P2-I 心理療法に課せられる制限

2014年03月15日
心理療法 第2章 0

The key to enlightenment lies in a secret that very few people have ever known, but which Jesus knew well.
悟りに至る鍵は、これまでごくわずかな人々しか知らなかったけれど、イエスがよくわかっていた秘訣にある。

The way you will experience and feel about yourself is not determined by how other people look at and think about you.
あなたが自分自身についてどのように体験し感じるかは、ほかの人々があなたのことをどのように見たり思うかによって決まることはないということだ。



Gary Renard
ゲイリー・レナード





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「心理療法に課せられる制限」をご紹介します。


患者とセラピストに生じる抵抗

この心理療法が受ける制限とは、患者とセラピストに生じる「抵抗」です。

心理療法で患者とセラピストが期待する「よりよい自己」は幻想です。

エゴ・身体というアバターは、神の子が被る仮面、操縦するロボットであって神の子自身ではないので、より高機能のアバターであれ、より機能低下したアバターであれ、架空の存在で幻想だという点では同じです。




患者もセラピストも人間としての機能修復やスペック・アップという枠組みから抜け出せない

しかし、「自分は実在する人間だ」という自己認識を獲得した時点ですでに世界に身体を持って参入してからエゴに精神を支配された状態にあるため、自分は人間だという固い信念に囚われている患者とセラピストには、「自分」が本当に人間なのかという観点だけは、世界に関わる際に抜け落ちていて、普通に生きているかぎり、(輪廻転生を幾度繰り返そうが)この点に疑問を持つことなどありえません。

したがって患者もセラピストも、心理療法での治療が進めば、病んだ状態を解消して、創造的な真の変化を起こして、理想的な自己概念を患者が得られるようになるはずだという暗黙の共通認識を持っていることになります。

このエゴの観点、世界を眺める観点としての身体の知覚に全面的な信頼を置き、アバターを自己とみなす自己認識、自分であるアバター以外のアバターを含めた外部環境すべてを世界とみなす世界認識に立つかぎり、エゴ・身体の状態をよりよくすることしか進化・成長として考えることはできません。


より優秀なエゴになりたい・させたいという動機は心理療法の効果を阻害する

しかし、機能不全のアバターが修理されてきわめて高性能の機能を発揮するようになったからと言って、それが幻想世界の中のキャラクターであり幻想であることには変わりはなく、影の形や濃さが変わった程度の意義しか持ちようがありません。

こんなものを真の変化であるとか創造と呼ぶことは不可能です。

しかし、このような自己認識に基づく、自己概念の成長、つまり、よりよいエゴになりたい、よりよいエゴにさせたい、という動機が心理療法が効果を上げることへの「抵抗」となります。

つまり、聖霊の導きによって、救済のための関係性として機能するのを妨げるということです。

聖霊は攻撃したり強制したりできないので、心理療法に関わる患者やセラピストが聖霊の目標を分かち合うまでは、聖霊はふたりに呼びかけて待つことしかできません。

しかし、ひとたび、心理療法に関わる者たちの目標が聖霊の目標と結びついたなら、すべての葛藤は消え去り、心理療法は神聖な出会いの連続となります。

T8-3 神聖な出会いが参考になると思います。






I. The Limits on Psychotherapy
心理療法に課せられる制限



1. Yet the ideal outcome is rarely achieved.
 とはいえ、理想的な成果が得られるのは稀なことです。

 Therapy begins with the realization that healing is of the mind, and in psychotherapy those have come together who already believe this.
 治療は、癒しとは個別の心で起こることだと気づくことから始まります。そして、心理療法においては、すでにこのことを信じている者同士が引き合わされます。

 It may be they will not get much further, for no one learns beyond his own readiness.
 誰も自分の準備ができている範囲を超えて学ぶことはできないので、彼らは、それ以上には多くのことを得ることはないかもしれません。

 Yet levels of readiness change, and when therapist or patient has reached the next one, there will be a relationship held out to them that meets the changing need.
 しかし、準備のレベルは変化するものなので、セラピストか患者のどちらかが次のレベルに到達したとき、彼らには、変化した必要性に見合う関係性が提示されるでしょう。

 Perhaps they will come together again and advance in the same relationship, making it holier.
 もしかしたら、彼らは再び一緒になり、その関係をより神聖なものにして、同じ関係性の中で前進するかもしれません。

 Or perhaps each of them will enter into another commitment.
 あるいは、もしかすると、彼らはめいめいに、別の関わりの中へと入ってゆくことになるかもしれません。

 Be assured of this; each will progress.
 次のことだけは確信できます。それは、各自が進歩するということです。

 Retrogression is temporary.
 後退することがあっても、それは一時的なものでしかありません。

 The overall direction is one of progress toward the truth.
 全般的な方向性は、真理に向かって前進するように方向づけられているからです。



2. Psychotherapy itself cannot be creative.
 心理療法それ自体は、創造的なものではありえません。

 This is one of the errors which the ego fosters; that it is capable of true change, and therefore of true creativity.
 心理療法が創造的なものになりうると考えるのは、エゴが抱く誤りのひとつです。すなわち、心理療法には真の変化を起こすことができる、したがって、真の創造性を引き出すことができるとエゴは誤解しているのです。

 When we speak of "the saving illusion" or "the final dream," this is not what we mean, but here is the ego's last defense.
 私たちが「救済の幻想」あるいは「最後の夢」について語るとき、私たちが意味しているのはこのようなことではありません。しかし、ここにエゴの最後の砦があります。

 "Resistance" is its way of looking at things; its interpretation of progress and growth.
 「抵抗」は、エゴが物事を眺める見方であり、進歩し成長することだとエゴが解釈することです。

 These interpretations will be wrong of necessity, because they are delusional.
 このような解釈は、必然的に誤ることになります。なぜなら、そのような解釈は妄想だからです。

 The changes the ego seeks to make are not really changes.
 エゴが引き起こそうと求めている変化は、本当は変化などではありません。

 They are but deeper shadows, or perhaps different cloud patterns.
 それらは、単に、陰影がより濃くなっただけであったり、せいぜい雲の模様が違う形になったものでしかありません。

 Yet what is made of nothingness cannot be called new or different.
 いずれにせよ、無からできているものを、新しいとかこれまでとは違うものと呼ぶことはできません。

 Illusions are illusions; truth is truth.
 幻想は錯覚でしかなく、真理だけが真実だからです。



3. Resistance as defined here can be characteristic of a therapist as well as of a patient.
 ここで用いられているような意味の抵抗は、患者と同じようにセラピストにも特有のものです。

 Either way, it sets a limit on psychotherapy because it restricts its aims.
 患者にであれセラピストにであれ、抵抗が生じると、抵抗は心理療法の目標を制限するので、心理療法に制限が課されることになります。

 Nor can the Holy Spirit fight against the intrusions of the ego on the therapeutic process.
 それに、聖霊には、心理療法のプロセスへのエゴの介入に逆らって戦うことはできません。

 But He will wait, and His patience is infinite.
 戦うのではなく、聖霊は待つことになります。そして、聖霊の忍耐力は無限のものです。

 His goal is wholly undivided always.
 聖霊の目標は、つねに分裂することがまったくありません。

 Whatever resolutions patient and therapist reach in connection with their own divergent goals, they cannot become completely reconciled as one until they join with His.
 患者とセラピストがそれぞれの異なる目標についてどのような解決を図ろうとしても、彼らの目標が聖霊の目標と結びつくまでは、ひとつのものとして完全に一致することはできません。

 Only then is all conflict over, for only then can there be certainty.
 彼らの目標が聖霊の目標と結びついたときにのみ、すべての葛藤が去ります。というのも、そのときにのみ、確信が存在しうるからです。



4. Ideally, psychotherapy is a series of holy encounters in which brothers meet to bless each other and to receive the peace of God.
 理想的な場合、心理療法は聖なる出会いの連続となります。その中で、兄弟たちはお互いを祝福し合って神の平安を受け取るために出会います。

 And this will one day come to pass for every "patient" on the face of this earth, for who except a patient could possibly have come here?
 そして、いつの日か、この聖なる出会いが、この地球上にいるすべての「患者」たちに訪れるでしょう。というのも、この地上に訪れることができるのはただ患者だけだからです。

 The therapist is only a somewhat more specialized teacher of God.
 セラピストは、単にいくぶんかより専門化した神の教師にほかなりません。

 He learns through teaching, and the more advanced he is the more he teaches and the more he learns.
 セラピストは教えることを通して学びます。そして、彼がより進歩すれば、それだけ、彼はよりいっそう多くを教え、より多くを学ぶことになります。

 But whatever stage he is in, there are patients who need him just that way.
 しかし、セラピストがどのような段階にあるにせよ、まさにその段階にいるセラピストを必要とする患者たちがいるのです。

 They cannot take more than he can give for now.
 その患者たちは、そのセラピストが今の段階で与えることができるもの以上には受け取ることはできません。

 Yet both will find sanity at last.
 それでも、両者は最後には正気を見出すことになるのです。


次

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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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