P2-VII 理想的な患者とセラピストの関係とは?

心理療法 0

賢者とテーブルで向き合って1対1で対話することは、10年をかけて読書や勉強することにまさる。

Henry Wadsworth Longfellow
ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー




今回は、心理療法から「理想的な患者セラピストの関係」をご紹介します。




1.の"God comes to him who calls, and in Him he recognizes Himself."の後半の文の"in Him"はHが大文字なので、コースの大文字小文字ルールに従うかぎり、のことを指すことになります。

この文章の"in Him"はUrtextでも大文字なので、改訂によって当初小文字だったものが大文字に変わった箇所ではないようです。

大文字として訳するなら、訳としては「は、呼びかける者の許に訪れます。そして、を呼んだ者は、の中に自身を認めます。」となります。

もっとも、この文の前では、分離はなく、にはひとり子があるというのが神の知識であり、それはセラピスト患者の理想的な関係に反映されるということが述べられています。つまり、神を呼ぶ子と神は一体だという流れを受けての文章です。

そこで、訳文では、「神は、呼びかける者の許に訪れます。だから、神を呼んだ者は、神とひとつである自分自身が神の中にいることを認めます。」というふうに意訳しています。



VII. The Ideal Patient-Therapist Relationship
理想的な患者セラピストの関係



1. Who, then, is the therapist, and who is the patient?
 それでは、いったい誰がセラピストで、誰が患者なのでしょうか。

 In the end, everyone is both.
 最終的には、誰もがセラピストであると同時に患者でもあります。

 He who needs healing must heal.
 癒しを必要とするその人が癒すに違いありません。

 Physician, heal thyself.
 癒す者よ、汝自身を癒しなさい。

 Who else is there to heal?
 自分自身以外に癒すべき者は誰もいないからです。

 And who else is in need of healing?
 それに、自分自身以外のいったい誰が癒しを必要とするというのでしょうか。

 Each patient who comes to a therapist offers him a chance to heal himself.
 セラピストの許に訪れる一人ひとりの患者は、セラピストセラピスト自身を癒す機会を与えてくれているのです。

 He is therefore his therapist.
 したがって、患者はそのセラピストのセラピストなのです。

 And every therapist must learn to heal from each patient who comes to him.
 だから、一人ひとりのセラピストは、自分の許を訪れる一人ひとりの患者から癒しを学ばなければなりません。

 He thus becomes his patient.
 こうして、そのセラピストは自分の患者の患者になります。

 God does not know of separation.
 分離など知りません。

 What He knows is only that He has one Son.
 が知っているのは、ただ自分にはひとり子があることだけです。

 His knowledge is reflected in the ideal patient-therapist relationship.
 神の知識は、理想的な患者とセラピストの関係に反映されます。

 God comes to him who calls, and in Him he recognizes Himself.
 は、呼びかける者の許に訪れます。だから、を呼んだ者は、とひとつである自分自身が神の中にいることを認めます。



2. Think carefully, teacher and therapist, for whom you pray, and who is in need of healing.
 教師でありセラピストである者よ、自分が誰のために祈るのか、そして、誰が癒されることを必要としているのか、注意深く考えてください。

 For therapy is prayer, and healing is its aim and its result.
 というのも、心理療法とは祈りであり、癒しこそが、祈りの目的であり祈りの成果だからです。

 What is prayer except the joining of minds in a relationship which Christ can enter?
 祈りとは、キリストが入ってゆくことのできる関係の中で個々の心がひとつに結ばれることにほかなりません。

 This is His home, into which psychotherapy invites Him.
 この祈りこそ、心理療法がキリストを招き入れるキリストの家なのです。

 What is symptom cure, when another is always there to choose?
 いつでも別の症状を選ぶ余地が残るとしたら、ある症状が治癒したところで何の意味があるでしょうか。

 But once Christ enters in, what choice is there except to have Him stay?
 しかし、ひとたびキリストが入ってきたら、キリストに留まってもらう以外に選択の余地はないはずです。

 There is no need for more than this, for it is everything.
 キリストに留まってもらうことに優ることはないのだから、キリストに留まってもらう以外になすべきことはありません。

 Healing is here, and happiness and peace.
 ここに、癒しと幸せ、そして、安らぎがあります。

 These are the "symptoms" of the ideal patient-therapist relationship, replacing those with which the patient came to ask for help.
 このようなものが、患者が助けを求めてやってきた際の症状に置き換わる、理想的な患者とセラピストの関係の「印」です。



3. The process that takes place in this relationship is actually one in which the therapist in his heart tells the patient that all his sins have been forgiven him, along with his own.
 この理想的な患者とセラピストの関係の中で実際に起こるのは、セラピストが心から患者に、患者のすべての罪はセラピスト自身の罪と一緒にすでに赦されていると伝えることです。

 What could be the difference between healing and forgiveness?
 癒しと赦しの間にどのような違いがありうるでしょうか。

 Only Christ forgives, knowing His sinlessness.
 自らの罪のなさを知っているので、ただキリストだけが赦します。

 His vision heals perception and sickness disappears.
 キリストのヴィジョンが知覚を癒すと、病気は消え去ります。

 Nor will it return again, once its cause has been removed.
 しかも、ひとたびその原因が取り除かれたからには、病気が再び舞い戻ってくることはありません。

 This, however, needs the help of a very advanced therapist, capable of joining with the patient in a holy relationship in which all sense of separation finally is overcome.
 しかしながら、このためには、神聖な関係の中で患者とひとつに結ばれることができるような、非常に進歩を遂げたセラピストの助けを要します。神聖な関係の中で、あらゆる意味での分離が最終的に克服されます。



4. For this, one thing and one thing only is required: The therapist in no way confuses himself with God.
 このためには、ひとつのこと、それもたったひとつのことだけが必要です。それは、そのセラピストが決して自分自身を神だと思い違いしていないことです。

 All "unhealed healers" make this fundamental confusion in one form or another, because they must regard themselves as self-created rather than God-created.
 「癒されていない癒し主たち」は誰しも、何らかの形で、この根本的な混同をしてしまいます。というのも、彼らは必ず、自分のことを、神に創造されたものではなく、自ら創造した存在だと考えてしてしまうからです。

 This confusion is rarely if ever in awareness, or the unhealed healer would instantly become a teacher of God, devoting his life to the function of true healing.
 自分でこの混同に気づくことはめったにありません。それを自覚できていたなら、癒されていない癒し主は、すぐにも、自らの人生を真の癒しという任務に捧げる神の教師になっていたはずです。

 Before he reached this point, he thought he was in charge of the therapeutic process and was therefore responsible for its outcome.
 癒されていない癒し主がこの境地に到達するまでは、彼は自分が治療のプロセスを一手に担っており、したがって、自分だけが治療の成果について責任を負っているのだと思いこむことになります。

 His patient's errors thus became his own failures, and guilt became the cover, dark and strong, for what should be the Holiness of Christ.
 彼の患者の誤りは、こうして、セラピスト自身の失敗となり、キリストの神聖さであるはずのものを、罪悪感が暗く、そして強力に覆い隠してしまいます。

 Guilt is inevitable in those who use their judgment in making their decisions.
 自らが決断を下すに際して自らの価値判断を用いる者たちが罪悪感を抱くのは、避けようのないことです。

 Guilt is impossible in those through whom the Holy Spirit speaks.
 これに対して、自らを通して聖霊に語らせる者たちには、罪悪感を抱くことなど不可能です。



5. The passing of guilt is the true aim of therapy and the obvious aim of forgiveness.
 罪悪感を消し去ることが、真の治療の狙いであり、赦しの明白な目的です。

 In this their oneness can be clearly seen.
 罪悪感が消え去ることによって、患者とセラピストがひとつであることがはっきり理解できるようになります。

 Yet who could experience the end of guilt who feels responsible for his brother in the role of guide for him?
 それにしても、自分が兄弟を導くという役割を担っており、そのことについて兄弟に対して責任を負っていると感じながら、罪悪感が消滅するのを体験できる者などいるでしょうか。

 Such a function presupposes a knowledge that no one here can have; a certainty of past, present and future, and of all the effects that may occur in them.
 そのような役割は、過去、現在、未来、そしてそれらの時制で起こりうるあらゆる結果に関する確信という、この地上では誰にも持つことのできない知識を備えることを前提とするものです。

 Only from this omniscient point of view would such a role be possible.
 この全知の観点からのみ、そんな役割を担うことが可能といえるでしょう。

 Yet no perception is omniscient, nor is the tiny self of one alone against the universe able to assume he has such wisdom except in madness.
 しかし、いかなる知覚も全知ではないし、ひとりきりで宇宙と対峙するちっぽけな自己には、狂っているのでもないかぎり、自分にそんな英知が備わっていると思い上がることは不可能なはずです。

 That many therapists are mad is obvious.
 本当に数多くのセラピストたちが狂っているのは間違いありません。

 No unhealed healer can be wholly sane.
 癒されていない癒し主は、完全に正気であることはできないからです。



6. Yet it is as insane not to accept a function God has given you as to invent one He has not.
 しかし、神があなたに授けた役目を引き受けずにいることも、神があなたに授けなかった役目をでっちあげることに劣らないくらい、狂気の沙汰なのです。

 The advanced therapist in no way can ever doubt the power that is in him.
 進歩したセラピストは、決して自分の中にある力を疑うことなどできません。

 Nor does he doubt its Source.
 そして、彼にはその力の大いなる源を疑うこともできません。

 He understands all power in earth and Heaven belongs to him because of who he is.
 彼は、自らの本質ゆえに、天と地のすべての力が自分に備わっていることを理解しています。

 And he is this because of his Creator, Whose Love is in him and Who cannot fail.
 そして、失敗することがありえない彼の創造主の大いなる愛が彼の中にあるがゆえに、彼は天と地のすべての力を備える存在なのです。

 Think what this means; he has the gifts of God Himself to give away.
 このことが何を意味するか考えてみてください。それは、彼は与えるために神自身という贈り物を託されていることを意味します。

 His patients are God's saints, who call upon his sanctity to make it theirs.
 彼の患者たちは神の聖徒であり、彼の神聖さを自分たちのものにすることを求めているのです。

 And as he gives it to them, they behold Christ's shining face as it looks back at them.
 そして、彼が患者たちに自らの神聖さを与えるとき、患者たちは、キリストの輝く顔が自分たちを見つめ返すさまを目にするのです。



7. The insane, thinking they are God, are not afraid to offer weakness to God's Son.
 狂気に陥った者は自分が神だと思っているので、神の子に弱さを差し出すことを恐れません。

 But what they see in him because of this they fear indeed.
 そのくせ、狂気の者たちは、自分が弱さを差し出すことで神の子に見るもののことは大いに恐れます。

 The unhealed healer cannot but be fearful of his patients, and suspect them of the treachery he sees in him.
 癒されていない癒し主は、自分の患者たちのことをただ怖がることしかできず、自分の中に見ている不信が患者たちの中にあると疑うようになります。

 He tries to heal, and thus at times he may.
 癒されていない癒し主は癒そうと努力するので、ときには彼が癒すこともないわけではありません。

 But he will not succeed except to some extent and for a little while.
 しかし、癒されていない癒し主が成功するのは、ある程度までのことで、それも、ほんのわずかな間だけです。

 He does not see the Christ in him who calls.
 癒されていない癒し主は、自分に呼びかけている者の中にいるキリストには見向きもしないからです。

 What answer can he give to one who seems to be a stranger; alien to the truth and poor in wisdom, without the god who must be given him?
 患者のことを、真理とは相容れない賢明さに欠ける存在で、自分を寵愛してくれているに違いない神に見放されたよそ者だとみなしているというのに、そんな彼が患者にどんな答えを与えられるというのでしょうか。

 Behold your God in him, for what you see will be your Answer.
 患者の中にあなたの大いなる神を見てください。というのも、あなたが見るものがあなたにとっての大いなる答えとなるからです。



8. Think what the joining of two brothers really means.
 ふたりの兄弟たちがひとつに結ばれることが、真に何を意味するのか考えてみてください。

 And then forget the world and all its little triumphs and its dreams of death.
 それから、この世界を忘れ、そして、この世界の取るに足らない功績とこの世界の死の夢などみな忘れてしまいなさい。

 The same are one, and nothing now can be remembered of the world of guilt.
 同じものはひとつであり、いまや、罪悪感にまみれた世界について何ひとつ思い出すことはできません。

 The room becomes a temple, and the street a stream of stars that brushes lightly past all sickly dreams.
 部屋は神殿となり、街路は銀河となって、病んだ夢のすべてを軽やかに流し去ります。

 Healing is done, for what is perfect needs no healing, and what remains to be forgiven where there is no sin?
 癒しは成し遂げられています。というのも、完璧であるものにはいかなる癒しも必要なく、罪のないところには赦されるべきものなど何も残ってはいないからです。



9. Be thankful, therapist, that you can see such things as this, if you but understand your proper role.
 セラピストよ、感謝するがよいでしょう。もしあなたがただ自分の果たすべき役割を理解しさえすれば、あなたはこのようなことを目にすることができるのですから。

 But if you fail in this, you have denied that God created you, and so you will not know you are His Son.
 しかし、もしあなたが自分にふさわしい役割を理解し損ねるなら、あなたは神が自分を創造したことを否認したのであり、したがって、あなたは自分が神の子であることを知らないままになるでしょう。

 Who is your brother now?
 そのとき、誰があなたの兄弟といえるでしょうか。

 What saint can come to take you home with him?
 どんな聖者が訪れようとも、あなたを一緒に故郷に連れ帰ることはできないのではないでしょうか。

 You lost the way.
 あなたは道に迷ってしまったのです。

 And can you now expect to see in him an answer that you have refused to give?
 そんなあなたが今、自分が与えることを拒んできた答えを、兄弟の中に見出すことを期待できるでしょうか。

 Heal and be healed.
 癒し、そして癒されなさい。

 There is no other choice of pathways that can ever lead to peace.
 この道以外には、平安へと導くことのできる別の選択肢などありません。

 O let your patient in, for he has come to you from God.
 さあ、あなたの患者を招き入れてください。というのも、彼は神の下からあなたの許へとやってきたのですから。

 Is not his holiness enough to wake your memory of Him?
 彼の神聖さだけでは、あなたに神の記憶を呼び覚ますには不十分だとでもいうのでしょうか。


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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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