レッスン268「すべての物事が本当にあるがままになりますように」

レッスン261〜270 7

We are trying not so much to make God listen to us as to make ourselves listen to him; we are trying not to persuade God to do what we want, but to find out what he wants us to do.
私たちは自分が神に耳を傾けるよりも、神が私たちに耳を貸すようにさせようと努めます。つまり、私たちは、神を説得して自分の望むことをさせようとするばかりで、神が私たちに何をさせようとするのか見出そうともしないのです。

It so often happens that in prayer we are really saying, 'Thy will be changed,' when we ought to be saying, 'Thy will be done.'
実によく起こるのは、祈るに際して、私たちは「御心がなされますように」と言うべきところを、実際には「御心が変わりますように」と言っているということです。

The first object of prayer is not so much to speak to God as to listen to him.
祈りを妨げる第一の障害は、神に耳を澄ますよりも、神にあまりに多く語りかけすぎている点なのです。


William Barclay
ウィリアム・バークレイ





レッスン268です。

「すべての物事が本当にあるがままになりますように」が今日のテーマです。




まず、身体とは何かをご覧ください。


コースの観点からすると、私たちがこの世界をさまよっていること自体、本来あるべき状態にないということになります。

つまり、私たちは救われていない状態にあるわけです。

他方、コースは、すでに救済は完了しているという主張を繰り返します。

「Further, the plan for this correction was established and completed simultaneously, for the Will of God is entirely apart from time.
 さらに、修正のための計画は、それが立てられたと同時に完了しています。というのも、神の大いなる意志はまったく時間と関わりを持たないからです。

 So is all reality, being of Him.
 現実は神に属するものであるがゆえに、現実も同じくまったく時間とは無関係です。

 The instant the idea of separation entered the mind of God's Son, in that same instant was God's Answer given.
 分離するという想念が神の子の心に入りこんだ瞬間、その同じ瞬間に神の大いなる答えが与えられたのです。

 In time this happened very long ago.
 時間の中では、これは、はるか遠い昔に起こったことです。」(M2 生徒とは誰か、2.)

そこで、素朴に、誰もが次のような疑問を抱くことになると思います。


①神が全能であるなら、そして、三位一体で神の子が神に等しいものであるなら、そもそも神の子が幻想を抱いたりするはずがないんじゃないの?

②百歩譲って仮にそのような事態が起こっても、全能の神には簡単にそんな状態を消し去ることができるはずなんじゃないの?

③コースは、神の子の救済はすでに達成しているというけれど、私たちがこの世界で苦しんで生きているという事実からして、コースの言っていることは真実ではないんじゃないの?



①について、コースでは、神は狂ってはおらず、狂っているのは神の子だけだというスタンスをとることで、理屈上、神の全能性を確保しています。

そして、子は神の属性を持つ神に等しい存在であるが、光源である父なる神を拡張する子であるがゆえに、自分の親を生み出すことだけはできないという点においてのみ全能ではないために、権威問題を持ちうるので、光の拡張を堰き止めて、闇に陥ってしまう可能性を持つことになります。

したがって、神には不可能でも神の子には幻想を抱くことは可能ということになります。



②について、子が狂気に陥った状態を一掃することなど全能の神には容易であるというのは当然です。

したがって、神の子が分離幻想を抱いた瞬間に神はそれを消去したとコースは述べます。

つまり、この世界は生み出された瞬間に消去されたということです。

世界は幻想なのですから、全能の神にそれを消去することくらい造作のないことでしょう。

ここまではいいでしょう。

問題は③です。


しかし、仮に永遠の世、神の現実においてはそうであっても、③現に私たちは幻想世界に今も囚われているのだから、根本解決はできていないわけで、結局、神は子の妄想を消す力もないほど無能ということなの?真に世界が消去されて救済が実現しているなら、この世界に聖霊を遣わしてすでに済んでいるはずの神の子の救済を改めてしようとする必要なんかないんじゃないの?コースには欺瞞があるんじゃないの?となります。


「And thus it cancels out the interference to what has been done.
 こうして奇跡は、すでに完了していることを認識するのを妨げている障害を無効にします。

 It does not add, but merely takes away.
 奇跡は、付け加えるのではなく、単に取り除くだけです。

 And what it takes away is long since gone, but being kept in memory appears to have immediate effects.
 そして、奇跡が取り除くものは、すでに去ってからずっと経っているのに、記憶には保たれているせいで、今、目の前で結果が生じているように見えているだけです。

 This world was over long ago.
 この世界はとっくの昔に終わっているのです。

 The thoughts that made it are no longer in the mind that thought of them and loved them for a little while.
 この世界を作り出した想念は、それらの想念を思いつき、しばくの間それらに愛着した心の中にはもうありません。

 The miracle but shows the past is gone, and what has truly gone has no effects.
 奇跡はただ、過去は去ったこと、そして、本当に過ぎ去ってしまったものには何の結果もないことを示すだけです。」(T28-1 現在の記憶

このように、コースでは、救済はすでに客観的には完了して分離も解消されている、けれど、神の子は主観的に、すでに終わった世界に愛着し、とうの昔に終わったことの記憶を反芻しては今のことのように追体験する狂気から抜け出せていないという表現がされます。

環境整備だけでなく、主観的にも狂気から脱して、過ぎ去った幻想世界の記憶の中に舞い戻るということまでなくなることが本来救済の真の意味でしょう。

しかし、神の子が持つ自由意志は、神の子が神の子であるために不可欠な本質的要素なので、神には神の子の意志に反して強引に救済を受け入れさせるということだけはできません。それをやると、神は神ではなくなってしまうからです。すなわち、子の自由意志を侵害することは神自身の自由を損なう自滅行為であり、自由を制限された存在が神であることはできないので、神には自分の自由を制限できないのとまったく同じように子の自由を制限することもできないということです。

つまり、神の子の救済は環境的なお膳立てはできて、現に正気を取り戻してはいるけれど、神の子が自由意志によって望むかぎり、いつでも狂気に陥ることは可能だし、その場合、狂気に陥った神の子は再び幻想世界の中で救済以前の心の準備がまだできておらず、救済が達成されていない状態に取り込まれてしまうということになります。

神の子は自由である以上、本の中の物語を最後まで読み終えたにせよ、途中で読むのをやめたにせよ、本を閉じることによって、時間と空間の幻想世界は終わって、神の現実においては夢は去っているが、本を開いて読み始めることに相当する、神の子が幻想世界の記憶を想起すること自体は永遠に可能なままだということです。

ここは、私たちが時間のある世界にいながら想定するために、なかなか理解しがたいところです。

永遠には時間はなく、そして、すでに永遠においては救済は完了しているので、神の子は「もう」狂気から脱していて、「これから」再び幻想世界に堕することはない。

けれど、神の子が狂気に陥った際の記憶は残ったままであり、ハードディスクの中に、めちゃくちゃ怖い恐怖映画のデータファイルが存在し、クリックさえすれば、それが再生されうる客観的状況はあり続ける。

そこで、神の子がふとした気まぐれで、万が一、そのファイルをクリックしてしまっても、アンチ・ウイルスソフトのような役目を果たす奇跡のコースというフェイル・セーフ設計の仕組みを設けた。

つまり、永遠においては時間は問題にならないので、神の子が記憶の世界に取り込まれても、そこから確実に脱出できることさえ確保できればよいというわけです。

そして、「我思う、ゆえに我あり」じゃないですが、私たちが現に救われない状態でこの世界で足踏みしているという事実、私たちアバターが幻として機能していること自体、神の子が世界のアイコンをクリックして、この世界という幻想システムを立ち上げて、時間を展開させて、幻想世界の中のアバターを操作して、過去に終わった世界がプレイヤー上で再生されていることを示しているわけです。

このように、神の子がクリックして記憶を再生すること自体を不可能にしてくれてこそが真の救済であるように思えますが、神の子に自由意志が与えられていることから、神の子の記憶を神が強引に改ざん、消去することはありません。

むしろ、永遠の世では救済は完了している、救済は済ませたからあとは知らない、と神が子を放り出さずに、万が一記憶が再生した際の救済にまで配慮してくれている神の愛に感謝すべきでしょう。

コースは、神は自由であり、神の子も同じ自由意志を与えられており、エゴは自由意志の否認だと言います。

この自由意志の誤用が幻想を産み出し、神の子を狂気に陥らせているわけです。

しかし、神は愛の神であるがゆえに、子に自由を強いることによって自由を取り戻させることができないことを理解しています。

ですので、神には、子が正気を取り戻すお膳立てはできても、強制的に正気にならせることは神の子を神の子ではない偽りの存在に変え、神を神ではないものに変えてしまうことなので、それだけは神にはできません(神が子に自由を強制しないことについては、レッスン233「私は今日、自分の命を神の導きに捧げる」をご覧ください。)。

すでに永遠においては終わっているこの世界ですが、いつでも世界が再生されうるのは事実であり、再生された世界の中にいるかぎりにおいては救いが未達成なのは当たり前です。

そうであればこそ、自ら学び取ることでしか解決できない事柄をなかなか身につけられずに、わが子が狂気に陥って叫び声を上げてもがき苦しむ姿を見ながらも、直接手を差し延べて救うことができず、本人の気づきを促すよう支援することでしかわが子を救うことができない神のもどかしさを解消して神の愛と永遠の忍耐に報いたいと思わないでしょうか。

そして、この観点、世界がすでに終わっているという観点からすれば、世界は、私たちアバターの観点から再生された映像を眺める映画のようなものであり、世界かぎりで存在する時間も、世界の常識のように過去からドミノ倒しのように未来に進むのではなく、未来から過去に向かって流れていく、つまり、この世界で解釈されているような因果関係は嘘であり、奇跡が起こることのほうが自然であることがよりよく理解できるようになります。







Lesson 268


Let all things be exactly as they are.
すべての物事が本当にあるがままになりますように。



1. Let me not be Your critic, Lord, today, and judge against You.
 主よ、今日は、私があなたの批判者となって、あなたを否定して裁くようなことがありませんように。

 Let me not attempt to interfere with Your creation, and distort it into sickly forms.
 私が、あなたの創造物に干渉して、それらを病んだ形に歪めようとしませんように。

 Let me be willing to withdraw my wishes from its unity, and thus to let it be as You created it.
 私が、あなたの創造物統一性から、自分のさまざまな願望を喜んで引き下げ、そうすることで、創造物があなたに創造されたままになるようにさせてください。

 For thus will I be able, too, to recognize my Self as You created me.
 というのも、このようにして、私もまた、あなたが私を創造してくれた通りに私の真の自己を認識できるようになるからです。

 In love was I created, and in love will I remain forever.
 愛の中で私は創造され、そして、愛の中に私は永遠に留まり続けます。

 What can frighten me, when I let all things be exactly as they are?
 私がすべての物事をまったくあるがままにさせるというのに、いったい何が私を恐れさせることができるでしょうか。



2. Let not our sight be blasphemous today, nor let our ears attend to lying tongues.
 今日は、私たちが不浄なものに目を向けたり、私たちが偽りの言葉に耳を貸したりしないようにさせてください。

 Only reality is free of pain.
 ただ現実だけが、苦痛から解放されています。

 Only reality is free of loss.
 ただ現実だけが、あらゆる喪失を免れています。

 Only reality is wholly safe.
 ただ現実だけが、完全に安全です。

 And it is only this we seek today.
 そして、ただこれだけが私たちが今日求めることです。


名称未設定


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。



次


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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

コメント7件

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ミカ  

挿絵について

いつもこちらのサイトで奇跡のコースを学ばせていただいております。
挿絵が幻想的で素敵だなあ、、といつも思っていたのですが、レッスン260あたりから、イルミナティの象徴と言われるピラミッドや一つの目が連続して出てくるのがとても気になりました。
この挿絵は何か意図があるのですか?

2020年08月02日 (日) 08:28

 松山 健  

Re: 挿絵について

ミカさま

コメント、ありがとうございます。

奇跡のコースが特定の宗教、宗派に基盤を置いたり、支持したりするものではなく、価値中立なものであることを示す意図で、インドやエジプトその他、様々な国の神様や宗教の象徴等の挿絵を用いています。

ご指摘のピラミッド、プロビデンスの目(ホルスの左目)等は、三位一体や世界の幻想性を見通す視点といったコースの世界観を図解的に理解する助けとなるので使っているだけで、それ以上の意味はありません。

困惑させてしまったようで申し訳ありません。

2020年08月02日 (日) 10:53

ミカ  

お返事ありがとうございます

そうだったのですね。
私はとくに陰謀論者ではないのですが笑、ワークが佳境に入ってきたところで連続して登場しだした目の挿絵に過剰に心配、反応してしまい、練習を続ける前に確認させてもらった次第です。

海外在住ですが、この奇跡のコースを知り手探りながらも一人で勉強しています。
このサイトを毎日開いて頼りにしています、いつもありがとうございます。

2020年08月05日 (水) 10:46

 松山 健  

Re: お返事ありがとうございます

私も陰謀論者ではないですが、「やりすぎ都市伝説」の関暁夫さんのコーナーとかでイルミナティとかが出てくるとワクワクしながら見てしまいます(笑)。

人によって誰かと一緒に学ぶことが有益な場合もあるでしょうが、コースはひとりで内省する学習形態が本質的に必要だと思います。

それに、イェシュアがついてくれているので決してひとりきりではありません。

楽しく勉強して幸せな学習者でいましょう。

2020年08月05日 (水) 16:56

hasumi  

レッスンの進め方について

はじめまして。
別サイトで学習していて、レッスンパート2に入ってから今までの学習方法でよかったのか疑問が生じ、色々調べているうちにこちらのサイトにたどり着きました。今年に入ってから両サイト読みながら学ばせていただいています。
現在279まで進んでいますが、レッスン本文前のエッセイがとてもわかり易く、理解を深めるのに大変助かっています。

そこで質問ですが、ワークブックレッスンが365まで終わったら、レッスン1に戻って再学習した方がいいのでしょうか?
テキストも読み進めていますが、各レッスンの前半のエッセイにどんなことが書かれているのか気になりますし、やはりレッスンと併せて読むことに意味があるのかな、と思っています。


279のレッスンからリンク先に飛んだ先の今回のエッセイで、救済について、神の子が苦しんでいる姿を見ながらも、本人の気づきを促すよう支援することでしか我が子を救うことしかできない神のもどかしさを解消して神の愛と永遠の忍耐に報いたいと思わないか、の一文に、涙が止まりませんでした。
今までの人生色々ありましたが、奇跡のコース出会えてよかった。
コースが気づきを促すための支援の1つであるということに気づいてよかったと心の底から思います。

このサイトを立ち上げるのにかなりご苦労されたのではないですか?
有り難いことです。感謝しかないです。
このサイトに巡り会えたのも、神の支援の1つなんですね。
今後ともよろしくお願いいたします。

2022年01月31日 (月) 14:48
 松山 健 Matsuyama Ken

 松山 健 Ken Matsuyama  

Re: レッスンの進め方について

hasumiさま

はじめまして。
コメント、どうもありがとうございます。

> 現在279まで進んでいますが、レッスン本文前のエッセイがとてもわかり易く、理解を深めるのに大変助かっています。

ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。

とはいえ、私も学びの道の途上にある一学習者であり、誤解していることもよくあります。

コースそのものの翻訳のほうは、日々、繰り返し繰り返し修正を続けて進化しているので、ある程度精度は高まってきているとは思いますし、原文があるので、管理人の誤りが悪影響を及ぼす危険は小さいですが、ことエッセイに関しては、好き放題に書いている面があり、楽しく学べるように極端な表現を意図的にしてスピリチュアル漫談的なものにしていることも手伝って、コースの教えを歪曲してしまったり矮小化してしまう表現箇所もきっと少なからずあるはずです。

エッセイは、コースの理解の役に立つようにと善意で示しているものではありますが、あくまでも管理人の現時点でのコースの理解をもとにした独断と偏見に満ちたものであって、誤っている可能性の高い一見解にすぎないというくらいに考えて、あまり重点を置きすぎないように注意して読んでいただければと思います(これは謙遜して言っているわけではなく、事実として言っています。偽りの謙虚さをたしなめるコースを学んでいるので、私は必要もない謙遜はしません)。


> そこで質問ですが、ワークブックレッスンが365まで終わったら、レッスン1に戻って再学習した方がいいのでしょうか?
> テキストも読み進めていますが、各レッスンの前半のエッセイにどんなことが書かれているのか気になりますし、やはりレッスンと併せて読むことに意味があるのかな、と思っています。

学ぶ順序はとても気になってしまうものだとは思いますが、次の一節のように、順序は聖霊に任せておくのがよいと思います。

それよりも、コースは一度読んで終わりにする本ではないという自覚はとても大切なので、忘れずにいていただければと思います。繰り返すうちに、いつかコースの文章に触れることが酸素を吸うのと同じくらい生きるために必要なことになっていることに気づくと思います。

「In some cases, it may be helpful for the pupil to read the manual first.
 ある場合には、生徒にとってマニュアルを先に読むことが役に立つかもしれません。

 Others might do better to begin with the workbook.
 ほかの生徒にとっては、ワークブックから始めたほうがよいかもしれません。

 Still others may need to start at the more abstract level of the text.
 さらにほかの生徒は、テキストのより抽象的なレベルから始める必要があるかもしれません。



2. Which is for which?
 どのタイプの生徒に、どの始め方がよいのでしょうか

 Who would profit more from prayers alone?
 ただ祈るだけのほうが、より得るところのあるのはどのような者でしょうか。

 Who needs but a smile, being as yet unready for more?
 まだ先に進む準備ができていないために、ただ微笑みだけを必要とするのはどのような者でしょうか。

 No one should attempt to answer these questions alone.
 誰もこのような質問に自分だけで答えを出そうとすべきではありません。
・・・
 Ask and He will answer.
 尋ねれば、聖霊が答えてくれるでしょう。

 The responsibility is His, and He alone is fit to assume it.
 その責任は聖霊にあり、聖霊だけがその責務を負うにふさわしい存在です。」http://thereisnospoon.jp/blog-entry-155.html

ワークブックを終えたあと、次に何に取り組むかはその学習者次第というほかないので、正解はないと思います。
聖霊に尋ねて答えもらうのが一番です。

サイトの右のパネルや個別記事の最後に青色の鳩のアイコンがあり、クリックするとランダムに記事が選択されます。

ワークを終えたあとに、このアイコンをクリックして出てきたのがテキストならテキスト、祈りの歌なら祈りの歌、という感じで、次に取り組む対象を選んでみるとよいと思います。ヴァディム・ゼランドさんのリアリティ・トランサーフィンで「偶然とは、神が実名を明かしたくないときに用いるペンネームだ」という言葉が出てきます。偶然や誤りを毛嫌いせずに活用してみることも有益だと思います。

>
> 279のレッスンからリンク先に飛んだ先の今回のエッセイで、救済について、神の子が苦しんでいる姿を見ながらも、本人の気づきを促すよう支援することでしか我が子を救うことしかできない神のもどかしさを解消して神の愛と永遠の忍耐に報いたいと思わないか、の一文に、涙が止まりませんでした。
> 今までの人生色々ありましたが、奇跡のコース出会えてよかった。
> コースが気づきを促すための支援の1つであるということに気づいてよかったと心の底から思います。

そうですね。この本に出合うことで、イェシュアの優しさと彼が本当に伝えたかったことをより深く理解することができ、偉大な兄への憧れと感謝、父なる神の愛に対する愛と感謝の念に満たされます。

私たち一人ひとりの学びは、決して世界と無関係のちっぽけで無意味なものなわけではありません。
http://thereisnospoon.jp/blog-entry-77.html
http://thereisnospoon.jp/blog-entry-167.html
私たちが世界の何十億人分の1人として自分の価値を希釈して捉える発想のほうこそエゴのトリックです。
ぜひ、救済は自分にかかっているくらいのトンデモな気概をもってコースを学びましょう(笑)。
http://thereisnospoon.jp/blog-entry-178.html

>
> このサイトを立ち上げるのにかなりご苦労されたのではないですか?
> 有り難いことです。感謝しかないです。
> このサイトに巡り会えたのも、神の支援の1つなんですね。
> 今後ともよろしくお願いいたします。

ありがとうございます。こちらこそ、コースの学びを分かち合っていただけることに深く感謝いたします。

サイトの立ち上げや運営は、傍から見ると膨大な文章の翻訳やエッセイの記述等、たいへんな作業に見えるはずだとは思いますが、正直に言って楽しい作業でしかなく苦労はまったく感じておりません。むしろコースの文章に触れていないと息が苦しくなってくるような感覚です。

hasumiさんには、私たちが衰えさせてしまっている感謝する能力があります。自分というアバターの敵や不遇にも感謝できる観点をコースから学んで、よりこの能力を高めていかれると、感謝の念のない人には地獄にしか見えない世界が天国を反映する幸せな夢に変わるはずです。
http://thereisnospoon.jp/blog-entry-290.html

今後ともよろしくお願いいたします。

2022年01月31日 (月) 18:12

hasumi  

返信ありがとうございました

管理人さま

返信ありがとうございます。
温かいメーッセージ、読ませていただきました。

エッセイについての捉え方、了解いたしました。楽しみながらも頭の片隅にこのことを置いて読ませていただきますね。

学習の進め方についても、なるほど…です。
全体をザッと学んでから、理解が浅そうなところを修復するように反復学習するのだと思っていました。そもそもこういった囚われを壊していくことがこの学びの目的でもあったのでした。
まだまだコースを深く理解していない自分には、精霊に尋ねても答えが聞こえないかもしれません。なので、尋ねるときには答えに気づけるように併せてお願いしてみます。鳩のアイコンも活用させていただきます。

救済は自分にかかっているくらいのトンデモな気概!(笑)→コースの学習を頑張ります(๑•̀ㅂ•́)و✧


貼られているリンク先も含め、繰り返し読み返したいと思います。
忙しいなか、時間を割いてくださりありがとうございました。

また迷子になりそうなときは質問させていただければと思います。

2022年02月02日 (水) 12:01
未分類 (11)
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┣  テキスト第28章(恐れを取り消す) (7)
┣  テキスト第29章(目覚め) (9)
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ワークブック・パート① (238)
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ワークブック・パート② (158)
┣  ワークブック・パート②特別解説 (15)
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