レッスン262「今日こそ、私がいかなる相違も知覚しませんように」
Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.
あなたの時間は限られている。だから、自分の時間を他人の人生を生きることで無駄にするな。

Steve Jobs
スティーブ・ジョブズ

レッスン262です。
「今日こそ、私がいかなる相違も知覚しませんように」が今日のテーマです。
まず、身体とは何かをご覧ください。

「相違」とは? 個性は悪なの?
「今日こそ、私がいかなる相違も知覚しませんように」という今日のテーマのいう「相違」をどのように捉えるかが今日のレッスンではとても重要です。
本質が神の子であることを踏まえて、外見の相違等の個性に惑わされて生じている「知覚」を修正することが必要だと述べているようにも思えます。
これは、この世界にある多様性を全否定して、各自の個性や役割も否定して相違を知覚しないようにせよという意味でしょうか。
ひとつ前のレッスン261では、この世界にいる私たちアバターと神の子の関係性とパラレルに対比する例として、私たちと私たちの身体内世界の細胞や器官の関係性について考えました。
がん細胞やイスカールナリの狂気
最後のがん細胞の例からわかるように、がん細胞は、自分以外の存在も自分と同じように本来のその細胞が持っていた特性を手放して無個性で同質な利己的存在に変えて自己増殖を図ろうとしますが、癌細胞の理念は自分と相違するものの存在を許さず、周囲のものすべてを自分自身と同じ平等なものに変えることを実現することです。
そして、この癌細胞の理念が実現してしまうと、人体内のさまざまな役割を担う組織、器官、細胞がそれぞれ独自に担う機能を果たせなくなって、最終的にその人体の死亡に至ることになります。
レッスン106「私が心静かに、真理に耳を澄ませられますように」のエッセイで、はてしない物語に登場する「いっしょ人」イスカールナリについて触れています。
イスカールナリたちは、温和で親切で争うことがなく、個々人の差異もほとんどありません。
しかし、個々人の差異がないだけに全体は大切であっても個は重要ではありません。
それゆえ、仲間が外敵に襲われて死ぬのを目撃したとしても、その直後ですら、何も悲しむことなく平気で楽しそうに過ごすことができます。
このように、無個性で平等な和合には、仲間を失っても痛みも感じずに平穏でいられる狂気と冷酷さがあり、そこに愛はありません。
そして、自分の本質が愛であることを思い出すことを教えるコースが、愛のない狂気の和合を学ばせようとするはずがありません。
自分の個性を大切にして開花させる
したがって、「今日こそ、私がいかなる相違も知覚しませんように」という今日のテーマは、みんなの違いをなくしてのっぺらぼうのどこを切り取っても同じな状態になるべきということであるはずがありません。
そうではなく、特定の観点から見た一局面だけを切り取って見ると、一見、相違があるようにみえても、そのような見せかけの相違の知覚によって自他分離の錯覚に陥ることなく、見た目も機能も異なる多様な局面を持つ全体が一なる神の子であり、多様な局面すべては等しく神の子の一部だという点で相違がなく平等であるという真理を忘れないようにとの趣旨だということになります。

Lesson 262
Let me perceive no differences today.
今日こそ、私がいかなる相違も知覚しませんように。
1. Father, You have one Son.
父よ、あなたにはひとりの子があります。
And it is he that I would look upon today.
そして、私が今日見たいのは、そのひとり子です。
He is Your one creation.
彼は、あなたの唯一の創造物です。
Why should I perceive a thousand forms in what remains as one?
どうして私が、ひとつであり続けるものを無数の形で知覚しなければならないというのでしょう。
Why should I give this one a thousand names, when only one suffices?
どうして私が、たったひとつの名前で十分であるのに、この一なるものに無数の名前を与えなければならないというのでしょう。
For Your Son must bear Your Name, for You created him.
というのも、あなたが子を創造したがゆえに、あなたの子はあなたの名を持っているに違いないからです。
Let me not see him as a stranger to his Father, nor as stranger to myself.
私が神の子のことを彼の父にとって見知らぬものとして見たり、私自身と相容れないものとして見たりしないようにさせてください。
For he is part of me and I of him, and we are part of You Who are our Source, eternally united in Your Love; eternally the holy Son of God.
というのも、彼は私の一部であり、私は彼の一部であり、そして、私たちは、自分たちの大いなる源であるあなたの一部であり、あなたの大いなる愛の中で永遠にひとつに結ばれている永遠に神聖な神の子だからです。
2. We who are one would recognize this day the truth about ourselves.
ひとつである私たちは、今日という日に、自分たち自身についての真理を認識しようと思います。
We would come home, and rest in unity.
私たちは、帰郷し、ひとつに結ばれて安息したいと思います。
For there is peace, and nowhere else can peace be sought and found.
というのも、そこには平安があり、そして、そこ以外のどこを探そうとも、平安を見出すことはできないからです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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