レッスン264「私は、神の大いなる愛に包まれている」
兄弟よ、あなたに言います。「数え上げるのをやめよ。言い訳するのをやめよ。扉が閉ざされているふりをするのをやめよ。私は戸口のところに立っている。手を伸ばして私の手を取りなさい。そうすれば、私とあなたとで扉を開けて共に通り抜けることができるだろう。」
私は無条件の愛への扉です。あなたがそこを通り抜ければ、あなたもまた扉になるのです。

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)

レッスン264です。
「私は、神の大いなる愛に包まれている」が今日のテーマです。
まず、身体とは何かをご覧ください。

「私」は身体ではなく愛なのだ
身体という囲いが自分を守ることになり、身体こそ自分だと思うことは夢であり、本当の自分は身体ではなく、神の大いなる愛に包まれた神の子であるというのが真理です。
カプセル内視鏡の喩え(レッスン68「愛は一切の不平不満を抱かない」、レッスン261「神は、私を無事に保護して私の安全を保障してくれる」)で考えると、身体と自己同一化する感覚が錯覚かもしれないということが少しは理解しやすくなると思います。
身体の位置づけは、分離のための攻撃の道具から愛を運び届ける乗り物に変わる
自分は身体ではなく愛であるという理解に基づくなら、
「身体とは何か」で語られるように、
「4. The body is the means by which God's Son returns to sanity.
身体は、神の子が正気を取り戻すための手段となります。」
身体を自分だと思い込んでいるときには、エゴの思考によって癌細胞のように分離という思考を自己増殖させるための拠点であり道具であった身体は、愛が自分だと気づいたなら、その身体に備わった特別な役割と個性を発揮して、他の身体たちに宿る兄弟である魂たちに、愛と助けを届けて、各自の中に同じひとつの聖霊がいることに気づいて自他が分離しておらずひとつであることを相互に認識し、自分たちが神の子として一なる霊であるという正気を取り戻すための愛を運ぶ乗り物と位置づけられるようになります。

Lesson 264
I am surrounded by the Love of God.
私は、神の大いなる愛に包まれている。
1. Father, You stand before me and behind, beside me, in the place I see myself, and everywhere I go.
父よ、あなたは、私が自分がいると思う場所であれば、私がどこに行こうとも、私の前にも後ろにも、私の傍らにもいてくれます。
You are in all the things I look upon, the sounds I hear, and every hand that reaches for my own.
私の見るすべての物事の中に、私が耳にするすべての音の中に、そして、私の手に差し出されるすべての手の中に、あなたはいます。
In You time disappears, and place becomes a meaningless belief.
あなたの中で時間は消え去り、そして、空間は無意味な信念となります。
For what surrounds Your Son and keeps him safe is Love Itself.
というのも、あなたの子を包みこんで彼を安全に保っているのは、大いなる愛そのものだからです。
There is no Source but this, and nothing is that does not share Its Holiness; that stands beyond Your one creation, or without the Love which holds all things within Itself.
この大いなる愛以外にいかなる源もありません。そして、大いなる愛の神聖さを分かち合うことのないものも、あなたの一なる創造を凌駕するものも、万物をそれ自体の内に抱擁する愛を伴わないものも、何ひとつありません。
Father, Your Son is like Yourself.
父よ、あなたの子は、あなた自身と同じものです。
We come to You in Your Own Name today, to be at peace within Your everlasting Love.
今日、私たちは、あなたの永続する不滅の大いなる愛の中で安らぐことができるように、あなた自身の名において、あなたの下へと赴きます。
2. My brothers, join with me in this today.
私の兄弟たちよ、今日こそ、神の大いなる愛の中で私とひとつに結ばれなさい。
This is salvation's prayer.
これこそ、救済のための祈りです。
Must we not join in what will save the world, along with us?
というのも、私たちが自分と一緒に世界を救うものとひとつに結ばれるべきなのは当然だからです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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