レッスン266「神の子よ、私の神聖な大いなる自己は、あなたの中にそのまま残っています」


この世には、失敗もなければ偶然もありません。すべての出来事は、私たちに与えられた恵みであり、何かを学ぶ機会なのです。



Elisabeth Kübler-Ross
エリザベス・キューブラー・ロス







レッスン266です。

「神の子よ、私の神聖な大いなる自己は、あなたの中にそのまま残っています」が今日のテーマです。

まず、身体とは何かをご覧ください。





私たちは救い主に囲まれて生きている

2.「How many saviors God has given us!
 神は、なんと数多くの救い主たちを私たちに授けてくれていることでしょうか。

 How can we lose the way to Him, when He has filled the world with those who point to Him, and given us the sight to look on them?
 神が、神を指し示す者たちで世界を満たしたうえで、私たちに視覚を与えて彼らを見えるようにしてくれているというのに、どうして私たちに神へと至る道を見失うことができるでしょうか。」


聖霊の3大レッスン

この世界が自分の敵だらけに思えているとしても、他者に対応するに際して聖霊が教える態度、つまり、愛には愛で応え、攻撃には、自分が傷ついたことを示して相手に罪悪感を抱かせようとするのではなく、少しも自分は傷ついていないことを示して、無罪だと自覚させる。そして、攻撃の裏に潜むのは私たちに助けを求める哀訴があるがゆえに、見かけに惑わされずに愛をもって応え、また、私たちを怒らせる兄弟を、自他を一緒に非難と攻撃のループから解放する機会を与えてくれる自分の救い主と見て、報いとして苦痛ではなく感謝を返すというスタンスで臨むなら、味方に見える者はもちろん、敵のように思える兄弟たちもみな、私たちが恐れ、非難し、攻撃すべき対象ではなく、愛と感謝を捧げるべき自分自身とひとつである存在だということになります。


カプセル内視鏡で体内世界を旅するなら

カプセル内視鏡を飲み込んで自分の体内世界を探検する者にとって、そこで出会うすべての細胞・器官たちは愛すべき自分自身です。

内視鏡はカメラで体内世界を覗くための覗き窓でしかないので、内視鏡を通しての眺めを体験するうちに自分の操縦している内視鏡に愛着が湧きはするでしょうが、本当の自分が誰かを忘れないかぎり、内視鏡で体内の細胞を小突いたときのリアクションが面白いからといって、細胞いじめを楽しんだり、未知の体験の感覚を味わおうと細胞を陵辱したり虐殺したりするような真似ができるはずがありません。

正義感の強い白血球細胞が内視鏡を敵と勘違いて自分を攻撃してきたとしても、反撃しようなどとはしないはずです。

「左の頬も差し出せ」の聖句(マタイによる福音書第5章第39節)が、自分がされて嫌なことを仕返して相手と同じ罪を犯すくらいなら好きにさせておけというような綺麗事の偽善を語っているのではなく、自分の狭い了見では敵にしか見えないからといって自分を傷つけるような馬鹿な真似をしてはいけないという、当たり前の真理を語るものだということがよくわかります。

しかし、内視鏡の体内旅行からスライドさせて考えると、この世界で私たちがしているのは、本当は自分ではないカプセル内視鏡に自己同一化して、しかも、白血球の攻撃によっては内視鏡から覗いている本当の自分はびくともしないのに、怒りに任せて自分の一部である白血球を攻撃するような狂気の行為だということが明らかになります。


イェシュアが偽善を教えることはない

聖書やコースを学ぶ際には、偽善を最も嫌っていたイェシュアが偽善を教えることはありえないという意識を忘れないことです。

コースの教えが単なるきれいごとに思えたり、欺瞞のように感じたりするときは、立ち止まって考えてみるようにしましょう。

そして、多くの場合、はたらく細胞の世界観を使って、私たちを細胞に置き換えて考えてみれば、イェシュアの真の意図に気づくことができるはずです。

気持ちがついていかないのに頭だけで納得しようとすることは、自己欺瞞に陥って偽善者になる近道です。

腹落ちしない感覚がある場合は、いったん疑問ノートなどの保管場所に預けて保留しておくほうが健全です。

そのうち疑問ノートのメモには一貫したテーマが横たわっていることに気づき、一挙に疑問解消する日が来るでしょう。





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Lesson266

My holy Self abides in you, God's Son.
神の子よ、私の神聖な大いなる自己は、あなたの中にそのまま残っています。



1. Father, You gave me all Your Sons, to be my saviors and my counselors in sight; the bearers of Your holy Voice to me.
 父よ、あなたは私に、あなたのすべての子供たちを与えてくれました。それは、彼らが、目に見える形で私の救い主となり私の助言者となり、あなたの聖なる声を私に届けてくれるようにするためです。

 In them are You reflected, and in them does Christ look back upon me from my Self.
 あなたのすべての子供たちの中にあなたは反映されており、そして、彼らの中で私の大いなる自己からキリストが私を見つめ返しています。

 Let not Your Son forget Your holy Name.
 あなたの子が、あなたの聖なる名を忘れませんように。

 Let not Your Son forget his holy Source.
 あなたの子が自らの神聖な大いなる源を忘れませんように。

 Let not Your Son forget his Name is Yours.
 あなたの子が、自分の名前があなたの名前であることを忘れませんように。



2. This day we enter into Paradise, calling upon God's Name and on our own, acknowledging our Self in each of us; united in the holy Love of God.
 今日、私たちは、神と私たち自身の名を呼びながら、楽園の中へと入ってゆきます。そのとき、私たちは、各自のうちに私たちの真の自己を認めることによって、神の聖なる愛の中でひとつに結ばれます。

 How many saviors God has given us!
 神は、なんと数多くの救い主たちを私たちに授けてくれていることでしょうか。

 How can we lose the way to Him, when He has filled the world with those who point to Him, and given us the sight to look on them?
 神が、神を指し示す者たちで世界を満たしたうえで、彼らを見ることができる視覚を私たちに与えてくれているというのに、どうして私たちに神へと至る道を見失うことができるでしょうか。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。








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