レッスン312「私はあらゆる物事を自分がそう見たいように見ている」

レッスン311〜320 0

あなたは自分の人生に起こる事柄を、自分の核となる信念や、その事件に引き起こされた感情の状態に基づいて解釈します。たとえば期待はずれの事件が起きれば、それは自分に欠けたところがある感じや罪悪感に直結していきます。
期待が叶えられないとき、あなたは単に軌道修正を受け取っているだけです。状況の真実を見ていないのだよ、と言われているだけです。自分の知覚を広げなさいと言われているだけです。修正は攻撃ではありません。処罰でもありません。
思い通りにならない時に、自分が攻撃されている、罰せられていると感じるのは、まったく罪悪感のなせるわざです。罪悪感がなければ、修正を感謝して受け取り、理解が広がって、新たな知識がそこに加わるだけです。

Jesus Christ

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)



レッスン312です。

「私はあらゆる物事を自分がそう見たいように見ている」が今日のレッスンです。




まず、最後の審判とは何かをご覧ください。

幻想を見るために作り出されたがゆえに、知覚には価値判断に従って私たちの願望に奉仕する作用しか果たせません。

そのため、私たちは、見ようとするもの、見ることを選択したものを必ず見ることになります。

この知覚の仕組みは、エゴに従うかぎりはエゴに奉仕しますが、聖霊に委ねれば、聖霊が真の世界を見るために活用してくれます。

見ようとするものを必ず見ることになるという知覚の仕組みゆえに、聖霊の目標を自らの目標として掲げる心には、正しい知覚によって真の世界しか見えないはずだからです。


Lesson 312


I see all things as I would have them be.
私はあらゆる物事を自分がそう見たいように見ている。



1. Perception follows judgment.
 知覚価値判断に従います。

 Having judged, we therefore see what we would look upon.
 すでに価値判断して裁いているがゆえに、私たちはその裁きに従って、自分の見たいと思ったものを見るのです。

 For sight can merely serve to offer us what we would have.
 というのも、視覚には単に自分が得ようとするものを私たちに与える機能しか果たせないからです。

 It is impossible to overlook what we would see, and fail to see what we have chosen to behold.
 自分が見ようとするものを無視するのは不可能だし、自分が見ることを選択したものを見損ねるのも不可能です。

 How surely, therefore, must the real world come to greet the holy sight of anyone who takes the Holy Spirit's purpose as his goal for seeing.
 そうであるなら、見るに際しての自らの目標として聖霊の目的を受け入れる者なら誰でも、その神聖な視覚に真の世界が見えるようになるのは、なんと確実なことでしょう。

 And he cannot fail to look upon what Christ would have him see, and share Christ's Love for what he looks upon.
 そして、彼には、キリストが彼に見せようとするものを見損ねることはできないし、彼は自分の目にするものに対するキリストの大いなる愛を分かち合うことになります。



2. I have no purpose for today except to look upon a liberated world, set free from all the judgments I have made.
 今日、私には、私が下したすべての価値判断から解放された世界を見ること以外に何の目的もありません。

 Father, this is Your Will for me today, and therefore it must be my goal as well.
 父よ、これこそあなたが私のために意図することであり、したがって、それは私の目標であるに違いありません。


名称未設定


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。




次

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 松山 健 Matsuyama Ken
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