レッスン268「すべての物事が本当にあるがままになりますように」
We are trying not so much to make God listen to us as to make ourselves listen to him; we are trying not to persuade God to do what we want, but to find out what he wants us to do.
私たちは自分が神に耳を傾けるよりも、神が私たちに耳を貸すようにさせようと努めます。つまり、私たちは、神を説得して自分の望むことをさせようとするばかりで、神が私たちに何をさせようとするのか見出そうともしないのです。
It so often happens that in prayer we are really saying, 'Thy will be changed,' when we ought to be saying, 'Thy will be done.'
実によく起こるのは、祈るに際して、私たちは「御心がなされますように」と言うべきところを、実際には「御心が変わりますように」と言っているということです。
The first object of prayer is not so much to speak to God as to listen to him.
祈りを妨げる第一の障害は、神に耳を澄ますよりも、神にあまりに多く語りかけすぎている点なのです。

William Barclay
ウィリアム・バークレイ
あなたは、神があなたにして欲しいことをしたいと思っています。
そしてあなたの問題は、神の意志を知ることができないということです。
でもジョークといえば、
あなたは、源泉、つまり神が望まないことは何ひとつできないということです。
「御心がなされますように」

ラメッシ・S・バルセカール
私が語りたいと思うのは、ものごとはどうあるべきかということではない。
あるがままを私たちはなぜ無視するのか、また、どのように無視するのか、ということである。
たとえ矯正されたかのようにふるまう「猿まね」をエゴが知っていたとしても、エゴというものに、自己中心的にだけはなるなと教えることはできない。
したがって基本的なことは、自分を孤立したエゴとして見る幻想を、実験や経験によって一掃することである。
その結果は、必ずしも「月並みな」道徳にかなった態度とはならないかもしれない。頭の堅い人がイエスのことを「見よ!あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ!」(マタイによる福音書第11章9節)と言ったのも、理由がないわけではない。
さらに、自分が「エゴの幻想」を通じて眺めているくせに、他人がそうしたからといって、自分のことを他人よりはましだとか優れていると考えることはできない。
そこには、四方八方で数限りないかくれんぼをしている、ただ一つの〈自己〉があるだけなのだ。鳥たちは、彼らが破って出てきた卵よりも”まし”な訳ではない、実際、鳥というのは、ある卵が他の卵になる一過程だと言ってよい。卵はエゴであり、鳥というのは解放された〈自己〉である。
ヒンドゥーの神話では〈自己〉を、世界が孵化する卵を産んだ聖なる白鳥になぞらえている。だからといって、あなたは自分の殻を破るべきだと言っているわけではない。いずれは、どうにかして〈自己〉はその殻を破るだろう。

アラン・ワッツ(「ラットレースから抜け出す方法」42ページ)

レッスン268です。
「すべての物事が本当にあるがままになりますように」が今日のテーマです。
まず、身体とは何かをご覧ください。

救済はすでに完了しているはずなのに、私たちが世界をさまよっているのはどういうこと?
コースの観点からすると、私たちがこの世界をさまよっていること自体、本来あるべき状態にないということになります。
つまり、私たちは救われていない状態にあるわけです。
他方、コースは、すでに救済は完了しているという主張を繰り返します(M2 生徒とは誰か、レッスン158「今日、私は自分が受け取るように与えることを学ぶ」、T26-8 救いはもう、済んでいる)。
「Further, the plan for this correction was established and completed simultaneously, for the Will of God is entirely apart from time.
さらに、修正のための計画は、それが立てられたと同時に完了しています。というのも、神の大いなる意志はまったく時間と関わりを持たないからです。
So is all reality, being of Him.
現実は神に属するものであるがゆえに、現実も同じくまったく時間とは無関係です。
The instant the idea of separation entered the mind of God's Son, in that same instant was God's Answer given.
分離するという想念が神の子の心に入りこんだ瞬間、その同じ瞬間に神の大いなる答えが与えられたのです。
In time this happened very long ago.
時間の中では、これは、はるか遠い昔に起こったことです。」(M2 生徒とは誰か、2.)
そこで、素朴に、誰もが次のような疑問を抱くことになると思います。
①神が全能であるなら、そして、三位一体で神の子が神に等しいものであるなら、そもそも神の子が幻想を抱いたりするはずがないんじゃないの?
②百歩譲って仮にそのような事態が起こっても、全能の神には簡単にそんな状態を消し去ることができるはずなんじゃないの?
③コースは、神の子の救済はすでに達成しているというけれど、私たちがこの世界で苦しんで生きているという事実からして、コースの言っていることは真実ではないんじゃないの?
①神が全能であるなら、そして、三位一体で神の子が神に等しいものであるなら、そもそも神の子が幻想を抱いたりするはずがないんじゃないの?
①について、コースでは、神は狂ってはおらず、狂っているのは神の子だけだというスタンスをとることで、理屈上、神の全能性を確保しています。
そして、子は神の属性を持つ神に等しい存在であるが、光源である父なる神を拡張する子であるがゆえに、自分の親を生み出すことだけはできないという点においてのみ全能ではないために、権威問題を持ちうるので、光の拡張を堰き止めて、闇に陥ってしまう可能性を持つことになります。
したがって、神には不可能でも神の子には幻想を抱くことは可能ということになります。
②百歩譲って仮にそのような事態が起こっても、全能の神には簡単にそんな状態を消し去ることができるはずなんじゃないの?
②について、子が狂気に陥った状態を一掃することなど全能の神には容易であるというのは当然です。
したがって、神の子が分離幻想を抱いた瞬間に神はそれを消去したとコースは述べます。
「The instant the idea of separation entered the mind of God's Son, in that same instant was God's Answer given.
分離するという想念が神の子の心に入りこんだ瞬間、その同じ瞬間に神の大いなる答えが与えられたのです。
In time this happened very long ago.
時間の中では、これは、はるか遠い昔に起こったことです。
In reality it never happened at all.
しかし、現実においては、神からの分離などまったく一度も起こってはいません。
3. The world of time is the world of illusion.
時間の世界は、幻想の世界です。
What happened long ago seems to be happening now.
はるか昔に起こったことが、まるで今起きているかのように思えます。
Choices made long since appear to be open; yet to be made.
選択を下してからずっと経っているのに、まだ選択の余地があり、これから選択できるように思えます。
What has been learned and understood and long ago passed by is looked upon as a new thought, a fresh idea, a different approach.
すでに学んで理解し、はるか昔に過ぎ去ってしまったものが、今までにない思考であるとか、目新しい着想であるとか、以前とは違った取り組みであるかのようにみなされています。」(M2 生徒とは誰か)
「9. Forget the time of terror that has been so long ago corrected and undone.
あまりに遠い昔に修正されて取り消されている恐怖の時のことなど忘れてしまいなさい。
Can sin withstand the Will of God?
罪が神の大いなる意志に抵抗することなどできるでしょうか。
Can it be up to you to see the past and put it in the present?
過去を見て、その過去を現在に変換することがあなた次第ということがありえるでしょうか。
You can not go back.
あなたは、あと戻りすることはできません。
And everything that points the way in the direction of the past but sets you on a mission whose accomplishment can only be unreal.
だから、過去の方角に向いた道を指し示すものはすべて、想像の中でしか達成することができない使命をあなたに課すだけです。
Such is the justice your All-Loving Father has ensured must come to you.
すでに消滅している過去から現実へと戻ることこそ、あなたの愛に満ちた父が必ずあなたの許に訪れると約束してくれた正義です。」(T26-5 些細な障害)
つまり、この世界は生み出された瞬間に消去されたということです。
世界は幻想なのですから、全能の神にそれを消去することくらい造作のないことでしょう。
ここまではいいでしょう。問題は③です。
③コースは、神の子の救済はすでに達成しているというけれど、私たちがこの世界で苦しんで生きているという事実からして、コースの言っていることは真実ではないんじゃないの?
しかし、仮に永遠の世、神の現実においてはそうであっても、③現に私たちは幻想世界に今も囚われているのだから、根本解決はできていないわけで、結局、神は子の妄想を消す力もないほど無能ということなの?真に世界が消去されて救済が実現しているなら、この世界に聖霊を遣わしてすでに済んでいるはずの神の子の救済を改めてしようとする必要なんかないんじゃないの?コースには欺瞞があるんじゃないの?となります。
「And thus it cancels out the interference to what has been done.
こうして奇跡は、すでに完了していることを認識するのを妨げている障害を無効にします。
It does not add, but merely takes away.
奇跡は、付け加えるのではなく、単に取り除くだけです。
And what it takes away is long since gone, but being kept in memory appears to have immediate effects.
そして、奇跡が取り除くものは、すでに去ってからずっと経っているのに、記憶には保たれているせいで、今、目の前で結果が生じているように見えているだけです。
This world was over long ago.
この世界はとっくの昔に終わっているのです。
The thoughts that made it are no longer in the mind that thought of them and loved them for a little while.
この世界を作り出した想念は、それらの想念を思いつき、しばくの間それらに愛着した心の中にはもうありません。
The miracle but shows the past is gone, and what has truly gone has no effects.
奇跡はただ、過去は去ったこと、そして、本当に過ぎ去ってしまったものには何の結果もないことを示すだけです。」(T28-1 現在の記憶)
このように、コースでは、救済はすでに客観的には完了して分離も解消されている、けれど、神の子は主観的に、すでに終わった世界に愛着し、とうの昔に終わったことの記憶を反芻しては今のことのように追体験する狂気から抜け出せていないという表現がされます。
神の子の自由意志
環境整備だけでなく、主観的にも狂気から脱して、過ぎ去った幻想世界の記憶の中に舞い戻るということまでなくなることが本来救済の真の意味でしょう。
しかし、神の子が持つ自由意志は、神の子が神の子であるために不可欠な本質的要素なので、神には神の子の意志に反して強引に救済を受け入れさせるということだけはできません。それをやると、神は神ではなくなってしまうからです。すなわち、子の自由意志を侵害することは神自身の自由を損なう自滅行為であり、自由を制限された存在が神であることはできないので、神には自分の自由を制限できないのとまったく同じように子の自由を制限することもできないということです。
つまり、神の子の救済は環境的なお膳立てはできて、現に正気を取り戻してはいるけれど、神の子が自由意志によって望むかぎり、いつでも狂気に陥ることは可能だし、その場合、狂気に陥った神の子は再び幻想世界の中で救済以前の心の準備がまだできておらず、救済が達成されていない状態に取り込まれてしまうということになります。
神の子は自由である以上、本の中の物語を最後まで読み終えたにせよ、途中で読むのをやめたにせよ、本を閉じることによって、時間と空間の幻想世界は終わって、神の現実においては夢は去っているが、本を開いて読み始めることに相当する、神の子が幻想世界の記憶を想起すること自体は永遠に可能なままだということです。
時間の世界から離れて考えてみる
ここは、私たちが時間のある世界にいながら想定するために、なかなか理解しがたいところです。
永遠には時間はなく、そして、すでに永遠においては救済は完了しているので、神の子は「もう」狂気から脱していて、「これから」再び幻想世界に堕することはない。
けれど、神の子が狂気に陥った際の記憶は残ったままであり、ハードディスクの中に、めちゃくちゃ怖い恐怖映画のデータファイルが存在し、クリックさえすれば、それが再生されうる客観的状況はあり続ける。
そこで、神の子がふとした気まぐれで、万が一、そのファイルをクリックしてしまっても、アンチ・ウイルスソフトのような役目を果たす奇跡のコースというフェイル・セーフ設計の仕組みを設けた。
つまり、永遠においては時間は問題にならないので、神の子が記憶の世界に取り込まれても、そこから確実に脱出できることさえ確保できればよいというわけです。
そして、「我思う、ゆえに我あり」じゃないですが、私たちが現に救われない状態でこの世界で足踏みしているという事実、私たちアバターが幻として機能していること自体、神の子が世界のアイコンをクリックして、この世界という幻想システムを立ち上げて、時間を展開させて、幻想世界の中のアバターを操作して、過去に終わった世界がプレイヤー上で再生されていることを示しているわけです。
このように、神の子がクリックして記憶を再生すること自体を不可能にしてくれてこそが真の救済であるように思えますが、神の子に自由意志が与えられていることから、神の子の記憶を神が強引に改ざん、消去することはありません。
神の愛に感謝
むしろ、永遠の世では救済は完了している、救済は済ませたからあとは知らない、と神が子を放り出さずに、万が一記憶が再生した際の救済にまで配慮してくれている神の愛に感謝すべきでしょう。
コースは、神は自由であり、神の子も同じ自由意志を与えられており、エゴは自由意志の否認だと言います。
この自由意志の誤用が幻想を産み出し、神の子を狂気に陥らせているわけです。
しかし、神は愛の神であるがゆえに、子に自由を強いることによって自由を取り戻させることができないことを理解しています。
ですので、神には、子が正気を取り戻すお膳立てはできても、強制的に正気にならせることは神の子を神の子ではない偽りの存在に変え、神を神ではないものに変えてしまうことなので、それだけは神にはできません(神が子に自由を強制しないことについては、レッスン233「私は今日、自分の命を神の導きに捧げる」をご覧ください。)。
すでに永遠においては終わっているこの世界ですが、いつでも世界が再生されうるのは事実であり、再生された世界の中にいるかぎりにおいては救いが未達成なのは当たり前です。
そうであればこそ、自ら学び取ることでしか解決できない事柄をなかなか身につけられずに、わが子が狂気に陥って叫び声を上げてもがき苦しむ姿を見ながらも、直接手を差し延べて救うことができず、本人の気づきを促すよう支援することでしかわが子を救うことができない神のもどかしさを解消して神の愛と永遠の忍耐に報いたいと思わないでしょうか。
そして、この観点、世界がすでに終わっているという観点からすれば、世界は、私たちアバターの観点から再生された映像を眺める映画のようなものであり、世界かぎりで存在する時間も、世界の常識のように過去からドミノ倒しのように未来に進むのではなく、未来から過去に向かって流れていく、つまり、この世界で解釈されているような因果関係は嘘であり、奇跡が起こることのほうが自然であることがよりよく理解できるようになります。

Lesson 268
Let all things be exactly as they are.
すべての物事が本当にあるがままになりますように。
1. Let me not be Your critic, Lord, today, and judge against You.
主よ、今日は、私があなたの批判者となって、あなたを否定して裁くようなことがありませんように。
Let me not attempt to interfere with Your creation, and distort it into sickly forms.
私が、あなたの創造物に干渉して、それらを病んだ形に歪めようとしませんように。
Let me be willing to withdraw my wishes from its unity, and thus to let it be as You created it.
私が、あなたの創造物の統一性から、自分のさまざまな願望を喜んで引き下げ、そうすることで、創造物があなたに創造されたままになるようにさせてください。
For thus will I be able, too, to recognize my Self as You created me.
というのも、このようにして、私もまた、あなたが私を創造してくれた通りに私の真の自己を認識できるようになるからです。
In love was I created, and in love will I remain forever.
愛の中で私は創造され、そして、愛の中に私は永遠に留まり続けます。
What can frighten me, when I let all things be exactly as they are?
私がすべての物事をまったくあるがままにさせるというのに、いったい何が私を恐れさせることができるでしょうか。
2. Let not our sight be blasphemous today, nor let our ears attend to lying tongues.
今日は、私たちが不浄なものに目を向けたり、私たちが偽りの言葉に耳を貸したりしないようにさせてください。
Only reality is free of pain.
ただ現実だけが、苦痛から解放されています。
Only reality is free of loss.
ただ現実だけが、あらゆる喪失を免れています。
Only reality is wholly safe.
ただ現実だけが、完全に安全です。
And it is only this we seek today.
そして、ただこれだけが私たちが今日求めることです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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