レッスン309「私は今日、内面を見ることを恐れない」
私が仲良くせねばならない人物がふたりいる。神とこの私ガーフィールドだ。この世では私はガーフィールドとともに暮らさなければならないし、あの世では神とともに生きるからだ。

ジェームズ・A・ガーフィールド
Jesus said, “If you give birth to what’s within you, what you have within you will save you.
イエスは言われた。「もしあなたが自分の内にあるものを生み出すなら、あなたが自分の内面に持っているものがあなたを救うであろう。
If you don’t have that within you, what you don’t have within you will kill you.”
もしあなたが自分の内にあるものを持たずにいるなら、あなたが自分の内面に持たないものがあなたを殺すであろう。」

Mattison, Mark. The Gospel of Thomas: A New Translation for Spiritual Seekers .
イエス・キリスト(トマスによる福音書第70節)

レッスン309です。
「私は今日、内面を見ることを恐れない」が今日のテーマです。
まず、キリストの再臨とは何かをご覧ください。

T12-7 内面を見る、T21-4 怖がらないで覗きこんじゃっていいんです!、T13-9 罪悪感の雲が参考になると思います。
私たちの本質は光
私たちは、自分は身体であり、自分の外の世界の光に照らされる存在だと思っています。
けれど、そうではなく、レッスン69「私の不平不満が私の中にある世界の光を隠してしまう」というように、不平不満が覆い隠してしまうことはあるけれど、私たちの本質が光そのものだ(レッスン61「私は世界の光だ」)ということです。
これは、光が私たちの外側に存在するわけでなく、私たちが肉眼で見ているつもりの外的世界は、夜の夢の世界と同じように、実在しない空想の世界であり、自分の内面からの光をエゴというスライドを通して心というスクリーンに身体を含む物理世界として投影して、その映像を眺めているということでもあります。
全能の力には自らを無能に変える能力だけは持てない
神の子は全能で無制限の力を持つ神の拡張であり、父性原理を除いては神と完全に同一の存在です。
したがって、神の子には権威問題を抱くことによって拡張を堰き止めて投影することで、全能の創造力を無能に変えたと想像することはできても、自らの神に等しい全能の創造力を完全に廃することはできません。
「You can wait, delay, paralyze yourself, or reduce your creativity almost to nothing.
あなたは、待つことも、先延ばしすることも、自分自身を無力にすることもできるし、あるいは、自分の創造力をほとんど無に近づくまで減少させることもできます。
But you cannot abolish it.
しかし、あなたには自らの創造力を廃絶することはできません。
You can destroy your medium of communication, but not your potential.
あなたには、自らのコミュニケーションの媒体を破壊することはできても、自らのコミュニケーションの潜在能力を破壊することまではできません。
You did not create yourself.
あなたは自分であなた自身を創造したわけではないからです。」(T1-5 完全さと霊、1.)
したがって、神の意志の及ばない自分独自の意志を作り出して抱くことができているという私たちの感覚は完全な錯覚であり狂気の沙汰だということになります。

Lesson 309
I will not fear to look within today.
私は今日、内面を見ることを恐れない。
1. Within me is eternal innocence, because it is God's Will that it be there forever and forever.
私の内面には永遠なる潔白さがある。なぜなら、私の内面に永遠にいつまでも潔白さがあることが神の大いなる意志だからだ。
I, His Son, whose will is limitless as is His Own, can will no change in this.
神の意志と同じく無限の意志を持つ神の子である私には、一切このことを変えることは意図できない。
For to deny my Father's Will is to deny my own.
というのは、私の父の大いなる意志を否認することは、自分自身の意志を否認することだからだ。
To look within is but to find my will as God created it, and as it is.
内面を見つめることは、単に自分の意志を神に創造されたものとして、ありのままに見出すことでしかない。
I fear to look within because I think I made another will that is not true, and made it real.
私は、自分が真実ではない別の意志を作り出して、それを本物にできたと思いこんでいるせいで、内面を見ることを恐れている。
Yet it has no effects.
しかし、私が作り出したと思っている別の意志は何の結果も持たない。
Within me is the Holiness of God.
私の内側にあるのは、神の神聖さだ。
Within me is the memory of Him.
私の内にあるのは、神の記憶だ。
2. The step I take today, my Father, is my sure release from idle dreams of sin.
わが父よ、私が今日踏み出す歩みは、罪という空疎な夢から私を確かに解放します。
Your altar stands serene and undefiled.
あなたの祭壇は、静かで穢れのないままです。
It is the holy altar to my Self, and there I find my true Identity.
それは私の真の自己のための神聖な祭壇であり、そこで私は自らの真のアイデンティティーを見出すのです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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