストを訪れるそれぞれの患者は、セラピストにセラピスト自身を癒す機会を差し出してくれているのです。

He is therefore his therapist.
したがって、患者はそのセラピストのセラピストなのです。」


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