レッスン327「私はただ呼びかけさえすればよい。そうすれば、あなたが私に答えてくれるでしょう」
Love is a fruit in season at all times and within reach of every hand.
愛はつねに収穫期にある果実なので、誰でも手に入れられるものです。
Anyone may gather it and no limit is set.
誰でも愛を収穫できるし、何の制限も課されません。
Everyone can reach this love through meditation, the spirit of prayer and sacrifice.
誰もが、祈りと犠牲の精神をもって、瞑想を通じてこの愛に到達できるのです。

Mother Teresa
マザー・テレサ

レッスン327です。
「私はただ呼びかけさえすればよい。そうすれば、あなたが私に答えてくれるでしょう」が今日のレッスンです。
まず、創造ってなに?をご覧ください。

盲目的に信じる必要はない
今日のレッスンでは、私たちは何の根拠もなしに救済を受け入れるように求められているわけではなく、自分の体験から神の導きが真実だと学んで信頼すればよいのだということが語られます。
机上の空論の理論的な根拠づけよりも、実体験による確信が最も確かな信頼の根拠になるというのはもっともなことです。
ここまでレッスンを進めてきたみなさんなら、多少なりとも、すでに聖霊の導きによる心境の変化を実感して、神の救済計画を受け入れようという意欲が湧いてきているのではないでしょうか。
ひとつの救済に対する多面的アプローチ
聖霊は、同じひとつの救済についての理解を導くために、世界の捉え方、自己認識、時間認識等々、さまざまな側面からアプローチします。
5W1H、「When:いつ」「Where:どこで」「Who:だれが」「What:何を」「Why:なぜ」「How:どのように」に割り振ってみるだけでも、コースが全方位から多様なアプローチを試みていることがわかります。
「When:いつ」 時間 →神聖な瞬間 →永遠
「Where:どこで」この世界 →真の世界 →天国
「Who:だれが」 エゴ・身体 →聖霊 → 神の子
「What:何を」 罪 →キリストのヴィジョン →潔白さ
「Why:なぜ」分離・恐怖 →癒し → ひとつであること・愛
「How:どのように」
咎め →赦し
病い →癒し
特別な関係 →神聖な関係
裁き →愛
不平不満 →奇跡
その人の個性によって取り組みやすい領域や取り組みにくい領域がある
聖霊の導きによる境地の変化が生じる際に、どの側面が皮切りになるかは、その人次第です。
ひとつ前のレッスンで出てきた心の性質の要素、グナの混じり具合によって、個々の魂の抱える闇はさまざまなものとなるからです。
魂は、転生を繰り返す中で、神の現実において実在する諸々の属性のうち、特定の属性に関しては、この世界に現れた影の属性のほうが実在すると信じてしまうようになります。
他者との分離意識は強くないけれど、逆にそれだけに、罪の意識が堅固になって自分や他者の罪についての確信を抱き、無罪性という概念を理解するハードルがとても高くなっている人もいるでしょう。
このような場合、罪や罪悪感についてのレッスンはなかなか進歩が見られないけれど、時間観念に関する思い込みがほどけることで、奇跡が起こらないよう押さえつけていた重石が取れて、そこから波及的に罪についての理解が深まりはじめるということもあるでしょう。
時間観念を例に
ちなみに、時間観念に関する思い込みについて述べておきます。
すなわち、私たちが素朴に過去が現在を決めると感じて自分で限界を設定するという意味で、私たちは時間の進行方向に関する常識による縛りを受けています。
時系列的に因果関係で過去の出来事が現在と未来を決めると感じるようなことがすべてこの縛りの例となります。
宝くじを買わなきゃ当選しようがない、というかなり確信度の高いものから
親が高血圧なので、遺伝で自分も将来高血圧症になるだろう、という可能性の程度にとどまるもの
自分の学歴からすれば、就職先はこの会社が精一杯だろう、というような自分でひとり決めしているだけであることがわかりやすいもの
等々いろいろバリエーションがありえます。
エゴに従う私たちの平常時の思考のすべてがこの縛りを受けたものだと言えます。
この時間の進行方向に関する常識による縛りがほどけてくることで、日常生活の中でも、奇跡と言ってよい出来事が頻繁に起こる体験が増えてきて、神への信頼が深まってくる人もいるでしょう。
この仕組みについてはT13-9 罪悪感の雲を読んでみてください。

Lesson 327
I need but call and You will answer me.
私はただ呼びかけさえすればよい。そうすれば、あなたが私に答えてくれるでしょう。
1. I am not asked to take salvation on the basis of an unsupported faith.
私は、何の根拠もない信頼に基づいて、救済を受け取るように求められているわけではない。
For God has promised He will hear my call, and answer me Himself.
というのも、神が私の呼びかけを聞き入れ、神自ら私に答えてくれると約束してくれているからだ。
Let me but learn from my experience that this is true, and faith in Him must surely come to me.
私は自分の経験からこれが真実だと学ぶことさえできればよい。そうすれば、私は確実に神を信頼するようになるはずだ。
This is the faith that will endure, and take me farther and still farther on the road that leads to Him.
これこそ、持続する信頼であり、私を遠く、さらに遠く神の下へと導く道へと進ませてくれる。
For thus I will be sure that He has not abandoned me and loves me still, awaiting but my call to give me all the help I need to come to Him.
というのも、こうして私は、神が私を見捨てたことなどなく、今なお私を愛してくれており、私が神の下へと至るために必要な助けのすべてを与えようと、私の呼びかけだけを待ち受けていると確信することになるからだ。
2. Father, I thank You that Your promises will never fail in my experience, if I but test them out.
父よ、もし私がそれらを試しさえすれば、あなたの約束が絶対に守られると体験できることに感謝を捧げます。
Let me attempt therefore to try them, and to judge them not.
それゆえ、あなたの約束を裁くことなく、あなたの約束が守られるのか私に試みさせてください。
Your Word is one with You.
あなたの大いなる言葉は、あなたとひとつのものです。
You give the means whereby conviction comes, and surety of Your abiding Love is gained at last.
あなたはそれによって確信を抱くことができる手段を授けてくれます。だから、あなたの不変の大いなる愛の証しがついに得られることになります。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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