レッスン255「今日、私は完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ」

2014年03月12日
レッスン251〜260 0

If you are humble nothing will touch you, neither praise nor disgrace, because you know what you are.
もしあなたが謙虚であるなら、称賛であれ罵倒であれ、何事もあなたに影響を及ぼせなくなるでしょう。なぜなら、あなたには本当の自分が何者なのかわかっているからです。



Mother Teresa
マザー・テレサ




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レッスン255です。

「今日、私は完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ」が今日のテーマです。


まず、罪とは何かをご覧ください。





私たちみんなが「私」であることは私たちの本質が神の子である証

1.「Let me this day have faith in Him Who says I am God's Son.
 今日こそ私が、私が神の子だと言う神のことを信頼できますように。

 And let the peace I choose be mine today bear witness to the truth of what He says.
 そして、今日、私が平安を得ると選択することによって、神の言うことが本当だと証明されますように。

 God's Son can have no cares, and must remain forever in the peace of Heaven.
 神の子は、いかなる心配も抱くことはできないので、天国の平安の中に永遠に留まっているに違いありません。」

私たちが本当は神の子であるということをコースは思い出させようとしており、私たちも、テキストやワークブックのレッスンで、何度もこのことを告げられ、情報としては知っています。

しかし、今、この文章を読んでいる自分は幻想世界の中にいるアバターである人間であり、神の子そのものではないとか、アバターに宿る私の本質は神の子だとしても、神の子は自分を無数に分裂させて人類だけでも70億人もいるというのだから、自分は70億分の1に薄められた神の子の残り滓のようなものでしかない、といった具合に、自分を卑下する気持ちが湧いてきて、「私は神の子だ!」と気持ちよく何の憂いもなく叫べる日がやってくることは、きっとこの人生ではないだろうと感じている方も多いのではないでしょうか?

自分以外の人間の数の多さによって自分の価値が希薄化してしまうように感じる錯覚については、選挙での無力感になぞらえて述べたレッスン63M14 世界の終わりのエッセイを読んでいただければと思います。

人間は何十億人もいるというのに、同じ小説を読んだり、映画を観て、主人公である「私」になりきって誰もが同じ体験をできるという現象は何を意味するでしょうか?

それは、すべての人間というアバターに同じ神の子が宿り、ひとつの生命を分かち合っているということです。


私たちの人生も映画や小説の物語のように追体験されるコンテンツ

実は、私たち、この世界に生きているすべての人たちの人生も、小説や映画の物語の主人公と同じように、私たちがYouTubeやその他個人のライブ配信を見るのと同じようにして、現世には人の姿では生まれず、アバターに宿っていないあの世の無数の魂たちによって、そして、究極的に神の子によって追体験されているのかもしれません(S1-4 他者とともに祈る)。

映画「マルコビッチの穴」のように、私たちみんなもあの世の魂たちにとってのこの世界に通じる穴として機能しているのかもしれません。


お天道様とお陰様

「誰も見てなくても、お天道様が見ているよ」ということが言われますが、自分の人生という映画を映し出すために自分がカメラとなっているとしたら、この言葉の通りということになります。

この想像はプライバシーを侵害されるようで薄気味悪いかもしれませんが、自分は決してひとりきりではないこと、究極的には神を含めて見守られた状態で生きているという自覚を得て、エゴの暗躍に歯止めをかける効果もあると思います。

また、自分以外の世界の登場人物は、「お天道様」に照らされてできた影法師であり、鏡となって本当の自分に気づく機会を与えてくれている大切な「お陰様」たちだということになります。


エゴによる間違った謙虚さ

少し脱線しましたが、エゴは、私たちが自分が神の子だという自覚を持つことはエゴの消滅を意味するので、神の子であることを自認するなんて思い上がりも甚だしく、傲慢極まりない神に対する冒涜だと私たちに感じさせて、間違った謙虚さを持つよう強要します。

自分がエゴではないと自覚した私たちにとって、本当の自分が神の子だと認識することは少しも傲慢なことではなく、むしろ、謙虚さを隠れ蓑にして自分の果たすべき役割を放棄することのほうが傲慢であり涜神だというコースの指摘はもっともなものです。

むしろ、「私は神の子だ!」と何の迷いもなく宣言できないとしたら、それは自分がエゴに思考を縛られている証拠だと言ってよいでしょう。

なぜなら、それは70億分の1の希釈された価値しか持たないエゴ・身体こそが本当の自分だと思っていることを示しているからです。

S1-4 他者とともに祈るが参考になると思います。




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Lesson 255

This day I choose to spend in perfect peace.
今日、私は完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ。



1. It does not seem to me that I can choose to have but peace today.
 私には、自分が今日、ただ平安だけを選択できるようには思えない。

 And yet, my God assures me that His Son is like Himself.
 それでも、私の神は、神の子は神自身と同じだと私に確信させてくれる。

 Let me this day have faith in Him Who says I am God's Son.
 今日こそ私が、私が神の子だと言う神のことを信頼できますように。

 And let the peace I choose be mine today bear witness to the truth of what He says.
 そして、今日、私が平安を得ると選択することによって、神の言うことが本当だと証明されますように。

 God's Son can have no cares, and must remain forever in the peace of Heaven.
 神の子は、いかなる心配も抱くことはできないので、天国の平安の中に永遠に留まっているに違いありません。

 In His Name, I give today to finding what my Father wills for me, accepting it as mine, and giving it to all my Father's Sons, along with me.
 神の名において、私は今日という日を、私の父が私のために意図してくれることを見出すことに捧げ、それを自分のものとして受け入れます。そして、それを私と一緒に私の父のすべての子供たちに差し延べます。



2. And so, my Father, would I pass this day with You.
 だから、わが父よ、私はこの一日をあなたと一緒に過ごそうと思います。

 Your Son has not forgotten You.
 あなたの子は、あなたのことを忘れてはいません。

 The peace You gave him still is in his mind, and it is there I choose to spend today.
 あなたが子に授けたその平安は今なお彼の心の中にあり、私はその平安の中で今日一日を過ごすことを選びます。

名称未設定


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

)



次

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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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