レッスン323「私は喜んで、恐れを『犠牲』にする」
恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめて、その中から、あなたの参考になるものをおつかみなさい。

夏目漱石(「こころ」より)
Fear: False Evidence Appearing Real.
恐れとは、間違った証拠がまるで本物のように見えている状態をいう。

Unknown
作者不詳
Fear is pain arising from the anticipation of evil.
恐れとは、害悪を予期することで生じる苦痛のことだ。

Aristotle
アリストテレス
If you are distressed by anything external, the pain is not due to the thing itself, but to your estimate of it; and this you have the power to revoke at any moment.
もし君が何か外的な事柄によって苦悩するなら、苦痛はその事柄それ自体ではなく、君がそれを予測することによって生じるのだ。そして、このことは、君はいつでも苦悩を無効化する力を持っていることを示している。

Marcus Aurelius
マルクス・アウレリウス
Fear is the lengthened shadow of ignorance.
恐れとは、無知の影が延びたものだ。

Arnold Glasow
アーノルド・グラソフ

レッスン323です。
「私は喜んで、恐れを『犠牲』にする」が今日のレッスンです。
まず、創造ってなに?をご覧ください。

無を捧げたところで何も減るもんじゃない
愛と恐れは対概念ですが、愛のみが実在し、恐れは愛の不在に名前をつけた影にすぎず、実在しないということは何度も繰り返し述べてきました。
この世界は、壮大な影遊びの場です。みんなで実在しない概念を着想しては物質化して偶像崇拝してという具合に、影絵や影踏みをする遊びに没頭しています。
アバター各自は自分のうちに神の光の閃光を持っているので、実在する真理に間違った場所や角度から光を当てて、虚構という影を生み出すことができます。
影は「存在」はしても「実在」しない
しかし、影は見えるものとして形を持って幻想として「存在」はするものの、実体を持たない無でしかなく、現実としては「実在」しないので、真に神の子を満足させることはできません。ご飯の写真だけでお腹いっぱいになることはできないわけです。
それに、愛はすべてなのだから、有る状態に対して有が欠けている無の状態である影はすべて、愛の不在である恐れだということができます。
つまり、この世界は恐怖を素材に作り出されているということです。
救済は、恐怖を手放して幻想を去らせて実在する愛だけの状態に戻すことです。
そして、何より覚えておくべきは、恐怖を味わうアバターも恐怖と同じように実在の不在、神の子という実在の不在が形をなした影に名前をつけた幻だということです。

Lesson 323
I gladly make the "sacrifice" of fear.
私は喜んで、恐れを「犠牲」にする。
1. Here is the only "sacrifice" You ask of Your beloved Son; You ask him to give up all suffering, all sense of loss and sadness, all anxiety and doubt, and freely let Your Love come streaming in to his awareness, healing him of pain, and giving him Your Own eternal joy.
ここに、あなたが自らの愛し子に求める唯一の「犠牲」があります。あなたが子に求めるのは、すべての苦しみ、喪失感と悲しみのすべて、心配と疑念のすべてを手放して、あなたの大いなる愛が何の妨げもなく子の自覚の中へと流れ込み、子を苦痛から癒し、子にあなたが持つ永遠の喜びを与えられるようにすることです。
Such is the "sacrifice" You ask of me, and one I gladly make; the only "cost" of restoration of Your memory to me, for the salvation of the world.
このようなことが、あなたが私に求め、そして、私がただひとつ喜んで捧げる「犠牲」です。それは、この世界の救済のために、あなたの記憶を私が取り戻すために支払う唯一の「代償」です。
2. And as we pay the debt we owe to truth,--a debt that merely is the letting go of self-deceptions and of images we worshiped falsely--truth returns to us in wholeness and in joy.
そして、私たちが真理に対して負っている借りを返すにつれて(その借りは、自己欺瞞と私たちが間違って崇拝していたさまざまな偶像をただ単に手放しさえすれば返せるものです)、真理は完全に、喜びのうちに私たちの許に戻ってきます。
We are deceived no longer.
私たちはもうこれ以上、騙されたままではいません。
Love has now returned to our awareness.
愛が今、私たちの自覚へと戻ったのですから。
And we are at peace again, for fear has gone and only love remains.
だから、私たちは再び平安の中にあります。というのも、恐れは去り、ただ愛だけが残っているからです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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