レッスン269「私の視覚は、キリストの顔を見るようになる」
あなた自身の本当の〈顔〉は、絶対的に何もないスクリーンであり、絵の描かれていないキャンバスであり、ガラスのない鏡であり、絶え間なく続く人間や動物の顔を、跡形もなく取り込んでは瞬間的に捨てる用意ができていないだろうか。また、驚くほどの見事さで、最も細部に至るまで、順番にそれぞれの顔になる準備が常にできていないだろうか。
あなた自身の〈顔〉は、かつて一度でも、幼児の顔として生まれ、大人の顔に成長するといった特徴や顔色を持ったことがあるだろうか。まして、しわになり、死に、腐敗する特徴を持ったことがあるだろうか。

ダグラス・E・ハーディング
Every day I see Jesus Christ in all his distressing disguises.
毎日、私はあらゆる形で痛ましい姿に身をやつしたイエス・キリストに出会うのです。

Mother Teresa
マザー・テレサ

レッスン269です。
「私の視覚は、キリストの顔を見るようになる」が今日のテーマです。
まず、身体とは何かをご覧ください。

マルコヴィッチの穴
今日のレッスンでは、キリストのヴィジョンで見ると、すべての兄弟たちが私たちにキリストの顔を見せてくれて、存在するのは神のひとり子だけだということをわからせてくれるということが語られます。
映画マルコビッチの穴で、名優ジョン・マルコビッチさんが自分の頭の中に通じる穴に入った先に、すべての人がマルコビッチさんになっているマルコビッチさんだらけの世界が待っているシュールなシーンがありました。
私たち誰もが、この映画のマルコビッチさんのように、穴の先の世界を眺める覗き窓であり、ひとりの神の子が私たちになりきって多様な人生を追体験しているわけですが、個別のアバターになりきって自己同一化した状態では、当然ながら、自分たちが同じひとつの生命を生きていることがわからなくなってしまいます。
キリストの顔
具体性の世界であるこの世界では、私たちの本質である光よりも、具体性を持った顔を介してのほうが、私たちにとって自己同一性を認識しやすいのは確かです。
イェシュアは、人と神との間の隔たりに橋を架けるために私たちを支援してくれています。
これまでの歴史によって、世界では、イエス・キリストの姿、顔形について、美しいものとして誰もが思い描く一定のイメージが形成されて万人が共有するに至っています。
「キリストの顔」という言葉を用いれば、当然、誰もがイエス・キリストの顔として一般的にイメージされるあの顔を思い浮かべることは、イェシュア自身、自覚し想定したうえで、この用語を用いているはずです。
ですので、「キリストの顔」について具体的なイメージを持ってはいけないと考える必要はないでしょう。
上のマルコビッチの穴で、マルコビッチさんだらけの世界が出てきたように、自分の出会うすべての人、誰の顔にもイェシュアの顔を重ね合わせて見るよう意識することはきっと有益でしょう。

Lesson 269
My sight goes forth to look upon Christ's face.
私の視覚は、キリストの顔を見るようになる。
1. I ask Your blessing on my sight today.
私は今日、あなたに私の視覚を祝福してくれるよう求めます。
It is the means which You have chosen to become the way to show me my mistakes, and look beyond them.
私の視覚は、私に自分の間違いを示し、それらの間違いを通り越して見るための手段となるように、あなたが選んでくれた道具です。
It is given me to find a new perception through the Guide You gave to me, and through His lessons to surpass perception and return to truth.
私の視覚が私に与えられたのは、あなたが私に与えてくれた大いなるガイドである聖霊を通して新たな知覚を見出し、聖霊のレッスンを通して知覚を超越して真理へと回帰するためです。
I ask for the illusion which transcends all those I made.
自分が作り出したすべての幻想を超越する幻想を私は求めます。
Today I choose to see a world forgiven, in which everyone shows me the face of Christ, and teaches me that what I look upon belongs to me; that nothing is, except Your holy Son.
今日、私は赦された世界を見ることを選びます。赦された世界では、すべての人たちが私にキリストの顔を見せてくれて、私が見るものは私のものなので、あなたの聖なる子以外には何もないということを教えてくれます。
2. Today our sight is blessed indeed.
今日、私たちの視覚は本当に祝福されます。
We share one vision, as we look upon the face of Him Whose Self is ours.
私たちの真の自己であるキリストの顔を見るとき、私たちは、ひとつのヴィジョンを分かち合います。
We are one because of Him Who is the Son of God; of Him Who is our own Identity.
神の子であり、私たちの真の姿であるキリストゆえに、私たちはひとつなのです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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