M18 修正はどのようになされるか


Do what you feel in your heart to be right – for you’ll be criticized anyway.
あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから。



Eleanor Roosevelt
エレノア・ルーズベルト



A man must be big enough to admit his mistakes, smart enough to profit from them, and strong enough to correct them.
人は、自分が間違うことを容認できるくらいの器量を持ち、間違いから利益を引き出せるくらい抜け目なく、そして、間違いを修正できるくらい強くならねばならない。

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John C. Maxwell
ジョン・カルヴァン・マクスウェル




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今回は、マニュアルの第18節のご紹介です。

「どのように修正はなされるか」というテーマです。


誤りの修正

罪には処罰、誤りには修正が対応します。


奇跡のコースは、罪があることを認めないので、罪とワンセットである処罰も否認します。


もっとも、この幻想世界において誤りが生じることは否認しないので、誤りに対しては、誤りを正す修正を認めます。

私たちは眠りこけて自分がキリストのヴィジョンを持っていることを忘れてしまい、肉眼でしか知覚できなくなっていて、愛をもって見るということができなくなっています。

愛はさまざまな顔を持つ実在の本質であり、実在には光という側面もあり、愛をこめずに見るということは、光なしに見ることであり、それは何も見ないことであり、妄想することでもあります。

こうして、私たちは、事実をありのままに見ることができず、物事に序列や程度があると知覚し、解釈をしては誤るということになってしまいます。

聖霊は、私たちをこんな眠りから目覚めさせ、キリストのヴィジョンによる正しい知覚を回復させようとします。

キリストのヴィジョンは、分離を否認して一なるものとして知覚することで、幻想の向こうに真の世界を垣間見る作用で、知識を回復することにつながるものですが、知識を「知る」作用ではなく、あくまでもこの幻想世界における知覚作用のひとつです。肉眼での視覚に対比するなら、心眼、第三の目によるヴィジョンといったイメージでしょうか。

レッスン271「今日私が使うのはキリストのヴィジョンだ」が参考になると思います。




実在は解釈によって左右されないと気づくこと

今日の一節の中核部分を抜粋します。

3.「You but mistake interpretation for the truth.
あなたは単に解釈したことを真理だと誤解しているだけです。

And you are wrong.
だから、あなたは間違っているのです。

But a mistake is not a sin, nor has reality been taken from its throne by your mistakes.
しかし、間違いは罪ではなく、あなたが誤解することによって、現実はその座を奪われたわけではありません。

God reigns forever, and His laws alone prevail upon you and upon the world.
神は永遠に支配するので、あなたと世界を統べるのは神の法だけなのです。

His Love remains the only thing there is.
神の大いなる愛だけが、存在する唯一のものであり続けます。

Fear is illusion, for you are like Him.
恐れは錯覚です。というのは、あなたは神と同じものだからです。」


事実を解釈と混同し、真理を幻想と混同して誤解することで間違ってしまっただけだから、自分勝手に解釈していることが真理なのではない、そして、真理は、自分がどのように解釈していたかということに関わりなく、真理であり続けると気づくことが修正となります。


完全な平安にないなら、それは真実とは違う解釈をした印

4.「If he senses even the faintest hint of irritation in himself as he responds to anyone, let him instantly realize that he has made an interpretation that is not true.
 もし神の教師が誰かに反応する際に、ほんのかすかな苛立ちの印を感じるなら、彼はすぐさま、自分が真実とは違う解釈をしてしまったのだと気づかなければなりません。

 Then let him turn within to his eternal Guide, and let Him judge what the response should be.
 それから、彼は自らの内なる永遠のガイドのほうに向き直って、自分のガイドである聖霊にどのような反応をなすべきか判断してもらうようにすべきです。」


もし誰かに反応する際に、ほんのかすかな苛立ちを感じるときには、自分が誤った解釈をしてしまったことに気づくことが大事です。

分離が幻想なら、自分とは分離した誰かが存在することも、潔白な神の子が許されざる罪を犯しうるということも錯覚ということになります。

そして、実在するのが神の平安のみだとすれば、怒りはもちろん、ほんのかすかな苛立ちですら、ありもしない幻想を現実だと錯覚したのでなければ生じるはずがないことになるので、どんなに自分の怒りがもっともな正当な義憤であると思える場合であろうと、すべて自分が間違った解釈をしているというのが本当のところだということが言えます(レッスン5「私は、決して自分が思っているような理由で心をかき乱されているのではない」)。

そんなときには、自分の中にいるガイドである聖霊にどのような反応すべきか判断してもらうとよいということです。


修正は兄弟と一緒でなければできない

そして、テキストでは、私たちは、兄弟と一緒でなければ、修正を受け入れることも拒否することもできないといいます。


「4. Correction is for all who cannot see.
 修正は見ることのできない者みんなのためにあります。

 To open the eyes of the blind is the Holy Spirit's mission, for He knows that they have not lost their vision, but merely sleep.
 見えない人の目を開くことが聖霊の使命です。というのも、聖霊は彼らがヴィジョンを失ってしまったわけではなく、単に眠っているだけだと知っているからです。

 He would awaken them from the sleep of forgetting to the remembering of God.
 聖霊は、忘却の眠りの淵から彼らを目覚めさせ、神のことを思い出させてくれます。

 Christ's eyes are open, and He will look upon whatever you see with love if you accept His vision as yours.
 キリストの目は開いています。だから、もしあなたがキリストのヴィジョンを自分のものとして受け入れるなら、キリストは、あなたが愛をもって見るものであれば何であれ、そのすべてに目を向けることでしょう。

 The Holy Spirit keeps the vision of Christ for every Son of God who sleeps.
 聖霊は、キリストのヴィジョンを、眠っている神の子一人ひとりのために保ってくれています。

 In His sight the Son of God is perfect, and He longs to share His vision with you.
 キリストのヴィジョンに映る神の子は完璧なものです。だから、キリストは自らのヴィジョンをあなたと分かち合いたいと切望しています。

 He will show you the real world because God gave you Heaven.
 キリストは、真の世界を見せてくれるでしょう。なぜなら、神はあなたに天国を与えてくれているからです。

 Through Him your Father calls His Son to remember.
 聖霊を通じて、父は子に思い出すようにと呼びかけています。

 The awakening of His Son begins with his investment in the real world, and by this he will learn to re-invest in himself.
 神の子の目覚めは、真の世界に全身全霊を投ずることから始まり、そうすることによって、彼は自分自身に投資し直すことを学びます。


 For reality is one with the Father and the Son, and the Holy Spirit blesses the real world in Their Name.
 それというのも、現実というのは、父と子がひとつになった状態であり、聖霊は、父と子の名において真の世界を祝福するからです。」(テキスト 第十二章 VI. The Vision of Christ 六 キリストのヴィジョン

シシ神


救いの公式

「1. Reason cannot see sin but can see errors, and leads to their correction.
 理性は罪を見ることはできません。しかし、誤りを見ることができるし、その誤りを修正するように導くことができます。

 It does not value them, but their correction.
 理性は間違っていることを重要視することはありません。そうではなく、誤りを修正することを重視します。

 Reason will also tell you that when you think you sin, you call for help.
 理性はまた、あなたが罪を犯したと思うときには、助けを求めればよいのだと教えてくれます。

 Yet if you will not accept the help you call for, you will not believe that it is yours to give.
 ところが、あなたが、もし自分の呼んだ助けを受け入れようとしないなら、その助けを自分が与えられるとは信じないでしょう。

 And so you will not give it, thus maintaining the belief.
 だから、あなたは助けを与えようともしないし、そうして、自分は救われることはないという信念を持ち続けることになります。

 For uncorrected error of any kind deceives you about the power that is in you to make correction.
 というのは、どのような誤りであれ、それが修正されないかぎり、あなたが修正する力を持っていることについて、あなたを欺こうとするからです。

 If it can correct, and you allow it not to do so, you deny it to yourself and to your brother.
 もしあなたの力が修正できるとしても、あなたがその力を発動することを許さないかぎり、あなたは修正する力を自分自身にも兄弟にも否定することになってしまいます。

 And if he shares this same belief you both will think that you are damned.
 そして、もし兄弟もあなたと同じ信念を分かち合うようになったら、あなたたちはふたり揃って永久に地獄に落とされたものと思いこんでしまうでしょう。

 This you could spare him and yourself.
 あなたは、自分たちがそんな目に遭わなくて済むようにすることができます。

 For reason would not make way for correction in you alone.
 というのは、理性は、あなただけに修正の道を開くわけではないからです。


2. Correction cannot be accepted or refused by you without your brother.
 あなたは、兄弟と一緒でなければ、修正を受け入れることも拒否することもできません。

 Sin would maintain it can.
 罪はそれができると主張するでしょう。

 Yet reason tells you that you cannot see your brother or yourself as sinful and still perceive the other innocent.
 しかし、理性は、兄弟かあなた自身のどちらかが有罪だと見ておきながら、一方だけは潔白だと知覚しようとしても、そんなことはできないと教えてくれます。

 Who looks upon himself as guilty and sees a sinless world?
 いったい誰が、自分自身を有罪だと見なしていながら、罪なき世界を見ることなどできるでしょうか。

 And who can see a sinful world and look upon himself apart from it?
 それに誰が、罪深い世界を目にしながら、自分だけはそんな世界から隔絶されたものだと見ることができるというのでしょうか。

 Sin would maintain you and your brother must be separate.
 罪は、あなたと兄弟とは切り離された別々の存在に違いないと言い張ることでしょう。

 But reason tells you that this must be wrong.
 しかし、理性がそんなことは間違っているはずだと教えてくれます。

 If you and your brother are joined, how could it be that you have private thoughts?
 もしあなたと兄弟がひとつに結ばれているならば、どうしてあなたが自分だけの思いを持つことなどできるでしょうか。

 And how could thoughts that enter into what but seems like yours alone have no effect at all on what is yours?
 そして、あなただけのもののように思えるものの中にでも入りこめる思いが、あなたのものであるものに、まったく何の影響も及ぼさずにいるということがどうしてありうるでしょうか。

 If minds are joined, this is impossible.
 もし心と心が結ばれているとすれば、そんなことは不可能です。」(テキスト 第二十一章 VI. Reason versus Madness 六 理性対狂気






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Section 18
第18節

How Is Correction Made?
どのようにして修正はなされるのか



1. Correction of a lasting nature,--and only this is true correction,--cannot be made until the teacher of God has ceased to confuse interpretation with fact, or illusion with truth.
 神の教師が解釈を事実と混同したり、幻想を真理と混同したりしなくなるまでは、永続的な性質を持つ修正(そして、ただこれだけが真の修正です)がなされることはありえません。

 If he argues with his pupil about a magic thought, attacks it, tries to establish its error or demonstrate its falsity, he is but witnessing to its reality.
 もし神の教師がある魔術的な思考について自分の生徒と議論したり、それを攻撃したり、それが誤りであると立証して、それが偽りであることを実証しようとするなら、彼はただ魔術的な思いが本物であることを証明することにしかなりません。

 Depression is then inevitable, for he has "proved," both to his pupil and himself, that it is their task to escape from what is real.
 そのようなことをすれば、必ず絶望することになります。なぜなら、その神の教師は、彼の生徒と彼自身の両方に対して、現実であるものから逃避することが自分たちの課題であると「証明」してしまったからです。

 And this can only be impossible.
 しかし、こんなことは不可能なことでしかありえません。

 Reality is changeless.
 現実とは不変のものだからです。

 Magic thoughts are but illusions.
 魔術的な思いは、幻想にすぎません。

 Otherwise salvation would be only the same age-old impossible dream in but another form.
 そうでなければ、救済は、単に同一の太古からずっと見続けているありえない夢がただ別の形をとって現れたものでしかないことになります。

 Yet the dream of salvation has new content.
 しかし、救済の夢は、新しい中身を持っています。

 It is not the form alone in which the difference lies.
 形だけ違っているわけではないのです。



2. God's teachers' major lesson is to learn how to react to magic thoughts wholly without anger.
 神の教師が学ぶべき重要な課題は、魔術的な思考に対して、まったく怒りを伴うことなく反応する方法を学ぶことです。

 Only in this way can they proclaim the truth about themselves.
 このように怒りを抱かずに反応する方法によってのみ、彼らは本当の自分たちが何者か明らかにすることができます。

 Through them, the Holy Spirit can now speak of the reality of the Son of God.
 いまや彼らを通して、聖霊は神の子の本当の姿について語れるようになります。

 Now He can remind the world of sinlessness, the one unchanged, unchangeable condition of all that God created.
 今こそ聖霊は、罪が無いことこそが、神の創造した万物が持つ唯一の変わることも変えることもありえない状態であることを、この世界に思い出させることができます。

 Now He can speak the Word of God to listening ears, and bring Christ's vision to eyes that see.
 今こそ聖霊は、聴こうとする耳に神の大いなる言葉を語ることができます。そして、見ようとする目にキリストのヴィジョンを見せることができます。

 Now is He free to teach all minds the truth of what they are, so they will gladly be returned to Him.
 今こそ聖霊は、すべての心たちに、彼らが誰なのかという真理を心置きなく伝えることができます。だから、すべての心たちは喜んで神の下へと戻ってくることでしょう。

 And now is guilt forgiven, overlooked completely in His sight and in God's Word.
 そして、神の大いなる言葉に相手にされず、まったく聖霊の眼中にも入らず、黙殺されることで、今こそ罪は赦されます。



3. Anger but screeches, "Guilt is real!"
 怒りはただ「罪は本物だ!」と言って金切り声をあげるだけです。

 Reality is blotted out as this insane belief is taken as replacement for God's Word.
 この狂気の信念が神の大いなる言葉に置き換わるものとして心に取りこまれると、現実は見えなくなってしまいます。

 The body's eyes now "see"; its ears alone can "hear."
 こうなるともう、身体の目で「見」て、身体の耳で「聞く」ことしかできなくなります。

 Its little space and tiny breath become the measure of reality.
 肉眼で見えるわずかな空間と耳で聞こえる小さな音吐だけが現実味を図る尺度となってしまいます。

 And truth becomes diminutive and meaningless.
 そして、真理は、矮小で無意味なものになってしまいます。

 Correction has one answer to all this, and to the world that rests on this:
 修正は、このようなことのすべて、そして、それに基盤を置くこの世界に対し、次のようなひとつの答えを持っています。


You but mistake interpretation for the truth.
あなたは単に解釈したことを真理だと誤解しているだけです。

And you are wrong.
だから、あなたは間違っているのです。

But a mistake is not a sin, nor has reality been taken from its throne by your mistakes.
しかし、間違いは罪ではなく、あなたが誤解することによって、現実はその座を奪われたわけではありません。

God reigns forever, and His laws alone prevail upon you and upon the world.
神は永遠に支配するので、あなたと世界を統べるのは神の法だけなのです。

His Love remains the only thing there is.
神の大いなる愛だけが、存在する唯一のものであり続けます。

Fear is illusion, for you are like Him.
恐れは錯覚です。というのは、あなたは神と同じものだからです。



4. In order to heal, it thus becomes essential for the teacher of God to let all his own mistakes be corrected.
 かくして、癒しを行うためには、神の教師が自分自身のすべての間違いを修正してもらうことが絶対に必要になります。

 If he senses even the faintest hint of irritation in himself as he responds to anyone, let him instantly realize that he has made an interpretation that is not true.
 もし神の教師が誰かに反応する際に、ほんのかすかな苛立ちの印を感じるなら、彼はすぐさま、自分が真実とは違う解釈をしてしまったのだと気づかなければなりません。

 Then let him turn within to his eternal Guide, and let Him judge what the response should be.
 それから、彼は自らの内なる永遠のガイドのほうに向き直って、自分のガイドである聖霊にどのような反応をなすべきか判断してもらうようにすべきです。

 So is he healed, and in his healing is his pupil healed with him.
 そうすれば、その神の教師は癒され、彼が癒されることによって、彼の生徒も彼と一緒に癒されます。

 The sole responsibility of God's teacher is to accept the Atonement for himself.
 神の教師の果たすべき唯一の責任は、自分自身のための贖罪を受け入れることだけです。

 Atonement means correction, or the undoing of errors.
 贖罪とは修正すること、すなわち、誤りを取り消すことを意味するからです。

 When this has been accomplished, the teacher of God becomes a miracle worker by definition.
 彼が自らの贖罪を成就したなら、そのとき、神の教師は文字通り、奇跡を起こす者となります。

 His sins have been forgiven him, and he no longer condemns himself.
 彼はすでに自らの罪を免れているので、もはや彼は自分自身を咎めません。

 How can he then condemn anyone?
 だとすれば、どうしてその彼がほかの誰かを非難できるでしょうか。

 And who is there whom his forgiveness can fail to heal?
 そして、彼の赦しに癒せないような者がいるでしょうか。






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