レッスン315「私の兄弟たちが与える贈り物はすべて、私のものだ」
人に助けてもらうことを恥ずるな。
なぜなら、君は兵士が城砦を戦いとるときのように、課せられた仕事を果たす義務があるからだ。
もし君が足が不自由であって、胸壁をひとりでは昇ることができず、ほかの人の助けを借りればそれができるとしたらどうするか。
マルクス・アウレリウス
レッスン315です。
「私の兄弟たちが与える贈り物はすべて、私のものだ」が今日のレッスンです。

まず、最後の審判とは何かをご覧ください。
今日のテーマほど、「はたらく細胞」の観点が威力を発揮するテーマはないでしょう。
エゴと自己同一化したままの意識で素朴に考えると、自分以外のところで他者が他者に施しをしたところで、「よかったね」という感想は持つかもしれないとしても、自分にとっては何の関わりもないことでどうでもいいという感覚になるでしょう。
これは、贈り物のようにプラスの出来事でもそうだし、反対に、自分の関わりのない場所での犯罪被害や戦争、大災害等のマイナスの出来事についても同じようにあてはまり、大変な苦痛をその人たちは味わっているかもしれないけれど、自分とは関係ない、自分でなくてよかったとすら感じます。
しかし、これが自分の身体の中の世界での出来事だったらどうでしょう?
体内世界を観察できるカプセル内視鏡で自分の体内世界を旅しているとして、たまたま自分がモニターでカメラからの映像を観察できる内視鏡が頭部にあって、腹部の状況が把握できないからと言って、腹部でイレウス(腸閉塞)が起こっているのを他人事として無視していられるでしょうか。
赤血球が酸素を無事に体内世界の各地に届けてくれていることや白血球が身を挺して外敵と戦ってくれることを喜び感謝するのではないでしょうか。
真実、この幻想世界の中で私たちが他者だと思っている兄弟たちは、この体内世界の自分の細胞や器官と同じくらい、それどころか、それ以上に、自分自身であるわけです。
コースは、他者の攻撃は私たちに救いを求める哀訴であり、私たちを怒らせる他者は私たちを死の監獄から救い出してくれる救い主なのだから、返すべきは自分の被った被害を思い知らせて罪悪感を味わわせてやろうと攻撃することではなく、自分が傷ついていないことを示して彼が無実だと自覚させてあげる愛に満ちた助けだけだとみなすことを教えてくれています。
もし私たちがナノサイズのカプセル内視鏡で、傷病によって荒廃した自分の身体の体内世界を見て回るとしたら、死にかけた細胞たちが喘ぐ惨状をどんなに悲しい気持ちで眺め、苦境にある細胞たちをほかの細胞体たちが賢明になって助けようとするさまを見てどんなに嬉しく思うことでしょうか。
自分の体内での出来事であったら容易に理解できる同じ仕組みがこの世界にあてはまるのに、一細胞に相当する一人間にアイデンティティーを持って分離幻想を抱えることだけで、このことがまったくわからなくなってしまって、他者が苦しんでいるのを見て自分はマシだと安心できるとはなんという狂気の沙汰でしょうか。
コースに触れて、兄弟たちが苦しむことは自分の苦しみであり、兄弟たちが喜ぶことは自分の喜びなのだと気づくことができるチャンスを与えられている私たちはこの幸せに感謝すべきではないでしょうか。
Lesson 315
All gifts my brothers give belong to me.
私の兄弟たちが与える贈り物はすべて、私のものだ。
1. Each day a thousand treasures come to me with every passing moment.
毎日、一瞬が過ぎゆくごとに、無数の宝物が私の許へとやってくる。
I am blessed with gifts throughout the day, in value far beyond all things of which I can conceive.
私は一日中、自分に想像できるいかなるものも遠く及ばない価値を持つ数々の贈り物で祝福されている。
A brother smiles upon another, and my heart is gladdened.
ある兄弟がほかの兄弟に微笑みかけるとき、私の胸は喜びに溢れる。
Someone speaks a word of gratitude or mercy, and my mind receives this gift and takes it as its own.
誰かが感謝や慈悲の言葉を語るとき、私の心はこの贈り物を受け取り、それを自分のものにする。
And everyone who finds the way to God becomes my savior, pointing out the way to me, and giving me his certainty that what he learned is surely mine as well.
そして、神への道を見出す者はみな私の救い主となり、私にその道を指し示し、彼の学んだことは間違いなく私のものにもなるという彼の確信を私に与えてくれる。
2. I thank You, Father, for the many gifts that come to me today and every day from every Son of God.
父よ、今日、そして毎日、神の子の一人ひとりから私の許へともたらされるたくさんの贈り物について、私はあなたに感謝を捧げます。
My brothers are unlimited in all their gifts to me.
私の兄弟たちは限りなく無条件に私に贈り物を与えてくれています。
Now may I offer them my thankfulness, that gratitude to them may lead me on to my Creator and His memory.
今こそ、私が兄弟たちに感謝を捧げられますように。そうすれば、兄弟たちに感謝することで、私は自らの創造主の下へと導かれ、創造主を思い出すことができます。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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